2.竜の筆
天井のいたる所に「竜」と書かれた提灯が浮いている。口をあんぐりと開けながら見渡すと、手前には木の机と椅子がいくつも並び、奥の方には受付のようなものがある。正面には大きな階段が伸び、上階には何部屋か個室のドアが見える。階段脇には、ギルドの裏手に続いているのか、「訓練場」と書かれた勝手口がある。また、隣の建物と繋がっているのか、先ほどヨモギが示した方には暖簾が出ており、「でんえん」と書かれている。手にジョッキを持った男が2人、暖簾をくぐって現れて、椅子にどかっと座る。夕食時だからか、他にも多くの人が歓談しながら食事をとっている。ほとんどが、一目見て、冒険者だと分かる格好だ。
入口脇には、大きな掲示板。端の方に、「Eランク、初心者歓迎!」という文字をみつけ、それとなく眺めるライム。すると、近くの椅子に座った気さくな男性に声をかけられた。
「少年、うちは初めてか?」
慌てて振り向く、ライム。男性の腰には剣が一振り。にっこり笑って、ジョッキを軽く掲げる。
「は、はい、僕、ついさっきライオンタウンに着いたところで・・・。あの、冒険者になりたいんですけど・・・」
冒険者になりたい、と聞くと、男性はますますにっこり笑う。
「じゃあ、このギルドに加入するってことだな!仲間が増えるのは嬉しいもんだ。今日はもう、受付は閉まってるから、手続きは明日になっちまうけどな。今日は、まあ、飯でも食っていけ」
男性の手招きに応え、ライムはリュックを下ろして椅子に腰掛ける。声をかけてもらったのは、なんともありがたい。
「俺は、ルンポってんだ。少年、このギルドに来たのは大正解だぞ。『竜の筆』は、ライオンタウンどころか、このニマール国でも1番のギルドだからな。個人的には、大陸でも1番だと思ってるぞ」
ルンポがジョッキのビールを、一気に呷る。
そうなんですね、と呟きながらキョロキョロと首を動かすと、大盛りの丼飯をかき込む大男や、綺麗な装飾品を囲んで話に花を咲かせる少し年上の女性たち、端の方のロッキングチェアで微睡む年配の男性や、激しく何やら論じ合う人々、静かに本や新聞を読む人々、そして訓練場の方から汗を拭きながらギルドに入ってくる人々の中に同じ年頃の少年の姿が見えた。
ふと、まだルンポに名前を名乗っていなかったことに気がついた。
「あ、すみません、僕、ライムといいます。ラクダ村から来ました」
ラクダ村か、とルンポが顎をさすりながら何やら思い出そうとする。
「確か、ここから南に少し行ったところの村だろう。通りがかったことはあるが、入ったことはなかったな。ライム、何か食いたいもんあるか?冒険の第一歩を祝して、俺が奢ってやる」
遠慮がちに唐揚げ定食を注文したライムであったが、空腹に加えあまりにも美味しい料理に、ご飯を2回おかわりした。2回目に茶碗を運んできてくれたのがヨモギで、「あ、さっそく!どうもありがとうございます!」と笑顔で言われて、顔を赤らめたことをルンポに笑われてしまった。
先ほど訓練場から出てきた同じ年頃の少年の姿はいつの間にか消えていて、いつか言葉を交わす機会があるだろうか、あわよくば一緒にパーティーを組めないか、と少しのワクワクを感じるライム。そして、はじめはベテランの冒険者に同行させてもらう方がいいのか、それでも同じ年頃の冒険者たちだけでパーティーを組むのも憧れだな、などと妄想を膨らませるのであった。
食事を終えてギルドを出ると、ルンポに「今日、泊まるところのあてはあんのか?」と聞かれ、はっとする。宿に泊まる金は、ラクダ村でレモン姉さんの知り合いの農家で手伝いをして、少しは稼いできたつもりだ。しかし、都会の宿代の相場がわからない。
「あの、このあたりの宿って、1晩おいくらくらいで・・・」
「そうだな、ざっと1万ブクくらいかな」
青ざめるライムだが、ニヤニヤとするルンポの顔を見て、冗談なのかなとも思う。
「そんな、僕、1週間だって泊まれませんよ」
そう言うライムに、ルンポがついに声をあげて笑い出し、「そんな高級宿は、クジラシティまで行かないとないな。それに、竜の筆には寮がある。格安のな。だから、明日からはそこに転がり込むのもよしだ」
ライムがほっと胸をなでおろしていると、道の向こうから甚兵衛を纏った黒髪の男が、ルンポに向かって軽く手をあげながらやってきた。
「よう、シン。飯はまだか?」
「ああ、これから。腹減ったぁ~」
腹をさすりながら、ライムに目を向ける。慌てて会釈をするライムに合わせて、黒髪の男も頭を下げた。
「この子、ライムってんだ。ついさっきライオンタウンに来たばっかりなんだと。明日、ギルドの手続きするってさ」
「へぇ、いいねぇ。若い力が入るのは、とっても喜ばしいことだよねぇ。こんなおっさん達じゃ、ギルドの役には立たないからさぁ」
「こいつ、たまにしか冒険しないくせに、でんえんの飯代は報酬払いとか言ってるんだぜ。人一倍、大食らいで大酒飲みのくせにさ」
ルンポが黒髪の男の肩をバンバンと叩く。大食らいで大酒飲み、のイメージがあまり湧かない。痩せているわけでもないが、太っているわけでもない。
「いつかちゃんと払うからさぁ。ハクビちゃんに怒られないうちに。じゃあね、ライム君。いつかパーティーでも組んだら、おっさんのこと助けてね」
背を向けながらこちらに手を振り、シンは通りを歩いて行った。
宿の前まで、ライムのことをルンポは送ってくれた。
「ありがとうございます、あの、今日は話しかけてくださった上にご馳走していただいて、ありがとうございました!」
「おう、明日はギルドで手続きして、さっそくパーティーでも組めたらいいな。ライムと同じくらい若い奴らだって、ちらほらいるからさ」
それを聞いて、ワクワクとしてしまう。
ルンポの背中が見えなくなるまで見送って、ライムは宿に入った。
宿のベッドは少し硬かったけれど、それがまた、慣れ親しんだ故郷を離れて旅をしている実感につながって、興奮で目が冴えてしまった。
窓を開けると、先ほどよりも少し明かりの数が減ったライオンタウンの街並みが見える。この街にも、夜はあるようだ。
リュックを漁り、父親の名前が記された冒険譚を取り出す。ベッドの上に座り、窓からは月明かりが差し込んでいるけれど、表紙を捲らないまま、ライムは冒険譚を唯々じっと見つめる。やがて、枕元にそれを置き、身体を横たえた時にはもう微睡みの中だった。