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素描集  作者: かやまりょうた
5/8

素描5 物語 キャベツ畑の中で 後篇

 話を続けよう。校内に入ると、一つの学年は600人くらいいたからそれなりには広い。僕らは二階にあがる。ガラガラと教室の引き戸を開けると、黒板があり、床は白っぽいリノリウム張り、安っぽい机と椅子、後ろには私物入れの個人ロッカーがある。どこの学校にもありそうな、ありふれた教室の様子だ。周りは畑だらけで海も近く風がかようので、クーラーはない。冬は石油ストーブを使う。

 みんな仲のいい者たちで、集まって、勉強や日頃の事、国語のОはゲイだとかどうでもいいような雑談をしている。似た者同士の人間たちでグループが出来ている。こういうのは今の学校でも同じような光景が広がっていることだろう。この頃もまったく同じだった。

 不良みたいな連中、オタクっぽい連中、運動部系、そのどちらでもない連中という感じでゆるやかに分かれていた。ただ、同じ学年では、みんな意外に付き合いがあり、同じ中学の出身者という横のつながりもあった。

 男女交際はあまりなかったが、交際しているカップルが長く付き合って、その後、結婚したというのはけっこうあった話だった。

 休み時間は今とは違ってスマートフォンはないので、アナログな感じでトランプやオセロ、カード麻雀をやったりしていた。安田均やその仲間が活躍し、テーブルトークのゲームがすでに普及していて、それを幾人かでやったりする者もいた。ただ、1ゲーム終えるのに何日もかかった。

 読書をたしなむ連中も多くいた。本も良い娯楽のコンテンツだった。新書とか学術系の堅い文庫を読む者はほとんどいなくて、ライトノベルが人気だった。流行っていたものを紹介すると、水野良がロードス島戦記をコンプティークで連載していて、ディードリットの鮮烈な印象を残しエルフのイメージを決め、電撃文庫はまだなくて、スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫が隆盛していた。他に人気だったのはハヤカワ文庫のSF、ファンタジー、創元推理文庫とかの翻訳物、赤川次郎や西村京太郎などを読む者も多かった。

 僕も色々と読んだが、印象に残っているのがアーサー・クラークの 『幼年期の終わり』とフィリップ・k・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だ。深く読んだという訳ではないのだが、鮮烈な感覚が今も残っている。こういった物語は何度読んでも驚きがあるのだが、鮮烈な感覚はすでになく、少年の時の感性にかなうものはないようだ。

 マンガも変わらず人気で、貸し借りはよくやった、また、通学の電車の中で、マガジン、ジャンプ、サンデーなどの週刊マンガの最新号を拾うことも最大の関心事だった。

 あとは、廊下でキャッチボールが流行ったことがあった。ただ、ガラスを割って禁止になってしまったが。

 部活は農業実践研究会というのに属していた。部員は僕と友達3人だけで、時々、農家に手伝いに行って農作業を教えてもらうのが活動だった。部活がない時は、隣の漫画研究部や人数が足りていない運動部に行って練習に加えてもらって、遊んだりした。

 今は男子も女子も高校生の行動や娯楽はスマートフォンが出て、だいぶ変わったと思うが、僕たちはこんな学校生活を過ごしていたのである。

 どうだろう、この時代をしらない人はどう思うだろうか。


***


 学習指導要領どおりの退屈な授業が終わり、部活もなければ、後は帰宅するだけだった。

 通学の途中にある小さな街に寄り道すると、商店街があり、パラダイス銀河がそこら中で流れていた。

 この街にはポパイというゲームセンターがあり、よく行った。テトリスとか、グラディウスや東亜プランの弾幕シューティングゲーム流行っていた。格闘ゲームも出始めていた。コインゲームでは競馬とか、スロットが面白くて、コインを融通しあって仲間とよく遊んだものだった。

 家に帰れば、家庭用ゲーム機があり、ファミコンがまだまだ人気があり、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーの初期作品がヒットして僕もそれでよく遊んだりした。この頃のゲームはグラフィックがきれいになりつつあり、ロールプレイングゲームでは今もみられる基本的なシステムが定着したころだったと思う。

 そして、この時代のゲームは容量がキロバイトの世界でメガを超えると大容量だとか言っていた時代だったので、今から見れば物語も演出も音楽ものすごくシンプルだった。ただ、シンプルなゲームでもよく作り込まれたものは余計なものがないのでゲーム性だけをひたすら楽しめる良さがあったと思う。

 パソコンのゲームもあったが当時はパソコン自体が高価であったので、なかなか遊ぶことができなかったが、まれに持っている者がいて、ファルコムのイースなどを時々遊びに行ったものだった。ウィンドウズはまだなく、pc98とかx68000とかそんな機械が主流だった。


***


 バイクについても書いておこう。

 高校生ともなれば原付に興味をもって、原付の免許を持ちたいという者も多かった。バイトやなんかで毎日の移動のために必要なものも多かったのだ。僕もその一人だった。

 ところが原付を含めバイクというのはこの頃、非行の象徴とされ教師や親たちに目の敵にされていた。それは教師たちからすれば、経験からくる方程式があるのだった。バイクを持てば交友関係も広がり、面倒なことに巻き込まれかねない。あるいは暴走族に加入する。事故にあう確率も上がるなど、そういう心配をするのだった。バイクを持っていることがわかるとしつこく乗らないようにと指導された。必要性があっても、何を言っても駄目だったのだ。

 こうした教師たちの頭の固い考えには、今からふりかえっても苦笑するしかない。まるっきりこちらを信用していないし、尊重もしてくれていなかったからだ。アルバイトの禁止も同様の話だった。ただ、こちらもそんなのは無視して免許を取りバイクに乗った。

 確かにバイクはかなり危ない乗り物だ。でも、面談をするなりして、本人に問題がなければ許可してもいいと思う。危険性が色々とあるから、全てダメというのは逆に良くない。

 長々ととりとめもないことを書いてきたが、二年生になった春に、気楽な僕たちの生活を変えてしまう事故が起こってしまったのだった。


***

 

 その出来事を忘れてしまうことがないよう書いておきたい。

 ことのはじまりは、ある朝、登校した時にはじまった。いつものように丘を越えて学校までやってくると、校門の前に見たこともないような大人たちが大勢いてカメラらマイクがあった。見慣れた田舎の学校が突如、まったく別の撮影所のセットにでもされたんじゃいないのか、そんな錯覚をしたのをおぼえている。大量のマスコミが学校の前に来ていた。

 僕たちは自分たちの学校の異様な様子に面食らったのだ。安い言い回しだが、ドラマやマンガの中で見るような光景だった。

 当時。僕はYとSの3人と電車の中であって、登校するのが毎日の決まった行動だった。その日もいつものように3人でやってきたが、2人も面食らっている様子だった。

 それから僕ら3人は教室へ行って、周りが話していることから、事故で誰かが亡くなったらしいということを話しているのを知った。外のマスコミたちがそのことを取材しに来たのだと僕はそこでようやく理解したのだった。

 しかし、僕はそれ以上、知らないまま、妙な胸騒ぎを感じながら席に着いた。そして、田舎の、こののんきな学校で事件というのはまさかないだろう。何か残酷な事件など起こるはずもないとそう思っていたのだった。

 ホームルームがはじまると教師から事実が告げられた。NとTが所属している海洋スポーツ部の練習中に沖合に流され亡くなったという話だった。犯罪事件ではなかったが、それは残酷で悲しい出来事だった。

 淡々と事実を説明する教師の言葉に教室の全員が絶句した。教師はそれを告げると、またすぐに職員室に戻っていったのだった。教室の外では誰かが泣いている声がしていた。

 僕はすぐに友人のYとSに話したと思う。黙っていられなかったのだ。意外にもYはNとTのことを知らなかった。まあ、たくさん生徒がいたからそれも無理もない話だった。

 僕はNを知っていた。1年生の時に同じクラスだったからだ。もじゃもじゃ頭で調子が良くておどけたやつというのが僕のNに対するイメージだ。僕を時々からかってきた奴で、変なあだ名を勝手につけてきて怒ったこともあった。特に親しくもないが、同じクラスで、良く見知った奴だった。

 その日はその場で終業になり、僕は友達と帰りについた。これほどのことがあったのに、僕や友人たちはきわめて普通だった。

 早く終わったので、友達の家に寄っていくことになった。そこでちょうど昼にテレビをつけるとNとTの遭難を放送していた。僕たちはニュースで放送を見て、客観的な視点からこの事件が深刻で、その時点で社会的な関心を持たれていることに今更ながら気がついたのだった。


***


 覚えているのはこれくらいだ、この話を書くために思い出そうとしても、すでに細かな記憶のあちこちが欠け忘れてしまっている。

 この事故は学校にあった海洋スポーツ部という部活の活動中に起こった。この痛ましい事故は、ある日、突然起こった。少し風のある日だった。しかし、風がなければウィンドサーフィンは出来ない。練習をするのに、危険な日であるとも言えなかった。無謀な条件で練習をしていたわけでもないが、事故は起こってしまったのだった。

 離岸流という自然現象をご存じだろうか。後から聞いた話では彼らが事故にあってしまった原因はこの離岸流にあるという。離岸流とは岸から沖に向かって流れる潮流のことだ。どこの海でも起こるものだと言う。海岸には波が水を押し寄せ、そこから沖合に向かって戻る水の潮流が生まれる。極めて速く力が強いので、それに乗ってしまうと、沖合に運ばれてしまうのだ。彼らは不運にもそれに乗ってしまったのだった。

 離岸流の対処は無理に戻ろうとせず、沖合に運ばれてから、潮流の遅いところに移ってゆっくりと岸辺に戻るのが自分を救う方法の一つだという。ウィンドサーフィンをやっていた彼らが、それを知らなかったというのは考えにくいが、パニックに陥ってしまったか、沖合の潮流に乗ってしまったのかなんらかの事情が加わった結果だと考えられている。


***


 この日を境目にNとTに起きた悲劇は、僕たちの無傷で底なしに気楽の日々にコンマを打ち、深い傷をつけていったのだった。だが、そのことを認めることができるのにはずいぶん時間がかかったのだ。当時の僕はそのことを受け止めることができず、つとめて忘れようとしていたのだった。

 しばらく時間が過ぎると、僕たちは元の生活に戻った。朝起きて本数の少ない田舎の電車に乗って、キャベツ畑を通って学校へ行き、授業受けた。放課後は仲間と笑いあって、ゲームで遊び、原付に乗った。

 悲しい出来事が起きたにもかかわらず季節の流れは緩慢に僕をつつみ込み、形容しがたい退屈さと焦りを含みながら、ゆっくりと進んだ。いい歳になって思うのは、若い時の時間はゆっくりと進むということだ。

 僕自身はこの時、NとTを忘れることで、生きることに対するおごりというか、鈍感さに身を任せてそれに気が付かないようにしていたのだ。

 それでいながら、感覚は鋭敏なので心の奥底ではそれにきがついていたのだ。本当はすぐに彼らとの記憶をふりかえって弔うべきだった。死と向き合うには、それしかなかったのはずなのに。

 おそらく、多くの同級生たちが自分にしかわからない経験と時間の中で、個人の数だけ死について向き合ったのに違いない。僕のようにNとTの死にとらわれていたのに、遠ざけようとしたものもおそらくいたはずだ。


***


 そのころから、僕は無意識に駅から降りて学校へ向かう列の中に、教室へ向かう人の列の中にNとTを探すようになった。いるわけもないと知っていても、目が彼らを探してしまうのだった。

 暇な日に海岸へ出ると、どこかにNとTの魂が漂っているのではないかと思ったこともあった。晴れた空を見上げると僕らのことをどこかで見ていて、笑っているような気もした。

 帰り道、夏になると畑の中の道には摘果されて積まれたメロンが腐敗していることがあったり、道端に轢死した虫や狸の死骸を見ることがあったが、どういう訳か、ことさら気味の悪いものだと感じられた。本当は怖がることも恐れることもないものをだ。

 当時の僕は死を受け止めることができなかったのだった。今の年齢を重ねた僕ならわかる。生の中には死があらかじめ含まれている。死は単独では存在しないし、必ず生をともなうコインの裏と表のような関係だなんだと。

 それは、言いかえれば何のこともない、どうということもない真実だ。生きているのものはやがて死ぬ、それだけのことだ。そして、生きていくことは無数の死に接することであり、それは自分の中に記憶という形でゆっくりと堆積されていくものなのだ。

 死んだ者たちの影響は僕たちの底をなしている。普段は覗くことのない深い海の底に、広大な地が広がっている。そこには、深い悲しみや喜びの記憶もまた刻まれ、僕たちはそれを共有している。NとTの記憶もそこにあり、僕たちS校生は死ぬまで忘れない。だからNとTは僕たちが死なない限り、生き続ける。17歳のままで、あの若い姿で。


***


 この事故がなければ、僕たちはずっと何も起こらずの日々を過ごしたんだろうと思う。だが、NとTは亡くなり、僕たちはその死に向き合うことになった。そして、それから長い年月が過ぎても、今でも時々、二人のことを思い出す。

 のどかなキャベツ畑に花が咲いていた光景や、青空と水平線、光と風、雨と土の匂いに季節の変化を敏感に感じた少年の頃の話である。

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