素描1 物語 郊外に旧友を訪ねて
ちょうど電車で着いたところだ。
降りて目的の集落を目指す。一月ほど前、十年ぶりに高校時代の友人Kからそこに住んでいると連絡をもらったのである。
そんなわけで、今日、たまの休日を利用してKにあうため、この地をおとずれたのであった。
街の中心から、電車で一時間ほど、降りた駅から歩いて15分ほどのところに彼の住む集落はあるようだ。山郷台というどこにでもありそうな名前だった。
私は駅前にある小さなコンビニで缶ビールとチューハイを買って、歩き出した。ここを訪れるのは初めてである。
節分を過ぎて、日も長くなり、少しづつ暖かい日が増えてきた。今日は過ごしやすい日である。空を見上げると太陽がまぶしかった。
目線を下げると、お椀を伏せたような小さな山とその奥へ切り込んだような谷間が連続している地形が見える。
冬枯れの雑木林にまだら模様に植樹された針葉樹が浮かんでいるよう。
後ろを振り返ると、すこし山側に上がったところに線路があり、その下にさっき降りてきた風雨にくたびれた赤いとんがり屋根の小さな駅舎が見えた。
そしていきなり警笛がなると、トンネルから電車が飛び出して、けたたましい音を響かせながらプラットホームを通過して走り抜けていった。
駅前は猫の額ほどのというと、猫に失礼なほどの広場めいたスペースがあり、かろうじて自動車で乗降できるようだったが、ほとんど車がやってきた形跡はなかった。
タクシーは呼べば使えなくもないが、歩いたほうが早いようだ。駅からまっすぐ歩くとすぐに国道の標識のある大きな道にでる。その道に沿って歩いた。大きな道は喧騒に満ちていた。
道にはたくさんのものがあった。自動車屋、タイヤ屋、ラーメン店、牛丼屋、ファストフード店、ホームセンター、コンビニ、ドラッグストア、書店、デイケア施設、幼稚園、医院、この道のわきに流れ着いたように、それらは存在していた。
自動車がひっきりなしに通過していく。自動車には老夫婦、家族、若者など様々な人が乗っていた。
救急車が悲鳴のようなサイレンを奏でながら、車を押しのけて通り過ぎ、次々と車が流れていく、国道は人々の生活と人生を運ぶ川の流れのようにも見える。
なんだろう、少し急ぎすぎているような感じがした。
短いトンネルを抜け、歩くと、左手に小さく海が見えた。なんだか、少しほっとした気持ちになった。
道の両脇には住宅が軒を連ねていた。今風の四角い箱のような機能的な住宅や昔ながらの瓦屋根の商店、一昔前のトタン張り平屋など様々な住宅が存在していた。見知らぬところに来ると普段は見過ごしてしまうものが、そうした場所を歩いていると目についてくる。
また、手入れがなされなくなって草が生い茂った庭、窓が落ちて、ごみを投げ入れられた家、人気の感じられない空き家の多さも目についた。
公園から子供の声を聴くことは少なくなり、薄汚れた建物が目につくようになった。どうやら、そういった建物にはしばらく人が住んでいないようだった。
緩やかに、だが、少しづつ速度を上げながら衰退している。それは誰の目にも明らかだろうそう思った。三十年ほど前からはじまり、最近は誰にでも感じられるようになったことだ。
なんとなく久しぶりに口笛を吹いてみる。最近は誰もやらなくなったことをやってみたくなったのだ。口笛は道の喧騒にかき消され、自分の耳にも満足に聞こえず、馬鹿馬鹿しくなったのですぐにやめた。
前方に山郷台入口と色褪せたペンキ塗り看板が出ていた。ネットで確認するとやはりここを入ってくようだった。
わき道に入ると道は狭くなった。といっても、舗装され大型車でも通れそうなしっかりとした道だった。
道は緩やかに登ってゆく、電車が右側のトンネルを出て、ステンレス製の車体を光らせ、高い土手の上をモーターを唸らせて走り、左側のトンネルに消えていった。
電車が過ぎていった、土手の下を小さなコンクリートの通路でくぐると、両側に雑木林が広がり、錆びついた広告看板が壁にある古民家が数軒連なっているところにでた。さらに道なりに歩いていくと、小さな踏切があった。
踏切の向こうに、坂があり先にたくさんの家が立ち並んでいるのが見えた。踏切を通って住宅地に入った。
ネットの地図を見るとそこが山郷台だった。小山に挟まれた谷にいくらか盛って住宅地が築かれていた。
静かだった、静かすぎる。住宅地は静寂というよりもまったく生活音がなかった。
だいぶ古びているが、ここの家はある時期に集中的に建てられたのだろう、いくつかのタイプがあったが、大きさもほとんど同じで、すべての家に小さな庭と、駐車スペースがついていた。
同じような家に住んで、家族を持ち、どこかに勤め、休日は庭を手入れしたり、子供と遊んだりしていたのだろう。そんな風景が想像できた。
ここに住む人たちは、同じリズムの人生を歩んでいたのかもしれないと私は思った。
遠い過去の話、いや、たかだか数十年前の話だ。今もこんな生活をしている人はいる。それでも、少し寂しさを感じるのは、それが失われつつあるからだろうか。
それほど広くないニュータウンだった。踏切からの道をまっすぐ歩くと、あっという間に谷の奥に行き当たり、そこには古びた小さな社があるだけだった。社は屋根が落ちて朽ち果てていた。
戻りながら、友人の家を探した。ところどころにナンバープレートが外されて放置された自動車やバイクがうちすてられていた。
整然とした住宅街を歩き、教えられた住所を探すと、表札もあり、家すぐに見つかった。ノックをすると、すぐに返事があり、Kが出てきた。
Kは髪が薄くなりだいぶ老けた風貌になっていた。十年ほど前にあったきりだったので、別人になったような印象を受けたが、声音や口調が変わっていなかったので、しばらくすると慣れて違和感を感じなくなっていった。
Kの家にはあまり物がなかった。客間に通され、昼ごはんを食べて、買ってきた酒やら、みあげものを開けて、のみながら歓談することになった。 長い間、やり取りがなかったが、たがいの記憶の端に残っていることを投げかけあうように話す。
そのうち高校時代のどうでもいい話になった。友達が今どうしているか、かわいかった女の子、気になった奴の話をした。そのころのゲームとか音楽とか流行ったもの、部活とか夢中になっていたことをなどのまるで意味もない話、同じような感情や空気を共有していたことを思い出そうとする。
そのうち記憶は思い出され、一つ一つの小さな話がその当時の色合いを持ってマーブリングのように心の水面に浮かび上がっては消えていった。
安酒の空き缶が増えてくるにしたがって、さらに話は加速度的にとりとめもなくなっていった。そのうち、ここのニュータウンの話になった。
Kはここが山郷台ではなく、かつては蛇尾という地名で呼ばれる場所で一面に水田があったこと、そこを埋め立てて、ニュータウンが作られたこと、子供のころからここに住んでいたことを話してくれた。
彼が小学生のころ昭和のころには、この一帯の新旧の住民たちが協力して祭りが行われ、賑わい華やいだこともあった。
平成が中ほどを過ぎたころから、住民たちが老いて出ていくことが多くなったそうだ。また、Kの両親もそのころに亡くなったそうだ。
そして、七年ほど前、ニュータウン全域があるデぺロッパーに再開発事業を目的に買い上げられという話だった。わりにいい条件で買い上げられ、この家もすでに自分のものではないのだそうだ。
しかし、話は終わらず、しばらくして、そのデぺロッパーが倒産してここが宙に浮いてしまいニュータウン全体が廃墟になってしまったのだそうだ。現在はある金融機関の債権になっているようだが、再開発も凍結され、住民が去り、ゴーストタウンになってしまったのだ。
Kの他に、数世帯の住人がまだ立ち退かず、ひっそりと暮らしているという話だった。
Kは失業し現在は仕事もないので、居られるならここにずっと居たいと言っていた。じゃあKはお金に困っているのかというとそうでもなく、この家を売ったお金は貯金しているそうだ。彼らしいちゃっかりしている話だ 。そのうちネットで東欧の食材やら雑貨を専売する商売をやりたいという話だった。Kはそっちの言葉や文化に詳しいのだ。
日頃の疲れと酒の酔いから、いつの間か眠ってしまったが、寒さから目が覚めた。Kはすでに起きていた。時計を見るとすでに電車がある時間だった。
私は自由人ではないので月曜から仕事だ。家事を日曜のうちにやっておくことがあるから、帰ることにした。
また来ると言ってKの家を出た。外はまだ暗く、星が見えた。誰もいない荒れ果てた街を歩いていく。
国道に出るとすでに車が行きかい、早朝から多くの店が開いていた。私はゆっくりと駅へ向かって歩いた。