第二十六章『東嚮(四)』
屋根の上や家屋の陰から妖猿たちが、龍悟と凰華の前にゾロゾロと姿を現した。龍悟は背後を取られないよう建物を背にして凰華をかばい、双剣を構えた。
龍悟が構えを取ると、ピンッと空気が張り詰め、薄ら笑いを浮かべていた妖猿たちが警戒の色をなした。
双方ジッと睨み合う展開になったが、不意に龍悟が右腕を若干下げると、右手側にいた一匹が、それが誘いの手とも気づかずに飛び出した。
龍悟が冷静に攻撃を外して首をはねると、残りの妖猿たちもつられるようにして一斉に雪崩れ込んで来る。
縦横無尽に妖怪の群れが襲い来るが、龍悟の刃圏に侵入した瞬間に腕や身体がまるで豆腐のように斬り刻まれた。
背後からその様を見ていた凰華は眼を見張った。
龍悟の剣捌きは以前眼にしたものと同じく疾く、そして美しい。しかし、あまりにも正確で、どこか無機質なカラクリ人形のようだった剣筋が、現在は端々から生き生きとした息吹を感じさせ、まるで別人が振るっているような感覚すら凰華に与えた。
それは当の龍悟本人も感じていた。
剣速が上がった訳ではない。しかし、型に拘泥して縮こまっていた窮屈さから解き放たれ、剣が次から次へと淀みなく繰り出されるのだ。
思うままに剣を振るう様は正に融通無碍、闊達自在といった様子で、無形にして有形を破る一つの境地と言えよう。
数を頼みに威勢を保っていた妖猿たちだったが、気づけば残りはたったの四匹ばかりになっていた。猿たちは思わず顔を見合わせると、脱兎の如く逃げ出した。
その時、闇夜から真っ赤な腕がヌウッと現れ、四匹の猿を鷲掴みにした。
「龍悟くん!」
「凰華さん、僕の背に退がっていてくれ」
凰華が血相を変えると、龍悟は手で制して後ろへ退がらせた。再び前へ視線を向けると、闇夜の中から真っ赤な腕の先が浮かび上がってきた。
姿を現したのは、凰華の背丈の倍はあろうかと言う大猩々であった。
その毛色はまるで血のように赤く、真紅の毛並みが真っ白な顔をさらに際立たせている。赤き猩々は腕が四本生えており、それぞれの腕で配下の猿を釣り上げたまま龍悟をギロリと睨んだ。
「……遅えと思ったら、仙士の小僧かよ。面倒くせえ事になっちまったぜ……ん?」
猩々は龍悟の背後の凰華に気付くと、ご馳走を眼にした子供のように口の端を持ち上げた。
「ほお、美味そうな小娘じゃねえ……かっ!」
掛け声と共に猩々は掴んでいた配下の猿たちを龍悟へ向けて投げ飛ばした。凄まじい速度で、生ける弾丸と化した猿が向かって来る。
躱せば背後の凰華が巻き込まれてしまうと瞬時に判断した龍悟は双剣を振るって斬り払った。その一瞬の隙を見逃さず、猩々は凰華を捕らえようと襲い掛かった。
「————凰華さん!」
猩々の丸太のような赤き腕が凰華へ掴み掛かるが、その手は凰華の細腕によって払い退けられた。
円の動きで攻撃を受け流し、螺旋の力をもって敵を打つ————成虎に伝授された掌法『梅花婉転掌』である。
猩々は四本の腕を何度も凰華へと伸ばすが、その都度、凰華は円を描くような手の動きと足運びでスルリと受け流してしまい、どうしても掴む事が出来ない。
梅の花を彷彿とさせる『円』を掌と歩法に取り入れたその様は、まるで佳人が梅の咲き誇る花園で舞踊を踊っているような艶やかな印象を観る者に与えるが、佳人の懐には鋭い刃が隠されていた。
「ハァッ‼︎」
気合と共に凰華の双撞掌が強かに猩々の腹を打ったが、猩々は涼しい顔で凰華を見下ろすと、両の腕と脚を掴んで宙に吊るし上げた。
掌の使い方や足の運びなどの技の型取りは丹念に修練して八割方モノにしていた凰華だったが、伝授されたばかりの技は攻夫が足りておらず、掌底には氣が普段の五割も込もっていなかったのである。
「グヘヘ、やっと捕まえたぜ————」
猩々が嬉しそうに口を開いたのも束の間、次の瞬間にはその表情が大きく歪んだ。
「グギャアァァァァッ‼︎」
絶叫を上げて、猩々は掴んでいた凰華を放してしまった————否、正確には腕はなおも凰華の身体を掴んで放さなかったが、その腕は四本とも根本から両断されていたのである。
「龍悟くん、ありがとう!」
凰華は力の抜けた猩々の腕を引き剥がすと、そばの龍悟に歩み寄った。龍悟はうっすらと笑みを返すと、剣に付いた血をビュッと払い、腕が無くなり茫然の体となった猩々へ顔を向けた。
向けられた表情は穏やかなものだったが、その眼には凄まじい怒気が込められている。
「う…………」
無言の龍悟に見据えられた猩々はたじろいで背を向けた。
「————待て!」
龍悟は逃げ出した猩々を追いかけたが、猩々はその巨体からは想像もつかないほど俊敏で、一瞬の内に数十丈も距離を空けられてしまった。
その時、龍悟の背後から光の矢が追い抜き、逃げる猩々の後頭部を貫いた。
その矢尻は遙か後方から伸びており、凰華が出所を眼で追うと、その先には一人の男の姿が見えた。
数十丈もの距離から槍を突き出した柳怜震である。
怜震が槍を引くと、猩々を繋ぎ止めていたものは消え去り、ドスンと大きな音を立てて前のめりに倒れた猩々は絶命して果てた。
龍悟は凰華と共に怜震に歩み寄ると、礼を執った。
「柳師兄、『流星衝天』お見事でした」
「すまんな、お前の手柄を横取りしてしまった」
「いえ、任務完了が優先です。手柄など些末な事です」
「フ……、しかし、先ほど遠目からお前の技を見ていたが、いつの間にあんなに腕を上げたんだ? 剣のキレなどはさほど変わっていないように思えたが、見違えるほどだったぞ?」
怜震が感嘆したように言うと、龍悟は謙遜の表情を浮かべる。
「実は少し前にさる人物から少々手ほどきを受けまして、その成果かも知れません。いまだモノには成っていませんが」
「ほう……」
興味深そうに怜震が唸ると、連れの男たちが東西から姿を現した。どうやら彼らも妖怪を片付けたようだ。
「もう少し話を聞きたかったが、ここでお別れだな」
「師兄、どちらへ?」
「うむ、まだ別の任務があるのでな」
怜震はそう言うと、龍悟に近寄り、
「龍悟、『敖光洞』へ戻るなら気を引き締める事だ。先日、包長老が師父に斬り殺された」
「包長老が……⁉︎ 何故ですか⁉︎」
「詳しくは分からんが、どうも師父に諫言したのが原因らしい」
「そんな事で、長年我が派に尽くした包長老を……⁉︎」
龍悟が信じられないといった表情を浮かべると、怜震は沈鬱な面持ちになった。
「師父はここ数年で変わってしまわれた。逆鱗に触れれば息子のお前にも手を下されるかも知れん。気をつけろよ」
「……ご忠告、ありがとうございます……!」
怜震は弟弟子へこの忠告をするために任務へ誘ったのだ。龍悟は兄弟子の心遣いに心から礼を返した。
怜震は無言でうなずくと、凰華へ顔を向けた。
「安姑娘、正式に青龍派に入門した暁には俺が槍法を教えてやろう」
「えっ? は、はい……ありがとうございます」
凰華がドギマギしながら返事をすると、怜震はカラカラと笑い、連れの男たちを伴って去って行った。その背を見ながら凰華が呟く。
「……あたしが青龍派の門人じゃないって分かっていたのかしら……?」
「おそらくね。さあ、僕らも行こう」
豪胆さと細心さを兼ね備えた兄弟子を誇りに思い、龍悟の声はいつもより幾分か弾んでいた。
————四日後、青龍派の総本山『敖光洞』へ到着した龍悟と凰華は、仇敵『凌拓飛』が朱雀派の門人と婚儀を行うという一報を耳にした。
———— 第二十七章に続く ————




