第二十六章『東嚮(一)』
廃屋を後にした龍悟と凰華は、近くの村で痩せ細った馬を一頭求めると、二騎で青龍派の総本山へ進路を取った。
先を進む龍悟の馬は、焔星ほどではないが身体が大きく脚も長い。凰華の馬は徐々に遅れを取ったが、その都度、龍悟が速度を緩めて置いて行かれないようにしてくれた。その気遣いに感謝しつつ、凰華は龍悟の後に続いて行く。
正午過ぎには大きな街に到着し、龍悟が馬の足を止めた。
「ここは蒼州第二の都市『杭蘭』だよ。お腹が空いただろう、ここで昼食を取ろうか」
食事と聞いて凰華の眼が輝き、キョロキョロと街並みを見回した。街の規模的には紅州の『武海』と同程度に思えるが、行き交う街の人々は穏やかな様子で、活気に溢れていた武海の住人とは違った印象を受ける。
しばらく街並みを眺めていた凰華は、ふとある事に気がついた。
時折、すれ違う人々がこちらを————いや、龍悟をチラチラと見ているのである。若い女性の中には色めき立った表情を浮かべる者もいるが、大半は怯えるというか、何か警戒しているような様子が窺えた。
「行こう、知っている店があるんだ」
龍悟は特に気にする風もなく馬を引いて歩き出す。凰華は気のせいだと思い、その後について行くと、やがてとある茶館にたどり着いた。
店は客が大入りで大層繁盛している様子だったが、給仕の女性は龍悟の姿を認めると、青龍牌を眼にするまでもなく慌てて奥の個室へ案内する。
席に着くなり、まだ注文もしていないにも関わらず料理が運ばれて来た。龍悟は何やら給仕の女性に言付けると、
「さあ、冷めないうちに食べようか」
「うん」
昨日、野兎を食べたきりの凰華はとっくに腹の虫が鳴いていたので、遠慮なく料理に箸を伸ばす。
蒼州の料理は海老や蟹といった海鮮物が中心で、どちらかと言えば甘酸っぱい濃厚な味付けだ。薄味な北方料理を食べて育った凰華には少し濃く感じられたが、憔悴した今の身体にはスウっと染み渡るようである。
一口食べるたびに凰華の血色が戻ってくるようで、龍悟はその様子を見ながら微笑んだ。
「————ご馳走様でした……!」
食後の龍井茶を飲み干した凰華は満足そうに、フウッと一息ついた。
「口に合ったようで良かったよ」
龍悟が静かに言うと、凰華は目の前の空になった皿たちを見回して、思わずうつむいて顔を赤くした。
おずおずと凰華が顔を上げると、龍悟は穏やかな笑みを浮かべている。最初に出会った時の彫刻のような冷たく無機質だった笑顔とは、まるで別人のようである。
今なら色々と訊きたかった事が聞けるかも知れない。意を決して凰華は口を開いた。
「龍悟くん、ちょっと訊きたい事があるんだけど、いい……?」
「構わないよ。何かな?」
「ありがとう。えっと……あたしって、誰か知り合いの人に似てるのかな?」
「え?」
龍悟が驚いた様子で訊き返す。
「その、最初に会った時なんだけど、あたしの顔を見てなんだかビックリした感じだったから。違ったらゴメンね?」
凰華が照れ臭そうに言うと、龍悟は珍しくドギマギした表情を浮かべた。
「……その、笑わないで欲しいんだけど、きみは僕の母にソックリなんだ……」
「え……?」
「母はとても美しく優しい人で、僕が剣の鍛錬をした後にはいつも手巾で汗を拭いてくれたんだ」
宙を見つめて話す龍悟の顔は幼き頃に戻ったかのように、とても穏やかなものだった。
母の顔を知らない凰華は羨ましくもあったが、以前、桃源郷で龍悟が話していた事を思い出した。
「……だけど、母は、あの男によって命を奪われたんだ……‼︎」
突如、龍悟の眼が恐ろしいほど冷たいものに変わった。こうして向かい合っているだけで寒気を覚えるほどである。
「————あの男って、お母さんは妖怪に殺されたんじゃ……」
思わず言葉に出してしまい、凰華は慌てて口を覆った。
「……直接はね。だが母はあの男に————父に蔑ろにされた事で心を壊してしまったんだ。それで、ある夜に家を飛び出してしまい……妖怪の手に掛かってしまった……!」
龍悟は歯を食いしばりながら、話を続ける。
「母は父を愛していたんだ。なのに父は変わってしまった。いつの頃からか権力にばかり固執するようになり、母を省みる事を無くした。僕は……あの男を絶対に許さない……!」
「青龍派の掌門、黄志龍があなたの父親ね……」
凰華の言葉に龍悟は少し驚いたようだった。
「どうして、それを……?」
「西王母さまがおっしゃっていたわ。若い頃の剣筋が、あなたと瓜二つだったって……」
「……やめてくれ、あの男の血がこの身に流れていると考えるだけで虫唾が走る……!」
龍悟は憎悪に濁った眼で凰華を見据えた。ここまで肉親を憎む事が出来るという事に凰華は絶句し、思わず身震いする。恐怖に怯えるような凰華の様子に、龍悟は冷静さを取り戻し、
「すまない……、怖がらせるつもりは無かったんだ。駄目だな、あの男の事になると我を忘れてしまう」
「ううん、こっちこそごめんなさい。配慮が足りなかったわ。それで、もう一つ訊きたいんだけど、どうして黄掌門は拓飛の命を狙うのかな……?」
「それは彼が妖怪の腕を宿しているからだろう」
「————違うの! 拓飛のアレは妖怪の腕じゃなくて————……」
凰華は『邪仙』の話を龍悟に聞かせた。当初、龍悟は驚いた様子だったが、次第にその表情が元へ戻っていく。
「妖怪の正体が『邪仙』の成れの果てか……、興味深い話だね」
「この話を黄掌門にお話して、拓飛の討伐命令を取り下げてもらえないかしら……?」
「それは難しいだろうね。まず、その話は西王母さまが言っているだけで根拠が無い。それに師父は、青龍派の門人が土を付けられた事の方を問題視していると思う」
「どういう事?」
「きみもさっき、街の住人の様子を見ただろう。何かおかしいと思わなかったかい?」
確かに先ほど街の人たちは龍悟の————いや、青龍派の門人の姿を眼にしただけで、怯えた様子を見せていた。
「青龍派の門人に敗北の二文字は許されない。それどころか青龍派の悪口を吹聴しただけで徹底的に報復されるんだ」
「そんな……、悪口を言っただけで……⁉︎」
「元々厳しい掟はあったけど、以前はここまででは無かった。あの男が掌門になってから、何人たりとも青龍派に楯突く事を許さなくなったんだ」
紅州では朱雀派の門人は敬意の対象のように感じられたが、どうやらここ蒼州において、青龍派の門人は畏怖される存在のようだ。そのような集団を恐怖で束ねる男を説き伏せる事が出来るだろうか? いや、愛する男のために成し遂げなければならないのだ。
「心配しなくていいよ。僕も微力ながら力を貸す」
思い詰めた表情の凰華を励ますように、龍悟が優しく口を開いた。
「……ありがとう、龍悟くん……!」
凰華が感激に眼を潤ませると、先ほどの給仕の女性がなにやら包みを持って来た。
「気が進まないかも知れないが、これを羽織って欲しい。きみの真っ白な服は蒼州では目立つからね」
龍悟が包みを開くと、青い衣が見えた。まさしく青龍派の外套である。
「きみは表向きは、新しく入った青龍派の門人という事にしよう。そうすれば怪しまれずに移動できるし、僕と一緒なら『敖光洞』でも止められる事はないはずだ」
「さすが龍悟くん、用意周到ね!」
凰華が喜び勇んで外套を羽織ると、見た目には青龍派の女弟子の出来上がりである。龍悟は軽く微笑むと席を立った。
「じゃあ、そろそろ出発しようか」
二人が店を後にすると、脇の路地裏から突然声を掛けられた。
「おや、姑娘。またまた奇遇ですな」
「あっ、あなたは……!」
声の主は、あの易者の老人であった。小さな椅子に腰掛け、卓の上には石や木の棒が見える。どうやらここで占いをしているようだ。
「はて? あの虎のような怖いおニイさんはご一緒ではないのですかな?」
「…………ええ」
老人は自らの占いが的中した事を喜ぶように、薄ら笑いを浮かべながら言った。その言い方が癪に障ったが、凰華は老人の顔を見るのも嫌だと言わんばかりにプイッと顔を背け、
「行きましょ、龍悟くん」
「おやおや、今度は随分と男前なおニイさんを連れておられる。羨ましい事ですなあ」
この言葉に龍悟が老人に詰め寄った。
「どういう意味でしょうか、ご老体……?」
「いいの、龍悟くん! 相手にしないで行きましょ!」
凰華になだめられ、龍悟は老人に背を向けた。
「————お父上がお許し下さればいいですなあ」
二人が血相を変えて振り向くと、老人の姿はどこにも無く、そこにはボロボロの卓と椅子が残るのみだった。




