第十九章『入門(三)』
突然固まってしまった成虎の表情を不思議に思った凰華がその視線を追うと、地面に亡き母の形見の髪飾りが落ちているのが見えた。
「あっ、いけない!」
凰華にとっては顔も知らぬ母ではあったが、大事な形見の品だけに肌身離さず持ち歩いていた物が、先ほど倒れた拍子に懐から落ちてしまったようだ。
凰華は慌てて髪飾りに手を伸ばすが、横からヌッと現れた大きな手がその動きを遮った。
成虎は髪飾りを拾い上げると、消え入るような声で呟いた。
「……こいつぁ……!」
凰華には心なしか成虎の手が震えているように見えた。
「ありがとうございます。それはあたしの母の形見なんです」
「お嬢ちゃんの母親の形見だと……?」
「……? はい……」
成虎の眼は見開かれ、驚愕の表情を浮かべている。凰華はその様子に違和感を覚えた。
「……お嬢ちゃん、姓は『石』と言ったな。差し支えなけりゃ、母方の姓を教えちゃくれねえか?」
「お母さんの姓ですか? 『安』と言いますが、それが何か?」
「……いや、そうか。何でもねえ、妙な事を訊いて悪かったな。この髪飾りがあまりに見事な細工だったモンで、何処ぞの名家の出かと思ってな」
凰華は髪飾りを受け取ると、かぶりを振った。
「いえ、ごくごく一般的な家庭の人だったみたいです。あたしを産んで間もなく亡くなったらしくて、お母さんの顔も知らないんですけど」
「……そうか。ところで、俺はあまり光モンには明るくねえが、その髪飾りは『凰』だろう? もしかすると『鳳』と一対になってるんじゃねえか?」
「さすが岳先生ですね! おっしゃる通り、その髪飾りは元々『鳳凰』が合わさった物なんです」
「『鳳』はどうした? 失くしたのか?」
この言葉に凰華は少し顔を赤らめる。
「その、『鳳』は拓飛の誕生日にあげちゃいました」
「フン、あのクソガキにゃ物の値打ちも分かりゃしねえだろう。宝の持ち腐れとは正にこの事だな」
「あはは、売ったらメシ代くらいにはなるかとか言ってました」
「そら見ろ、早いとこ取り戻した方がいいぞ」
ようやく成虎が普段の表情に戻ると、香が朝食の支度が出来たと呼びかけてきた。
四人は朝食を摂り終えると、拓飛と斉、凰華と成虎の二組に分かれて鍛錬を再開した。
「お嬢ちゃん、よけりゃ俺が昔かじった掌法を教えてやろう。俺が使うにはちと重厚さに欠けるが、女のお嬢ちゃんにはピッタリだろう」
凰華は喜んで、成虎に叩頭した。その様子を見た拓飛が口を挟む。
「なんだよ、凰華にゃ随分優しいじゃねえか。スケベオヤジが」
「妬くな、妬くな。おめえは、そっちのニイちゃんと乳繰り合ってろ」
「ケッ」
拓飛は吐き捨てると、斉と組手を始めた。成虎は凰華に手取り足取り技を教え、内功や歩法の秘訣なども伝授していく。
そうして四人は朝から晩まで鍛錬に明け暮れていった。
鍛錬を始めて二週間が過ぎた夜、夕食の席で斉がニヤニヤしながら口を開いた。
「聞いたでえ? 拓飛。お前、ええトコのボンなんやて?」
「ああ⁉︎」
拓飛は酒を碗に注いでいた成虎をキッと睨みつけた。
「おっと、俺は何も喋っちゃいねえぜ?」
「何? そんじゃあ————」
拓飛が成虎から視線を外すと、凰華がおずおずと手を上げた。
「……ごめん。斉と話してる内にポロッと言っちゃったの。でも、そんなに怒るなんて思わなくて……」
「チッ!」
拓飛はあからさまに不機嫌そうな表情になった。
「いやあ、あの張豊貴の屋敷よりももっとごっつい屋敷に住んではったなんて、拓飛ぼっちゃまが羨ましいわ」
「……てめえ、死にてえのか……!」
「斉、からかうのはそれくらいにしてあげて」
今にも拓飛がまた卓を蹴り上げそうなのを見て凰華がたしなめたが、斉は依然としてニヤついたままである。
「凰華ちゃんもようやったモンやな。玉の輿とはこの事や」
「……拓飛、この馬鹿を黙らせて」
「任せろ」
「やるか? 新技の餌食にしたるわ」
拓飛と斉が立ち上がると、
「待て待て、酒が不味くなっちまうだろ。暴れんなら食い終わってからにしろ」
「……フン」
「そうしまっさ」
成虎が仲裁に入り、二人は席に戻る。
「小飛、実家に帰ったのか?」
「この前な」
「おめえの爺さまは息災だったか?」
「ああ、あのジジイは簡単にゃくたばらねえよ」
「そうか、そいつぁなによりだな」
成虎は微笑んで酒を喉に流し込んだ。拓飛はその様子を見ながら、出し抜けに話題を変える。
「ところでオッサンよお、黄志龍って奴を知ってんだろ?」
「……ああ」
成虎は左頬の古傷を指でなぞりながら、低く答えた。
「その黄ってオッサンが今の青龍派の掌門で、なんでも四大皇下門派の統合を企んでるらしいぜ?」
「なんや、それ! 聞いてへんで!」
「斉はちょっと黙ってて」
「冷たっ」
凰華に一刀両断された斉がションボリすると、数秒の沈黙の後、ゆっくりと成虎が口を開く。
「なるほどねえ。自分の師父を弑逆して、青龍派の掌門に成り上がった奴ならやりかねねえな」
「そうなんですか⁉︎」
凰華が驚いて席を立つが、拓飛はポカンとしている。
「『しいぎゃく』ってなんでえ?」
「要するに自分の師父を殺したのよ」
「表向きは病死扱いだがな。黄志龍——奴の上昇志向は並大抵なモンじゃねえ。もしかすると皇帝の玉座すら狙っているかも知れねえ」
一同はあまりの事実に口を噤んだが、成虎が沈黙を破った。
「詰まる所お嬢ちゃんの言う朱雀派への繋ぎってのは、青龍派へ対抗するための同盟交渉ってとこか」
「そうです」
「そりゃあ難儀な任務を引き受けちまったなあ。誰か知り合いでもいんのか?」
「……いません」
「いてるにはいてたけど、コイツがなんにも考えずに打ち倒してしもたんですわ」
「うるせえ! 不可抗力だっつってんだろ!」
斉が茶々を入れると、拓飛が噛みついた。
「あの……岳先生は朱雀派の方にお知り合いはいませんか……?」
「……いや、悪いが力にはなれねえな」
「そうですか……」
凰華が沈み込むと、成虎はグイッと酒を飲み干し声を掛けた。
「ただ朱雀派の本拠地は小耳に挟んだ事がある。紅州の最南端から更に先にある小島がそれらしい」
「本当ですか⁉︎」
「噂話を聞いた程度だがツテが無え現状、とりあえず行ってみるしかねえんじゃねえか?」
「そう……ですね。そうしてみます!」
凰華が元気を取り戻すと、斉が応じるように立ち上がった。
「安心しい、凰華ちゃん! ワイもついていったるさかい!」
「おめえは女だけの島に行きてえだけだろ」
「……最低」
拓飛と凰華に白い眼を向けられた斉が弁明する中、成虎はゆっくりと立ち上がると、拓飛に向けてクイッと顎をしゃくり上げた。
「小飛、ちとツラぁ貸しな」
成虎が勝手口に向かうと、拓飛も黙って席を立った。
「岳先生……」
ただならぬ雰囲気を感じ取った凰華が呼び掛けると、成虎は振り返り、
「なぁーに、男同士の連れションだ。お嬢ちゃんも来るかい?」
「——行きませんっ!」
凰華が赤面して断ると、成虎はカラカラと笑って拓飛と共に外へ出ていった。
「心配あらへんわ。師父と弟子だけで、なんや話したい事があるんやろ」
「うん、分かってる……」
斉の言葉に凰華は小さく頷いた。




