第十二章『交流試合(四)』
龍悟が双剣を握ると、空気がピンと張り詰め、先程までヒソヒソ話をしていた者たちも思わず固唾を飲み、練武場は不気味な静寂に包まれた。
腕を伸ばせば届きそうな間合いで睨み合う虎と龍だったが、不意に龍悟の右肩がピクッと動くと、拓飛が一足飛びで後ずさった。その様子に龍悟は少し驚いた表情を浮かべる。
「……よく外せたね。今ので終わらせるつもりだったんだけど」
「…………!」
対照的に拓飛の顔は強張り、大量の脂汗を浮かべている。すると一拍置いて拓飛の服が横一文字に裂け、思い出したかのように遅れて鮮血が吹き出した。
————疾風のようなこの一閃を正確に捕捉できた者が、この練武場にいったい何人いただろうか?
「拓飛‼︎」
「落ち着け、凰華や。『芯』には届いておらん」
血相を変えた凰華を、西王母がなだめた。
拓飛は胸を押さえながら、思案する。
(……一瞬でも気を抜くと終わるな。こいつの剣には俺の……)
「キミの硬氣功も大した練度だが——」
拓飛の心を読んだように、龍悟が引き取った。
「僕の剣の前では紙の鎧を着ているようなものだ」
龍悟は無造作に間合いを詰めると、左腕を振るった。拓飛は身体を斜にして外すが、躱しきれずに今度は右肩に傷を負った。
徐々に龍悟の剣が苛烈さを増し、ついに両の剣を同時に振るい始める。
右剣が精妙で鋭い突きを主体とした剣法、左剣は豪快で強烈な斬り払いを多用する刀法かと思えば、それが瞬時に左右で入れ替わる。
それは、まるで天駆ける龍が起こす竜巻の中に巻き込まれたようで、一瞬の判断の遅れが命に届く。この恐るべき剣舞に比べれば、先程の拳の連打は、そよ風の中を散歩するようなものだった。
拓飛は卓越した体捌きと歩法を駆使し深手を負う事は免れていたものの、反撃する事も叶わず、龍悟が腕を振るうたびにその身体から血しぶきが舞った。
瞬く間に拓飛は全身をなます斬りにされ、髪の毛から爪先まで深紅に染まった。
拓飛は辛うじて立っていたものの、その暴力的な闘気は血液と共に流れ落ちたかのように消え失せ、いつもの強気な表情は見る影も無い。
この凄惨な光景に練武場の誰もが息を飲み、とりわけ西王母の胸中は複雑であった。
(……青龍派の弟子にこのような傑物がおろうとはな。この小僧が相手では熊将ですら勝ちを拾うのは難しいであろう。たしか黄龍悟とか申しておったな……)
西王母はチラリと傍らに眼をやると、唇を噛みしめ必死に涙を堪えている凰華の姿が映った。その様子を見た西王母は眼をつぶり何事か思案した後、手にした扇子を審判の熊将に向けた。
その意図を察した熊将が二人の間に分け入ろうとした瞬間、一歩早く、龍悟が一閃を放つ。
————それは、踏み込み、時機、角度、間合い、氣の走り、力の抜け具合、全てが完璧な一閃であった。
(————討った————……)
神速の刃が拓飛の首に届くかと思われた刹那、ガクリと右膝が折れ、刃先は拓飛の髪をかすめるに留まった。
拓飛はふらついた身体を残りの足で辛うじて支えたが、依然として吹けば倒れそうな様子である。先の一閃を躱せたのは、偶然か否かは拓飛本人にしか分からない。
だが形はどうあれ、渾身の一閃を綺麗に外された龍悟の内心は穏やかではない。
「……大したものだ。僕にここまで剣を振らせた者は、師父以外では君が初めてだよ……!」
間が空いたのを見て、再び熊将が試合を止めようと踏み出した時、
「……強え……、強えなあ、おめえはよ……」
うつむいたまま拓飛が口を開いた。それは蚊の鳴くような、か細い声だったが、嵐の前の静けさを感じさせる迫力があった。
「……最高だぜ……、てめえをブッ倒せば、俺はもっと強くなれる……‼︎」
「…………!」
拓飛が顔を上げ、爛々とした赤眼が龍悟を捉えた。牙を剥き出し凶悪な笑みを浮かべたその様は、まるで餓死寸前の虎が獲物を見つけたようである。
突如、消えかけていた拓飛の闘気が激しさを増し、龍悟はかつて感じた事のない重圧をその身に受けた。
相手は今にも倒れそうな状態だというのに、超一流の剣客の危機察知能力が次の一撃を繰り出させない。
それは遠く離れた西王母にもビリビリと届いた。
(……何という小僧じゃ。あのボロボロの身体にまだ、このような闘気が残っていようとは。じゃが……)
西王母がそばの凰華の様子を窺うと、その顔には先程まで溢れそうだった涙の代わりに、うっすらと笑みが浮かんでいる。
「そなた、何を笑うておる。気を持ち直したとはいえ、絶体絶命の窮地には何も変わりはないぞ?」
「大丈夫です。西王母さま」
凰華は真っ直ぐに拓飛を見据え、
「あの表情をした拓飛は誰にも負けません」
一点の曇りもない瞳で静かに言い切った。




