第十一章『桃源郷(三)』
拓飛は部屋の中央に移動すると、髭の大男——熊将——を手招きした。
「オラ、来いよ。オッサン」
「…………」
熊将は無言で拓飛の前に進むと、右足を引いて構えを取った。
「西王母さま! これは一体……⁉︎」
凰華は慌てて西王母に近づき尋ねるが、西王母はニコニコ微笑むばかりで何も答えようとしない。この様子ではいくら尋ねても無駄と思った凰華は、向かい合う二人に眼をやった。
熊将は背丈こそ拓飛とさほど変わらないが、身体の厚みが桁違いである。氣が全身に満ち溢れているようで、相当の使い手だと見て取れた。
「……お前の左腕は、人間のものとは違うらしいな……?」
静かに熊将が口を開いた。
「だったらなんだよ? 退治でもしてみっか?」
「……いいだろう」
熊将の身体がゆらりと動くと、間合いを一気に潰してきた。その巨躯からは想像できない俊敏さである。
踏み込みと同時に、氣を孕んだ右拳が拓飛に襲いかかる。拓飛は半身になり受け流すと、下突きを熊将の脇腹めがけて打ち出した。
しかし、その拳は寸前で熊将の左手で受け止められ、凄まじい力で引き寄せられた。拓飛は瞬時に腰をかがめ抵抗したが、抵抗虚しく足が宙に浮いた。
(————何⁉︎)
たたらを踏んだ拓飛に熊将の巨岩のような体躯がぶつかる。この交差法で拓飛は数丈後ろの壁へ派手に吹っ飛ばされた。
「拓飛!」
したたかに壁に打ち付けられた拓飛はピクリとも動かない。凰華が駆け寄ると、拓飛はガバッと跳ね起き、口から垂れる鮮血を拭った。
「……いいねえ、オッサン……! 久しぶりに効いたぜ。白虎派ってのは雑魚が群れてるだけの連中かと思ってたが、ちったあマシな奴もいんだな」
この言葉に熊将の眉根が持ち上がり、再び虎と熊は交錯した。
拓飛と熊将の振るう技は共に接近短打を旨としており、両者の打ち合いは噛み合った。
拓飛は師父の岳以外で、自分とここまで張り合える相手と初めて遭遇した。
斉天大聖も大した使い手ではあったが、力強さよりも技の奇怪さと変幻自在な動きで相手を翻弄するもので、拳を交えていても拓飛はどこか物足りなさを感じていた。
しかし、眼の前の相手は違う。技の威力や速度に型の正確性、氣の運び、全てが一級品である。一撃でも急所にもらえば、即行動不能になってしまうだろう。
師父の元を飛び出してから、初めてこのような強者と拳を交えられた事で、打ち合いの最中にも関わらず拓飛は思わず破顔した。
熊将は拓飛の隙を見逃さず、渾身の突きを繰り出した。拓飛は笑みを浮かべたまま足を斜めに踏み出すと、左手で突きを払いながら右拳を叩き込んだ。拓飛の得意技の一つ『砲拳』である。
顔をしかめた熊将が数歩後ずさった。
追撃しようと拓飛が間合いを詰めると、熊将は右手を伸ばし遮った。
「————待て! ここまでだ!」
「あ?」
熊将は西王母に顔を向けると、
「西王母さま! 間違いないかと」
「うむ、もうよいぞ。ご苦労じゃった、熊将」
熊将は西王母に一礼をすると、拓飛に向き直り包拳をして傍に退がってしまった。
「おい! ふざけんなよ、オッサン! てめえ、まだやれんだろうが!」
呆気に取られた拓飛が怒鳴り上げるが、熊将は何の反応もしない。
「拓飛や、そなたの師父は『成虎』であろう?」
不意に西王母が問いかける。
「……あ? 成虎? 誰だ、そりゃ?」
「何? そなたの師父は岳成虎ではないと申すか?」
「師父ってほどのモンじゃねえが、岳ってオッサンにはちっと技を教わったな。下の名前までは知らねえ」
この言葉に西王母の表情が緩んだ。
「……ふ、ふふ、ハッハッハッ! 成虎の奴め! 相変わらずじゃな!」
突然高笑いを上げた西王母の様子に、拓飛と凰華は顔を見合わせた。
「拓飛、どういう事……?」
「知らねえよ。……ちっ、なんかやる気が削がれちまったぜ。クソが」
西王母は一頻り笑うと、ようやく顔を上げた。
「……そなたの師父、岳成虎はな、白虎派第六世代の筆頭じゃった男よ」




