第九章『真氣開放(二)』
曹慈功が話し始めた時には、すでに陽が落ちかけていた。
「————十日ほど前の事だ。泉安鎮に一匹の妖怪が現れたとの一報が白虎派に入り、掌門(総帥)がこの白虎牌の持ち主である木心戒を含む三名の仙士を派遣した。しかし七日経っても木たちは戻って来ず、便りも無かった。そこで掌門は新たに私と四名の仲間を遣わせたのだ」
旅籠の壁にもたれて話を聞いていた拓飛が口を開いた。
「その四人はどこに行ったんだ?」
「……分からん。私たちが到着した時にはすでに鎮はこの有様で、様子を探るためそれぞれ別れて行動していたのだが、私以外の者もいつの間にか姿が消えてしまった……!」
曹は肩を震わせながら、絞り出すように声を出した。その様子を見て、凰華は恐る恐る疑問を口にした。
「それで……その妖怪の姿は見たんですか?」
「……見ていない。だから不気味————」
「……? 曹さん、どうしました?」
曹は話の途中で急に表情が歪むと、そのまま後ろへバッタリと倒れてしまった。
「曹さん!」
「そいつに触れんな!」
曹に駆け寄ろうとする凰華を拓飛が大声で制止した。
「拓飛! どうして⁉︎」
「そいつの顔色を見ろ!」
振り返ると、曹の顔色はみるみる紫色に変色していった。明らかになんらかの毒に中った証拠である。
「そいつに触れたら、そっから毒が回っちまうかも知れねえ」
「でも、このままじゃ曹さんが!」
「もう手遅れだ。息をしてねえ……!」
「そんな……どうして急に毒なんか……!」
拓飛は直接肌に触れないように、注意深く曹の身体を探ってみるが、外傷は見つからなかった。
「俺は離れたとこからお前らを見てたが、吹矢や暗器みてえなモンは飛んで来なかった。毒の煙や霧を吸い込んだってんなら、俺とお前も今頃ぶっ倒れてるはずだぜ」
「……ていう事は、曹さんはあたしたちに会う前に毒を飲まされてたって事……?」
「かも知れねえ。とにかく、ここはヤベぇ気がする。いったんこの場所から離れんぞ」
その時、焔星が大きくいなないた。二人が振り向くと、真っ暗な道の真ん中に十歳くらいの少女が立っていた。
「お嬢ちゃん! 大丈夫⁉︎ こっちへ————」
「行くんじゃねえ!」
またも拓飛が凰華を一喝した。
「……ったく、おめえはちったあマシになったかと思えば、人の生き死にが懸かると途端に頭に血が昇っちまうな」
「ど、どういう意味よ」
「こういうこった」
拓飛が左腕を上げると、激しく振動していた。
「それって、まさか……!」
「まさかもクソもあるかよ。大体この異常な状況で、こんなガキが一人でうろついてるワケがねえ」
凰華がゆっくりと振り返ると、無表情だった少女の口が三日月のように耳まで裂けた。
「フ、フフ、勘のいい人間だ。どうやらそっちの白い方は、今までの仙士とは違うようだな」
その声は少女の身体には不釣り合いで、とても耳障りのする酷いものだった。
「てめえが曹のおっさんが言ってた妖怪だな? 鎮の奴らはどうした?」
「喰った。もっとも大部分は逃げ出したのだがな」
この言葉に拓飛のこめかみに青筋が走る。
「そんで白虎派にチクられてちゃ世話ねえぜ。間抜けか、てめえは」
「いやいや、そうでも無いぞ。俺は白虎派の連中が来るのを待っていたのだ」
「何ぃ?」
「仙士というものはいいなあ。普通の人間を喰らうより、数倍、力が湧いてくる。そして何より、美味い……!」
少女——妖怪——の口からよだれが溢れ出る。その光景を眼にした凰華は寒気を覚えた。
「お前は今まで喰った奴らよりも美味いだろうなあ……!」
妖怪の眼が怪しく光ると、何かを察知したように拓飛が後ろへ飛び退った。妖怪は少し驚いたように口を開く。
「……ほお。これに気付くとは、やはり大したものだな」
「耳が良いモンでな」
さっきまで拓飛が立っていた場所を見ると、地面から針のような物が飛び出していた。
「なるほど。この触手みてえなモンを地中から走らせて、足の裏から毒をブチ込んでたってワケだな」
「フフ、地中を走るわずかな物音を聞き取ったのか。だが、そちらのお嬢さんはどうかな……?」
妖怪の視線が凰華を捉える。拓飛は血相を変えると、凰華のそばに駆け寄り突き飛ばした。
「キャッ!」
急に強い力で突き飛ばされた凰華が眼を開けると、拓飛の脚に妖怪の針が刺さっていた。
「ぐ……、く、あ……っ……!」
「————拓飛‼︎」
たちまち拓飛の体が紫色に変色していく。凰華は思考が止まり、拓飛に触れようとするが、拓飛は腕を振り上げて制した。
「馬鹿、野郎……! 触んじゃねえって、言ったろが……!」
「で、でも、このままじゃ拓飛が……!」
凰華は泣きじゃくり、言葉が続かない。
「腕は立っても所詮は人間だな。弱い個体をかばい、結局強い個体まで共倒れする」
いつの間にか妖怪が背後まで接近している。凰華は身体が硬直してしまったように動けなくなった。しかし、妖怪は凰華には興味を示さず通りすぎた。
「娘、お前は見逃してやろう。また強い仙士を引き連れて来い」
妖怪は凰華に言い残すと、膝を突く拓飛の眼前で止まった。
「さて、それではいただこうか」
突如、拓飛は傷口付近を指で突くと、瞬時に立ち上がり左腕で渾身の突きを繰り出した。拓飛がこのような反撃を繰り出すと思わなかった妖怪は、身体をよじってかわしたが、右の脇腹が消し飛んでしまった。
「ギャアァァァァッ‼︎」
この世の者ならざる叫び声を上げて、妖怪は闇夜に姿を消して行った。
「……へっ。いくら腕が立っても人間様を舐め腐るのが、てめえらの弱点なんだよ……!」
振り絞るように声を出すと、拓飛はその場に崩れ落ちた。
「拓飛! しっかりして! 焔星! こっちに来て!」
凰華は焔星に拓飛を担ぎ上げると無我夢中で手綱を握った。しかし、どこに行けば良いのか、何をすれば良いのか、頭が混乱して何も思い浮かばない。
「……凰華。どこでも良いから、姿を隠せる場所を探せ……」
「拓飛! 気が付いたのね! 分かったわ!」
拓飛の声を聞いた凰華は幾分か冷静さを取り戻し、休める場所を探すべく夜の闇に眼を凝らした。




