第七章『帰郷(六)』
拓飛の絶叫を聞いた凌堅宗と孫孝舟が声を頼りに駆けつけると、提灯が地面に落ちて燃えており、そばには人らしきものが横たわっていた。孝舟が提灯で照らすと、倒れているのは愛娘・小蛍に他ならない。
『小蛍!』
駆け寄って抱きかかえようとすると、孝舟は何かにつまずいて転んでしまった。近くで眼を凝らしてみると、それは翼の生えた虎の死骸であった。丸太数本分はあろうかという胴体が真っ二つに切断されている。孝舟は驚いて腰を抜かしてしまった。
『ジジイ……』
その時、暗闇の中に赤い獣の眼がボウっと灯り、子供の声が聞こえて来た。堅宗が声の方へ灯りを向けると、それは紛れもなく拓飛だった。
『拓飛!』
明かりに照らされた拓飛は全身血まみれの姿で、何とその左の手首から先が虎の腕を継ぎ合わせたようになっている。堅宗は恐怖で提灯を持つ手が震えた。
『小蛍! 小蛍、いったい何があったんだ!』
孝舟が小蛍をかき抱いて泣き叫んでいる。どうやら小蛍はすでに息を引き取っているようだった。堅宗は拓飛に向き直ると、恐る恐る声を掛けた。
『……拓飛、これはお前がやったのか……?』
しかし、拓飛はそれには答えず、気が触れたようにボリボリと全身を掻き毟っている。
『……ジジイ、俺なんかおかしいんだ。小蛍に触られた所にブツブツができて、痒くてたまらないんだ。掻いても掻いても治まらないんだ』
拓飛は左腕で身体を掻いているため、全身に引っ掻き傷が出来ていた。
『妖怪め! お前が小蛍を殺したんだな!』
孝舟は拓飛に指を突きつけ罵倒した。
『……俺が、小蛍を殺した……?』
拓飛はピタリと腕を止めると、獲物に狙いを定めるように孝舟に向き直った。眼が血走り、今にも飛びかかりそうな形相である。
『————おうおう、こりゃどういうこった?』
その時、一人の男が茂みの中から現れた。男は背丈が異様に高く、左頬に深い刀傷が走っていた。
突然現れた男に反応して、拓飛が飛び掛かる。それは十にも満たぬ子供の動きではなく、野生の獣のような俊敏さだった。
拓飛の爪が掛かる寸前、男は人差し指を突き出した。それはゆるりと突き出されたように見えたが、何故か先に拓飛の胸に届いた。
胸を突かれた拓飛は、雷に打たれたように一瞬にして全身が硬直すると、地面に落ちて動けなくなってしまった。
地面に落ちた衝撃で拓飛は正気を取り戻したが、身体が全く言う事を聞かない。その深紅の瞳に、小蛍の青白い顔が映った。
————小蛍はもう、眼を開けてくれない。
————小蛍はもう、微笑んでくれない。
————小蛍はもう、話しかけてくれない。
————小蛍はもう、叱ってくれない。
————小蛍はもう、触れてくれない。
現実を理解した拓飛の視界は、まるで土砂降りの雨に打たれたように、滲んで何も見えなくなってしまった。
————俺が弱かったから、小蛍は死んでしまった。
意識が遠のいていく中、拓飛の耳に男と堅宗の会話が流れてくる。
『私は清徳鎮で磁器の元締めをしております凌堅宗と申す。孫を止めていただき、お礼の言葉もない……!』
『礼には及びません。私は岳と言う旅の者です。名高い清徳鎮の磁器を一目見ようと参ったのだが、道に迷ってしまいましてね。しかし、今回はそれが幸いだったようだ』
『岳どの。失礼だが、先程のお手並はもしや内功では……?』
『ええ、それが何か?』
『初対面で誠に不躾だが、どうか、この子に……拓飛に内功を伝授してくださらんか?』
『……ご老体、顔を上げてください。何故この子に内功を?』
『この子が産まれた時から思っておった。この子には常人とは比べものにならんほどの険しい道が待ち受けておると。内功を会得する事で、その道行きの助けになればと……』
『成程……その言葉に嘘は無いだろうが、そこに、この子を厄介払いしたいという気持ちは全く無いと言えますかな?』
『……ワシは卑怯で臆病者じゃ。娘が腹を痛めて産んだ子が、恐ろしゅうて堪らん……!』
『……よくぞ正直に話してくださいましたな。この期に及んで、聖人ぶった事を言えば問答無用で断っていた所だ』
『それでは————』
『一つ条件があります。私の課す修行は厳しい。結果この子が死んでしまうかも知れませんが、それでもよろしいか?』
『……この子が一言でも弱音を吐いたら、知らせてくだされ。迎えを寄越しましょう』
『承知した。では、ここでお別れです。清徳鎮の磁器はまたの機会にするか』
————死んでも泣き言なんか言うもんか、俺は誰よりも強くなってやる……!
会話が途切れると拓飛は大きな腕に抱えられた。薄れゆく意識の中で拓飛は、堅宗の絞り出すような声を聞いた。
『拓飛、小蛍はあの庭園に葬ってやろう。身体が治ったら戻って来るんじゃぞ……』
————拓飛は長い間、手を合わせるとようやく眼を開けて立ち上がった。
後ろを振り返ると、凰華と眼が合った。その眼は優しく自分を見守ってくれているようだった。
「……んだよ? 訊かねえのか? 小蛍の事……」
「うん、訊かない。小蛍さんが拓飛にとって、お母さんと同じくらい大切な人だって分かったから」
「……ああ」
「でも、拓飛が話したくなったらいつか教えてね」
「教えねえよ」
凰華がイタズラっぽく笑うと、拓飛も口元が緩んだ。
「じゃあ、お爺さんの所に戻ろっか。心配だもんね」
「そうだな……クソジジイの死顔でも拝みに————」
いつもの減らず口を叩こうとした時、突如拓飛の脳裏に閃くものがあった。
「また、悪ぶってそんな思ってもない事を言うんだから……」
凰華が拓飛をたしなめようとすると、拓飛は凄まじい速さで屋敷の方へ飛んで行ってしまった。




