第六章『龍穴(二)』
辿り着いた先には花が咲き乱れ、周りの樹には棗や杏の実が豊富に実っていた。凰華は子供の頃に絵本で見た仙境に迷い込んだ感覚に陥った。
「どういうこと……? ここに来るまで花なんか一輪も咲いてなくって、樹だって枯れ木ばっかりだったのに……」
「こいつぁ『龍穴』だな。前にも別のとこで見たことあるぜ」
杏の実を頬張りながら拓飛が言った。
「龍穴って?」
「大地に流れる氣が吹き出る地点を龍穴っつーんだよ。氣の力で龍穴の周りは、気温もあったけえし、植物なんかも育ちやしいんだ」
「氣って大地にも流れてるの?」
「ああ、『龍脈』っつったか。血管みてえなやつが地面にいっぺえ走ってて、絶えず氣が流れてるらしいぜ。おっ!」
何かに気付いた拓飛は突然着ている服を脱ぎ始めた。
「なっ、急に何してるのよ拓飛!」
凰華は拳法道場の娘で男の裸など見慣れたものだ。だが下半身となると話は別である。凰華が眼を逸らしていると、後ろの方からザバーンという音が聞こえてきた。
「ああーっ、いーい湯だ! 最高だぜ」
「え……?」
聞き逃せない台詞を耳にして凰華は思わず振り返ると、何と拓飛は気持ちよさそうに泉に浸かっていた。湯気が立っているので温泉のようだ。
「何でこんな所に温泉があるの?」
「言ったろ、ここは龍穴だってよ。大地から流れ出た氣で、たまたまあった泉が温められてんだな。傷にもいいし、ありがてえぜ」
凰華が横目に見ると、拓飛の上半身には生々しい青アザが何箇所も出来ていた。
「拓飛、その傷って……」
「ん? ああ、猴野郎にやられた傷だな。まあ何日かすりゃ治るだろ」
ここまで話すと、拓飛は急にニヤニヤして湯で顔を洗い始めた。
「ところで……おめえは入んねえのか? 気持ちいいぜ?」
拓飛に言われるまでもなく、凰華は今すぐに湯に浸かって、身体と髪を洗いたかった。何しろ嘉晋を出て二日間、野宿だったのだ。だが、嫁入り前の娘が男の前で裸になるなんて死んでも出来ない。
「なんて卑怯な男なの? 蕁麻疹の事でからかわれてる仕返しのつもり?」
「別に? 俺はただ親切で勧めてるだけだぜ?」
相変わらず拓飛はニヤついた顔をしている。凰華は負けん気が湧いてきた。
「……いいわ。入るわ。入ってやるわよ」
「へっ。無理すん———」
なんと凰華は本当に帯に手をかけたのである。これには拓飛は驚きを隠せなかった。凰華の言う通り、日頃の女嫌いいじりの仕返しをたっぷりしてやった後で交代してやろうと思っていたのだが、この反応は予想していなかった。
「何ぼーっとしてるのよ。早くそこの後ろに回って」
うまい具合にこの温泉の真ん中には、人の二、三人くらいは隠れられる大きさの岩があった。凰華は拓飛と岩を挟んで温泉に入る事にしたのだ。
「絶対こっち側に回ってこないでよ! 覗いたら絶対許さないから!」
「へっ! 誰がてめえの身体なんか見るかよ! カネ貰ったって御免だぜ!」
「そうよね! 拓飛は女が苦手じゃなくて、嫌いなんだもんね!」
触ると蕁麻疹が出るだけで、女に興味が無いわけではない拓飛だったが、ここまで虚勢を張った手前、意地でも覗くことはできなくなった。
拓飛が岩陰から出て来ない事を確認すると、凰華は服を脱いで脚を温泉に浸けた。すると爪先から心地よさが昇ってきて、全身を包み込む。
「ああ……生き返る……」
「どうよ? こっちの道を選んで良かったろ?」
「ふふ、偉そうに。たまたまでしょ」
古今東西、人は温泉に浸かれば怒りも不安も和らぐものだ。凰華は先程の言い争いが無かったかのように返事をした。
「おい! てめえ何しやがる!」
その時、岩の裏側から拓飛が突然大声を上げた。驚いた凰華が周囲を見渡すと、なんと一匹の猿が二人の脱いだ服を抱えて走り去っている。
「待ちやがれ! この野郎!」
一糸纏わぬ姿で拓飛が飛び出し、逃げた猿を追いかける。凰華は追おうにも温泉から出られず、拓飛が服を取り返してくれるのを願うのみだった。




