第三十一章『鳳凰于飛(四)』
西王母の放った光によって、凰華は数丈先に弾き飛ばされた。
「う、うう……」
巻き上げられた砂つぶてがパラパラと地面に落ちる音が聞こえ、凰華は呻き声を上げながら眼を開けた。
「……そんな、どうして……⁉︎」
辺りの風景を眼にした凰華は驚きの声を上げた。
桃の花が咲き乱れ、七色の羽を持った鳥や蝶が優雅に舞い踊り、春の陽気のようだった仙境が姿を消した代わりに、数本の枯れ木がポツポツと見えるだけの荒廃した荒れ山が凰華の眼前に広がっていたのである。
その中心には大きな砂煙が舞っていた。
それは帳が下りたかのように濃いもので、内部の西王母と檮杌の様子を窺い知る事は出来ない。
「西王母さま……」
凰華が心配そうにつぶやくと、徐々に砂煙が晴れていき、その中に一人分の影が見えた。
それは大きく角ばった輪郭で、明らかにたおやかな女性のものではない。凰華はゴクリと固唾を呑んだ。
その時、一陣の風が吹いて砂煙をさらって行った。
————そこには、どこか見覚えのある男が立っていた。
凰華はゆっくりと立ち上がり、男の前へ歩き出した。男も近づいて来る凰華に気付いて顔を向ける。
「……拓飛、なの……?」
「……ああ」
凰華の眼に涙が溢れ出す。
「……本当……?」
「なんで嘘だと思うんだよ?」
「だって……拓飛、髪が……真っ黒よ……? 眼も……!」
男は驚いた様子で自らの髪に手を伸ばした。そこには確かに毛先まで黒々とした髪の毛があった。
「……嘘みてえだ……。これが、俺の髪か……!」
震える声でつぶやいた時、凰華が感激の涙を流しながら胸に飛び込んで来た。
「————拓飛ッ‼︎」
「凰華……‼︎」
万感の思いで二人は抱き合い、口づけを交わした————。
長い間、抱き合っていた二人はようやく腕を離して語り始めた。
「……効いたぜ、おめえの一発」
拓飛が頬をさすりながら言うと、凰華の眼が吊り上がった。
「当たり前でしょ? あたしにあんなヒドい事を言ったんだもん、あれくらいで済んで感謝してほしいくらいよ!」
「わ、悪かったよ……」
「分かればよろしい」
珍しく拓飛が素直に謝ると、凰華が花のように微笑んだ。その輝くような笑顔に拓飛もつられて口角を上げるが、すぐに寂しげに空を見上げた。
「……西王母のバアさんがアイツを、檮杌を連れて行ってくれたんだ」
「……そう、なのね……」
拓飛の言葉に凰華は再び涙ぐんだ。
西王母は確かに拓飛を利用して檮杌を討とうと画策したが、最後には旧敵と共に己が命を燃やしたのである。
二人は天に向かって叩頭した。
三度目の叩頭を終えた時、大きないななきを上げて二頭の駿馬が駆け寄ってきた。
「——焔星! 桃花!」
焔星は少し様子の違う主人の姿を認めると、いささか戸惑いを見せたが、
「おめえらにも心配かけたな」
拓飛に優しく撫でられると、嬉しげに身体をすり寄せた。
桃花にも挨拶を終えた拓飛は周囲を見回した。周りには白虎派の門人が複数人倒れており、その中には朋友、蘇熊将の姿もあった。
「熊将……、すまねえ……!」
眠っているだけの他の門人たちは直に眼を覚ますだろうが、熊将は浅くない傷を負っている。拓飛は昏倒している熊将を担ぎ上げると、桃花の背に横たえた。
二人は麓の鎮の医者の元へ熊将を運び入れると、多額の礼金を渡して手厚い治療を約束させた。
「熊将、眼を覚ましたら伝えなきゃいけねえ事があるんだ。死なねえでくれよ」
拓飛は寝台に横たわる熊将に声を掛けて、医者の家を後にした。
外に出ると、凰華が尋ねてくる。
「ねえ拓飛、これからどうするの? 黄州の実家に帰るの?」
「そうだな……」
少し考えた後、
「ジジイやお袋や小蛍に、改めておめえを紹介してえんだ。ついて来てくれるか?」
照れ臭そうに拓飛が言うと、凰華は満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「————うん!」
拓飛はその弾けるような笑顔を見て言葉を続けた。
「けど、その前に紅州に寄り道しよう。おめえに観せてやりてえ景色があるんだ」
「うん!」
「それから次は蒼州に行って、おめえの親父とお袋の墓参りだ。バタバタして出来なかったからな。俺は会わねえけど、龍悟にも挨拶したらいい」
「え……っ」
拓飛がこんな事を言ってくれるとは。凰華は胸が熱くなり、言葉に詰まった。
「最後は玄州の実家で、おめえのもう一人の親父に挨拶させてくれ」
「……うん、ありがとう……!」
拓飛は凰華の涙を拭ってやると、手を取り合って紅州へと進路を取った。
———— 終章 ————
————数週間後の夕刻、拓飛と凰華は以前通り掛かった西瓜畑に再び通り掛かった。
懐かしさを覚えた二人は、馬を停めて畑を見やった。数ヶ月前、ここで斉と共に喉の渇きを潤したものだ。
季節は秋口に差し掛かっており、畑の中は収穫されなかった出来の悪い西瓜がいくつか残っているのみで、農夫の姿も見えない。
先を急ごうと手綱を握り直した時、視界の隅で蠢くモノがあった。
まさか、腐りかけて蝿がたかっているような西瓜を盗む者がいるのかと、拓飛はそちらへ顔を向けた。
視界の先には痩せ細った男が背を向けて西瓜を食している姿があった。
しかし、男は西瓜にかぶりつく事が出来ないのか、顔を上に向けて西瓜の果汁をゴクゴクと喉に流し込んでいる。
その様子を訝しげに拓飛が見ていると、気配を察知した様子で男が振り返った。
その顔を認めた拓飛と凰華は驚愕の表情を浮かべた。
男の顔には深い刀疵が走っており、外れたままの顎がグラグラと小刻みに揺れていたのである。
男も二人の姿に気付き、眼を見開いて腰を抜かしてしまった。
拓飛は無言で焔星から降りると、男に歩み寄った。
「————拓飛、駄目よ! その人はあなたの————」
凰華が叫ぶと、拓飛は振り返り、ゆっくりと首を振った。
その眼には言葉に尽くせない感情が込められていた。凰華はうなずいて、伸ばし掛けた手を戻した。
「ああ、あ…………!」
拓飛が眼の前までやって来ると、男は怯えたように声を上げた。
(こいつのせいで、お袋は…………‼︎)
脳裏に母の事が浮かぶと、不意にドス黒い感情が心を満たし、拓飛は右腕を振り上げた。
「————ひぃッ!」
男は情けない声を上げて、懇願するような眼を拓飛に向けた。
筋骨隆々だった肉体は痩せ細り、眼が窪んで、自信満々だった表情は面影もない。たった一月たらずで二十は歳を取ってしまったかのようである。
その哀れな様子を眼に収めた拓飛は、血が滲むほどに強く唇を噛み締めると、振り上げた手を懐に差し入れた。
拓飛は有り金すべてを男の足元に放った。
男は当初、用心している様子だったが、しばらくするとカネを乱暴に掴み取って逃げるように去って行った。
拓飛が胸を押さえて呼吸を荒くしていると、その手を優しく握りしめてくれるものがあった。
「偉かったわね、拓飛……」
「…………ああ」
拓飛は消え入るような声で返事をして、凰華の手を握り返す。
凰華は愛する男のぬくもりを感じながら、心の中で母と二人の父に感謝した。
この誇り高い男と共白髪になるまで、残りの人生を共に過ごす事が出来るのだ。これほど素晴らしい事が他にあるだろうか?
「————行きましょう。陽が暮れてしまうわ」
「ああ」
二人は再び轡を並べて街道を南下して行った。
(全書完)
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