第三十章『変貌(四)』
気を取り直した拓飛と凰華は柳怜震の遺体に歩み寄った。
「柳師兄……」
怜震は自分の正体に薄々勘づいていながら、同門の師妹のように接してくれた。あの朗らかな笑顔がもう見られないと思うと、凰華は涙を流して遺体に叩頭した。
その時、数人の女たちが広間に駆け込んで来た。先頭に立つは李慶であった。
慶は状況を確認するように周囲を見回し、その視線が拓飛の顔で止まった。無言で腕を上げると背後の女弟子が飛び出して、拓飛は軽く身構えたが、女たちは拓飛のそばを通り過ぎて怜震の遺体を引き取って行った。
「慶さん……」
凰華が声を掛けると、慶はその手中の鳳凰の髪飾りを眼にして何かを悟ったかのようにつぶやいた。
「……師父は、貴女のお父様は確かにいつしか変わってしまわれたけれど、本当はとてもお優しい方だったの。その髪飾りをとても大事そうに眺めていらっしゃった事を覚えているわ……」
「……うん……!」
凰華は饕餮の件を話したものか迷ったが、先に慶が口を開いた。
「貴女たちはすぐにここを出た方がいいわ。何も知らない門人たちに見つかると厄介でしょう」
「俺を殺すってのはもういいのかよ?」
横から拓飛が口を挟んだが、
「……その命を発した方は、もうおられないもの……」
「……そうかよ」
慶が寂しそうに答えると、拓飛は軽はずみな物言いを後悔した。
四人が戸口へ向かうと、最後尾の凰華が足を止めて振り返った。
「慶さん、龍悟……は……?」
「医務室で眠っているわ。岳さまの氣功のお陰で一命は取り留めたけれど、まだ予断を許さない状態よ……」
「……お願いしてもいいかしら……?」
「言われなくてもそのつもりよ」
「ありがとう……!」
凰華が感激の表情で礼を言うと、慶は微笑みをもって応えてくれた。
敖光洞の大門を通り洞窟を抜けると、外にはすでに月が昇っていた。四人はまるで龍の巣から脱出したような心地である。
「————拓飛」
不意に成虎が口を開いた。
「おめえ、これからどうする?」
「熊将に伝えなきゃいけねえ事もあるし、何より西王母のバアさんと話をつけなきゃいけねえ」
決意めいた表情で拓飛が答えると、
「おめえは止めとけ」
「あ?」
「あの饕餮って野郎の話が確かなら、おめえはその左腕を振るうたび————いや、極端に言やあ感情が昂っただけで影響があるかも知れねえ。話なら俺が出向いて————」
拓飛は成虎の眼を真っ直ぐに見つめ、続く言葉を遮った。
「……オッサン、俺は自分のケンカに親父を引っ張り出す気はねえよ」
「……やれやれ、『親の心、子知らず』たぁよく言ったモンだな」
諦めたように成虎が首を振った時、斉がガクリと膝を突いた。その脇腹から赤い染みがジワリジワリと広がっていく。
「斉! 大丈夫⁉︎」
「ハハ……、凰華ちゃんがさすってくれたら大丈夫やと言いたいトコやけど、なんや脚に力が入らへんわ……」
「傷が開いたな」
成虎はうずくまる斉を担ぎ上げた。
「オッチャン、アンタも右腕が取れてもうてるやん。無理せえへんでもええて!」
「ひ弱な若造と、このオジサマを比べてもらっちゃ困るな。いいから黙っておぶさってな小僧」
「とんでもないオヤジやな。ほな、甘えさせてもらいまひょか」
拓飛と凰華はそれぞれ斉と成虎に声を掛ける。
「そんじゃあな、斉。野垂れ死にしそうになったら、清徳鎮の凌堅宗ってジジイを訪ねろ。俺の名前を出せば、メシくれえ食わしてくれるはずだ」
「おおきに。そのまんま居ついて商売人になるんもええな」
「岳先生。落ち着いたら、いつか香さんに顔を見せてあげてもらえませんか?」
「……ん。ま、いつか気が向いたらな」
成虎は優しい眼を凰華に向けて言葉を続けた。
「……凰華。どうしようもねえ馬鹿ガキだが、コイツを頼むぜ」
「————はい!」
成虎は無言でうなずき、斉と共に樹海の中へ消えて行った。その姿は密林の中へ帰る虎のように、瞬く間に樹々に溶け込んで見えなくなった。
「……俺たちも行くか、凰華」
「うん」
蓬莱山の麓の鎮に降りた二人はまず、預けていた焔星と桃花を引き取りに行った。
「……久しぶり、二人とも」
焔星と桃花は凰華の姿を眼にすると、嬉しそうに身体をすり寄せ、頬をペロリと舐めた。
「ありがとね。焔星、桃花……!」
「おし、そんじゃあメシにしようぜ! 俺ぁ腹が減っちまったよ」
拓飛の言葉に従い、とある酒楼に入った二人は二階に席を取った。
料理の注文をし終えた凰華がゆっくりと口を開く。
「ねえ拓飛、本当に桃源郷に行くの……?」
「ああ。行きたくねえなら、おめえはどっかで待っててもいいぜ」
この言葉に凰華はジロリと眼を向けた。
「そんな事言わないでよ。……どこにも行くなって言ったくせに」
「お、おめえだって、もう離れないとか言ってやがったじゃねえか」
二人は先ほどの自らの言を思い出し、思わず赤面した。
「————と、とにかくあたしも桃花を返さなきゃいけないし、西王母さまに報告もあるし付いて行くけど、コレだけは約束して……!」
「約束?」
「この件が終わったら、興奮したり血を流したりするような事から足を洗って欲しいの。斉の言葉じゃないけど、わざわざ危険な世界に身を置かなくても、拓飛の家には家業があるんだから食べるのには困らないはずよ」
「…………」
拓飛はうつむいて考えを巡らせた。
小蛍を守れなかったあの日に何よりも強くなろうと決意し、必死に今まで己を高めて来たのだ。それは自分の人生の目標でもあり、日常でもあった。
喧騒や闘争と無縁の世界で穏やかに過ごせば、あるいは人のままでいられるのかも知れないが、果たしてそれは生きていると言えるのだろうか? 抜け殻のようになり、生を貪ってどんな意味があると言うのか?
突如、ムラムラと反骨心が沸き起こり拓飛は顔を上げた。
その眼に己を真っ直ぐに見つめる女の顔が映った。
その眼には万感の想いが込められており、本気で自分を心配してくれている事が伝わってくる。小蛍もこんな眼でいつも見守ってくれていた。きっと亡き母もそうしてくれただろう。そう思うと次第に反骨心が萎えていき、拓飛はゆっくりとうなずいた。
「……分かった」
拓飛の返答を聞いた凰華は弾けるような笑顔を見せた。
これからはこの笑顔を守って生きて行くのも悪くないと自らに言い聞かせた時、不意に隣の卓に陣取る男たちの声が聞こえてきた。
「————本当ですかい、匡飛の兄貴ぃ⁉︎」
「ああ、ありゃあ二十年くれえ前だったな。馬車が野盗に襲われてたところに出くわしてよ」
あまりの大声に拓飛と凰華は男たちに眼を向けた。
男たちは四人で卓を囲んで、みな何かしらの武器を携えており、一目で武芸者と見て取れる。
匡飛と呼ばれた男は端正な顔立ちで一際立派な体躯をしており、どうやら男たちの兄貴分のようだ。
歳の頃は四十代後半といったところだろうか。陽に焼けたその頬には深い刀疵が走っていたが、不思議とその傷が男の魅力を損ねる事は無かった。
「それでどうなったんです?」
子分の男が訊くと、匡飛はグイッと酒をあおり口を乱暴に拭った。
「どうもこうもあるか! 野盗なんざ俺さまの手に掛かりゃ皆殺しよ!」
「さすが兄貴! それで野盗の代わりに、金目のモンを頂いちまったってワケだ!」
「馬鹿野郎! 実は俺もそうしようと思ったんだがな、馬車の中には凄え別嬪の女がいやがったんだ。身なりからして一目で金持ちの娘だと分かったね」
「なるほど! その場限りで終わらすんじゃなくて、もっと甘い汁を吸おうと思ったんですね⁉︎」
「ハッ、人聞きの悪い事を言うな! ……その通りなんだがよ!」
匡飛たちは一斉に下卑た笑い声を上げた。聞くに堪えない酷い声が嫌でも耳に入ってくる。
拓飛は男たちを睨みつけ腰を上げたが、その手を凰華がそっと握った。
「……駄目よ、拓飛。店を変えましょ、ね……?」
「…………ああ」
二人が席を立ち、階段に足を掛けた時である。
「それで、その女はどこのご令嬢だったんで?」
「磁器で有名な清徳鎮って知ってんだろ? なんと、そこの元締めの一人娘だったんだよ!」
この言葉に拓飛の足が止まった。
「その女は俺にベタ惚れになっちまったようで、礼をしたいっつって自分の屋敷にまで案内しやがった。俺は思ったぜ、このまま後継ぎに収まりゃ一生安泰だってな。だが、女の親父は俺の姿を見て、娘との付き合いを認めようとしなかった」
「そりゃ、そうだ!」
「俺も若かったんだろうな。娘の美貌に眼が眩んじまって、あり得ねえ事に駆け落ちなんてマネをしちまったんだよ」
「それで、それで⁉︎」
「どうもこうもねえよ。半年ぐれえ一緒に暮らしたんだがよ、やっぱ深窓のお嬢サマなんて駄目だわな。何をするにしても話が合わなくて、つまんねえから子供がデキちまった頃合いで家に追い返しちまったよ!」
「ヒッデーッ‼︎」
再び匡飛たちは笑い出し、拓飛は黙ってその様子を聞いていた。
「そういや、あの時の光は一体何だったんだろうな……」
思い出したように匡飛が口を開いた。
「何ですかい? 『光』って?」
「いや、駆け落ちした夜によ、なんか流星みてえな光が女の腹に突っ込んだんだよ。女は無事だったんだが、何が起こったのか今考えても分からねえ」
「酒でも飲んでたんじゃねえんですかい? そんな事より、その女の名前を教えてくだせえよ」
娘の名を尋ねられた匡飛はニヤリとした。
「女の姓は凌、名は玲蘭だ————」




