第二十九章『対決(五)』
義父の勝利を確信しているように拓飛は言うと、一切の憂慮を見せる事なく腕を組んだ。決戦の行方を静観する構えである。
その様子を見た斉は少し、眼前の虎の親子が羨ましく感じたが、自分も黙って見守る事にした。
「ワシの性根を叩き直すだと……⁉︎」
志龍は面白い芝居でも観たかのように笑うと、再びその手に剣を握った。
「ああ、俺にしか出来ねえ」
成虎は身体を斜にして左腕を前方に構えた。後方の右腕はもはや満足に動かす事が出来ないのか、ダラリと下げているだけであった。
斉は、成虎が構えを取った姿を見たのは初めてであったが、この構えには眉をひそめた。
剣を受けた右腕が使えないのならば、このように庇っていてもしょうがないように思える。残る左腕だけで、眼前に立ちはだかる青龍の爪を防げるのか? それとも————。
「……何のつもりだ? 右腕が死んだように見せかけておるのか?」
「さあて、どうだろうな?」
「……よかろう。どちらであろうと構わぬ。今日こそ決着を付けようではないか……!」
言い様、志龍が猛攻を仕掛けた。
それは先ほどまでとは比べ物にならぬほど苛烈であった。成虎は絶えず歩法を駆使して躱すだけで精一杯であり、やはり右腕はピクリとも動かず、頼みの左腕も防戦一方で攻撃に移る余裕はない。
反撃の糸口が掴めないまま時間が過ぎていく中、遂に成虎は左腿に傷を負ってしまった。
「ここまでだな。最早、その脚ではワシの剣は躱せまい」
「…………」
志龍は勝ち誇ったように眼を細めたが、成虎のそれには諦観の念は微塵も見られないどころか、どこか誘っているようですらあった。
「貴様のその眼を暗く濁らせてやるわ……!」
志龍は剣を構え直すと、成虎の左胸に狙いを定めて床を蹴った。
雷光のような一閃が、猛虎の心臓に迫る————。
その刹那、成虎は眼を見開くと、己の右腕に手を掛けた。
————ズブリと音を立てて、剣が成虎の胸に突き刺さった。
「……ガッ……!」
呻き声と共に吐き出された鮮血が大理石の床を赤く染めた。
「————なん、だと……っ⁉︎」
口から鮮血を吐き出したのは、剣を突き刺した志龍であった。その胸には成虎の右拳が深く強く打ち込まれていた。
根元からもぎ取られた、槍のように長い右腕が————。
志龍がとどめに突きを繰り出したのを見て取った成虎は瞬時に己の右腕をねじ切ると、左手で握りしめ真っ直ぐに志龍の胸へ突き出していた。
志龍の剣身はさほど長いものではなく、並外れた巨躯である成虎の腕は恐ろしく長い。交差するように突き出された志龍の切っ先は、成虎の心臓まであと一寸というところで止まっていたのである。
「……ゴフッ……!」
再び鮮血を吐き出して、志龍が膝を突いた。その眼前に夥しい量の血液が滝のように落ちてくる。
「成虎、貴様……っ」
「デカい身体に産んでくれた親父とお袋に感謝しねえといけねえな」
成虎は笑みを漏らすと、右肩付近の経穴を押して止血した。
「おめえの剣の長さを身をもって知ってなきゃ、とても出来ねえ戦法だった」
「ワシが剣身を変えていたならば、どうしていたのだ……⁉︎」
「いーや、おめえの性格からして、手に馴染んだ得物の長さは絶対に変えねえと思ってたぜ」
その言葉に、志龍はその場に倒れ込んで天を仰いだ。
「————フッ、ハハハ、そうきたか……」
愉快そうに笑うと、志龍はねじ切られた成虎の右腕に眼を向けた。
「……成虎、腕が壊死する前に繋げ。貴様の氣功ならば出来よう」
「このままでいい」
「何……?」
成虎は左頬の傷を指でなぞりながら口を開いた。
「この頬の傷も、この腕も、俺がこの世でただ一人尊敬している男につけられたものだ。コイツはこのままにしておくさ」
この世のどんな財宝にも代え難い、超一流の武術家の右腕を好敵手は惜しげもなく手放そうとしている。その気遣いに志龍は感謝するように眼を閉じた。
「……そうか。ならば、もう何も言うまい」
志龍は長い間、眼を閉じた後、再び口を開いた。
「……ワシは臆病者だったのだ。凰珠を娶った日から、一日とて心が休まる日が無かった。いつ凰珠が貴様の元へ行ってしまうかと不安が募り、眠れぬ夜も多かった」
「…………」
「そこでワシは思った。貴様より強くなれば、凰珠の心を繋ぎ止めておけると。そこからワシは朝も夜もなく修練に明け暮れた。そして、いつしか手段は目的に変わり、ワシは凰珠が壊れていく様に気付けなかった……!」
拓飛は身につまされる思いで志龍の話を聞いていた。この孤独な王も、最初は己の弱さを払拭しようと純粋に強さを追い求めていただけなのだ。だが、強さに固執する余りに他人を遠ざけ、自らを闇の中へ追い込んでしまった。そうして全ての歯車が狂ってしまい、気付いた時には己にもどうする事も出来なくなってしまったのである。
「……その頃からだった。頭の片隅から、何者かの声が聞こえてくるようになったのは……」
「声だと……?」
思わず成虎が聞き返した。
「その声はワシに命じた。『皇帝になれ』と————。ワシは何度も振り払おうとしたが、遂には抗う事が出来ずに、手始めに恩師を手に掛け、青龍派の掌門の地位を簒奪した。そこから後は周知の通りよ……、ハハハ……!」
ここまで話すと、志龍は自らを嘲笑うように声を上げた。
「……馬鹿野郎……」
成虎が口を開くと、志龍は笑いを収めて顔を向けた。
「あの時、凰珠は言っていたぜ。俺のようなろくでなしじゃなく、穏やかで優しいおめえと添い遂げたいとな。おめえはただ、凰珠の真心を信じてやりゃあ良かったんだ。この馬鹿たれが……!」
肩を震わせて成虎が罵倒すると、志龍は無念の涙を流して、右手を天へ伸ばした。
「……すまぬ、凰珠。ワシも今、そちらへ————…………」
言葉が途切れると同時に、その腕は力を失い床へ落ちた。
「……………………」
成虎は好敵手の亡骸に無言で眼を向けている。その表情は窺い知れないが、この世でたったひとり己と渡り合える者が去ってしまったのである。その胸中を推し測る事など到底出来ない。拓飛も斉もなんと声を掛けて良いのか分からず、只々拳を握り締めるばかりだった。
深い静寂が周囲を押し包み、長い間誰も言葉を発する者はいなかったが、不意に成虎が沈黙を破った。
「————拓飛」
「お、おう」
「おう、じゃねえ。ボサッとしてねえで、早くお嬢ちゃんの経穴を解いてやれ。長時間経穴が閉じられたままだと、身体に障りが出るぞ」
「け、けどよ……」
「何をモジモジしてやがる。経穴の位置なら一通り教えてやっただろうが」
「わあったよ……」
頭を掻きながら凰華の元へ近づいた。その姿を眼にするまでは、あれほど逢いたかったというのに、今は何故か照れ臭いような気がして顔を合わせるのもままならない。
意を決して顔を上げると、凰華の眼には大粒の涙が溢れていた。
それは自らの出生の秘密、母の真心、父の死、様々な感情が入り混じっているようだったが、愛する男と再会できた感激の涙であったのかも知れない。
「凰華……。待ってろ、今————」
拓飛がゆっくりと指を伸ばした時、突然左腕に強い衝撃が走った————。
———— 第三十章に続く ————




