第二十九章『対決(三)』
拓飛と斉が先へ進むと、引きずられて掠れた血痕が道標のように奥へ続いていた。
血痕が途切れた先には一人の男が倒れている。
「————オイオイ、アンタ大丈夫かいな⁉︎」
斉が男の安否を確かめるが、拓飛は引き付けられるように通路の先を凝視している。
「貴様が凌拓飛か。ようやく会えたな」
皇帝を想起させる玉座に座りし男————黄志龍は昔馴染みの客人を迎えるような笑みを浮かべた。
しかし、拓飛は不機嫌そうに、
「……てめえが、青龍派の掌門だな……⁉︎」
「いかにも」
「龍悟を斬ったのは、てめえか……!」
「あれしきの傷で貴様に一太刀すら浴びせられぬとは、我が息子ながら情けない事よ」
「てめえ……っ‼︎」
赤眼に怒りの炎を宿らせて、拓飛が一歩踏み出した。
「威勢の良い事だが、貴様の目当てはコレであろう?」
志龍は玉座の陰から何かを引きずり出した。
「————凰華‼︎」
志龍の腕には捜し求めていた女がグッタリともたれ掛かり、その眼は固く閉じられていた。
「てめえ、凰華を放しやがれ!」
「何故だ? 娘を如何様にしようとも、父であるワシの自由であろう」
「お、凰華が……てめえの娘だと……⁉︎ デタラメ抜かしてんじゃねえ!」
「信じずとも一向に構わんが、貴様はワシと口喧嘩をしに来たのか?」
「……上等だ、この野郎……!」
拓飛が歩を進めると、凰華が身動ぎだした。
「うう……」
「凰華!」
「……拓飛……? ————拓飛!」
凰華は拓飛の姿を認めると、大粒の涙を浮かべた。
「逃げて、拓飛! この男には勝てないわ!」
「余計な事を申すな」
志龍は眼にも止まらぬ速さで、凰華の経穴を封じた。凰華は身体の自由を奪われ、声も出せなくなってしまった。
しかし、その眼は一心に愛する男を見つめ、『逃げろ』と雄弁に語っている。
「待ってろ、いま助けてやるからな」
だが、拓飛はその声には耳を貸さず、更に玉座へ近づいていく。
「……待て、凌拓飛……」
その時、通路に倒れていた男が拓飛の肩に手を掛けた。
「なんだ、てめえは?」
「俺は柳怜震、龍悟の兄弟子だ」
拓飛は少し驚いた表情を浮かべた。
「おめえが、柳怜震……」
「悪いが、順番を譲ってくれ……」
「ああ⁉︎ ふざけた事————」
拓飛は一喝しかけたが、怜震の胸から絶えず血が溢れ出る様を見て押し止めた。続いて目線を上げたところ、何かの覚悟を決めているような漢の表情が見え、留め立てすることは出来なくなった。
「……分かった」
「すまんな……」
怜震は拓飛の隣に並び、寂しそうに笑った。
「残念だ……。龍悟を倒したというお前ともいつか立ち合ってみたかった……」
「…………」
「勝手ついでにもう一つ、頼まれてくれないか……?」
「言ってみろ」
「白虎派の蘇熊将どのを知っているか……?」
「友達だ」
「それは良かった……。もし、お前がここを出られたら……蘇どのに伝えて欲しい事がある」
「ああ」
怜震は眼を閉じて感謝の意を示すと、天を仰いだ。
「『今生で決着を付ける事が叶わず申し訳ない。柳めは、先に九泉で貴殿を待っている』と…………」
「……必ず、伝えてやる……!」
拓飛が力強く答えると、怜震は槍を握り、下方へ穂先を向けた。
「師父、最期の稽古をつけていただきとう……ございます」
「……よかろう」
志龍は凰華を玉座へ横たえ、壇上から広間の中央へ降り立った。
怜震は志龍の前に進み、下段の構えから中段へ構え直すと、
「————参ります」
言葉の終わりと共に怜震の槍が突き出された。
————それは致命的な傷を負ってなお、生涯最速とも言える突きだったが、どこにも永遠に届く事はなかった————。
「……さらばだ、怜震」
志龍がつぶやき、剣を収めると同時に怜震の身体が傾ぎ出す。
再び胸に取り返しのつかない傷を穿たれ、崩れ落ちる怜震の脳裏に様々な想いが蘇ってきた。
辛く厳しい修行の日々————
初めて内功を授けられた喜び————
血よりも濃い絆で結ばれた同門の士たち————
愛する女の顔————
好敵手と果たせなかった約束————
そして、厳しくも優しかった師父の姿————…………
龍の師弟の対決を見届けた拓飛は動かなくなった怜震を抱え、広間の端へと運んだ。
乱れた衣服と髪を整えてやると、床がえぐれるほど強く叩頭して、ゆっくりと立ち上がった。
「待てや、拓飛! あのオッチャンは、ホンマやばい————」
斉は拓飛を止めようと遮るように前に立ったが、その表情を眼にすると思わず後ずさった。
拓飛が無言で歩み寄ると、志龍は眉をひそめた。
「……なんだ、その眼は?」
「さあな、俺にもよく分からねえが……てめえは、てめえだけは許さねえ……‼︎」
凄まじい形相で拓飛が構えを取った時、背後の壁面からピシリという音が聞こえたと思うと、次いでその一部が砂状と化し始めた。
「な、なんや⁉︎」
斉が驚きの声を上げるのも無理はない。なんと砂と化しているのは、人ひとりが通れるほどの長方形の面積のみだったのである。それはまるで扉のようであった。
流れ落ちる砂によって砂煙が上がる中、新たに作られた戸口から聞き覚えのある野太い声が聞こえてきた。
「————悪いなあ、小飛。そいつの相手は、このオジサマに譲ってくれねえか?」
男の声を耳にした志龍の表情が、にわかに変わった。




