07.灰色の巨獣
マリアを背負って歩いている最中も、遠くから大きな音が絶えず聞こえていた。
この音は恐ろしい音だったが、同時に、ライオネルがまだ無事に逃げていることの証明でもあった。
ホルンは無事に家までたどりつき、マリアを寝室のベッドに寝かせて、常備してある薬草で、丁寧に処置を施した。
手当てが済むと、マリアの表情が安らぎ、ホルンはとりあえず危険は去ったと安堵した。
まだ、これで終わりじゃない。
次は、ライオネルを助けるために、矢を届けないといけない。
納屋に保管してある予備の矢筒を引っ提げて、あの音のなる方へ、走り出した。
「まずいな……」
ライオネルは、木を背にして呟いた。
探知眼のおかげで、灰色の獣、ベアウルフがどこにいるかはすぐに分かる。
注意を引き続けるために必要な能力と環境が揃っているため、逃げること自体は、それほど難しくない。
しかし、逃げ続けられても、逃げ切ることは出来ない。
事態を好転させるために、何か策を考えなければならなかった。
ベアウルフが諦めて去ることだけは、さけなくてはならない。
自分以外、マリアやホルンは、やつの動きを探知できない。
襲われたら、今度こそ命はないだろう。
たとえ危険でも、ここで倒す必要があった。
そう思った時、ライオネルの探知眼に、何者かの姿が見えた。
矢筒を持ったホルンであった。
(ここへ戻ったということは、マリアは無事に家まで連れて行けたようだな。だが……)
一度逃がした娘が、また戻ってきていることは、嬉しいことではない。
とはいえ、この機会を逃すわけにもいかず、ライオネルは敵の風下に移動しながら、ホルンと合流した。
「お父さん!」
緑色に光る目をしたホルンが、矢筒を渡そうと駆け寄った。
「お前、それ……」
ホルンに探知眼のことを教えた記憶はない。
魔法すら見て覚えたというのか、とライオネルは驚いた。
「いや、今はそんなことやってる場合じゃないな。わざわざ持ってきてくれたのか」
「うん。これがあれば、負けないよね?」
ホルンは不安そうに聞く。
ライオネルは、胸をドンと叩いて応えた。
「ああ、もちろんだ。矢さえあればあんな奴……」
「来る!」
探知眼に、やつの姿が映った。
ライオネルとホルンはほぼ同時にその異変に気がついた。
ベアウルフは、完全に怒り狂っていた。
障害物となる、木や岩など、全てなぎ倒しながら、ふたりのいるところへ向かって、恐ろしい速さで、まっすぐに進んできているのだ。
「さっきまでとは様子が違う!」
やつは、こちらを殺したあとのことは考えていない動きをしていた。
手負いの獣は、時折そういう行動に出ることもあるが、これは極端すぎる動きであった。
「ここで仕留める!」
ライオネルは、やつが姿を見せる前に、木の合間の闇に向かって、矢を放った。
探知眼で見る限り、矢は確実に命中した。
しかし、突進は緩む様子を見せない。
ライオネルは舌打ちをして叫んだ。
「避けろホルン!」
ふたりは、探知眼によって、どこから来るか分かっているため避けられたが、それでもやっとであった。
視界の悪い森の中、あの速さを避けるだけで精一杯であり、反撃など出来ようものではなかった。
しかし、ベアウルフも、その凄まじい攻撃の反動を受けていた。
折れた木が体中に突き刺さっているのだ。
避け続けていれば、そのうち自滅するに違いない、とライオネルは考えた。
しかし、その目論見は甘かった。
何度目かの突進のあと、ホルンが声を殺したようなうめき声をあげた。
目をやると、右足のふくらはぎに、弾け飛んだ木の破片が突き刺さっていた。
「ホルン!!」
「大丈夫、だから……次、来るよ」
ホルンは、笑ってみせたが、顔には脂汗がにじんでいた。
助けようにも、やつは唸りをあげて迫っている。
考えている時間はなかった。
「お父さん、何をする気なの!?」
ホルンから離れ、弓を捨てて、矢を一本だけ手に持った。
体を大きく開いて、ベアウルフの正面に立つ。
相打ち覚悟で組みつくつもりであった。
残った目も潰せば、あとは絶命するところを待てばいい。
しかし、あの突進が直撃すれば、ただでは済まないだろう。
「来やがれ!」
大声を出して、やつの注意を引く。
思惑通り、ベアウルフはライオネルの方へ方向修正をして、進んできた。
しかし、すぐに、ホルンの方へ向きを変える。
(まさか……!!)
ライオネルの脳裏に、やつがこの速さで突進を正確に繰り返せている理由が浮かぶ。
ホルンには、マリアについていた血液が、べったりと付着していた。
すでにベアウルフは視覚を捨て、臭いだけをめがけて突進していたのだ。
「くそったれ!!」
ライオネルは、咄嗟にホルンを突き飛ばした。
ホルンの目の前で、ライオネルは、灰色の獣の突進に吹き飛ばされ、宙を舞ったあと、地面に叩きつけられた。
「お父さん!!」
ホルンが声をあげても、彼が立ち上がることはなかった。
「ううううう!!」
ホルンは、唸りをあげながら、足を引きずって、ライオネルに覆いかぶさった。
そんな状況であっても、突進が緩むことはない。
ベアウルフが、ホルンの眼前まで迫ったとき、その異変は起こった。




