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角の少女とふたつの竜  作者: 樹(いつき)
第三章 黒竜と白龍
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50.黒竜

荒野で夜を明かし、翌日朝日が真上に昇り始めたころ、三人の前に大きな峡谷が姿を現した。


「ここがデスバレー……」


死の谷と呼ばれるだけあり、腐界と同じく野生の動物がいる気配はない。

そのうえ、腐界よりも濃い生命力の空気が溢れている。

サイやアレクシアも一日である程度は慣れているだろうが、それでもこの空気はつらいはずだ。



ホルンは探知眼で谷の中の様子を見ていた。

これから割れ目にそって谷底を進んでいくのだ。

襲われない方がおかしい。


「中に、三十匹ほど見える。でも、何かおかしい」

「何か?」

「だって、外にあれだけ徘徊させていたのに、ここにいる三十匹はまるで普通に生活しているだけのような……」


生命力だけではオスメスの区別はつかないが、大人と子供の区別はつく。


「……とにかく、敵の手の内がわからない以上、何が起きてもすぐに逃げられるように、警戒をしていてね」


ホルンの疑念はそれだけではなく、敵にまるでこちらを迎え撃つ気がなさそうなことが気にかかっている。

それに、都合よくいきすぎていることも、また不安要素であった。

まるで自分から竜の口に飛び込んでしまったかのような錯覚すら感じる。


(大丈夫、私はひとりじゃない!)


ホルンは疑念を振り払うように、頭の中でそう唱えた。

すると、ふとアレクシアが立ち止まる。


「なに、ここ……」


ホルンは考え事をしていたために、反応が一拍遅れた。

峡谷の中は、岩でできた住居が立ち並んでいた。

そこに暮らしていたのは、人でも異形でもなく、黒い鱗で全身を覆われた、言うならば竜人とでも呼ぶべき外見のものたちだ。


彼らは不思議なことに、明らかに不審な三人に対して、あまり興味をもっていなかった。

ちらちらと視線を投げかけるものもいるが、ほとんどはまるでいないかのように振る舞っている。


「変よ、絶対変。怖い」


アレクシアが不安そうに言う。

ホルンも眉をひそめていた。


(フィリップの話じゃカビーノが最高傑作で、近いものも百年は生まれないはずだったのに……)

『フィリップ……。やつは信用せん方がよかったかもしれん』


(彼が嘘つきなのはわかりきっていますけど、でもこんな嘘ついても得しないでしょう?)

『奴は今この瞬間でさえ、何の行動も起こしておらん。意図は読めんが、味方であったかどうかは怪しいぞ』

(私たちを黒竜の元に送り込んで、いったい何の意味が……)


考えれば考えるほど、フィリップの企みがわからない。

黒竜を倒してもらおうとしているのなら、正確な情報を与えるはずである。

ホルンたちに死んでほしいのだろうか。


もし、ホルンの体が死んだら、シロも一緒に息絶えることになるだろう。

体が死んでいるのだからそれは当然のことだ。


(うーん、わからない……)

『あまり考え込まぬ方が良いかもしれん。黒竜は我らでなくては倒せないものであるには違いないのじゃ。やつの思惑がどうであってもな。ほれ、そろそろ目的地ではないのか』


ふと意識を外に戻すと、谷底の一番奥にまで来ていた。

巨大な滝の流れ落ちる湖に、巨大な黒い竜が体を丸めて横たわって眠っていた。


「これが黒竜……」

「なんて大きいのかしら……」

「ふたりともここで止まって。私が行く」


ホルンは深呼吸をして、黒竜へ歩み寄る。

堂々と、弱味は見せないように。


「……ようやく来たか」


黒竜が金色の瞳を輝かせ、ホルンを見た。

無表情で無機質な瞳である。


「私は、いえ、私たちは話をしにきました」

「話だと?」


威圧をしている様子はない。

しかし、言葉のひとつひとつに重圧があり、これが竜の言葉であると実感できる。

白龍とは決定的に違うのは、彼は明らかに敵対心を持っている様子であるということだ。


「……はい。あなたがなぜ、人間をさらうのか知りたいのです」

「おれが人間をさらう理由など知ってどうする? 止めに来たとでも言うつもりか?」


気圧されてはダメだ、とホルンも言い返す。


「それは理由次第です」

「ふん、声が震えているぞ。ここに来るときに見たであろう。人を模した竜の眷属を。あれを作るのに人間が必要なのだ」

「なぜそんなことをするのですか?」


黒竜はあざけるように笑った。


「わからないか。竜が人間に負けた理由だ」

「負けた理由?」


ホルンは自分の知っている情報との齟齬を感じたが、そこは触れなかった。


「そうだ。おれは、人間の数に負けたのだ。人間など矮小な存在だと侮ったから負けたのだ。だから、こうして眷属の数を増やしている」

「人間と戦うために?」

「そういうことだ。それを知ったお前らはどうする? 我々全員と戦うか?」


ホルンは正直に言って、谷底で暮らしている彼らと戦う気はなかった。

黒竜との記憶の違いが気にかかるが、何よりも眷属と呼ばれている竜人たちを戦いに巻き込みたくない。

彼らはここでたしかに生きている。

争いの火種を持ちこんだものの、何か根本的な問題が別にあり、戦わなくても解決できるのではないだろうか、という気持ちが芽生えていた。


その根拠として、黒竜は敵対心は持っているものの、問答無用で攻撃を仕掛けてきてはいない。

ホルンが白龍であることを知っていることを差し引いても、話をするだけの余裕は持っている。


そんなことを考えていると、竜人のひとりが慌ててホルンたちの後ろから現れた。


「黒竜さま! たった今、新しき眷属の子が生まれました」

「ふむ。連れてくるがいい」

「はっ!」


いったい何が始まるのだ、とホルンは訝しんだ。

彼らに連れられ、小さな赤ん坊を抱いた竜人が現れた。


(怯えている……?)


その顔は赤ん坊が生まれたことを喜んでいるようには見えなかった。

母竜人は、震える声で黒竜へ言った。


「この子でございます……」

「よし、ではそこへ置け」


彼女が赤ん坊を湖のふちへ寝かせ、そこから離れた。

そして、膝をつき、手を合わせて拝み始める。


次の瞬間、黒竜が凍えるほどに冷たい息を吐いた。

生まれたばかりの赤ん坊はみるみるうちに凍っていく。


「ちょっと! 何をして――――」


生死しようとしたアレクシアを竜人が手にした槍で脅す。

彼らにも感情があり、硬い決意を持って、この惨状を目の当たりにしているのだと、ホルンは感じた。


「選別か……」


サイがつぶやいた言葉に、ホルンは無言で同意した。

黒竜には強い個体しか必要ないのだ。

赤ん坊の段階で選別し、弱い個体はここで始末してしまうのだろう。


そのため、どれだけ時が経っても、竜人の数はそれほど増えていないのだ。


赤ん坊を連れて来た竜人は、目を硬く閉じて、それが終わるのを待った。

やがて、息が止まり、急いで赤ん坊へと駆け寄る。


「あ、ああ……」


言葉もなく、冷たくなった子を胸に抱きしめる。

どれだけ温めても、もう二度と、動くことはなかった。

ただ静かに無念の涙を流す竜人は、他の仲間に連れられていく。


「……ふざけないで」


今にも爆発しそうな感情を顔に出すアレクシアを、ホルンは抑えた。


「少し待って」

「いくらホルンでも聞けない。あいつがどんなに恐ろしい存在でも、こんなことを許しておけるほど、私は大人じゃない」

「わかってる。私だって、同じ気持ちだから。でもその前にやっておかないといけないことがある。とっても、重要なこと」


ホルンはゆっくりと、谷底に広がる住居へ体を向けた。

遠くから様子を見守っていた竜人たちの目が、ホルンへ注がれる。

ホルンがシロへ代わると、どよめきが走る。

黒竜の眷属とまで呼ばれている彼らが、白龍の事を知らないはずがない。


「聞け、竜の眷属たちよ! このような蛮行を、いつまで許しておくつもりだ! 妾はこやつを許せぬ! 罪もなき生まれたばかりの命を容易く奪えるこやつを、許せぬ!」


ホルンのうちにいる時から、シロは完全に怒っていた。

感情に任せた言葉は、竜人たちの心を揺さぶるはずだ。


「お主らがこやつを失うことで露頭に迷うことを心配しておるのなら、その後釜は妾が受け継いでやる! 今が決起の時ぞ!」


しん、と谷底は静まり返った。


「無駄なことをする」

「貴様は黙っておれ」


黒竜に負けじと、シロは鋭い目線を飛ばした。

一呼吸おいて、竜人たちの後ろの方から、声があがった。


「おれはあいつに子供を殺された! おれはやるぞ!」


ひとりの勇気ある若者が立ち上がると、次第にその熱は、竜人たちの間を伝染していく。

不満をもっていないはずはないのだ。

ただ、きっかけと後押しさえあれば、彼らはいつでも爆発する準備ができていた。


熱気にあふれるその様子を見て、シロは勝ち誇ったように黒竜に言う。


「人心掌握が苦手なようじゃのう。その席は妾の方がよっぽどふさわしいわ」

「たわけめ。それがどうした」


黒竜はそう言うと、竜人たちへ向かって吠えた。

何の魔術でもなく、ただ大きく吠えただけなのだが、勇む竜人たちの足は止まる。

空気の震えにそって、竜人たちは恐怖に染まる。


沁みついた感覚はそう簡単にはぬぐえないのだ。


「これで充分だ」

「ふん、それしかできぬの間違いであろう」


竜人たちが止まるところまでは、ホルンの読み通りであった。

味方になってもらおうと思ったわけではなく、後ろから刺される可能性を下げるための作戦であった。

本気で黒竜と戦うため、憂いはできるだけ取り除いておきたかった。


「怖いけど、やらなきゃ……」


咆哮で怖気づいたのは、竜人たちだけではなく、アレクシアやサイも同じであった。

必死に練習した魔法も、今の叫びだけで、まったく無意味なものに思えたのだろう。

足が震え、立っているのもやっとのように見える。


そんななか、シロだけがその場にいる全員と真逆の感情を抱いていた。


「ふたりとももう少し離れているのじゃ。妾が囮になっているうちに、魔法での支援を頼む」


シロは籠手を外して、指の関節を鳴らした。



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