49.異形との戦い
翌日、ライオネルとマリアは、ホルンが帰って来るまでいつまででも待っていると言い残して、日の出と共に家へ帰った。
ホルンはふたりを見送ったあと、準備のために学校へ戻った。
正確には、ヴェロニカ女史のところだ。
「これがホルンのために注文したトラの爪ね」
「わあ、ぴったりですね。ありがとうございます」
ホルンは受け取った籠手を装着し、使用感を確かめた。
特殊な合金でできており、重さをほとんど感じない。
ホルンが籠手を取り外していると、ヴェロニカ女史はまだがちゃがちゃと何か取り出していた。
「あ、これが剣ね」
「え、あの、剣はやめておくって……」
「いいの、いいの。持っていって。そんで、できたら竜を倒した子がどれなのか教えてほしいの」
どれ、とはいったい何事か、とホルンが聞く前に、ヴェロニカは剣を次々に出していく。
「紹介するね。まずこの子が『ジル』。次にこの子が『バルゴ』。そしてこれが……」
「待って、待ってください! 紹介されても私覚えられませんし、何本持たせる気なんですか!?」
「六本だよ」
「六本!?」
ホルンは喋りながらも特殊な革の装具をつけられていく。
背中に交差するようにして、二本。
左右の腰に二本ずつ。
そうして、ホルンは合計六本の剣をつけられた。
「うんうん。かっこいい。やっぱり剣は使われてこそだね! 飾ってるだけじゃダメだ!」
ヴェロニカ女史は満足そうに頷く。
ホルンはずっしりと重くなった体を動かし、学校を出て屋敷へ帰った。
庭で魔法の練習をしていたアレクシアと目が合い、空中で火の魔法が暴発して消える。
「あなたいったいどうしたの?」
「……持たせられちゃった」
「すごいわね……六本も……」
アレクシアは呆れたように、そう言った。
各々準備を終わらせ、翌日都市の前で三人は集合した。
アレクシアとホルンはちゃんと睡眠をとり、若干の緊張は感じているものの、体調は万全であった。
しかし、サイはなぜか少しやつれており、足元がふらふらとしている。
「どこに行ってたの?」
「……ああ、少し用事がね」
彼はそれ以上何も語らなかった。
馬車を借りて、三人はまたあの日向かった砦へと向かった。
「やっぱり私、この揺れは無理……」
酔うアレクシアの背中をホルンがさする。
「治る魔法とかってないの?」
「ないよ」
ホルンの問いにサイがあっさりと答えた。
アレクシアの苦しそうなうめき声が、むなしく馬車の中にひびく。
そうして進んでいくうちに、空がだんだんと鉛色の分厚い雲に覆われ始めた。
空気中の湿気が多くなり、不快感を覚えていると、やがて大粒の雨が降り始めた。
日の光も弱くなり、視界がみるみるうちに悪くなる。
赤の騎士団の砦へ着くころには、昼間だというのにすっかり暗くなり、雨が降っていることもあって、周囲はまるで夜更けのようであった。
馬車はここから一度シルトクレーテへ帰り、専用の魔法道具で帰りを呼ぶ手筈になっている。
本当ならばこの先も運んで行ってほしいが、目立ちすぎるため、それはできなかった。
油を塗り込んだ雨を弾くマントを羽織って、三人は進んだ。
目指す方向はわかっているが、暗闇の広がる荒野が不安をかきたてる。
「ひどい天気ね。これじゃ敵も見えないわ」
「それは向こうも同じだよ。数が多いから、絶対に囲まれるわけにいかないし、むしろ天気が味方しているとも考えられる」
異形が固まって移動しているなら、魔法で吹き飛ばすことは容易だが、ばらばらに動かれているとなると、とにかく見つからないことが重要になる。
そのためこの雨は利用できる、とホルンは考えていた。
雨の中を三人はひたすら前へ進んだ。
荒野を歩いているうちは怪しいものは何も見つけられず、そして景色は変わらないまま、空気だけが急に変わった。
言葉にしにくい、粘り気のある空気が三人を包む。
ホルンはすぐにそれが何であるかわかった。
あの湖のように、ここの空気にも大量の生命力が溶け込んでいるのだ。
しかし、これくらいであれば特別害もないだろう。
体力と精神力は削られるが、仕方のないことだ。
「これが腐界か。つらいな」
「ええ、まるで本能がここに入ることを拒んでいるみたい……」
「ふたりとも、どうにか耐えて。気持ち悪いけど、毒じゃないから」
「なぜわかるんだ?」
「経験済みだから」
腐界には明らかに生き物の姿がなく、草木も生えていない。
やはり、特殊な大気に耐えられないのだろう。
「ふたりとも止まって」
ある程度進んだところで、ホルンの探知眼に敵の姿が映った。
このとき、ホルンの探知限界は一キロにも及んでおり、野生の獣のように素早く敵を見つけることができるようになっていた。
ホルンは静かに弓を構えた。
目線の先にいるのは、犬型の異形一匹だけである。
射角を調整し、矢を放つ。
貫通力と飛距離を魔法で底上げしてある矢であるため、雨の中であっても勢いが減ることはなく、異形を貫いて即死させた。
「まずは一匹。これからたくさん出てくると思うから注意し――――」
突如、上空で笛のような音が響いた。
鮮明に聞こえたその音が何を意味するか、ホルンはすぐに気がついたが、すでに遅かった。
その音を頼りに、続々と集まって来る気配がする。
「見つかった!」
「なんで!?」
「わからない! ここからじゃ姿が見えない!」
空高く、ホルンの探知眼よりも遠いところから、敵はこちらを見つけていたようだ。
動物同士の掛け合いで、想定を超える視力を持つものが生まれていたに違いない。
雨の中でも獲物を目視できる視力など、考えたくもないが、考えつかなかった己の浅慮さを、ホルンは悔やんだ。
「どうするの?」
アレクシアが怯えた様子で言う。
「ふたりはここから魔法を使って。絶対にひとりにならないように」
「ホルンは?」
「私は、私の仕事をする」
ホルンは腰から一振りの剣を抜く。
そして、体内の魔力を高めた。
緑色の蒸気のようなものが体から上がり始めると、ホルンは弾かれたように走り出した。
「僕はもう少し荒らしてみよう」
サイが風を呼び起こす。
その風は徐々に勢いを増して、降りしきる雨を巻き込んでいく。
一定ではない風向きが生む乱気流が、水滴の幕を纏い、右へ左へと吹きつけ始める。
(さすが……!)
ホルンはサイの魔法に感心していた。
その場にいるすべてのものが、銀色の壁で覆われ、本当に何も見えない。
この場で敵の姿が見えるのは、探知眼を持つホルンくらいのものだろう。
頭の中で俯瞰図を描き、敵の真後ろに回り込んでいく。
「二匹目」
馬の頭を持つトカゲを、ホルンは一撃で切り倒す。
三匹、四匹と口に出しながら、順に静かに心臓を一突きにしていく。
サイのおかげか、敵はまったく連携がとれていない。
頼みの音もこの大嵐の中では聞こえない。
ホルンは流れるようにして、次々に倒していく。
刃こぼれした剣をその場に投げ捨て、新しい剣を抜く。
剣が六本あったのはまったく無駄ではなかったが、扱いが下手だったためか、すぐにすべて使い切ってしまった。
トラの爪は剣とは違い、長さはないもののしっかりとした作りであったため、折れることはなく、また突き刺しやすかった。
しかしそれでも、死体の数が五十体になるころにはすっかり折れ曲がってしまい、もはや武器としての機能は失われてしまった。
黒竜のところまでもたなかったことが残念であったが、おかげでかなりの数を始末できた。
探知眼にはもう敵の姿はない。
空を舞っていた警戒音を出す敵も、どこかへ逃げてしまっているようであった。
サイとアレクシアの元へ戻り、風を解除してもらうと、何とも平和な豪雨の景色へ戻った。
「そういうことができるのなら、雨雲吹き飛ばしたりできるんじゃないの?」
アレクシアが言うと、サイが鼻で笑う。
「吹き飛ばしても仕方がないだろう」
「それもそうなんだけど……」
「先へ進もう」
今の騒ぎで敵に感づかれてしまったのは間違いない。
敵に準備する暇を与えないように、早く先へ進まなくてはならない。
その焦りからか、感覚に優れたホルンやサイでも、飛来したそれに気がつくことができなかった。
不意に、アレクシアの右頬が裂けて血が吹き出す。
「うっ!」
「アレクシア!?」
傷は浅いが、敵の攻撃は雨に紛れており、何が降ってきたのか見当もつかない。
「上か?」
「全然見えないわね……」
そう言っていると、また何かが放たれた感覚がした。
ホルンは強化した動体視力と反射神経でそれを捉える。
「石!?」
拳ほどの大きさの、ミルク色の石灰石である。
こんなものが直撃すれば、人の頭など容易く砕けるだろう。
「雲を吹き飛ばすぞ!」
サイが叫んで、遙か上空へ向かってらせん状に回転する風を放った。
それは雲に小さな穴をあけて、さらに進んでいく。
サイが手で何かを広げるような仕草をすると、雲にあいた小さな穴が、ぐわっと広がり、一帯の曇天を吹き飛ばした。
「いた!」
三人の視力で点のように見える位置に、象の背に鳥の羽根の生えた異形がいた。
それは鼻先をアレクシアへ向けて、石灰石を撃ち出していた。
「姿さえ見えれば!」
アレクシアは石を避けて、赤い指輪をした手を空へ向ける。
「魔法の密度をあげて……」
指先に浮かんだ小さな火球が、敵へ向かって勢いよく飛んでいく。
「弾けて!」
サイがやったように、アレクシアも手を大きく広げる。
すると、火球は一瞬で巨大に膨らみ、まるで太陽のように熱線をまき散らした。
遙か上空であったにも関わらず、おもわず目を逸らしてしまうほどの熱があり、近くを飛んでいた異形は跡形も残さず蒸発して消えていた。
「や、やりすぎた……」
自分の魔法に驚いた様子で、アレクシアが言う。
あまりの威力に茫然とする三人は、魔法が小さく縮んで消えて、やっと我に返った。
「さて、まずいんじゃないか?」
サイが言う。
これだけ派手な魔法を使えば、離れた敵にもこの場所はわかってしまうだろう。
「……雨もあがったことだし、とにかく急ぐしかないよ」
ホルンに続いて、ふたりもまた歩き始める。
駆ける足が、泥をはねた。




