42.教授
「なんとかうまく捕まえられたようじゃな」
クレイ学校長は杖をカビーノへ向けたまま、ホルンのとなりへ立った。
「ありがとうございます。助かりました」
「いや、ホルンが気がついてくれたから、彼を捕まえられたんじゃよ」
ホルンがボルスに渡した手紙には、カビーノが何らかの催眠魔法を常に使っていることが書かれていた。
彼の態度に疑問を持っていたボルスがすぐに学校長へ報告してこの研究室を訪れたのだ、とクレイ学校長は手短に説明した。
「さて、フィリップ殿、あれをどうみる?」
ボルスたちよりも遅れて、フィリップが部屋に入ってきて、カビーノを見た。
「驚いたな。あれは魔術だ。人間相手には強力無比な催眠効果がある。ボルスも、彼を直視しないように注意してくれ」
フィリップはまず、まだホルンを羽交い絞めにしたままのアレクシアに向けて杖を振った。
すると、体中の力が急に抜けて、アレクシアは床に倒れ込む。
硬い石の床へぶつかる前にホルンは慌てて抱き止めた。
「だ、大丈夫!?」
「あ、ええ……。何が起きたの? カビーノ先生を見てたら、途中で変な感じがして……」
アレクシアは額を抑えながら、自力で立ち上がった。
どうやら正気に戻ったようだ。
フィリップはホルンが握ったままの黒い鱗がついた腕を受け取ると、まじまじと見つめて、クレイ学校長へ渡した。
「まったく、これも魔術で無理矢理くっつけたものだな。これでは本来の力を出せまい」
「あの、フィリップさん。なんで、魔術だってわかるんですか?」
ホルンは黙って聞いておこうかと思ったが、我慢できなくなり、つい口を挟んだ。
「ああ、魔力の色だよ。まあ、この話はあとでしよう。さて……」
フィリップはカビーノへ近寄ると、床に突っ伏した彼の髪を掴んで顔を上げさせた。
「カビーノ。お前の頭の中を覗かせてもらうぞ」
「やめろ! 汚い手で触るな!」
口ではいくら言えても、拘束されている以上、カビーノに手を出すことはできない。
フィリップが両手を広げると、手の平に、眩いばかりの白い光が集まった。
その手をそっとカビーノこめかみに押し当てると、光は彼の皮膚の中へ、沁み込むようにして入っていく。
「やめろ、僕の中に入ってくるな!」
怯えと怒りの入り混じった声で、カビーノは言った。
「あれ、何をやっているんですか……?」
ホルンはとなりにいるクレイ学校長へ聞いた。
「記憶を読んでいるんじゃよ。フィリップ殿はああやって知識を蓄えておる」
「……そんなことが可能なんて」
「もちろん、我々はやり方を知らん。彼だけのものじゃ」
「それは、あれが魔術だからですか?」
クレイ学校長はただ笑って、その先は答えなかった。
やがて光がフィリップの手に戻ってきた。
ようやく終わったようで、カビーノはがっくりと頭を垂れた。
「いや、なるほど。これで全て、わかった」
フィリップは小さく呟いた。
「おれはまどろっこしいことが嫌いだ。一度解散してまた後日というのが、本当に好きではない。時間もかかるしな。これから先のことは、ホルン、君の力が必要だ」
もしかして、ホルンとシロのことが何かわかったのだろうか。
いや、彼には何も教えていない。
期待と不安を感じながらフィリップを見ていると、彼はあっけらかんとして、言った。
「薬草学の教師がいなくなってしまった。君に代わりをしてもらいたい」
「……はい?」
「君は、生物に関しては他の学生と同じ段階にいない。もはや一端の研究者と言ってもいいだろう。図書館で読んだ本のほとんどを理解して記憶しているだろう?」
「それは、そうですけど、でも無理ですよ。人に教えるなんて……」
何を言っているのだろう、と思いながらも、ホルンは冷静に答えた。
「大丈夫だ。足りない情報はいつでも補填してやれる」
「いや、いやいや。そういうことではなくて! 私にはできませんよ! だって、学生ですよ? 何か変ですって! 他に人を探しましょうよ!」
「心配するな。すぐに済む」
フィリップの光る手が迫る。
なんでこんな強行手段に出るのか、ホルンには理解できなかった。
身を硬くして、フィリップの手に触れられると、意識が暗い闇に落ちた。
この感覚はよく知っている。
シロと入れ替わる時に、意識を内側に引っ張り込む感覚だ。
目を開くと、ホルンは心の中の部屋に立っていた。
目の前で、シロが笑っている。
「ホルン、やられたな」
「……何が起きたの?」
「さてな。しかし、今までなかったことが起きておる。外を見てみよ」
言われた通り窓から外を見ると、大きな図書館に包まれていた。
床から天井まで続く本棚がぐるりと周囲を覆い、遠くには読書するための机や椅子も見える。
学校にある図書館によく似ているが、あれもここまで大きくない。
「どうやら、この部屋へは入ってこれないようじゃ。あの無礼者が外で待っておるみたいじゃが、出てみるか?」
「出ないと帰らせてもらえないと思う。でも、私たちのこと、どこまで知ってるんだろう?」
「わからないから確かめに来たのではないか? カビーノの記憶の中に妾たちがいた、とか……」
「……とにかく、出てみようか」
考えても仕方がない。
ホルンは扉を開いて、部屋の外の図書館へ足を踏み入れた。
シロと共に、図書館へ出ると、今まで誰もいなかった空間に、フィリップが現れた。
「やはり君は、そうだったか」
彼は嬉しそうにそう言った。
「ホルン、おれは君を、厳密には後ろの彼女を、知っている。しかし、驚いているよ。人間の中にいるなんて、見つからないはずだ」
「勝手に納得して喋るでない。不愉快極まりないやつじゃのう」
シロは少し苛立ったのか、刺々しくそう言う。
「妾は記憶がない。主が知っていることを話せ」
手短にそう凄んでみても、フィリップは笑うだけで臆した様子はなかった。
「記憶がない? それで、ここにいたのか。いや、いいことだ。でも、おれにも君が、なんでここにいるのかわからないよ。おれが知っているのは、君の過去だけだからね」
「過去?」
「君は『白龍』なんだよ」
白龍と言えば、伝説の二匹の竜のうちの片方だ。
「ま、待って。白龍って、あの?」
「そうさ。君も習った、あの白龍だ」
「なんで、白龍が人間の姿に?」
この体は元々シロのものだったに違いないのだから、シロが生まれた時にこの体もあったはずである。
「それはわからない。魔術の中には白龍にしかわからないものがあったのかもしれないからな」
彼は確かに過去は知っている、と言った。
だから、ホルンの求める答えは持っていないかもしれない。
だが、聞かずにはいられなかった。
「じゃあ、私たちは何なんですか? 人間なんですか? 白龍なんですか?」
その正体を知るために、ここまで来た。
答えが掴めそうな距離にまで来ているのに、手が届かない。
そのもどかしさをぶつけるようにして、ホルンは言った。
しかし、彼は即答せずに、聞き返した。
「どちらとして生きていきたい?」
「そんなの――――」
「人間に決まっておろう。たわけめ」
ホルンの言葉を遮って、シロが言う。
「くだらん押し問答をするために来たのなら、もう充分じゃ。帰って業務の続きでもやれば良い」
「そうだな。おれの目的は君を見ることだ。それに、君が白龍であることも話した。ここまで聞けば、あとは自分で調べられるだろう?」
シロは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
どうやら、彼のことが大嫌いになってしまったようだ。
「フィリップさん、カビーノの裏にいたのって、誰なんですか?」
「ああ、そうだ。その話もしよう。彼を作ったのは、『黒竜』だ。どうやらここ最近に復活したようだ。君と同じようにね」
まるで、同じ原因で黒竜も姿を現したかのような言い方をする。
ホルンもカビーノの黒い腕を思い出すと、黒竜が裏にいるということは納得できた。
「それと、ここからが大事なんだが、黒竜は君が退治しないといけない。これは覚えておいてくれ」
「なぜですか?」
「白龍だからさ。黒と白は相反する生命力を持っている。黒竜は白龍以外の力を寄せ付けないし、君もまた同じだ。魔法への耐性に、その性質が顕著に出ているだろう」
黒竜を目の前で見ていないため、どうにもできないとは言えない。
ホルンは何も言えず、黙ってしまった。
しっかり考えたいのだが、新しく得た情報が幾重にも重なり合い、頭に入ってこない。
彼の話を、整理する時間がほしかった。
「おれの話なんて、図書館に来ればいつでも聞けるから、安心してくれ。それより、君には薬草学の知識を与えないとね」
「え!? あの話って、口実じゃなかったんですか!?」
心の中に入るための口実だとばかり思っていたために、ホルンは素っ頓狂な声を出した。
「違うよ。おれは冗談は言わない」
本棚から四冊の本が抜けだして、ホルンの前に浮かぶ。
「それを持っていれば、いつでも記憶は引き出せる」
どうやら、もっと手荒なことをされるものだとばかり思っていたが、記憶を植えつけるのは、たったこれだけのことらしい。
「でもこれって、真面目に勉強している人たちに大して失礼じゃないですか?」
「知識において一番重要なのは、その使い方だ。普通はその吸収過程において、正しい使い方を見出す。でも君はすでによくわかっている。だから、記憶だけを渡しても問題ない。さて、おれはもう帰るよ。そっちの彼女が怖い顔をしているからね」
確かに、シロは今にも噛みつきそうな顔をして、彼を睨んでいた。
早く出て行け、という主張を全身から感じる。
「最後に、君の名前を教えてくれないか?」
「……シロだ」
「シロか。いい名前だ。じゃあ、おれはここまでだ。あとは外で会おう」
彼の姿が消えると同時に、図書館は元の静かな暗闇に戻った。
ふたりとも疲れ果てて部屋に戻ったが、しばらく会話はなかった。
白龍を調べること、黒竜を倒すこと。
そのふたつについて、もっと具体的に考えなければならない。
「……ダメ。全然何も考えられない」
「ホルンもか。妾も頭に霞がかかっておる。この件は、もうしばらくゆっくりして、それから考えることとしよう」
他人が侵入したことによる心の疲労感からか、結局、その場では考えがまとまらず、やむなくホルンは目を覚ますことにした。




