40.調査
朝になり、ホルンはいの一番に、旗の切れ端を持って図書館へ向かった。
フィリップ司書はすでにカウンターで仕事をしていた。
たくさんの本を重ね、一冊ずつ丁寧に、傷の検査と修繕を行っていた。
ホルンが顔を出すと、フィリップはまるで久しぶりに孫にあった老人のように、くしゃっと笑顔を見せた。
「今日は何の用かね?」
「フィリップさんって、いろんなことを知っていますよね?」
「自慢じゃないが、今まで読んだ本の内容は一字一句覚えているよ。自慢じゃないが、ね」
彼はそう言って悪戯っぽく笑う。
「あの、実はこれが何なのか知りたくて、知恵を借りたいんです」
ホルンは持ってきた赤い旗の切れ端を彼に渡した。
「ふーん、なるほど。特徴は残っているようだね。これなら探せると思うよ。ちょっとこっちへ来なさい」
ホルンを連れて、フィリップは司書室へ入った。
中には事務的な資料が、几帳面に年代順に並べられている。
以前、記録することが趣味だと聞いたことがある。
その気性が、仕事と上手く結びついているのだろう。
司書室の中心にある長机に、フィリップは旗を広げた。
ほとんど穴だらけで、色くらいしか判別のつかない赤い旗を、彼はまじまじと観察した。
「この旗の中心、何か絵が描いてあったみたいだね。上下に金の一本線が入っていて、赤い旗となると……」
フィリップが杖を振ると、空中に数えきれないほどの数の旗が浮かび上がった。
現存する主な掲揚旗が全て入っているのだろう。
「これはね、おれが記憶している旗が浮かび上がっているのさ」
彼は自慢げに言った。
ホルンの見ている前で、赤い色のものだけを残して、他の旗を消す。
さらに、上下に金色、または黄色の線が入っているものだけを残す。
そして、中心に黒い絵があるものは、その中にひとつしかなかった。
「おそらくは、これだな」
赤い布地に金の一本線、そしてその中心には雄々しい黒い竜の絵が描かれている。
「これって、あの、黒い竜ですか? 伝説の……」
竜学の授業で、歴史の話に登場した黒い竜。
ホルンはあまり興味のなかったその話を、頭に思い浮かべる。
「そうだ。大昔に戦争があったことは聞いているだろう? 人間と、二匹の竜の戦争さ。その時、黒い竜側について戦った、赤の騎士団の紋章だ。今や、完全に失われた知識の欠片だな」
彼も少し興奮気味にそう言った。
「いったい、こんな貴重なもの、どこで見つけたんだ?」
「……ええ、ちょっと、空き家の物置から見つけたんです」
正直に話してもよかったが、詳しい話を聞かれては面倒だと思い、ホルンはそう伝えた。
彼は怪しむ様子もなく、すぐに切り出した。
「……もし、もういらないものなら、譲ってもらえないか? 現存する団旗というのは貴重でね。修復して資料としてとっておきたいんだが」
「かまいませんよ。他に何かわかったらすぐに教えてください」
ホルンにとって、この団旗は情報以上の価値はない。
教えてくれたお礼に、快く引き渡した。
黒竜の元で働いていたという赤の騎士団。
彼らも異形だったのだろうか。
(シロさん、竜学の授業覚えてる?)
『……いや、妾も興味がなかったからのう。しかし、もう何千年も昔の話じゃろう? そんな昔のことが今になって関係あるのか?』
(黒竜の作った赤の騎士団と、人間の皮を被った異形が無関係だと思う?)
『全く無関係じゃとは思わん。黒竜の作った完成品の異形が、騎士団であったかもしれんからのう。じゃが、もし黒竜の仕業だとすると、以前できていたことが、できなくなっているということになるが……』
(技術が退化しているのか、後追いしてる別人がいるのか、どっちなんだろう)
『その可能性はあるじゃろうな。だとしても、あまり決めつけすぎると、視野が狭くなるぞ』
シロの言う通り、まだ判断材料が足りない。
この答えはしばらく置いておこう、とホルンは考えた。
図書館を出ると、学校の本館へ続く渡り廊下で、サイが待っていた。
「さて、今日は何を調べていたのかな?」
嫌味のような言い方だが、ホルンはいつものことだと思い、とくに反応はしなかった。
赤の騎士団のことを彼に伝えると、彼は口元に手を当てて、考えを口に出し始めた。
「赤の騎士団……。竜の兵隊というよりは、信者のようなものじゃないのか? 黒竜を信仰して味方していたのかもしれない。異形とは限らないだろう。そういうことは竜学担当のボルス教員に詳しく話を聞いてみればいいんじゃないか?」
「そうするつもりだけど」
言われなくても、と返した。
「僕も共に行こう。アレクシア嬢も誘いたまえ。彼女にも知る権利があるはずだ」
「はいはい……」
ホルンが寮へ戻ると、起きたばかりのアレクシアがいた。
「あれ? ふたりでどこに行ってたの?」
「サイとはそこで会っただけだよ。アレクシア、これからボルス先生のところに話を聞きに行こうと思っているんだけど」
「え? なんで?」
まったく状況の飲み込めていないアレクシアは寝ぼけ眼をこすりながらそう言った。
「この前のことで聞きたいことがあってね。無理に行かなくてもいいけど、一応誘いにきたの」
「ん、ええと、よくわからないけど、ちょっと待ってて。私も行く」
アレクシアの準備を待って、三人はボルスの研究室へ向かった。
研究室と言っても、彼は常に何かの研究をしているわけではなく、ほとんどは資料を保管しているだけの部屋だ。
扉を叩いて中へ入ると、彼はカビーノと談笑していた。
カビーノの姿をみて、三人は固まった。
あまり無関係な彼に話を聞かれたくなかったからだ。
「いったいどうしたんだ、お前たち。今日は休んでいるはずだろ」
ボルスが驚き混じりの顔をして言う。
「どうしてもボルス教員に聞きたいことがあったのですが、御取込み中のようですので、また後日お伺いします」
サイが機転を利かせてそう答えたが、すぐにカビーノが言った。
「おいおい、僕を除け者にしなくてもいいだろう。遠慮せずに聞きたまえよ」
「大した用事ではありませんから」
「大した用事じゃないのに、三人で来たのかい?」
「……ええ。気になっては居てもたってもいられない質ですので」
カビーノがなぜそこまで固執してくるのかわからなかったが、執拗なまでの詰め方に、ホルンたちはどうしたものかと困惑していた。
「だったらなおさら聞いておくべきじゃないのかい? いいから聞きなよ。何か聞かれたらまずいことでもあるのか?」
彼がそう言うと、痺れを切らしたのか、ボルスが重い口調で言った。
「おい、いい加減にしておけ。生徒たちが聞かれたくないと言っているのなら、お前が帰るべきだ」
ボルスの言葉に、カビーノは肩をすくめ、ホルンたちのとなりを抜けて外へ向かった。
その時、ホルンは少しの違和感を覚えた。
それは、今までホルンのうちにあった疑惑に対する確証のようなものであった。
しかし、今はそれを後回しにして、ボルスに聞かなければならないことを、先に済ましておくことにした。
「それで、何が聞きたいんだ?」
「赤の騎士団について」
その単語が出た途端、ボルスの表情が強張った。
赤の騎士団については、慎重に扱うべきなのだろう。
「まったく、どこで知ったんだ?」
ボルスは大きなため息をついて、語り始めた。
その説明は、一時間に及んだ。
その話で、黒竜と白竜のうち、人間を従えようとしたのは黒竜だけだということを、新たに知ることができた。
それに、赤の騎士団はただの人間でも異形でもなく、竜の血を分けてもらっている眷属と呼ばれる人種らしい。
竜の血と異形の関係はわからないが、ともかく、まったく別種のものであるということは間違いないようであった。
「その、竜の血って、具体的にはどういう力なんですか?」
ホルンが聞くと、ボルスは本棚から一冊の古い本を取り出した。
どこに書かれているかは覚えているようで、手早く目的のページを開く。
「直接調べた者がいるわけではないから、あまり確かなことは言えないが、身体能力の向上、怪我の自然治癒、魔法への絶対的な耐性などがあるらしい。血を受けた者は、生き物としてひとつ上の位に変わる、と考えられている」
「ひとつ上の位?」
「魔術とも関わりがあるだろうが、その辺りはおれの専門じゃない」
彼の言うことが真実であるなら、あの砦にそれほどの力を持つものはいなかったため、赤の騎士団や黒竜とは無関係だったのだろうか。
「おれが知っているのはそれくらいだな。これでよかったのか?」
「はい、ありがとうございました」
ホルンは深々とお辞儀をしたあと、懐から手の平ほどの用紙を取り出して、さらさらと文字を書いた。
「これ、内緒なんですけど、赤の騎士団と関係があるかもしれないので、後で調べておいてもらってもいいですか?」
「ん? 今見てはいけないのか?」
「ふたりにも知られたくないんです。なので、私たちが帰ってからお願いします」
もはや、隠し事をしていることはふたりも知っているため、内容は伏せたまま、ホルンはボルスに手紙を渡した。
研究室から出ると、アレクシアが肩を落として言った。
「いまいち前に進まないわね」
彼女の言う通り、具体的なことは何もわかっていない。
異形の裏に誰がいるのか、未だわからないままである。
赤の騎士団に生き残りがいればいいのだが、専門家であるボルスがあの調子では、その可能性もなさそうであった。




