31.解消
寝室の前にある、暖炉のある待合室では、アレクシアとローリィが、いつものように何か楽しそうに話をしていた。
その内容も気になるが、聞き耳を立てられないほどに疲れていたため、すぐにベッドへ行って、横になった。
しばらくすると、誰かが近づいてくる気配がして、ホルンは薄目を開けた。
「大丈夫? 何か、すごく疲れてるみたいに見えたけど……」
アレクシアは枕元に屈んで、小さい声でホルンへ話しかけた。
寝たふりをしていようかとも思ったが、少し話をしたい気持ちもあった。
「……大丈夫。少し本を読み過ぎて疲れただけ」
起き上がって、ベッドへ腰かけながら、ぶっきらぼうに答えた。
「ここのところ毎日授業が終わるといなくなるじゃない。どこに行ってるの?」
「図書館に。調べたいことがあって……」
「調べたいこと?」
「たいしたことじゃないので、気にしないでください」
「ふーん……」
納得はしていない表情だが、話す気がないことを察したのであろうアレクシアは、それ以上追及しなかった。
「ところで、それ、明日も行くの?」
「え?」
「いや、もし空いてたら、ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「何かするんですか?」
「魔法の練習をしたいの。ローリィも一緒に」
ローリィ、と名前が出て、無意識に顔が曇る。
それを見ても、アレクシアは続けた。
「それでね、ちょっとホルンにも手伝ってほしくて」
「それ、私必要ですか?」
「いる!」
不満を隠さないホルンに、アレクシアは即座にそう断言した。
実際、ホルンは魔法使いではないし、ふたりの訓練を見ても、さっぱりわからないだろう。
それでもなお、ホルンが必要だとアレクシアは言うのだ。
「……わかりました。明日ですね。いいですよ、付き合います」
「ありがとう。じゃあ、また明日。おやすみ」
待合室へと帰って行くアレクシアの後姿をぼんやりと眺めながら、ホルンはすぐにまたまどろみの中へと戻っていった。
翌日、約束通りに、授業が全て終わったあと、ホルンはアレクシアたちと合流した。
なぜ必要なのか、とホルンは授業中何度も考えた。
あのアレクシアが、人を魔法の練習台にするとは思えない。
ローリィのためだろうか。
三人は特に会話もなく校内を歩いて行き、やがて校門の外へ出た。
(なんで外に行くんだろう?)
学校の敷地内はたしかに競争率が高く、場所を確保することが難しい。
しかし、空いているか確かめないうちから、遠くへ出ていくのだろうか。
「あの、どこへ行くんですか?」
「いいから、いいから」
アレクシアは笑って何も教えてくれない。
ローリィも知っているようだ。
(また、仲間外れ?)
ここでもまた、除け者にされているような気分を味わった。
途端に、隣りを歩くアレクシアたちの姿が、まるで壁を一枚挟んだように遠くなった。
(……くだらない。もう帰ってしまおうか)
そう思った矢先、アレクシアがある店に入った。
まだ看板も出ておらず、何の店かよくわからない。
「どうしたの? 早くいらっしゃい」
アレクシアが手招きして、ホルンを店の中へと呼ぶ。
店の中は木を基調とした質素な内装で、まだ客はいないものの、鼻の奥をくすぐる煙の臭いが立ち込めている。
カウンターには色とりどりの酒瓶が並べられているが、その前には誰も立っていなかった。
ホルンとアレクシアが席に着くと、ローリィは店の奥へと消えた。
奥で挨拶をする声が聞こえる。
何も考えず、ぼうっと見ていると、アレクシアが言った。
「ローリィ、ここで働いてるんだって」
「あの、全然意味が……」
そもそも、魔法の特訓はどこへいったのだ。
先に夕食をとるのだろうか。
「その、ごめんなさい。まずは、あなたに謝っておかないといけないわ。魔法の練習っていうのは、嘘。そうでも言わないと、あなた来ないと思ったから」
「なんでそんなこと……」
怒るよりも、呆れていた。
一緒に出かけたいなら、そう言えばいいのに。
「あなた、自分でも気がついていないかもしれないけど、かなり切羽つまった顔してるわよ」
「それは……」
何も言い返せない。
事実、努めて空回りしていたことに、先日気がついたのだ。
ローリィが木で出来たジョッキを持って、奥から出てきた。
中身は水のように透明だが、鼻をつく強烈な酒の匂いがしている。
「あなたと出会って、ずっとがむしゃらに勉強ばっかりしてたじゃない? そう言えば、学校に合格したのに、お祝いしてないな、と思ったの」
アレクシアはジョッキを手にとると、ホルンにも持つように言った。
「だから、今日はお祝いをするの。ちょっと強いお酒だけど、ちょうどいいでしょ」
「ちょうどって……」
半ば無理矢理、手にジョッキを握らされる。
酒など飲んだことがない。
どんな味がするのか、怖いところもある。
「じゃあ、お祝いね。かんぱーい」
「か、乾杯……」
アレクシアがぐいっと口へ持っていくところを見て、ホルンも恐る恐る酒を飲む。
喉が焼けるように熱い。
腹の底へ落ちた酒が燃料のように燃えて、熱を発しているようだ。
(これは……)
『妾も飲んでみたいのう』
戸惑うホルンであったが、シロは嬉しそうに言っている。
「すごいでしょ」
アレクシアが笑って言う。
彼女はこうしていつも飲んでいるのだろうか。
ローリィはもう仕事に戻ったようで、店内にはいなかった。
裏で料理の下準備でもしているのだろう。
今、店の中にはアレクシアとホルンのふたりだけだ。
外の音が、やけに遠く聞こえる。
まるで、今この世界に、ふたりしか存在していないようだ。
ふと、アレクシアが、やけに真面目な顔で口を開いた。
「……私ね、物心ついた時から、ずっと前ばっかり見てた。ずっとひとりだったし、遙か先に見えるマルセラさんの背中だけ追いかけて」
アレクシアはジョッキを置いて、ホルンを真っ直ぐに見つめた。
「でも、あなたと出会って、誰かと一緒にいることの楽しさを知った。私のとなりにあなたがいることが、すごく心強かった。このまま一緒に、どこまでも歩いて行けるって、思ってた。……でも、最近のあなたは、どこか遠くへ行ってしまった。私じゃ、ダメだったのかなって思った。勉強も魔法も、あなたほどできないし、あなたが私のためになることはあっても、私はあなたに何もしてあげられない。だから、一回こうやって話したかったの。もし、あなたが私と一緒にいるのが嫌だって言うなら、きっぱり諦めるから、だから――――」
彼女の言葉はそこで詰まった。
ホルンが泣いていたからだ。
みっともなく顔をぐしゃぐしゃにして、嗚咽を漏らして。
何が正しい選択だったのか、わからない。
だが、共に歩くことを先に放棄したのは、自分だったのだ。
勝手に不安を感じて、自分の居場所を失ったと感じて。
アレクシアをもう少しだけ信じていれば、こんな思いはホルン自身もアレクシアもしなくて済んだのだ。
心のどこかで、自分は彼女とは違うというおごりがあったのかもしれない。
いや、おごっていたのだ。
とんでもないことだった。
ホルンよりも、もっと人としての高みにいる。
他人のことを想い、行動する。
それをごく自然に、特別なことでもないかのように振る舞えるのだ。
こうしてわざわざ場を設けてホルンと話をしようと思えることも、とてつもなくすごいことなのだ。
色々なことを思い返しては理論的に考えられるほど、冷静ではなかった。
ぐちゃぐちゃになった頭の中を少しでも元に戻そうとしているが、うまくいかない。
両手で顔を覆って泣きじゃくるホルンに、アレクシアは何も言わなかった。
(格好悪い……)
散々泣いて、気持ちが落ち着いてきたホルンが最初に思ったのは、それであった。
とにかく、格好が悪い。
思考も言動も、何もかも、惨めで情けない。
結局のところ、拗ねていただけだ。
自分の思い通りにならないことから逃げていただけだ。
やっと泣き止んでアレクシアを見ると、いつの間にか水を持ってきてくれていた。
それを受け取って、ぐいっと飲み干す。
冷たい感覚が喉を通って、少し頭の中を冷やされたような感じがする。
何か言いたいが、何も言葉が浮かばない。
すると、アレクシアが言った。
「何も言わなくていいよ。私の片思いじゃなかったことがわかって、よかったし」
「なに、それ」
アレクシアの冗談に少し笑顔になる。
「あ、そうだ。ついでにさ、ずっと気になってたこと言ってもいい?」
「うん。何でも言ってください」
「それ」
びっとホルンを指さす。
「敬語、やめてね。やっぱり、友達同士で敬語は変だもの」
「はい、じゃなくて、ええと、うん。わかった」
改めて言われると、なんだか照れくさいものがある。
ともかく今は、わだかまりがなくなったことを喜ぼう。
そう思って、ホルンはまたひとくちだけ、酒を口にした。




