29.自己嫌悪
シルトクレーテ魔法学校の授業は、他学年との兼ね合いで、一日に五科目の授業が行われる。
最初の数日は学校の説明や生徒同士の顔見せなどに時間を割かれたため、本格的に授業が始まったのは、三日ほど経ってからであった。
そのころには、アレクシアの喉も随分とよくなっており、火の息はできないものの、少しは喋ることはできるようになっていた。
ホルンは、この学校に来れば魔法が使えるようになる、と楽しみであった。
しかし、いざ授業が始まって、簡単な魔法に挑戦してみるも、まったく上手くいかない。
理由はわからないが、やはり魔法石が反応しないのだ。
魔法の不得手な者でも、魔法石を光輝かすことはできる。
それができないということは、魔力をまったく外に向かって流せていないということである。
超自然魔法学のリュドミラ先生にも原因はわからないままで、ホルンは早々に魔法の習得を諦めた。
そもそも、魔法を使えるようになることが目的ではない。
悔しいことには違いないが、ここまで魔法に適性がないのなら、他のことに時間を割いた方がいいと合理的に考えた結果だった。
そんな魔法学校での生活だったが、ホルンが唯一興味を持てたのは、薬草学の授業であった。
とはいえ、知らないことを教えてくれる授業ではなさそうだった。
担当はあのカビーノであったが、その進行は実に分かりやすく、教員として優秀であることを思い知った。
「さて、みんなはどれくらい薬草について知っているかな?」
カビーノは緑色の葉がついた植物を、生徒へ見せた。
ホルンは森でよく見ていたために、これがどこにでも生えている外傷によく効く薬草であることを知っていたが、アレクシアは実物を初めて目にしたようで、まじまじと見つめていた。
他にも、カビーノは赤や青の植物を取り出し、それを前の席から順に手にとって見るように指示した。
「形は全部似てるのね……」
アレクシアが三種類の薬草を見比べているが、どうにも色以外の違いがわからないようであった。
「ここ、よく見てください。葉脈の形が違うでしょう?」
「あ、言われてみればそうね」
色が違うためにそんなことを覚える必要など本当はないのだが、アレクシアはその説明に納得して、さらにとなりに座るローリィへと薬草を渡した。
彼女は、あの日からずっとついてきていた。
今のところ、信用できない人間であることは確かだったのだが、邪険にするほど正当な理由もなく、ホルンは腫物にさわるかのように、慎重な態度で彼女に接していた。
「本当だ! ここ、葉脈の走り方が全然違うね!」
ローリィはホルンの言葉を拾ってそう言う。
その一言でさえも、ホルンは嘘くさく感じた。
あれから一度もホルンの荷物を漁ることはなかったが、不信感はぬぐえない。
「薬草は、用途によって色が違う。これはなぜか。実は、元々は、全て緑色だったんだ」
今度は同じ緑色の薬草を三つ取り出す。
今見た赤や青の薬草と同じものだが、色が違う。
「大昔にいたとある大魔術師が、植物の効果によって色をつけたとされているんだ。多数の生命体に影響を与える魔術が禁忌とされたのは、今から五百年ほど前の話で、それより前になら、使える人がいたらしい。今は魔術自体が失われているから、再現することはできない」
魔法と魔術が違うものであるということを、ホルンは学校にきて初めて知った。
魔術学のイノセンシオの授業で、その違いについては細かに説明された。
簡単に分ければ、使っていいものが魔法で、使ってはいけないものが魔術なのだと言う。
魔術には、生命や空間、時間に影響を与えるものが該当している。
その一部だけでも、生命を消滅させるもの、時間を停止させるもの、存在をなかったことにできるものなどがある。
昔は使える人間が複数いたために、彼らは互いに互いの抑止力となっていた。
彼らはその魔術は恐ろしいものであるとして、魔術の全てを秘密の場所に封印した。
今となっては、それがどこであるのか誰も知らない。
故に、魔術を会得することは不可能である。
おおよそ、そのような説明であった。
そのような力を持つ魔術であれば、薬草の色づけ程度なら、簡単にできるだろう。
薬草学の授業は、ホルンの予想通り、知っていることを改めて習う場となっていた。
学問そのものは面白いが、授業はひどく退屈で、文字を習う時に味わった、歩みの遅いものに合わせて進む感覚を思い出していた。
しかし、アレクシアを見ていると何にでも好奇心旺盛で、それがうらやましかった。
もっと、見習わなくてはならないと思った。
その姿を尊敬する気持ちがあれば、退屈な授業でも真面目に受けられる。
彼女がいなかったら、いくつかの授業は受けることすらなかっただろう。
それは単にやる気の問題だけではなく、ホルンの目的が授業ではなく、学校にある蔵書や情報であったことが大きく影響していた。
目まぐるしく変わった生活は、時の流れを忘れさせる。
何事もなく、あっという間に、入学して半年が過ぎた。
その頃になると、ローリィの相手は、ほとんどアレクシアがしていた。
ホルンの目から見ても、アレクシアの人の良さは度を越していた。
放っておけばいいようなことでも、ちゃんと笑顔で対応し、嫌な顔ひとつせずに話を聞くのだ。
ホルンもその恩恵を受けた身であるために、彼女を諫めることもできず、ただ漠然と不満に思うことだけしかできない。
これが嫉妬なのかとも思ったが、いや違うと己に言い聞かせる。
ローリィが信用できる人間であればそれで済ますこともやぶさかではないが、そうでないことを知っていたから、アレクシアが心配だったのだ。
その日も、ホルンはローリィを監視するため、ふたりについて回っていた。
授業が終わって、これから夕食のために食堂へ向かおうとしていた時に、それまで特に接触をしてこなかったサイが、珍しくホルンを呼び止めた。
「何? 私、暇じゃないんですけど」
つい、刺々しい言い方をしてしまう。
その気持ちはサイに向けられたものではないが、この際、どちらでもいい。
「……少し、話がある」
ホルンは眉をひそめて、アレクシアたちに別れを告げてサイについていった。
彼は人気のない空き教室へとホルンを招いた。
薄暗い教室には、誰もいない。
窓からさしこむ夕日が、全てを赤く照らしている。
「入学してからの間、ずっと君を見ていた」
「は? 何言ってるんですか?」
不快感を露わにするホルンに構わず、サイは話を続けた。
「君は、何をするために学校に入ったんだ?」
「何ってそんなの――――」
ホルンの言葉を遮るように、サイは言う。
「君は、彼女につきまとうために学校に来たのではないだろう」
「……つきまとう? 誰が、誰に?」
「君が、アレクシア・ハブリカに、だ」
何を言っているのか、ホルンには理解できなかった。
つきまとっているのはローリィで、自分はアレクシアを守るために、彼女を監視しているのだ。
それがなぜ、どこで逆の立場になっているのだろう。
誤解を解こうと口を開くホルンに、サイはまた合わせたようにして言う。
「傍目から見ると、そう見えるんだ。君が彼女の友人であることは知っている。だが、いい加減にしたまえよ。執着心があることを否定するわけではないが、彼女も彼女の生活がある。
思い通りにならないからといって、壊していいものではないだろう」
「私が、あのふたりの仲を、裂こうとしているように見えると?」
受け入れ難いことを噛み砕いて飲み込むようにして、ホルンは言った。
「そうだ。事実がどうであれ、君はそう見えている。他の生徒の噂になりかけているくらいだ」
サイの言葉が、遠く聞こえる。
動悸が早まって、ぐわんぐわんと頭の中で何か鈍い音が反響する。
胸の辺りをぎゅっと握って、ホルンは言う。
「でも、それが、なんで悪いことなんですか」
「悪いとは言っていないさ。でも君だって馬鹿じゃないんだから、わかるだろう。僕が君に注意することの異常性にだって、気がついているはずだ」
彼は決して社交的な人間ではない。
だが、それでもホルンの姿は見ていられないほどだったのだろう。
「この教室には、今日はもう誰も来ない。僕が自主学習のために貸しきっているからね。鍵はここにある。あとはボルス先生に返しに行ってくれ」
彼はそう言って、机の上に教室の鍵を置いて出ていった。
ホルンは、力なく椅子に座った。
机に突っ伏して、床を眺めた。
しばらく何も考えられなかった心に、さざなみのように、感情が伝わり始める。
ぽたり、とふとももに滴が落ちる。
「ううううぅぅぅ……」
とめどなく涙が溢れた。
声を殺して、ホルンはしばらくひとりで泣いた。
胸にぽっかりと穴が空いたような、言い様の無い喪失感を覚えた。
アレクシアと友達でなくなったわけではない。
しかし、自分だけのアレクシアではなくなった。
それは、ホルンが生まれて初めて味わう感覚であった。
サイに言われて自覚できた、自分の幼稚さや浅慮に、洪水のような自己嫌悪が押し寄せる。
今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。
そんな思いに駆られた。
目を赤く腫らすほどに泣いて、辺りが暗くなったころ、ホルンは決心した。
しばらく、アレクシアと距離を置こう。
何も、ずっとつきそう必要はなかったのだ。
ローリィはたしかに変な人だが、まだ正体がわからないうちから悪人だと決めつけていたのは自分だ。
それを理由にして、自分の行動を正当化していた。
(もう、やめよう。私は、私のことをやるんだ)
入学から半年して、ようやくホルンは本来の目的に向けて動き始めた。




