24.ナイトメア
「ここはどこなの?」
アレクシアは周囲を見回しながら、小さく呟いた。
移動をしたわけでもないのに、『どこ』と言ったのは、そこが明らかに試合会場ではなかったからだ。
塗りつぶしたような暗黒の空間に覆われ、風の音も空気の匂いも、何も感じない。
手の平に火球を浮かばせると、ちゃんと明るく見えることから、五感を塞がれたわけではないことがわかる。
足元を照らしても床はなく、何もない空間に浮かんでいるようだ。
しかし、相手を強制的に移動させる魔法など聞いたことがない。
アレクシアはしばらく真っ直ぐ歩いた。
どれくらい歩いたかわからないが、未だ先は見えず、相手の姿もない。
同じところを歩かされているのかもしれない。
歩き疲れたアレクシアは、立ち止まってうな垂れた。
あれほど勝ちたいと思っていながら、一切抵抗することなく魔法にかかってしまった自分が情けなく、恥ずかしい。
どうにかここから出て一矢報いたいが、自分に使える魔法ではここから出ることができない。
「いったい、どうしたらいいの……」
ホルンなら、どうするだろうか。
つい、そんなことを考えてしまう。
彼女ならきっと何か想像もつかないような方法で脱出するはずだ。
ふと前を見ると、暗闇に一脚の椅子が浮かんでいた。
疲れたならこれに座れとでも言うのだろうか。
(絶対、罠だ……)
しかし、本当に罠であったら、もっと上手く自然に配置するはずだ。
これほど分かりやすい罠があるものか。
(だったら、こっちから仕掛けてやる)
アレクシアは火球を椅子へ向けて放った。
彼女の期待したような変わったことは何も起きず、椅子は想像通りに燃え上がり、あっという間に炭になった。
それをきっかけにしたのか、周囲が一気に明るくなった。
「な、何これ!?」
アレクシアの背後には一段高い舞台があり、目の前にはその観客席が広がっている。
金と白の高級な装飾の施された内装や、赤い椅子。
観客はいないが、アレクシアには見覚えがあった。
幼かったころ、ここには父と母と三人で来た。
有名な劇団を見に来たのだ。
劇の内容はもう覚えていないが、この日はアレクシアにとって忘れられない日でもあった。
「……確信したわ。あなたの魔法、催眠なんでしょう? それも、記憶に干渉するような、悪趣味な魔法」
声は聞こえているはずだ。
早急に、何を企んでいるのか見抜かなくては。
催眠魔法にかけられている以上、相手の優位性は揺るがない。
「何かするつもりなら、早くやったらどうなの? 時間稼ぎなら十分やったでしょう?」
アレクシアが苛立ちながら言うと、舞台の袖から、色とりどりな衣装の道化師が現れた。
顔全体は白く塗られており、目の周囲だけ黒く縁どられている。
赤い塗料で笑顔に固定された口元が、不気味な様相を見せている。
道化師は軽快にくるくると踊りながら、言葉は発さないまま、アレクシアに椅子へ座るよう促した。
「はあ? 座れって? あなたの思惑に乗ってあげるわけないじゃない」
しかし、道化師はかたくなに座るよう身振り手振りで指示する。
「あのねえ……。はあ、もう、わかったわよ。座ればいいんでしょう?」
アレクシアは諦めて席についた。
頭の片隅で、座ってはいけないと声がしたが、それを気にかけることができない。
自分で決めたように見えて、実は操られている。
それが、催眠の恐ろしさだ。
道化師は深々とお辞儀をする。
そして、ごく普通に芸を始めた。
玉乗りや、手品や、魔法を使った楽しい出し物を、アレクシアはじっと見ていた。
その胸中に浮かぶは、喜楽であった。
すごい、面白い。
アレクシアはいつの間にか、芸に夢中になっていた。
ひとつ終わるたびに、大きく笑い、拍手を送る。
全ての出し物が終わると、あの時と同じように、大喝采が起こった。
「終わったな、アレクシア。帰るぞ」
隣りに座っていた父がそう言う。
「うん!」
元気よく返事をする。
自分に何が起こっているのか、認識することもできないまま、アレクシアは足のついていない椅子から飛び降り、父と母についていった。
劇場の出口を抜けると景色が一変して、アレクシアは自室にいた。
魔法の練習を頑張るから、劇を見に行かせてくれとせがんだのだ。
帰ったら当然、練習が待っている。
「さて、お嬢さま。今日も魔法の稽古をしますよ」
ふくよかで恰幅のいい女性が目の前に立っている。
手には腕程の長さの魔法の杖を握っている。
若き日のマルセラは教鞭を振るい、アレクシアに魔法を教えていたのだ。
「……はい」
「どうしたのですか。それではいつまでたっても魔法を使えませんよ」
魔法の練習を始めて半年が経っていた。
しかし、彼女はまだ何もできなかった。
魔力の調節どころか、発動さえ叶わない。
それはもう、色々な方法を試した。
使う魔法や魔法石も、古今東西、あらゆる種類を試みた。
どれだけやっても、できなかった。
しかし、アレクシアが気に病んでいるのは、そこではなかった。
「今日こそはできるようになってくれよ」
マルセラの傍らに、立っている父が言う。
「あなたは私たちの子なんだから、きっとできるわ」
母もそう言って笑う。
できて当然のことができないことを、ふたりは認めない。
「あの、もう、私、魔法やりたくない……」
絞り出すように言ったアレクシアに、ふたりは詰め寄った。
「何を言っているんだ。そんな甘えたことを言っている暇があったら、練習しなさい」
「そうよ。魔法都市の首長の娘が魔法を使えないなんて、あってはならないことよ」
アレクシアには分かっていた。
自分には魔法使いとしての才能がない。
どれだけ努力を重ねても、決して届かないものがある。
アレクシアにとって、魔法はそういうものだった。
「マルセラ、この子が魔法を使えるようになるまで、みっちりしごけ」
「……お言葉ですが、旦那さま。お嬢さまはやりたくないと申しております」
毅然とした態度で、マルセラは言う。
「子供の言うことを真に受けてどうする。あとは頼んだぞ。私たちはまたこれから出かける。半年は戻らない予定だ。その時までに使えるようにしておけ」
両親は言いたいことだけ告げると、静かに消えた。
「お嬢さま、本当にやりたくないのなら、やらなくても結構ですよ。旦那さまはああ仰いましたが、何も魔法だけが人生の全てではございません。無理にあわないことをやるよりは、得意なこと、好きなことを伸ばすべきです」
幼いアレクシアは考えた。
やりたくないことは本当だ。
しかし、やらなければ、もしかしたら、両親から捨てられるかもしれない。
そう考えられるだけの状況に、彼女は立たされていた。
「……やる。教えて」
人より十倍時間がかかるなら、十倍努力するだけだ。
それからまた場面が飛び、少し成長したアレクシアは、小指の先ほどの、小さな火を起こせるようになっていた。
アレクシアもよく覚えている。
初めて魔法が使えた日だ。
「やりましたね! とうとう、ああ、何と申したらいいのでしょう!」
マルセラはまるで自分のことのように喜び、涙を流していた。
「これでお父さまも……!」
父の喜ぶ顔が見られる、と思うと顔がほころんだ。
「おい、帰ったぞ」
寒々しい格好をした父が現れた。
窓の外には雪がちらついている。
「お父さま、見てください!」
アレクシアは自信満々に見せた。
必死の努力の成果を。
習練の結果を。
時間はかかったが、自分にもできたのだ、と。
しかし、父の反応は、予想していたものとは、まるっきり、正反対に違っていた。
「その程度を使えるとは言わない。努力が足りないんじゃないか?」
それだけ言って、父は踵を返して部屋から出ていった。
しばらく、何を言われたのか、理解できなかった。
努力が足りない。
この一年、睡眠と食事以外は全て魔法に費やした。
それでもまだ、努力が足りないというのか。
「お嬢さま……」
かける言葉も失ったのか、マルセラ心配そうに言う。
彼女は悪くない。
悪いのは、努力が足りなかった、自分自身だ。
マルセラは消え、部屋の中にひとり残されたアレクシアは、手の中に火球を作った。
この火球も、普通の人の何倍も時間をかけて習得した。
その時間は無駄ではなかったはずだ。
たとえ、他人から見れば遠回りをしていたとしても。
しかし、努力はただ行うだけでは駄目なのだ。
成果を人に見せて、認めてもらって、初めて努力には価値が出る。
自分の努力の目的は何だ。
ひとつひとつ、丁寧に関連づけながら、考えていく。
「……私は何をしているのかしら」
ふと、気がついた。
今は過去を振り返って、感傷に浸っている場合ではない。
「違うでしょう?」
今、自分はあの時認めてもらえなかった努力を、その成果を、認めてもらうために、懸命に戦っているのではないか。
なぜ、忘れていたのだろう。
この気持ちを、この決意を。
何が何でも試験に受からなくてはならないのだ。
そう思うと、自室の幻影は、全て暗闇に溶けて消えた。
振り出しにまで戻って来られたのだろう。
「さて、ちょっと苦しいけど、私にはこういうやり方しかできないから」
ホルンなら、なんて今は考えない。
自分は自分のできることをやる。
ただがむしゃらに、せいいっぱい。
アレクシアの体の芯が、熱くたぎる。
それは、幻想や催眠のせいではない。
夢から覚めるには、体に刺激を与えるしかない。
腹の底に炎を、溶岩を沸かせる様子を、強く念じる。
「……うっ! くっ、かはぁ……」
熱で息が苦しくなる。
だが、まだ足りない。
もっと、もっと火力を出せ。
アレクシアの口元から、火の粉が漏れ出し始めた。




