17.首長の娘
都市シルトクレーテの中心部では、元王宮を中心に放射状に整備された区画がある。
そこには貴族の屋敷が整然と並んでいる。
景観を崩さないように計算された造りになっているのだろう。
「ここよ」
アレクシアが指さす白い豪邸は、王宮にほど近い場所に立っている。
傍から見ても大豪邸であり、よほどの権力者だろうということが分かった。
ホルンはアレクシアに連れられて、屋敷の中を上へ下へと歩き、小部屋へと案内された。
衣服を入れるカゴが並べられており、雰囲気はちょっとした銭湯だ。
「ここにタオル置いておくから」
「あ、ありがとうございます」
両開きの扉を開けると、浴場になっていた。
どうやって温度を保っているのか、湯が循環しているのか、ホルンには皆目見当がつかない。
(お風呂、好きなのかな)
『四六時中入っておるのかのう』
(貴族だし、それくらいはやるかもね)
偏見だが、常に湯が溜めてあるとすれば、可能性はあるはずだ。
都市の中にはいくつか公共の銭湯があり、ホルンはいつもそこを使っている。
普通は個人用に風呂を持っていないため、そういう施設があるのだ。
ホルンは湯に浸かり、天井を見上げて呆けていた。
こうしていると頭から雑念が消えて、次のことを考えられる気がした。
(これからどうしよう。とりあえず、新しい教室を探さないと。いいところをマルセラさんに紹介してもらえたらいいんだけど……)
紹介してもらえたら、という淡い期待だ。
とはいえ、自分で何とかする努力を忘れないようにしなくてはならない。
アレクシアは、本当に何者なのだろう。
この屋敷に入ってここに来るまで、誰にも会わなかった。
たったひとりで住むには、ここは広すぎるだろう。
偶然誰もいなかったのか、何にせよ、これほど大きな屋敷を彼女がひとりで管理しているとは思えない。
ホルンは充分に温まったところで湯から上がり、体を拭きながら棚に目をやると、服がいつの間にかなくなっていることに気がついた。
そして、代わりに絹のような白いワンピースが置いてあった。
(ちょっと待って!? これを着ろって言うの!?)
脱衣所にある鏡を見ながら、服を体に重ねてみるも、見慣れない自分の姿を直視できない。
(とてもいい服なのは分かるんだけど、なんだか恥ずかしいよ、これ……)
『似合っているではないか』
シロは呑気に言った。
そのワンピースを着て、スカート部分をぱたぱたと扇ぎながら、顔が火照るのを感じた。
それこそ、本当に小さいころは着ていたが、森に入る生活を始めてからスカートの類は履いていない。
脱衣所から出ると、アレクシアが椅子に座って本を読んでいた。
白いワンピースを着たホルンを見て、ぱあっと笑顔になった。
「やっぱり、私の見立ては完璧だったわね!」
自分の選んだ服の似合い具合にご満悦な様子であった。
「すみません、色々とありがとうございます」
「あ、そうだ。あなたの服、洗っておいたから、乾いたら返すわね」
アレクシアは嬉しそうに言った。
「何なら、今日は泊っていってもいいわよ」
「いや、それはさすがに……。ご家族にも悪いですし」
「それなら大丈夫。誰もいないから」
「誰もいない……? いったいどういうことなんですか?」
そう聞くと、アレクシアは少し考え込んだ。
ホルンは、じっと彼女が口を開く時を待った。
事情を話してくれようとしているのなら、聞く準備は出来ている。
「私の両親が何をしている人か、知らないって言ったわね。このシルトクレーテの、首長なのよ」
「首長!?」
首長ということは、この都市で一番地位の高い人、のはずだ。
その娘が彼女であることは、俄かに信じ難かったが、名前を知らないことに驚いていたことを思えば、真実なのだろう。
ここに住んでいて名前を知らないはずがない。
「首長の仕事って忙しくて、ほとんどこの都市にいることはないの。だから、両親が私と会えるのは、何十日に一度ってところで、それも数時間だけなの」
「だからひとりで……」
「うん。あ、でもこの家は私のだから、ふたりが帰ってきてもここに来ることはないわよ。掃除だけは定期的にしてもらっているけど、基本的には誰も立ち入らせないことになってるか
ら」
部屋を与えるのと同じ感覚で家を与えられるとは、ホルンには到底想像できない世界だ。
「でも、そんなに有名だと外を歩くのも大変ですね」
「そう、髪も派手だし、すぐ見つかっちゃうわ。だから、隠しているのよ」
「ああ、なんだか、すごく納得しました」
「それはよかったわ」
アレクシアは、今度は真剣な顔をして言った。
「だから、ね。もう一回だけ聞かせて。泊まってはいかない?」
そこまで言われてホルンは察した。
彼女は寂しいのだろう。
それほどまでに有名で、普段の生活も隠れるようにしているのだから、大変に違いない。
「……いいですよ」
ホルンは少し困ったが、笑顔で答えた。
これで彼女と仲良くなれるのなら、これくらい軽いものだ。
「やった!」
アレクシアの歓喜の声が、屋敷中に響き渡った。