お題12『GW』 タイトル『ブロンズウィーク』
「俺のブロンズウィークも終わりか……」
俺は車の中でブレーキを踏んだまま溜息をついた。
横には俺の妻が助手席で豚のようにいびきを掻きながら寝ており、その後ろに5歳になる男の子が仮面ライダーのフィギュアを握ったまま仰向けで寝ている。
この中で起きているのは俺だけだ。
「……早く帰りてえな」
俺はそう呟きながら再びブレーキを離す。今は高速道路の渋滞の真っ只中におり、じりじりと前後の車に合わせながら進んでいる所だ。
俺の休みはゴールデンウィークのように一週間もなく、サービス業のため2日しかない。ゴールドでもシルバーでもない、せいぜいブロンズくらいだ。
だがブロンズデイズでは味気がない、だからこそ俺はこの休みをブロンズウィークと名づけたのだ。
……でも帰りたくもねえな。
俺は心の中で呟いた。車に乗っている時は家族がいても俺の時間だと思える。だが家に帰り着くと魔法は解けてしまうのだ。俺はパパにならなくてはならないし、彼女をママと思わなければならない。本当の俺を曝け出せているのはもしかすると70を越した母親だけかもしれない。
……俺の人生はいつの間に、オートマ車になったのだろうか。
俺はそれほど前ではない過去を回想する。
6年前に彼女と結婚し、5年前に子供を授かり特に問題がないことが俺の生き甲斐になってしまっている。昔はあれだけミッションの車を運転することが俺の使命であるかのように走っていたが、家族ができて俺の車はオートマのファミリーカーになってしまったのだ。
渋滞を自動的にゆっくり進む車を見て、俺は自分の人生とこの車をシンクロさせてしまう。俺の人生はもう踏み出さないでも進んでしまうのだ、俺の意思とは別に。
……このロードの上に俺の幸せは残っているのかな。
俺は後ろで寝ている太一を見て考えた。こいつが健康なことが何より嬉しい。無邪気に走り回り、俺の顔の上で転がり回っても俺は気分を害さない。目に入れたら痛いが口に入れても美味しく頂けそうなくらいには愛情があるつもりだ。
太一と共に過ごす日々が俺を精神的に大人にしていくと実感する。もう子供には戻れないのだ。
……俺の幸せはどこにあるのだろうか。
家族に対する思いは変わりないが、俺の幸せは俺自身で作っていかなくてはならない。それなのに俺はいつの間にか保守的になりドラゴンに火を噴かれないかと身構えている勇者のような存在になってしまった。
……こいつと出会ってからだ。俺の人生が変わったのは。
横にいる彼女を見て再び過去を思い出す。
彼女と出会ったのは街コンと呼ばれる市が開催する合同コンパだ。市の中心にある駅で俺達は300人以上の中から出会い、二次会の途中を抜けて二人だけで三次会をした。ラウンドニャという総合アミューズメントパークに行ったのだ。
俺達はボーリングをしながら、タイムリミットが近いクイズのようにお互いの思いを答えあった。年収、理想の相手、子供、家事育児、親戚づきあい、祖父母の存在、介護……。
俺達は必死で条件を探りあった。街コンといっても、お互いのことは何も知ることはできない。せいぜいフィーリングが合うか合わないかだけの時間しかなかったのだ。
きっちりボーリングの二ゲームが終わる頃には俺達が考えうる条件は満たしており、俺達は次のデートの約束をした。
……こいつで本当によかったのだろうか。
俺は彼女の寝顔を見て疑いを覚える。彼女のいっている条件はあながち間違っていなかった。家事育児はきちんとしてくれるし、俺の父親が早死にしたため母親と同居しているが、特に問題が起きる様子はない。お互いに溜まっているものがないかというと微妙だが、冷戦状態までで留めてくれる。
本当にできた妻だ。
……だが、結婚したこと自体が間違っているのではないか。
俺は自分の考えに疑問を思った。結婚生活は悪くない。だが俺自身の行動が制限され過ぎて牙を失ったと感じてしまう。肉食動物として威嚇行動ができなくなったら終わりだ。自ら狩りができなくなれば、本能自体が薄れていくし、いつの間にか餌がくるのを待つ生活をしている。とてもじゃないが充実感というものはない。
「あ……ごめん、寝てたわ」
妻が起きた。結婚する前は運転中でも必ず起きていてくれて、必ず横でサポートをしてくれていた。ナビや食事の取り分け、ストローまできちんと封を破って必ず挿してくれピックまで必ず曲げてくれていた。
それが今では飼育小屋に寝ているような子豚になり、小さい体を丸めていた。これはこれで可愛いと思うが、先を考えると少し恐怖を覚える。
これ以上太ってしまうと出荷の時期を検討しなくてはいけなくなるからだ。
「いいよ、まだ掛かりそうだし」
俺は本心でそういった。こうやって一人で過ごす時間は嫌いじゃない。独身の頃は寂しかった時間が今では望むまでに欲しい。
とてもじゃないが一人で淡々とプラモを作っている時間などない。
「そう……悪いね」
そういって彼女は寝る体制に入りながらいった。
「……いつもありがとね」
「ん?」
俺は聞こえない振りをしたが、きちんと聞こえていた。できるならもう一度いって欲しかった。
「感謝してる、いつも私の愚痴に付き合ってくれること」
「それくらいでよければ5分でも付き合うさ」
「短すぎるでしょ」妻は俺の発言に突っ込んだ。「でもそんなこといって最後まで聞いてくれるから、私は感謝してる」
「聞いてくれるというか聞かなければいけないだろう。ヘッドフォンしていて聞いてないといっても説得力がないのと一緒だ」
「また、そんなこという……」
彼女は身を丸め体操座りのような格好をした。
「せっかく、正直にいったのにさ……」
「ごめんごめん」
「あの頃に帰りたいとか思ってる?」
彼女が不意にいった一言で俺は固まった。
どうして俺が今、考えていることがわかったのだろう?
「あなたさ、気づいてないのかもしれないけど、いつも短い時間、ぼーっとしていることがあるのね。それで何だろう、と思ってたのだけど、独身の方がよかったのかなとか思ったりするのよ」
「いや……」
俺はそう思いながら彼女の発言を反芻していた。確かにそうなのだ、自分のリミッターを超えた時、俺はここではないどこかを想像する癖がある。今、俺がいるのはここじゃない、昔に帰りたいと思いその場を過ごしている時があった。
彼女にはばれてないように思っていたのだが。
「女は30越えたら、怖いでしょ」
彼女は不敵に笑いながらいう。確かに彼女は結婚してから性格が強くなった、逞しくなったというべきかもしれない。
俺が経験してない出産をして彼女は一回りレベルアップした。俺は代わりにレベルダウンした。
だからこそ俺は昔を思い出してしまうのかもしれない。
ここではない世界を。
「私は考えたことあるよ、洗濯して自分の分ではない下着干してる時、あなただけじゃなくてお母さんの分を干してる時、私何やってるのかなと思うの」
彼女の言い分もわかる。母親との摩擦を避けるために彼女は自ら行動してくれている。結婚すれば俺だけでなく彼女も失った部分があるのだ。
「でも……あなたでよかったと思ってる。周りの人を見ると、もっといいカップルもいるけど……私はあなたでよかったと本当に思ってる」
彼女の一言に思わず涙ぐむ。こいつはこいつできちんと考えてくれていたのだ。俺のことを俺以上に、思ってくれている。
「ありがとう」
俺は小声でいって続けた。
「出荷は先延ばしだ」
「……出荷?」
「特に意味はないよ」そういって俺は笑った。
少しくらい大目にみよう。俺だって年を取って白髪が出ており昔ほど男前ではない、お互い様だ。
俺は謝りながらこの退屈で素晴らしい世界に魅力を感じていた。俺は牙を盗られたのではない、牙のない世界に身を置く安住の地に辿り着いたのだと思うことにした。
「ねえ、太一寝てるね」彼女は蠱惑的な瞳で俺を見た。「ねえ、渋滞だしさ、ちょっとだけ……」
「いいのか?車の中だぞ」
「だって……ホテルの中には行けないでしょ」彼女は俺の胸の中にいた。すでにサイドについているアームレストを上げられている。「家に帰ってもお母さんがいるしさ…」
「そ、そうだな……」
そういって俺達はまさぐりあった。キスしようとすると、太一がそれを見ていた。
「何してるの?」
「何してると思う?」
俺は咄嗟に頭を回転させた。
「お父さんがチューをねだってきたの」
「えー、エッチ」
太一はそういって顔を手で隠した。だがその隙間から俺達を監視している。
これ以上は続けられない。俺達の中でやっぱりこいつが一番なのだ。
「太一、おいで」
そういって俺は太一の手を握った。太一は嬉しそうに俺の指の感触を一本ずつ確かめる。
……そうだった。
俺は父親になった一瞬を思い出した。
こいつの手を握って握り返された時に俺の父親としての人生が始まったのだ。
……何も悪いことなんてないじゃないか。俺は今幸せだ。
この家族を守る、牙がなくたっていい。俺にはこの気持ちと体があればそれでいい。
「今日は何が食べたい?」
彼女は太一を腹に乗せ抱きしめながら尋ねると、太一は嬉しそうにハンバーグ、といった。
「そっか」
彼女は嬉しそうに答えた。
「じゃあ早く帰らないと作れないわね、あなた」
「ああ、そうだな」俺はブレーキを離して少しだけアクセルを吹かせた。ぶつからない程度にだ。
「俺もお前のハンバーグが食いたいよ、お前がスリムになってくれるからな」
「どういう意味よ?」
「お前のダイエットに一役買えるのなら悪くないってことだ」
「ふーん、面白いこというわね」彼女は乾いた笑みを浮かべて自分の腹を見た。「じゃあ今日はスーパーによらないで、あなたのお肉を貰おうかしら。ガリガリだから、一食分くらいしか作れないだろうけど」
彼女はそういってじと目で睨んできた。先ほどまで誘惑してきた瞳が猛獣を駆るような狂気に染まっている。
「やめて、ぶたないで」
「何いってるの」そういって彼女は手を握ってきた。「でもそういう冗談がいえるあなたが好きよ。だから早く帰ろ?」
彼女の顔と太一の顔を見て帰りたい、と俺は本気で思った。この気持ちは嘘じゃない。俺は退屈を抱えながら、このブロンズの日々を過ごすことを決めた。
この気持ちは何年経っても変わらない。たとえそれがゴールドやシルバーのように輝かしいものではなくても俺を満たしてくれるものがあると気づいたのだ。
茜色に染まる空が藍色に染まってきた。俺は再びブレーキを踏んで彼女の手と太一の手を握り返した。
帰ろう、我が家へ。俺の居場所に。
読んで頂きありがとうございます。
明日の作品は未定です、それではまた明日b