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息づかない足音 『溶けて、消えてしまう魔法』編 最終編

「商人さん、起きてちょうだい。」

優しい老婆の声にまだ眠っていたくなってしまう。

声だけで起きないと悟った老婆は少しだけ強くレインの肩をゆする。

「ええ…マダムすみません、今起きました。」

「もう朝ですよ、ぐっすりお眠りになられていたようですね。」

レインはテーブルに突っ伏したまま、くぐもった声をあげる。

失礼ながらも顔をあげずに会話している理由は頬の鱗を見られないためだった。

隙間をぬって首元にまでずりおちていた布を目の下までひきあげる。

そしてフードの中の金色の髪をわさわさとかき乱した。

「すみません、お邪魔しすぎたらしいですね。」

少し疲れたような微笑みを老婆に向けてごまかす。

窓からはうっすらとした光が漏れている、どうやら本当に今の今…夜明けまで寝ていたらしい。

こんなことはあまりないので頭の覚めないまま席を立つ。

職業上酒にはそこまで弱くなく、ましてや時間を忘れて眠りこけるなんていうことは少なかった。

「あれ、そういえば。あの老人はどこへ行かれましたか。」

「ああ、あの老いぼれ爺さんね。あの人なら少し前に帰ったよ。」

片付けをしているのだろう、カウンターの向こうの方から返事が返ってくる。

「でもあの人ここに来始めて以来一番すっきりした顔してた気がするわ。

 商人さんの旅の話を聞けて楽しかったのかしらね。」

「…まあ、100年来のなにかが解けたのかもしれませんね。」

いつもの大きな箱を持ち上げた瞬間、少しよろめいた。

どうやら昨日の酒のせいもあって身体が一時的にふらついているみたいだ。

その時後ろから腕をひかれる感覚を覚え、安定した姿勢へと引き戻された。

「ちょっと爺さん、大丈夫かい。」

聞きなれた郵便屋の声したと思ったら、彼は続いてカウンターの向こうへと大きな声をあげた。

どうやら手紙を届けにきたらしい。

朝からご苦労なものであるのに、彼は昨日の夕方と変わらないテンションだ。

レインが大きなあくびをする横で、手紙と荷物をまとめてテーブルに置いている。

「朝刊だったら俺も欲しかったんだがな。」

「おいおい呆けたのかい?俺は郵便屋だ!新聞屋じゃねえよ!」

「あー、よく聞こえるなお前の声は。通りがよくて俺は聞きやすい。」

本心からそんなことを言って、呑み代の入った袋をテーブルの上に置いた。

少し呆れていたチコだったが少し急ぎ足のレインを見てふと一枚の手紙を取り出す。

「あんたもしかして、あの小屋に行くつもりかい。」

「ああ、ちょっと彼に丁度いい品が入ったんでな。ここを出る前に取引してくるよ。」

「また変な商売か。じゃあ丁度いいや。これも一緒に届けてくれよ。」

薄い淡いピンク色の封筒を一枚差し出された。

中身は見えないようになっていて宛て名も何も書いていない。

「宛て名くらい書いてもらいたいもんだよね。

 でもさ、その小屋に届けてくれって言われたから奴だろ?商人殿に頼むよ。」

「宛て名も何もないだろう、奴には名前がないんだ。」

「えっ…そうなんだ。まあでも『化け物』界隈では珍しくないかもね。」

「…なあ1つだけ聞いていいか。これを渡したやつって女だったか?」

それを聞いてぽかんとしていたチコだったか、少しして頷いた。

その顔は何故かにんまりとしていて下心を感じた。

「いや~べっぴんの奥さんでよお。俺のタイプだったかもしんないわほんと!」

「やっぱりか。」

それを聞いてレインは玄関から飛び出て行った。


「商人、さん?」

「ああ…よかった間に合ったな。」

家の中に遠慮もなくあがりこんだのだが、最初の出会いもそんな感じだったのでもう何も言わなかった。

少し息を切らしたレインは箱を丸椅子の前ドスンと下ろした。

そして自身も丁寧に座ると丸椅子に座るよう少年を促した。

先ほど酒場を出てからまだ時間はほとんど経っておらず、夜が今から明けようとしているらしい。

そんな時間にたたき起こされた少年は眠たげに丸椅子に座る。

「今日お前は溶けて、ここから消える。」

「は。」

眠たかった頭が一気に覚めた。

本当に鉄のハンマーを振り下ろされた感覚というか、冷や水を浴びせられた感覚というか。

「ちょ、ちょっと待ってよ!いきなりなんですか!?」

「今日お前は魔法にかかる。100年前ここにいた少女と同じようにな。」

少年はそれを聞いてもまだ信じられなかった。

噂にしか聞いていなかった現象をいきなり起こると言われても準備などはできていなかった。

しかし頭の整理をするまでもなく、レインは慣れた手つきで何かを梱包している。

「時間が少し無いが、いいだろう。お前に商談を持って来たんだ。」

「しょ、商談…?こんな時に何を考えてるんですか!!」

「ああ、こんな時だからだ。言っただろう時間がないと。」

レインの手には丁寧に布に包まれた箱があった。

それを少し大事に膝の上に置くと、また優しく微笑んだ。

その笑顔に少しだけ少年は落ち着きを取り戻した。

「ああ、そうだ。お前…では商談としてどうかと思うんだ。これ。」

さっきチコから預かってきた淡い色の封筒を渡す。

手紙なんて受け取ったことのない少年は奇妙そうににその封を切った。

そして中には一枚の紙が入っていた。

それを訝しげに見つめた後、少年は涙をこぼしし思わず紙を落とした。

ちらと紙に書いてある字を見たレインはふふっと笑い声をこぼす。

「おかあさん、だ。なんで。ねえ、商人さん。これなんて書いてるの…。

 僕あんまり字とか知らないんだよ。お母さんの字だけはわかるの。

 お母さんは僕に、なんて言ってるの。」

「俺が思うにお前、字がほとんど読めないけど母親の名前の字だけは鮮明に覚えさせられただろう?」

もう一度紙を拾い、レインは頷く少年にその紙を握らせる。

そしてもう一度元の箱の隣に座りなおすと目を閉じて穏やかな喋り方をする。

「お前が馬鹿らしいって言った名前だよ、イヴァン。」

それを聞いてより一層少年、イヴァンは涙をこらえきれないように流す。

レインはハンカチを、サービスだと言って渡した。

それで涙を拭きながらイヴァンはレインに向き直った。

「私はお前にピッタリな品物を見繕ってきた、お前だけに合ったお前の商品をだ。

 だが勿論タダという訳には参りません。

 私が出す対価を差し出してくれるというならこの品物を差し上げましょう。

 最初に言っておきたいのが、これは口約束であり別に魔法の能力とかそんなのはございません。

 だからそれを破ったから呪いが起きるとかもない…裏切りしても私は分からないでしょう。」

「…対価っていうのは、僕は何を。」

さっきよりずっと溶けて消える魔法を恐れてないようだ。

その瞳を見てレインも落ち着いた商談ができるなと安心した。

いつなるときも母の力は偉大ということかとこぼし、契約書の紙を出す。

そこに書いているのは。

「私は貴方の『今日一日の記憶』を対価として求めます。」

「…今日、僕はこれから消えるというのに?」

「そうです、貴方の今日一日の記憶をいただきたいのです。それがこの品の代金です。

 勿論いただいた品は私からは返しませんので貴方は今日一日のことはなかったことになりますね。」

イヴァンは今日消えると言い放ったレインのほうからそんなことを言われて唖然とした。

今更失ってもどうせ消えてなくなるものなら別に差し出してもデメリットはないように思えた。

握らされた手紙を開いて母親の書いた字を真似るように、初めて自分の字を書きだす。

子供のような手つきで下手な字で『Evan』の字を書くと、レインはその紙を引き取った。

そして大事そうに布に包まれた箱をイヴァンの目の前に置くとうやうやしく座礼をした。

「お買い上げありがとうございます。」

そう丁寧に言うと、立ち上がって箱をまた背負った。

するとレインの後ろでイヴァンがあ、と大きな声で短く叫んだ。

彼の手の中には包まれていた布から放たれた箱が空いていた。

中に入っていたのはいくつかの小説とペン。

「この本、ちゃんと意味とか書いてある…これなら僕にもわかる…。

 えっ、でもなんでこんなものを?」

「言っただろう、必要になるものを俺は商人として渡すんだと。

 お前にはそれがこれから必要になっていくんだ。覚えておけ。」

「よくわからないけど…ありがとう商人さん。僕あと少しで消えるとしても嬉しいよ。

 だってお手紙にはお母さん色々と文章書いてくれてるみたいだし。これで、読める…。」

レインはその様子を見て微笑むとフードを被りなおして、一歩踏み出した。

大事そうに箱と手紙を抱えて微笑むイヴァンはもう100年の孤独も魔法も恐れていなかった。

ただ残った幸せを抱きかかえているようにも見えた。

「もう会わないだろうな。俺は島を出てまたふらふらと旅をするさ。お別れだ。」

「うん、ありがとう。最後に貴方と会えてよかったです。…お元気で。」

「お前も達者でな。」

「…えっ?お前もって?」

レインはそれ以上は何も言わず足早にイヴァンの家を出た。




レインが昨日来たぶりの村の港へとたどり着くと。

「やあ、御嬢さん。」

ガスで動く小さな赤い船から一人の黒いショートヘアーの少女が下りてきた。

彼女は不思議そうに声をかけてきた一人の商人の顔をうかがう。

どうやら彼女は人間らしい。

こんな船もまだ出ていない朝方に港に現れた男に警戒していることは既にわかっている。

「イヴァンだよ。」

彼女はその一言にぴくりと身を反応させた。

するとそのことを知っていたかのように商人は達観した微笑みを見せる。

差してきた朝日が外から現れた2人を迎え入れるように照らす。

「名前くらいは呼んであげてね。彼の名前はイヴァン。丘の上の小屋にいるよ。」

「…」

商人のその言葉を無視するかのように少女は何も答えず彼の横をすり抜けて丘へ足を運ぶ。

そのとき起きたそよかぜに赤いローブがゆらりと揺れた。

「君はお母さんにそっくりだね、100年前の彼女とうりふたつだ。」

「…え。」

その言葉に思わず少女は振り返ってしまう。

しかしそこにはさきほどまでいた商人はおらずただ朝日が少女だけを照らしていた。

空には渡り鳥の大群の影がゆらゆらと遠ざかっていく。

不思議がって少女は首をかしげたが、すぐ目的を思い出し丘の上へとまた歩き出した。

祭りの疲れで村人はいつもよりずっと起きるのが遅く、街には灯りが1つもついていない。

闇が静かに彼女を隠し、ただ一人の哀れな少年に向かって朝日が道を作っている。



朝日があがりきって、少しずつあったかくなってきた頃。

レインは既に違う島の灯台の下でその島を眺めていた。

「なかなか意地悪なことをしたんじゃないの?レインさんよ。」

「手紙ならちゃんと届けたぞ。」

「いやあ~なんかいいお役目だったんじゃないの俺が届けてたらさあ。いいとこもってったねえ。」

チコはレインの横に並んで島を見る。

レインよりずっとその瞳にはあのロウス村に未練があるようだった。

どうやら少し勘をきかせれない彼には結局魔法の謎が解けなかったらしい。

唇をとがらせて不満そうな顔だ。

まあ今回はお涙頂戴の部分を奪ってしまった上にチコも少し噛んでいる事案だ。

ちょっとくらいならいいだろうとレインは口を開いた。

「獣の声だなんてあの爺さんもなかなかおつな言い回しをするじゃないか。」

「え、なにそれ。」

「俺が一緒に飲んだ年寄の人間がな、祭りの翌日の朝獣のうめく声を聴いたっていうんだが。

 多分その声はうめき声でもなんでもなくて船の音だったんだろうな。」

それを聞いてチコはしばらく考えた後、納得したようにあーと少し叫ぶ。

あの島には手動でろうをこぐタイプの定期船しかなかった。漁も全て似た船で行われていた。

勿論それは最初レインが乗ってきた船も同じでチコはそれを見ていた。

そんな船しか見ない彼らはガスで動く自動の船など知らなく、その音に聞きなれていなかったんだろう。

「結局さ、溶けて消える魔法って100年ごとに外から一人人間が来てただあれを連れ去ってただけなんだね。ということはあの祭りが行われる意味ってのは…」

「ああ、村人を疲れさせ眠らさせ翌日の朝に起きないようにしたんだろうな。そいでその間に外から来たその人間が連れ去ってしまえば誰にも見られず文字通り『人間と関わって消えてしまった』状態にできたんだな。結局あの村は最初からあの『溶けて、消える魔法』のために機能していたようなもんなんだろう。」

「ただわいわいした収穫祭とかじゃなかった訳だ。全部あの二人が出会うためのものと…」

そこまで言ってチコは口を止めて首をかしげた。

どうやら彼の中ではまだまだ全部の線がつながっていないらしい。

「じゃあさレイン、別にあんな小屋におしこめるこたあなかったんじゃないの。」

「俺も最初必要性がないんじゃないかと思ったんだがどうやらあの小屋こそミソらしい。」

「えっなにみそって。」

「昔本で読んだんだが、どうやらホムンクルスというやつはフラスコの中で育てる必要があるらしい。」

「あっ、そういうこと。つまりはあの小屋がフラスコにされてたってわけ?」

「そういうことだ、そしてある程度成長したら人間として認めて名前を与えるんだろうな。

 そしてその周期こそが100年でそのときに消えるんだろう。失敗作じゃなかったわけだな。

 多分村人に会わせないっていうのもその時に顔を覚えられてはその先ホムンクルスという過去を覚えられて人間として生きていくことに不都合が生じるからじゃないのか。」

チコがまた唇をとがらせて不満そうな顔をうかべる。

他人からの面を気にして生きていかなければいけない人間の生にわずらわしさを覚えたんだろう。

それとわざわざこんな大袈裟なことをしてまでこの風習を続けているこの村にも。

習慣はどちらにも受け継がれていくんだろう。これから先の村も、あの二人にも。

「多分また100年後来るんじゃないか。イヴァンかあの少女に似た子供があの船にのってね。

 ここで寂しく待っている誰かに放置して育てられている可哀想な過去の親に似たそれを迎えに。」

「もーほんと紛らわしいよ…でもそいつは真実を知ったんだから来年からは事実を話すんじゃない?」

「その為にさっき俺は取引で彼の『今日一日の記憶』を売ってもらったんだよ。

 多分その意味にイヴァンも近いうちにきづくんじゃないかと思っているんだがな。」

「あっ…あーっ!お前なかなか性悪じゃないか!!」

チコはその取引の意味について勘付いた後ちょっと責める口調で話しかけた。

しかしレインは全てをうやむやにするようなとぼけた笑顔で崖のほうに向かって歩く。

それにまた不機嫌そうな顔を浮かべるチコだったが、ふと腑に落ちないことに気付いた。

「待って!『溶けて消える』の『消える』の部分は今のでわかったよ?

 でもさあ、結局『溶ける』っていうのは蛇足だったんじゃないの。」

レインは崖に向かって歩きながらはははと少し馬鹿にするように笑った。

「そんなことはない。お前のが人間のことに精通してるように思えたんだがな。

 その部分がなかったら男と女でつがいに出会う必要がなくなるだろう?」

「あ、そういうことね。なかなかロマンティックで洒落のきいた部分を出してくるじゃん…。

 ねえ、お前はなかったわけ?そういう心が…」

もう一度チコがレインを見たとき、もうすでにレインはいなくなっていた。

歳くってて身体が重いとかいう癖にこういうときだけは退散が早い。

レインの去った所からはよく村と朝日が見えた。

それを見ながらチコは一人で物思いにふけって溜息をつく。


一方船の中で素晴らしい商人にもらった小説を開いた少年はしおりがはさんでいることに気付いた。

その1ページを開くと、オレンジ色の蛍光ペンで強調している部分があった。

それを見て少年は今日しか味わえない人には話せない記憶を想ってクスッと笑った


『ただ静かな朝日と初めて味わった恋心は男の心を溶かしていった。』

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