『溶けて、消えてしまう魔法』前篇
その日、ロウス村は大賑わいだった。
漁師や猟師などは大地と水との隔たりを超えて酒を飲みかわし、
女共は夫を持つものも持たないものも踊りを踊って騒がしく過ごしていた。
そこでは全てが平等、対等だと歌に混ざって聞こえる。
普段は閑静な海と山に恵まれたこの島が様変わりしてしまっていた。
しかしそれは悪いことではない。
村や町、集落が活気に満ち溢れるということは実にすばらしいことである。
「今日はお祭りなんですよ。皆楽しそうでしょう?」
村の楽しげな声に飲み込まれそうな中、船頭は反発するかのように大きな声で言う。
反発するというのは声の大きさだけであって、調子こそは村と同じく楽しげであった。
今年3人目の子供を持つことになるというその30代半ばの中年の船頭は自慢げであった。
この短い船旅の中での語らいによると、どうやらこんな騒ぎは滅多とないらしく
少なくとも「100年に一度」とのことだけは確定しているらしい。
「ワシも今日はお兄さん送った後は家族と一緒に回るつもりなんです。一番下の子が喧しくて。」
「それは、嫌なタイミングで来てしまったな。貴方も楽しみなのでしょう?」
「へへ、ばれてしまいやしたか。でもこんな日だからこそ外のお客さんも来てほしいんですよ。」
船頭は自分の少し前で座る赤い不思議な模様のローブを着た客に笑いかける。
客は今はフードを脱いでいるが、その顔は服の襟によって目の下まで隠れてしまっていた。
見えるのはくすんだブロンドの髪と少し変わったワインレッドの虹彩。
そして不自然なまでに大きい箱を背に負っていた。
「しかしお兄さん今日おは祭りだということは知らなかったんで?」
「そうだなぁ、『忘れて』いたよ。もうそんな頃合だったんだな。」
「じゃあなんでこんな辺鄙な村に?お国の旅の地図だってここは書いてないわけだし。
ワシが通りゃにゃここに来る足だってなかったんでしょう?」
「別に私はお国の旅をしている訳ではないんですよ。
私は各国を歩き、品を仕入れてそれを必要な人に売ってさしあげる…露天商ですよ。」
「そりゃあいいねえ!俺にも金持ちになれるお守りとかくれませんかねえ。」
「あいにく、お守りは人気でしてね…面目ない。」
船が賑わう町へと船の先が着いた。
客人はローブのフードを被って立ち上がった。
ガタンと音を立てて、船から桟橋へ飛び移った。
村の中は海の上で感じるよりずっとずっと騒がしく、元気だった。
客人はすうっと目を閉じてその空気を感じる。
「さて私はここを片付けてから帰らねばなりません。全く、息子達が騒ぎそうだ。」
「ええ、きっと奥方と御子息も待っていらっしゃるだろう。
そうだ、旦那。ここいらで酒場などはあるだろうか?」
「ああ!酒場なんてものはそこいらかしこにあるさ!はずれはほとんどないと言っていいね。
なんせここは猟師と漁師の町、地と海の恵みと酒をかっくらう連中の最高の町ですよ。」
「ああ、ではまた適当に探すとしようかね・・・」
「ワインは赤も白も好きかい、レイン?」
桟橋の向こうから青年がそう語りかけた。
その青年はレインと話しかけられた客人へと駆け寄ってきた。
腰につけられた鈴がりんりんと鳴り、それが何より彼の存在を濃く映し出した。
彼の恰好は肩から下げた少し大きい鞄と、頭に被った前に特徴的なバンダナ。
それ以外白ワイシャツに黒ズボン黒チョッキ、赤いネクタイにくるぶしまでのブーツという装い。
なによりその背中を覆う大きな翼が特徴的であり、唯一無二であった。
しかしそのバンダナに刻まれた赤い郵便のマークに船頭は微笑んだ。
「あれ、なんだ郵便屋さんでしたかい。お兄さんと知合いなんですね。」
「どうも!清く正しいいつもの大空郵便屋です!レインは商人の旅を延々と続けている永遠の旅人でね。
まあ世界津々浦々回っている俺もまたしかり。会うのは気まぐれですけど。」
彼は鞄から一枚の封筒を取り出して、宛先を確認した。
その内容をぼそぼそっとちょっと口走ってしまうのは彼のいつもの癖だった。
淡いピンク色の封筒を船頭へと手渡す。
「はいこれ。旦那への手紙ですよ。」
そのやり取りを横目で見ながら客人、いやレインは通り過ぎた。
郵便屋は手紙を渡すと足早にレインへと追いついた。
「今日は村は一世一代のお祭りだぜ?目立つのが嫌なお前さんがそんなタイミングでくるとはね。
いやいや、目立つのが嫌だって明言したことないだろうけど俺にはわかってるさ。
毎回こんな変わった外れた村とか町の住所でしか会わないし、第一お前さんはそんな顔だよ。
ぶきっちょで万年仏頂面で変わってるよ。だってお前さんみたいな友人いないよ?
ああでも似たような表情はよく見るぜ。人里の価値のわからん絵画ならね。」
「お前は相変わらず人の『それ』をよく見る趣味があるな、チコ。」
嫌味のような郵便屋チコの話もレインは無視して歩き続ける。
一言も喋らないレインに代わるかのようにチコは隣でしゃべり続ける。
レインはその話に眉一つ動かさない為に、まるでチコがいないみたいだった。
賑やかさがピークの村人達は道行く二人に声をかける。
決まってまるで人の友好度を一気にあげるあいさつのお手本のような返事をするのは郵便屋。
「ああ、でも変わってるやついたいた。この村んなかに。」
「変わってる奴?」
「おおやっと食いついたかじいさん。」
レインが立ち止って、郵便屋の方をじっと見つめる。
チコはいきなりの食いつきに思わず怯んでしまうも、呆れたように息をつく。
背中に羽根を生やした青年は村中で鳴り響く打楽器の特徴的なリズムに合わせて足を動かし始めた。
「こんだけ村の中はわいわいしてるんだ!楽しまなきゃ損だっていうのにさ。
こんな中でそんな立ち止ってるのは変わり者の露天商とあの家のやつくらいさ。」
変にリズムに乗りながら口走り、丘の上にある家を指差した。
とても小さな家で、家というよりものを仕舞うための小屋に近いのではなかろうか。
チコは足だけだったダンスに手の動きまでつけて既に空気に酔っていた。
レインはその家を目を細めてみていた。
「おお、どうせ行くんだろう?意味もなく彷徨うよ。良々爺や、自由をもとめる自分はどうするべきか。」
レインはそこで初めて彼に微笑みかけた。
「俺は踊ればやれ腰に来る、そういうのは若い奴らで楽しんでくれ。ではな。」
村の音楽がかろやかなものに変わり始めた。
音楽に特別深い思い入れがあるわけでもなく、そんなに詳しいわけでもない。
ただ不思議とものというのは雰囲気というものに流されてしまう。
その後ろ姿に若い郵便屋は小さく、またからかうようにささやいた。
「Dear bless,rain.《 雨は降りやまずか》」
小屋の前まで着いたレインはふと後ろを振り返って見た。
村の明かりが煌びやかに輝き、まるで無数の蛍が飛び交っているかのようだった。
あのお喋りな郵便屋なら興奮してここに寝床でも作るかもしれない。
だがレインにはどうもそんな気分にはならなかった。
煌びやかな村は、まるで自分を追い出そうとしているような気がするのだ。
考えないようにしながら商人は小屋のドアノブに手をかけた。
やはり、びくともしない。
木で出来ているはずなのになんだか固い感覚がした。
温かみも何もない。まるで中にいるものが凍えきっているようだ。
ふと隣にある窓が目に入った。
ちょっと探ってみると、どうやら鍵があいているようだ。
少し不用心というか、抜けているところがあるのであろう家の主人に申し訳なく思いつつも
中へと忍び込んだ。
その部屋のまさに中央に、椅子の上で膝を抱えて座る人影が見えた。
黒い髪の毛に質素な黄緑の服と、黄土色のズボン。
白い肌が暗闇に飲み込まれそうだった、丸裸の素足は寒そうに震えていた。
突然現れた存在にその少年は椅子から転げ落ちて驚いた。
口をぱくぱくさせるその様子はレインは船から見た魚を思い出していた。
ああ、思えばあの魚も綺麗な琥珀色をしていた。
「ど、泥棒か!?見ての通りこの家には全く何もないぞ!」
「別にものを漁りに来たわけではない。祭りの喧騒から逃れられる場所を探していたんだ。
ああそれとお困りのようなので商品の売り出しをね。」
転げ落ちた少年に目を合わせるように、レインもまた床に座り微笑みかける。
話に聞いていた通り、何もない家だった。
部屋は会話をしているこの部屋1つだけしかない狭い空間。
家具といえるものは少年が座っていた木の丸椅子が1つと棚が1つ。
取り乱す少年と対照的に、客人は悟りを開くような丁寧な座り方だった。
「帰れよ、ここには誰も人間は入れないんだよ!」
「人間、人間を恐れているのか。それで外にも出ないのか。良ければこの爺に教えてはくれまいか。」
「勝手に入ってきて何を言いやがる・・・人は入れないんだ!帰れ!」
「これはこれは。物を売りに来たというのにまだ紹介もいたしておらなんだ。」
少年はその切り返しに茫然としていた。
旅人は彼の前で被っていたフードを脱いだ。
そして顔を覆っていた服の襟も下ろし、その全貌を見せた。
彼の左ほおには人の顔にはあってはならないものがあった。
・・・曇り空のような灰色の、固い鱗だった。
その色が一瞬レインの顔についた血液のようにも見えて、少年は凍りついた。
「俺は人間ではないのだ。お前もまた人間ではないのだろう?」
「あんたっ、何なんだよ!人間じゃないのは分かったけど、じゃあ何なんだお前!」
「俺か。俺はただの露天商だ。歩きながら商売をしている。」
その商人とやらは悪びれることもなく、そう返した。
それ以上のこともそれ以下のことも返して来はしない。
「荷物、おかせてもらってもいいか?なかなか重くて腰に来るんだ。」
少年はこれ以上の詮索は意味をなさないだろうと頷いて察して座りなおした。
仕事道具であろう背負っていた大きな箱を隣におろすとしばらく静寂が続いた。
外から聞こえてくる木葉のすれる音しか聞こえない。
どうせ話さないままでいたってこの半人はふてぶてしくこの部屋に居続けるに違いない。
「僕は人と話してしまうと死んでしまうんです。跡形もなく。」
「珍しい話だな。三流の承認の商談のための小話よりずっと好きだ。」
「商人さんがいくら旅してても僕みたいなのにはそんなに会わないんじゃないんでしょうか。」
「君のような人為らざるものにはよく出会うが、人と喋ると死ぬというのは無いな。」
少年は右手で左腕をさすっていた。
そこでレインは『少年は別に寒いのではない』ことを察した。
どうやら少年はレインに対しどこか言い知れようのない感情を浮かばせていたのだろう。
それが一概に恐怖といっていいものかはわからない。
得体の知れないものに対する感情なのだということだけは分かっていた。
ただそれでも少年は話を続けた。
「昔、100年前にここには僕じゃない別の失敗作がいたんです。」
「失敗作、その意味を俺はまだ聞いてなかったな。」
「僕は、捨てられたホムンクルスなんだと教わりました。」
「ほむんくるす…とは、はてなんだったか?」
「要するに人造人間なんですよ…そして僕たちは失敗作なんだと。
どうせお父さんたちの想定外の規格だったとかそんな感じなんだと思いますけど。」
少年は身じろぎをする。
あまりに居心地の悪く自虐にもほどがある話をしていると。
そう思うと少し場から逃げ出したくなる思いだった。
しかし同時にこの場で話してしまいたいという想いもあった。
迷いつつも彼の頭の中は後者が押し勝っていたのだ。
なぜだろう、先ほどまであれまで警戒していた素性の知れない男であるというのに。
「100年前、僕が物心ついてここでの生活を余儀なくされることになったんですが
数日前までもう一人ホムンクルスがいたそうなんです。
僕は名前も、年齢も知らないけどそれは女性でやはり失敗作として知られていたと。
そしてある日、彼女は僕と同じく話を聞いたんです。」
「それは人と話すと、姿を消し死んでしまうということをか。」
「ええ…そうです。彼女は村の人間を遠ざけ僕と同じくこの小屋に籠っていたそうです。
でもある日、彼女は溶けて消えてしまった。」
「なんで溶けて消えてしまっていたのが分かったんだ?」
「…わからないです。でも人間と触れ合ったから…そうなんだって、聞きました。」
レインは窓の外を流れていく夕空をただじっと見つめた。
緋色の世界との間を遮っている窓には1つも傷はなく、少年が管理しているのだろう綺麗に磨かれていた。
ドアに関しても経年劣化の末開きが悪くなっているようで、埃まみれである。
「それ以外は…なにも。僕がお父さんから聞いたのはそれだけです…」
「しかしこんなところで100年か…。ちょっと棚に失礼するよ。」
少し身を重そうに立ち上がり、長いローブの裾で風がわずかに吹き少しばかりの埃が舞い上がる。
木でつくられたお粗末な棚を静かに覗く。
中にあるのは白い布類と、最低限の衣服。
「ねえ、貴方なまえは?」
「俺はレインだ。さっきも言ったように行きずりのただの商人だ。」
「ただの、ではないですよね。本当に商人?その箱もやけに大きいし。」
「ただの商人だ。俺は世界を歩き、そのお客に本当に必要なものを売るだけなんだ。
ほうらただの商人以外の何者でもあるまい。お前の名前もよければ教えてくれ。」
少年はその言葉を聞いてうつむいてしまう。
レインが名前を、ともう一度問いかけるが座ったままもじもじしている・
「名前、なんて人間みたいなものないよ。僕はこの村で唯一のホムンクルスだ。
だから僕のことはホムンクルスで通じるんだ。
貴方は変だよ、なんで人間じゃないのに名前なんていう概念があるんだい?」