「渇望」前編
デルスクスは振り返った。それでも慌てる事などなく、むしろその表情は呆れたようなものだ。そして呆れる事にさえ関心が無いように、デルスクスは水面に目線を落とした。水面には糸が垂らされ、浮きが漂う。
「偵察か?」
デルスクスが浮きを見ながら問いかける。
「あぁ。すぐ隣の世界の、シューガーという国ではギガスによる悪事が横行している」
「人間の問題だろ。それに特攻部隊と治安管理部が居れば、それこそ“その世界の事”だ」
静かな時間。そこはエルフヘイムにあるとある湖。レジャー施設として人気のある場所で、バーベキューだったり、広い草原で駆け回ったり、釣りをしたり。
「パパ?知り合い?その精霊」
「いや、オレは精霊から命を狙われる存在だからな」
エリザグラスは表情を強張らせる。緊張感や若干の敵意を抱いて。ちょっと様子を見に来てみれば、そこに居たのは“普通の精霊”ではなく、何だか事情がありそうな精霊。
「怖がらなくていい。ただ様子を見に来ただけだ。それに様子を見るという使命を背負ってるのは俺だけじゃない」
ケリーの周囲を気にするような素振りに、エリザグラスも周囲を見渡す。隣に居るモリクレは勿論、今ここには他の客と共に色んな精霊が居る。しかしだからこそ、その“周囲の目”はむしろ緊張せざるを得ない。するとその時だった、デルスクスが魚を釣り上げたのは。
「でかいな、エリー、これなら3人分になる」
「うん」
60センチほどの魚を片手で持つと、デルスクスはケリーに振り返った。
「イエンはどうしてる」
「変わりはない。というか、お前も変わらない事に悩んでるんじゃないのか?目指していたものに至ったという事は、目的を失ったという事だろう」
「悩んではない。子供じゃないんだから。しかし目的が無くなったのは言う通りだ。だがやりたい事はある」
「やりたい事とは何だ」
「マガツエルフのテムネルを持った人間が居るのは向こうの世界だけだからな。この世界でも、シャンバートでマガツエルフのテムネルを撒いてみようと思う。だがロードスター連合王国はシャンバートと繋がってるからな、もしかしたらいづれその人間達がこっちに来るかも知れないが」
「何故そう思う」
「ロードスター連合王国は禁界を狙ってる。強い力を得たなら、それを使おうとするはずだ。オレの単なる推測だが」
それからケリーが眺めるのは、デルスクス、ノーラ、エリザグラス、モリクレが家族仲良くバーベキューをしている姿。
第35話「渇望」
「トリプルチーズバーガー」
「あぁ」
少ししてディーノの居る窓際のテーブルにトリプルチーズバーガーを持ってきたエルフのウェイター。その眼差しは心配そうなものだ。
「警察に付きまとわれてるのか?」
「さあな。来たとしても転移してしまえばいい。でも最低限の話はしたんだ。もう来ないだろう」
するとエルフのウェイターは大して客も居ないのにディーノに顔を近付けた。
「今日も来てるぞ」
そしてポンと肩を叩く。エルフのウェイターに目を向ければ、その表情はニヤついていて、それでもディーノはとりあえずハンバーガーを一口。それからもぐもぐしながら何となく目を向ければ、ちょうど対角線に当たるテーブルには人間の女性が居て、高校生と思われる制服姿の女性はディーノを見ていた。すると人間の女性は席を立ち、飲み物を持ってディーノの前に座った。いつもは“ただ見てくるだけ”だったのにと、ディーノはハンバーガーを一口。
「魔法、教えてよ」
「・・・なら精霊に教えて貰えばいい」
「へえ、そういうキャラなんだ」
何故か女性は面白がるように微笑み、ストローをくわえる。
「魔法、見せてよ」
「食事中だ」
「ねえ、何でそんなに光ってるの?」
「オレにも分からない。気付いたらこうなった」
何故か興味津々の眼差し。それでもディーノは特に気にせずハンバーガーを一口。
「ねえ、デートしてよ」
「え?お前、学校は」
「学校なんて、つまらない。何をやっても1番、あたしより頭のいい先生も居ない」
「そうか、それは退屈そうだな」
「何でもいいから面白い事したい。いつもこの後何してるの?あ、あたしユニカ。あなたは?」
「・・・ディーノ」
「ディーノ、自分の身を守る魔法教えてよ」
──呼び捨て・・・。まるで今まで話相手など居なかったかのようにグイグイ来るユニカに、ディーノはようやく溜め息をつく。
「何故身を守る」
「それは、念の為っていうか。急所とか間接技とか知ってるけど、魔法があったら楽でしょ。ディーノは何の為に魔法使ってるの?」
「何の為──」
ふっと2人は揃って顔を向けた。ポツポツとテラス席のテーブルを雨粒が叩いたと思えば、瞬く間に外はどしゃ降りになった。ただの見慣れたスコール。数十分経てば止む。しかしその時、その激しい雨音はディーノに昔の記憶を思い出させた。ディーノが初めてテムネルを持ったのは10歳の時。丁字路での出会い頭の事故。スピードも緩めずに乗用車が出てきて、そこにバイクが激しくぶつかった。そして弾け飛んだバイクは自分に向かって来て、気が付けば病院だった。その時覚えているのは、その日は雨が降っていて、倒れ込んだ体はみるみる濡れていったという事。
「──そんな事、じっくり考えた事ない」
エルフの医者が言うには、生きる事への渇望がテムネルを生み、無意識に自分を治癒させた。病室に治安管理部が来たけど、その時はイマージにはなれなかった。治安管理部が病室を出ていって、何となくずっと雨を見ていた。ふとディーノは目をぱちくりさせた。気が付けばユニカはどしゃ降りの下に居て、窓の向こうから手を振ってきていた。
「え・・・何してる」
しかし雨音が邪魔をしてユニカの声は聞こえない。だからディーノはユニカを店内に転移させた。
「あれ!?」
「何してる」
「はぁ、気持ちかった」
するとびしょ濡れのユニカは髪を掻き上げ、何故か満面の笑みを浮かべた。
「ディーノのせいだよ」
「え?」
「雨を見たまま動かなくなったから」
「そんな事で・・・風邪引くぞ」
「魔法で何とかしてよ」
「自分で出ていった──」
ふとディーノは目を落とした。違和感を覚えるほど、ハンバーガーが減っていた。
「食べちゃうよって言ったでしょ?聞いてないのが悪いんじゃん」
目をぱちくりさせ、雨を見てから再びハンバーガーを見るディーノ。──そんなに雨に見とれてたのか。我ながら驚きだ。
「早く何とかしてよ、風邪引いちゃう」
「・・・知るか」
さっさと残りのハンバーガーを食べ、包み紙をクシャッと丸めるディーノ。それからようやく目線を上げ、ディーノとユニカは見つめ合う。モグモグするディーノ。スカートからぽたぽたと落ちる雨水。激しい雨音。
「おいおい」
そこにやって来たのはエルフのウェイターだった。エルフのウェイターはタオルを差し出し、ユニカは何故か責めるような眼差しでディーノを見下ろしながらタオルで頭を拭き始める。ふとディーノは外を見る。まだ雨は止まない。だからまだ海には行けない。
「温かいレモンティー出そうか?」
「いいの?」
「あぁ、ディーノの奢りでな」
「何でだ」
「ディーノ、何かこう、下から強烈な風で乾かすとか出来ないの?」
「・・・・・はぁ、仕方ないな」
突如足元から吹き上がるちょうどよく生暖かい風。それはまるで、自分が巨大なドライヤーの上に居るみたい。
「きゃあ!パンツっ」
「お前が強烈な風って言ったんだ」
「うわぁー、すごぉーい、楽しぃーっ」
それからユニカはレモンティーを啜った。頬杖を着くディーノ。その眼差しは未だに止まない雨に向けられて。
「店員さん、タオルありがとう」
「あぁ」
「お前、どうしていつも、オレを見てたんだ」
「え、ああ、だってエルフって羨ましいじゃん。動物と話せて、精霊と話せて、魔法が使えて」
「学校にもエルフぐらい居るだろ。それに精霊と話すのは人間だって出来る」
「あたしの親は、エルフとか人間とか嫌いで、関わるなって。それにこの国のエルフは基本的に精霊とは関わらないし、魔法も使わない。何か、ただ耳が尖った人間みたい」
「なら別の国へ行けばいい」
「分かってないねぇ、人間が何故自由を求めるか、それは自由じゃないから。小さい頃からずっと習い事、大学までエスカレーターで行ける学校。それから少し仕事したらどうせ社長の息子を紹介されて結婚。そしてそれを変える力を、あたしは持ってない。ほんと、人生ってつまらない。でもディーノを見たら、何か、ピンと来た。あたしがもしそうなったら、きっと周りからも親からも嫌われて、独りになれる」
「独りに、今はそうじゃないのか?」
「今はちょっと逃げてるだけ。でも逃げ切れない。ねぇディーノ、あたしも魔法使いにしてよ」
ディーノは頬杖を外した。雨が上がり、みるみる日光が地面を照らし、店内を明るくする。その明るさと暖かさはユニカさえ顔を向けるほどで、それからディーノはおもむろに立ち上がった。
「ねぇディーノっ」
扉を開けたところで振り返るディーノ。無表情で、色の無い真っ直ぐな眼差し。しかしその一瞬、ユニカには分かった。その色の無い眼差しには、別れの色さえ無い事が。そして2人は、海を前にした。砂浜と静かな波の音。爽やかな潮風。ユニカがディーノに顔を向けた時、すでにディーノは歩き出していて、ユニカはすぐに追いかける。どこに行くのかという問いかけをあえてせず、辿り着いたのはとある海の家。そしてディーノは慣れた手付きでシュノーケルとボートを持ち出し、2人は海に出た。
「海が好きなの?」
「あぁ。海の中なら、何も考えないでいられるからな」
やがて波の無いポイントに来るとディーノはシュノーケルを装着し、静かに海に入った。ゴーグルもフィンも着けず、ウエットスーツも着ないで俯せで浮いているディーノを見て、ユニカは思う。──死んでないよね?
ユニカは空を見上げた。カラッとした青空。ポツンと海の上。誰も、先生も親も追いかけて来れない自由。まるでボートという名の孤島みたい。そんな誰も入って来れない領域で、ユニカは大の字で寝転んだ。──最高だ。
ディーノは海に浮き、ユニカはボートで大の字。しかしユニカの頭にふっと過ったのは教室の情景。時間が来れば、何事も無かったかのように「ただいま」と言って家に帰る。自由なのは今だけ。だからこそ、まるで鎖で繋がれているかのように向こう岸には現実が見える。──もっと自由が欲しい。
バシャンッと舞い上がる水飛沫。波が立った事に思わず顔を上げるディーノ。すると目の前にはユニカが居て、直後にシュノーケルも着けていないユニカは抱きついてきて、キスをしてきた。
「お前・・・まだ子供だろ」
「もっと自由が欲しい。ねぇディーノ、あたしを拐ってよ」
「人間の生活が窮屈なのは分かったが、オレがお前を拐う理由は無い」
「あたし、ラリーレーサーになりたい」
「・・・なればいい」
「ディーノ、抱いてよ」
「え?」
「結婚してよ。それで山に住んで、たまに海で遊んで、世界旅行して、ラリーレースしたい」
「・・・人間の渇望は、醜いな」
「ディーノのせいだよ」
「何でだ」
「ディーノが自由を見せてくれたから、あたし、壊れちゃった。責任取ってよ」
海に浮いて2人きり。ユニカはディーノにがっしりと抱きつき、何故か涙を流し、笑顔を浮かべていた。
「・・・何を言ってるのか分からないんだが」
サクリア、フロンスターリ。ザ・デッドアイの最後の砦である合法カジノ店。ここを特攻部隊が注目しないようにベクルス達はわざわざクラニワに拠点を移したのだが、その時ベクルスはカジノ店に居た。ベクルスの目の前にはソファーに深く座るルーファーの姿。
「あのギガスってのは何なんだ?」
「異世界の魔法使いが、人間に何かしたんでしょう」
「ウパーディセーサ・ブラックじゃ殺せないようだが、お前とバノじゃどうなんだ」
「殺り合った事はないんで、何とも」
「まぁいい。で、お前ら、最近何してんだ?」
「何とは」
「ウパーディセーサ・ブラックが出来たところで、何でさっさとザ・マッドアイを攻めない」
「まぁ、こっちも異世界の魔法使いと色々あったんで。ブラックの制御薬も作られてしまったんで、今ヨーガに新しいウパーディセーサを作って貰ってます」
「お前が特攻部隊と一緒に居たという情報があるんだが」
「異世界の事とか、勝手に独りでニルヴァーナをぶっ壊したブラックの事でちょっと」
「・・・新しいウパーディセーサが出来たら、ザ・マッドアイを攻めろよ?」
「はい」
1階のカジノ部分。休憩エリアで、ベクルスは酒を一口飲み込んだ。雑音が激しいそこで、ベクルスは独りで静かに佇む。そんな時に携帯電話が振動し、ベクルスは届いたメールを開いた。差出人はヨーガ。
〈新しいウパーディセーサの薬が出来た〉
〈分かった。ルーファーにはまだ言うなよ〉
ヨーガの居る部屋にやって来たベクルス。ヨーガはふと、ベクルスの表情に小さな違和感を覚えた。それはまるで、何かを覚悟したようなもの。とは言え特に気にする義理も何も無いので、ヨーガは薬の入った注射器を差し出す。
「ベースは」
「ブラックと・・・ギガス」
「あ?何でそんなもんのデータを。誰からだ」
「俺のルート」
ヨーガの表情は常に読めない。いや読もうという気すらなかった。そして今ふと読もうと思っても、それはまるで他人事かのようないつもの表情で、ベクルスはさっさと注射器を受け取る。
「・・・そうか」
「何でルーファーさんに言わないんだ?」
「あ?俺の事情だ。ザ・デッドアイとか関係ない、俺1人のな」
「いいのか?ウパーディセーサの事だろ」
「いいんだよ──」
シャツの袖を捲り、ベクルスは注射器を自分の腕に押し当てた。直後にドサッとソファーに座る。
「言っても意味無いからな」
そしてベクルスは眠りに落ちた。転がった空の注射器を拾い上げ、ヨーガは特にベクルスの顔とか見ず、パソコンの前の椅子に座る。
シャンバートのとある街ガイス。そこは工場が建ち並び、炭鉱夫が多く住む貧困層の溜まり場のような街で、言わば渇望に満ちた街。シュトナンはその街の市長邸を眺めていた。レンガの塀と鉄柵の門が貧困街には少し目障りなその豪邸からやがて出てきたのは1人の娘。歳はもう17。すると娘は立ち止まった。発光しているマガツエルフという存在に気が付くのはそう難しくない。しかし娘はマガツエルフという存在に目を見張った訳ではない。そしてキョロキョロしながら近付いて来た娘は、シュトナンに気まずそうな態度を見せた。
「お父さん、目立つよそれ、止めてよ」
「うん。もう行く。元気そうな姿が見れればそれでいいから」
「あ、あの」
歩き出した矢先、振り返るシュトナン。
「目立たない格好で、観に来てよ、コンサート。お祖父様はお金の面倒見てくれるだけだし」
「うん、いつ?」
「明後日。今夜チケットあげるから」
「ルンシナは」
「来るよ?」
「そうか」
セルレアはそれでも安心したような笑みを見せ去っていった。シュトナンはただ、背中で手を組んで真っ直ぐ立ち、セルレアは見送る。娘の安心したような笑みに安心したように頷きながら。




