「ハドロン ─崩壊─」中編
悲鳴と銃声、そして転がるバケモノ。しかしそれは体に弾痕を残しながらもスッと立ち上がる。それでも“もう”軍人達は怯まず、殲滅すべきものだと理解しているようにライフルを撃ち鳴らしていく。
「だめぇ!」
バケモノが今にも撃ち殺されようという時、市民の女性が射線上に走り込んで来た。
「下がれぇ!」
「撃たないで!」
すると女性は振り返り、恐る恐る倒れているバケモノに歩み寄る。
「下がれ!」
軍人の怒号。しかし彼女はバケモノを前に涙を流す。その眼差しは、バケモノをバケモノとして見ていなかった。彼女は“それが誰か”分かっていた。それからバケモノは立ち上がり、再び軍人の怒号が響く。そこは白昼の街中、商業施設が建ち並ぶ、決して戦場などではない道の上。女性は恐る恐る、ゆっくりバケモノに手を伸ばす。何故ならバケモノは女性の目を真っ直ぐ見ていたから。女性は涙を流し、抱きたいだけの希望を確信する。──やっぱり、まだ私の事、分かって・・・。
そして女性は殴り飛ばされた。数メートル吹き飛んで、ガシャンと人体が転がる。再び鳴り響く銃声。その傍らで1人の軍人が駆け寄る。バケモノと“顔見知りだったと思われる”その女性は大きな傷こそなかったものの、首の骨が折れていた。それからその軍人は怒りに任せてライフルを鳴らしていく。まったく面識は無くとも、一市民が目の前で殺された、そんな真っ当な怒り。それから何発ぶち込んでやったかも分からない頃、体中穴だらけのバケモノはようやく動かなくなった。息の荒い軍人達、その直後から“空気に溶けるように消滅していく”バケモノ。
「こちら7班、バケモノの殲滅を完了した。何だって!?了解した、直ちに合流する」
「何だって?」
「ここから北に1キロ行った地点で2体のバケモノが発生した。行くぞ」
「クソ、何だってんだよ!」
「落ち着け、今は出来る事をするしかない」
「落ち着けるかよ、バケモノだから殺すって、元々人間だぞ。いつどこで誰がバケモノになるか分からないってのに。・・・落ち着けるかよ」
走り出す警察車両。ロウトはふと目を留めた。遠ざかっていく、女性の遺体に。自分達は救命士じゃない。自分達の仕事は戦う事。どんなに犠牲者が出ても、“後の処理”はそれが担当の奴らに任せて、自分達は次の標的に向かうだけ。それからシューガーの軍人達は警察車両を降りていく。殺伐とした雰囲気。市民は逃げ去り、人気の無くなったそこはまるで街そのものが病にでも犯されたかのよう。そして7班はバケモノを捕捉した。
シューガーの首都においての異変のニュースは周辺国にも広がっていく。ウイルス性なのか、ウパーディセーサのような作り物か、憶測が飛び交う。勿論それはサクリアにも知れ渡り、ニルヴァーナのエントランスパークでユピテルはテレビを前に、コーヒーを啜る。
「サハギーくん、ちょっと様子を見て来てくれるかい?」
「分かったよぉ」
ニュースや新聞などを見る限り、シューガー政府の見解はウイルスによって理性が崩壊し、そして体組織が突然変異している、というもの。病によって理性が崩壊するのはよくある事。しかしあの突然変異は崩壊というより、進化だ。やはりウパーディセーサを模した、科学的な変異なのか。
「見てきたよぉ」
「速かったね」
「見ただけで分かったからね。あれは、テムネルによる、ギガス化だよぉ」
「ギガス・・・にしては小さいね。理性も無い」
「ギガスには2種類あるからね、昇華出来た者と、適応出来なかった者。つまりベルデルート達は生物として進化に適応出来た者達で、あれは壊れちゃった者達。崩壊というのはある意味的確な言い方かも」
「つまり、魔法にかけられてああなったと」
「そうだね。人間には霊気なんて見えないから分からないけど、あれはつまり、シューガーにダークエルフが居る決定的な証拠だよぉ」
「なるほど、ありがとう」
「続いてのニュースです。シューガーの首都カケベルで目撃されている、所謂崩壊ウイルスによって突然変異してしまう現象ですが、つい先程、サクリアのメータールでも確認されたと、警察から発表がありました」
「およおよ」
「サクリアでも。これもダークエルフの仕業か」
最初に目撃されたのはシューガー、だから対処は素早い。それに何より、サクリアには特攻部隊が居る。サクリアの首都からは200キロほど離れた都市メータール。そこでもその街の雰囲気はシューガーと差ほど変わりなく、人々は逃げ惑い、軍人達は簡単に殲滅出来ないバケモノに苦戦していく。そこに走っていくのはルアを乗せたヘル。
「鎖!」
それはまるで、西部劇のカウガール。誰かがそんな風に思った。光の鎖はキュッとなり、バケモノはいとも簡単に捕獲された。胴体ごと腕が縛られ、足が縛られ、バケモノはパタッと倒れて、軍人達は小さく溜め息。それからパッとやって来たのはルフガン、パウロニ、クニーク。
「確かにテムネルだ」
足元に寝ているバケモノを見下ろし、呟くノコズ。
「近くにダークエルフが居るのかしら」
「いや、自然にギガスになったという事は、テムネルをかけられて放置されたという事だ。近くに居るかは定かじゃないだろう」
「(テムネル消したら元に戻る?)」
しかしルフガンの表情は雲っている。それだけでヘルは良くない答えを過らせる。
「精霊でないギガスの場合は、死体がギガスとして動いているからね。それはテムネルじゃなくてもそうだから、肉体としてはもう手遅れだ」
「(例えば、じゃあ生き返らせたかったら魂使の精に頼むしかないの?)」
「あぁ」
「特攻部隊!また出たぞ!」
1人の軍人のそんな声が響いた。しかしそれでは手遅れだ。そうルフガンは去っていくルア達を見送る。簡単な話、このタイプのギガスはそもそも死体。ならばギガスになってしまう前にテムネルを除去してやるしかない。しかしテムネルボールやスプレーでは、言わば街ごとかけられたテムネルを消し去る事は手間がかかり過ぎる。
「パウロニ。ドルタスの下へ向かって、街ごとかけられたテムネルに対応出来る装置が出来たか見てきてくれないか」
「分かったわ」
「それでルフガン、これどうする?テムネルを浄化したら存在ごと無くなるかな」
「やってみよう」
ルフガンはテムネルボールをギガスに投げ落とす。
「分離・・・浄化」
ブクブクと泡と化していくギガスの体組織。細胞の1つ1つが膨らみ、そしてフワフワと浮き出して空気に溶けていくと、そこに残ったのは黒ずんだよく分からない塊だった。首を傾げるクニーク。人の形すらしていない、それはまるで“燃え残り”だと。
「ルフガンさん、ですか?」
振り返る2人。そこに居たのはカメラやマイクを持った人達。
「今、何をされてたんですか?」
「ギガスの処理だ。君達はバケモノと呼んでいるようだが、これはギガスだ──」
明くる日、ブーンとバイクが走っていく。それは新聞配達のバイクだ。それから至るところで、人々は自宅のポストに入った朝刊を取って広げる。1面に大々的に載っているのは、ルフガン、クニーク、そして黒い塊の写真と記事。見出しは「異世界から来たエルフ『これはダークエルフが居る物的証拠だ』」
昨日だけで5体のギガスを捕まえた。この調子じゃ、きっと今日もギガスが出現するかも知れない。そうルアはテレビを見ながら朝食の具沢山スープを飲んでいた。ルフガンが言ったギガスという名称が採用されたのか、ニュースキャスターはギガスという呼び方で事件の事を話していく。
「君達はバケモノと呼んでいるようだが、これはギガスだ。このタイプのギガスは、霊気に耐えられなくなって生体機能が停止した人間の死体が、霊気だけで動いているという状態だ。勿論脳も死んでいるから、理性もない」
「ていう事は、それは、ゾンビなんですか?」
「人間の世界のゾンビというものは知らないが、とにかく動く死体だ。このタイプに関しての原因はテムネル。テムネルとはダークエルフだけが持つ霊気。つまりこれは、この世界にダークエルフが居る物的証拠になる」
「こんにちは」
インターホンもなく開けられた扉。「えっ」と思いながらも振り返るレーティ。しかしそんな戸惑いは“有名人”を前に警戒心には繋がらない。
「グラシアさん。こんにちは」
「あ、食事中だったんだ。また出直した方がいい?」
「全然大丈夫です、どうぞ」
あの翼人が、家に入ってきた。しかもインターホンもなしに。レーティは自分を見ながら歩み寄ってきたグラシアに釘付けになる。
「ルアのお母さんですか?初めましてグラシアです」
「どうも。私、レーティです。そっちは夫のランディ。この子はルーナ」
「いらっしゃい・・・」
ランディの態度に笑いを吹き出すルーナ。堅い笑顔だし、ウチお店じゃないし、と。
「今日は私も手伝うからね?」
「はい」
昨日の夜に三国に行ってギガスの事を報告しに行ったら、次の日、しかも朝から“やる気満々”でやって来た。そうルアはココアを一口。──さすがグラシアさん。それからグラシアはレーティにココアを勧められ、客人のようにソファーでココアを一口。
「(グラシアさんだけ?グズィール達は?)」
「今は上の世界だよ」
「(そうなんだ。でもやっぱり人手は多い方がいいんじゃないかな)」
「そうなったら迎えに行くから。先ずはノイルと作戦会議が先でしょ?」
「(そうだね)」
それから警察署の会議室に集まったのはノイル、ルフガン、パウロニ、クニーク、ドルタス、ルア、ヘル、グラシア。
「精霊の目視によると、テムネルがばら撒かれたのはシューガーの首都カケベルとサクリアのメータール。当然シューガーには特攻部隊が行けない状況だから、シューガーはルフガン達治安管理部に任せて、特攻部隊はメータールを担当する。この作戦で要になるのが、ドルタスが作ったテムネルシャワーだ。使い方の説明を頼む」
「こっちも空を飛びながらテムネルをばら撒けばいいと思って作ったんだ。リュックみたいに背負って、このスイッチを押せばここからテムネルが出るよ。でもテムネルが宿るのは生き物だけだから、細かいところはボールとスプレーの方が効率的かも」
「メータールの方は事前にテムネルの事、ギガスの事をマスコミから知らせて貰って、街の人達には浄化作戦の事を分かって貰うから、そう手こずりはしないだろうが、問題はシューガーの方だな」
「俺の方からもマスコミに頼んでみよう。エルフからの主張となれば、少なからず話を聞いてくれるはずだ」
警察、マスコミが協力する、結構な作戦になったと、ルアはふとヘルと顔を見合わせる。それからルアはテムネルシャワーのリュックを背負った。テムネルは気体というか霊気だから、全然重くない。ルアとパウロニがスイッチを確認している傍らでは沢山のテムネルボールとテムネルスプレーを入れたリュックを背負うグラシアとクニーク。どちらかと言えばそちらの方が重たい。
テレビ番組の放送中、画面の上の方に特報が差し込まれる。それはメータール州知事、及び警察からのお願いと題され、お茶の間を戸惑いの渦に巻き込んだ。それから街に響いたのは街頭スピーカーから聞こえる、防災行政無線だった。メータール州知事、及び警察からのお願いです、から始まる何となく胸騒ぎを感じてしまう文言。しかし当然の如く、街の人々は内心でハテナマークを浮かべていく。テムネルって何だ、ギガスって何だ。でもメータール州知事と警察が関わってるし、崩壊ウイルスの話らしいし、しかも翼人がやって来る。だから何となく静かに耳を傾けていく。
ルアはスイッチを押した。空を飛んでいるのはルアとシュナカラク。シュナカラクが合図するとルアがスイッチを押し、そしてテムネルが上空から撒かれていく。──メータール州って小さい方だけど、テムネル足りるのかな。一方地上では空を飛んでいくシュナカラクとルアを見上げながら、ヘルはクウカクで作った手でテムネルボールとテムネルスプレーを受け取った。グラシアからみんなにボールとスプレーが渡ると、そしてグラシア、ドルタス、ジヴォーフ、ヘル、ペルーニ、アンシュカ、スッチー、デュープリケーターの全員が歩き出した。3体の精霊の先導の下、3チームが手分けして街に散開していき、テムネルを順調に浄化していく。飛ばされた意識と視界に見られている事など知る由もなく。
「分離」
大きく手を広げるドルタス。標的は1人1人ではなく、視界に映るすべてのテムネル。しかしグラシアは小さくキョロキョロする。
「・・・・・・・・浄化」
やっと言った。そうグラシアは内心で呟く。まるで膨大なデータ量のファイルを開くようなもどかしい静寂。ゆっくりゆっくりと魔力が広がっていって、ゆっくりゆっくりと効力が届いていって、ゆっくりゆっくりとテムネルが消えていく。頷いたドルタス。しかしジヴォーフは呆れたように笑った。
「ちょっと無理し過ぎだよ」
「ねえ、ドルタス」
荷物持ちのグラシア。霊気に関しての魔法が使えないグラシアの意を決したような表情に、ドルタスはキョトンとする。
「私にも、魔法教えてくれない?」
一足先に上空からテムネルを撒く作業を終えたルアは滑らかに旋回していき、遥か遠くの翼の力の気配を感じていく。
「何してんの?」
川が流れる静かな住宅街、建物の上から声をかけられたのはアンシュカ、スッチー、アーサー、アルファのチームだった。ハッとしたのはアンシュカとスッチー。しかしアーサーとアルファは知らない女にただ顔を向ける。
「あなた、イエン?」
イエンは右手だけ腰に手を当て、強気に微笑む。
「これ、あたしがやったの、邪魔しないでくれる?」
「何だお前、あ、もしかして、ダークエルフか?」
何故か期待を寄せるような口調のアーサー。
「え、そうに決まってるでしょ?」
「何しに来たんだ?戦いに来たのか?」
「それはあんた達次第。邪魔してるのはそっちの方でしょ」
「罪の無い動物にまでかけるなんて可哀想じゃないっ」
「何が可哀想なの。動物はただ強くなるだけ。ギガスになるのは知能の高いバカな人間だけでしょ」
「俺、こういう作業苦手なんだ。暇潰しに戦えよ」
「ちょっとアーサー」
「あれだろ?どっちみちこいつらを殺す為にルフガン達は動いてんだから、ちゃっちゃとやっちまおうぜ」
「何なの?あたしの事嘗めない方がいいよ?」
「お前こそ。アンシュカ、後は頼んだぞ」
「え・・・」
「行くぞアルファ」
「うん」
アルファも?そうアンシュカとスッチーはアルファを見る。すでにアーサーは走り出していて、返事をしてからハッとしたアルファは困ったようにアンシュカ達を見る。
「ごめん。頼んでいい?」
「しょうがないな」
スッチーがそう言って、そしてアルファは走り出していった。不満そうに立ち尽くすアンシュカ。そんなアンシュカを眼差しで宥めるスッチー。
「ダークエルフが見張ってないとも限らないしさ、むしろアーサー達が居て良かったじゃん。こっちはこっちで出来る事をしよう」
「うん、そうね」




