「ハドロン ─崩壊─」前編
「私は上の世界から来た天使のグラシア・テアトリアです。皆さんも知っての通り、今は特攻部隊に協力しています。先ずマスコミの皆さんに伝えて欲しい事は、サクリアの軍人さん達は悪くないって事です。特攻部隊としてシューガーに行ったのは、司令官であるノイルも知らなかったからです。今特攻部隊は二手に分かれて、ザ・デッドアイの対処と、上の世界のルフガンさん達への協力をしています。シューガーに行ったのはルフガンさん達に協力しているチームの方で、サクリアの軍人さん達は悪くないんです」
「別動隊を作る事はノイル司令官はご存知なかったと?」
「いえ、それは知ってました。だから俺がシューガーへ赴く事を止められなかったのかという指摘は受け入れます」
「そこに関しては俺から。俺はルフガン・ビーテンガード。エルフヘイムの治安管理部に所属するエルフだ。治安管理部とは、人間でいうところの警察だと思ってくれ。我々治安管理部はダークエルフという凶悪な存在を追っている。ダークエルフとは、人間でいうところのテロリストやマフィアだと思ってくれ。我々は今、グラシアが言ったようにダークエルフを検挙する為に特攻部隊に協力を要請している。では何故、治安管理部と特攻部隊がシューガーのサルマン山脈の基地に赴いたかを説明する。我々が知り得ているのは、ロードスター連合王国の中にあるカルト組織ムーンと、ダークエルフで構成させた組織ダーク・コーカスが繋がっているという事。そして現在、ダーク・コーカスはシューガーのサルマン山脈の基地に潜伏しているという事だ。証拠はマスコミである君達が掴んでいるはずだ。ムーンが所有しているファンデライト美術館においての戦闘で、美術館から魔法使いが出てきて、ギガスという戦闘の駒を作ったり、君達マスコミまで巻き込むほどの魔法を使ったりして、そしてまた美術館に逃げ込んだ。しかし逃げ込んだ者は美術館から忽然と姿を消した。何故なら魔法を使ったからだ。正にムーンが異世界の住人と繋がっている証拠だろう。それにその男は、正に我々が追っているダークエルフだった」
「・・・・・あの、そのダーク・コーカスという組織がサルマン基地に潜伏しているという証拠は」
「それに関しては人間でいうところの物的証拠は無い。治安管理部は常に精霊と行動を共にしている。サルマン山脈の基地にダークエルフの霊気を確認したのは精霊の目視によるものだ。まあ精霊そのものや、精霊を介しての捜査に関してはこの世界の人間に対して理解を強要する事はしない。と言っても、魔法というものについてはサクリアでは見慣れたものだろう」
「最後にマスコミの皆さんにお願いがあるんです。ダーク・コーカスの人達は悪い人達なんです。だからシューガーの軍人さん達に、ダーク・コーカスの人達を治安管理部に引き渡すようにお願いして欲しいんです。そして、サクリアが国としてシューガーに何かしようとしてる訳じゃないって事も伝えて欲しいんです」
ブーンとバイクが走っていく。それは新聞配達のバイクだ。それから至るところで、人々が自宅のポストに入った新聞を取って広げる。1面に大々的に載っているのは勿論、ノイル、グラシア、ルフガンが並んだ写真と記事。見出しは「舞い降りた天使、人間へのお願いを告げる」。
第32話「ハドロン ─崩壊─」
クラニワにて。ベクルスは珍しくテレビを見ていた。あれからマスコミは甘いものに群がる虫のように蠢き、ダークエルフという存在、それをシューガーが匿っているのではないかという世論を喚いていく。実に気分がいい。ベクルスはあの女のダークエルフを思い出す。──ざまあみろ。そんな一方でニルヴァーナのエントランスパークでもユピテルはコーヒー片手にテレビを見ていた。とは言えロードスター連合王国もホールを所有しているのかという事はまだ分からない。十中八九所有しているんだろうけど。そんな勘繰りをしながら。
パッと戻ってきたイエン。しかしそこはデルスクスの下ではなく、雪原を見下ろせるバルコニー。イエンは散歩がてら基地内を歩き、わざわざダーク・コーカスの一室の扉を開けた。
「デルスクス、すごくまずい事になってる」
「何だ」
「シャンバートの動物たちにテムネルばら撒いたでしょ?でもそのテムネルの数が少なくなってる。動物からテムネルが消えるなんて」
「テムネルが消える・・・。治安管理部なんだろうが、まさか、テムネルを消す魔法まで作り出したというのか」
「どうする?」
「いや、気にする事はない。テムネルは無限だ」
すると何を思ったのか、デルスクスは正に悪い事を企むように表情を綻ばせる。そんなデルスクスに内心で気味悪がりながら、イエンはデルスクスしか居ない一室をキョロキョロする。
「デルスクスは散歩しないの?みんなしてるのに」
「さっき、ノーラとエリーの様子を見た」
「ふーん」
「そうか。通りでエリーからテムネルを感じなかった訳だ」
「でもまさかあの人間達、ほんとに特攻部隊に通報するなんて思わなかった。あ、あの人間達でギガス作ったら面白そう」
「珍しいな」
「え?」
「イエン、必ず仕返しするだろ」
「あー、だってあそこで戦ったらそれこそ特攻部隊が来ちゃうし。それに人間達のウパウパの力、軽い光弾じゃ無傷だったし、何か意外と面倒臭そう」
「そうか」
「ねえ、場所バレちゃったんだよ?何かしないの?」
「何かって何だ」
「じゃあ、この世界でもダミー作る?ロードスター連合王国じゃなくて、別の国で」
「まあ、囮としか思われないが、時間稼ぎにはなるか。ならオレはロードスター連合王国にテムネルをばら撒くとするか」
「デルスクスもやるの?じゃああたしやる意味ないじゃん」
「意味はある。人間の混乱ほど、面白いものはないだろ」
そしてまたデルスクスは独りで勝手にほくそ笑む。
「治安管理部の混乱もな」
シュトナンはシューガーの街を歩いていた。ダーク・コーカスがサルマン基地に居る限り、易々と特攻部隊が来る事はない。だから少しくらい街をぶらついても問題はないだろうから。エルフといってもちょっと耳の形が違うだけで、人間の雑踏に紛れたところで大して気付かれない。しかしそこでシュトナンは足を止めた。大きなビルに嵌め込まれた大型街頭ビジョン。そこで放送されているニュースをふと見上げたのだった。それは隣国のとある記者会見の模様。そうそれは正にグラシア達の記者会見。それからシュトナンは人間達を見渡した。たった今まで、単なる雑踏だと思っていた。しかし今もシュトナンの事など見向きもしないで行き交っていくこの人間達は最早、治安管理部の息がかかった危険因子かも知れない。
「ダークエルフって何だ?アニメだな」
「でも翼人も居るし、本物なんじゃない?」
「友達がね、この前サクリアで翼人見たって」
「エルフってあれだよな?耳尖ってるやつ」
「さすがにゲームみたいな感じじゃないだろ」
シュトナンは静かに歩き出した。ガヤガヤとした雑踏の中を。
「エルフじゃん」
ビクッとして振り返るシュトナン。しかしシュトナンに誰かが声をかけてくる事はなく、シュトナンは独りで勝手にキョロキョロする。ベンチに座ってゲームしている人間の声だった事など知る由もなく。そしてサルマン基地に戻ってきたシュトナン。しかしその一室にはディーノの姿しかなく、シュトナンは内心で首を傾げる。
「ディーノ1人?」
「あぁ」
そう応えるとディーノはサンドイッチにかぶりつく。紳士のように手を後ろで組み、シュトナンは行ったり来たりする、という静かな時間。テレビなんて娯楽にはまるで興味がない。しかしあのビルのテレビにルフガン達が映った事で、シューガーという国に、そして特攻部隊の動きにどういう影響があるのか、これは調べておいた方がいいだろう。
「んー」
ディーノをチラッと見るシュトナン。美味しいものを食べて、思わず声を漏らしてしまうのは誰にだってある事。
「どこで買ったんだ、それ」
「食堂」
「そうか。またちょっと出掛けてくる」
「あぁ」
基地内ではあるが、パッと移動したシュトナン。目の前に居たのはサミガ。
「サミガ」
振り返るサミガと、自分が呼ばれた訳じゃないのに振り返る周りの人。そうここは食堂。
「特攻部隊がテレビに映っているのを見た」
「ああ、昨日のあれか」
「テレビというのは、どういう影響をもたらすんだ」
「まぁ、マスコミってのはそもそも対政府の武器みたいなもんだしな、集まった民衆は時に国だって転覆させる。でも昨日のあれに関してはそこまでの力なんて無い」
「何故そう言い切れる」
「先ず第一に、もうそういう時代じゃないからだな」
サミガの向かいの席に座る男の半笑いでの発言に、サミガも丼を掻き込んだ後に頷いて微笑む。
「確か物的証拠は無いって言ってたな、あの異世界の男。あっちの世界はそれで良くても、ここじゃ通じない。1週間もすれば収まるだろう」
「そうなのか」
「昨日で終わりなら、な」
その男に顔を向けるサミガとシュトナン。
「新しい情報を出してくるとか、記者会見が1度で終わらなければ世論だって変わるかも知れない。あのグラシアって翼人、美人だしカリスマ性がある」
「どっちの味方だ」
そして男は笑い、ステーキ片を一口。1週間。そう内心で復唱したところで、シュトナンは目を留めた。その男が袋から取り出したサンドイッチを。
「それは美味いのか?」
「え?これか?勿論。食いたいなら頼めばいい」
シューガーの首都カケベル。そのとある歓楽街。昼時とあってかデパートや公園などが近い大通りや交差点は賑やかで、人も車もひっきりなしに行き交っていく。そこに“見えない黒い風”が吹き込んだ事など知る由もなく。直後にクラクションが強く鳴った。しかもそれは何度も響き、“普通の人間”でもイラつくようなものだ。そしてクラクションを迷惑なほど鳴かせ散らしたその車は発進した。目の前の信号は赤なのにも拘わらず。右折しようとしたが当然の如くぶつかった車。直後に玉突きで追突する車たち。一方、その近くの動物園で1匹の赤ヒョウが大ジャンプした。鉄格子ではなく、絶対に越えられない距離の溝で囲まれた飼育スペースを飛び越えたのだ。沸き上がる人間の悲鳴。キョロキョロする赤ヒョウ。それから街頭ビジョンに、速報ニュースが放送される。
「つい先程、カケベル国立動物園から赤ヒョウが逃げ出したと、動物園から発表がありました。絶対に越えられないはずの飼育スペースから逃げ出した赤ヒョウは現在動物園の敷地内を逃げているようで、動物園は直ちに閉園されました。続いては、チュウバ駅すぐ近くの交差点で玉突き事故が発生しました。信号無視をして事故を起こしたとされる車は現在逃走中です。続いては──」
サンドイッチにかぶりつくシュトナン。サルマン基地、雪原が見渡せるバルコニーで、シュトナンは人知れず声を漏らした。柔らかいパン、ちょうどよく熔けたチーズ、ローストビーフとコクの深いソース。それらが合わさった美味さに、シュトナンは頷き、そして散歩気分で意識と視界を飛ばしていく。しかしそれから、シュトナンはふと手を止めた。見下ろしたシューガーの街には、何故か至るところにテムネルがあった。それはまるでシャンバートのように。──これは・・・またイエンか。でも確かにこれなら、また目眩ましは出来るか。
パッと現れたイエン。しかしその瞬間、空気が凍りついた。強気な笑みで腰に手を置くイエン。何なんだと、言う事すら忘れるほどの“訳の分からない空気”に固まるベクルス達。そうここはクラニワの別荘地、ザ・デッドアイの潜伏場所。
「結構度胸あるじゃん。本当に特攻部隊に告げ口するなんて」
「何しに来やがった」
しかしそれでもマフィアであるから、相手にビビるような態度などとっくに忘れたベクルスはソファーに座ったまま、そう言って酒を一口。
「あたし、絶対にやられたらやり返すの」
「あ?」
「あんたのせいで特攻部隊に居場所バレちゃったじゃん」
「だから何だ」
同じく冷静に、バノが一言。
「どうしよっかなぁ。この家、壊しちゃおっかなぁ」
するとベクルスは「フッ」と笑みを溢し、それを隠すようにグラスを口に当てた。
「・・・何笑ってんのっ」
「お前ら、ダークエルフっつったか、特攻部隊に勝てるのか?」
「え?んー、うん、極致に行ければね」
「どこに行くって?」
「ダークエルフにはステージがあって、ダークエルフ自体はそもそもただの道筋だから。極致の力があれば、文明そのものを壊滅させるくらい簡単。って言ってた」
「世界を破滅って事か?そんな訳」
「そりゃあただの言い伝えだけど、でも極致はちゃんと存在するし。そんな事より、あたしはやり返しに来たの。あんた達に選ばせてあげる。この家を壊すか。あんたの仲間が、居なくなるか」
「だったら魔法でも教えて貰おうか」
子供を相手にするような笑い。そう言ってバノは酒を一口。しかし訪れたのは沈黙だった。ふと目線を上げるとイエンは困ったように眉を潜めていた。それからイエンは黙ってソファーに座った。ほろ酔いだからなのか、全然相手にしてくれない。だからってこのまま帰ったらそれこそ笑い者だ。だからイエンはとりあえずテーブルに置かれたおつまみのキューブ状のチーズを勝手に食べた。
街を歩くルーナ、キアラ、セリーアン、そしてリヒカ。あの時の思い出話とか、チュクナとジュリは今頃どうしてるかとか。そんな話をしながらやって来たのは何となく目に付いた公園。それからひらひらと花びらが舞い落ちる風景が美しい公園内の並木通りの中に置かれたベンチに3人が座った時だった、リヒカが振り返ったのは。
「・・・え」
有名な公園とあってか、犬を連れた人、ベビーカーを押す人、カップルなど、同じように散歩してる人が沢山居る中でリヒカが目に留めたもの、それは黒いモヤモヤだった。目をぱちくりさせるリヒカ。とぼとぼと歩いていく背中。思考が止まって当然だ。ダークエルフ、ましてやエルフが存在しない世界で、テムネルがあるという事自体あり得ない。しかもそれが、人間に宿っているなんて。
「どうしたの?」
問いかけるルーナ。だからリヒカは指を差した。
「あの人、何かおかしい」
「んー、うん。何か具合悪そう」
「昨日特攻部隊の人達がテレビに出てたよね?」
「うん」
「もしかしたら、特攻部隊の人に教えてあげた方がいいかも」
「何て?」
ルーナに振り返ってすぐにまたリヒカは目を向けた。黒いモヤモヤを纏い歩く、1人の人間に。
「サクリアに、テムネルがあるって」
シューガー、その首都カケベル。夕刊の新聞が風に流されていく。人間達に何度も踏まれ、グシャグシャのそれはそして1人の人間に拾われた。見出しは「崩壊ウイルス、発生源は不明」。更に載せられているのは、“白昼の街中、尻尾の生えた二足歩行の動物から逃げ惑う人間達”という写真。同時刻、その街中では軍人が物々しく展開されていて、乾いた風が“異常事態”を物語っていた。




