「逆襲のアルテミス」中編
連れ違う通行人は必ず二度見していく。当然の如く恐れるような態度を見せながら。更には信号待ちをする車の窓からは面白いように子供が顔を出していく。しかしそんな注目を浴びるヘル、ルアはまったく動じる事なく、我が物顔で街を闊歩している。
「本当に、急に暴れたりしないだろうな?」
するとまるでのんびりと優雅に乗馬でもしているように揺れながら、ルアは微笑んだ。
「しませんよ。声帯は発達してないので言葉は喋れませんが、知能は人間と同等です」
「てか、どうやって手に入れた。ケルベロス種なんてまだまだ金持ちの道楽だ。こんな田舎街にはまだまだ珍しいもんだ」
「父が貰ってきたんです。父は植物学者で、遺伝子研究の学者にも知り合いが居たので」
「ふーん。てこたぁ、良いとこのお嬢ちゃんか」
「いえ・・・」
不意に沈黙が訪れた。相変わらず雑音がざわついているが、ノイルがふとルアを見上げる。その横顔は何やら大人しくなっていた。
「私の母は、父の不倫相手でした。私を身籠ると、母は父から離れて、田舎町に身を置きました」
「そうか、まぁ人にはそれぞれ色々あるからなぁ」
「気になってたんですが、あのランバットさんとは親しいんですか?それとも、警察官と親しいんですか?」
「まぁ、どっちもだな・・・」
すると今度はノイルが口ごもり、ルアはふとノイルを見下ろした。しかしノイルは持ち前の陽気さでなのか、辛気臭さを笑い飛ばすような笑みを浮かべていた。
「俺さ、元々、警察官だったんだ」
「そうですか。びっくりです」
「へへ、ランバットとは警察学校からの仲なんだ」
「どうして、辞めちゃったんですか?」
「賞金稼ぎになったのは、妹が死んだからだ。嬢ちゃんは兄弟は居るのか?」
「はい。妹が」
「・・・そうか。妹は生まれつき病弱でさ、ずっと病院暮らしだったんだ。でも、俺が警官になって、やれ犯人を捕まえたとか人を助けたとか、そういう話をしてやるとすげぇ喜んでな。妹の笑顔を見ると仕事にもやる気が出て、その頃勢力を拡大しつつあったマフィアを潰した事もあった。・・・けど、ある日、非番の時、妹と病院の敷地内を散歩してた時、その潰したマフィアの一員だった奴が襲ってきて、妹が撃たれて死んじまった。まだ15歳だった。・・・それから、俺はマフィア専門の賞金稼ぎになった」
「・・・ごめんなさい」
「いやぁ・・・へへ。今あのアジトにはな、その潰したマフィアの一員だった奴が、妹を殺した奴が居るんだ。あの時は撃ち倒してやったが命を取り留め、退院して逮捕されるってなった直前、逃げやがった。けど賞金稼ぎをやってる内に、あいつがあのアジトに来るって情報を掴んだって訳でな」
「警官だったから、強いんですね」
「まあな、格闘も銃の腕も割りとイケるぜ」
この丘を越えれば、再び下水道への入口に。というところで、ヘルは立ち止まった。何事かとノイルは目を向ける。そのままルアはヘルの背から降り、ヘルの首筋を撫で下ろした。
「何してんだ」
「見張りが居るようです」
「え?目の前は丘だ、見える訳ねぇ」
「見たのではありません、感知したのです」
「あー、まさか、あの例の噂の、魔力か?」
「いえ。そもそも魔力以前に、ヘルは嗅覚だけで、1キロ以内の全ての生物を判別出来て、位置が分かります」
「まじでか。じゃあ、魔力ってのは何だよ」
「幾つかある内、1番解析されているものは、テレパシーです。原理としては、イルカのコミュニケーション能力に非常に近いとされています。イルカと違う点は、人間の言語の理解度です。イルカは、人間に調教されてショーに出ますよね?」
「あぁ」
「それは人間の言語をある程度理解出来るから可能な事です。でも逆を言うと、イルカはある程度しか人間の言語を理解出来ない。でもケルベロス・ヘルハウンドの特徴は、“人間と全く同じように、人間の言語を理解出来る”という事です。でも問題なのは、テレパシーでコミュニケーション出来る条件として、双方がテレパシーを使えなければならない、という事です」
「あー、送信出来るから受信出来るって事だろ?だから人間はイルカの音波を解析出来ない」
「その通りです。でもケルベロス種は、テレパシーが使えない脳を持つ人間に、テレパシーを受信させる事が出来ます。その不可解さが、魔力と呼ばれる理由です」
「ほう・・・なるほどな。てか最初に言ってた、幾つかある内って、まぁいいや、とりあえず、どうすんだ?」
「表の人達はヘルに一掃して貰うとして、私の服と持ち物がどこかにあるので、それまで付き添って貰っても良いですか?そしたら私、代わりにノイルの事も手伝いますから」
「いやでも」
「手伝いたいんです」
「まぁ、しょうがねぇか」
立ち上がったヘルと、ルアが顔を見合わせる。首筋を撫で下ろしながらルアが黙って頷くと、ヘルも黙って頷いた。テレパシー。そんなものが実際に行われているのだろうかと、ルアとヘルを見ながらノイルはそんな事を思っていた。
「それじゃヘル・・・・・・ゴー!」
ヘルは一気に丘を駆け上がった。2メートルの巨体は鋭い爪で支えられ、まるでスパイクを履いた人が走るように颯爽と丘の下へと消えていった。
「うわああ!!!」
丘の下からは案の定叫び声がした。ルアとノイルも丘を上がり、下水道への入口へと下りていく。そこでノイルは目を見開いた。何故ならそこに居た4人の内の1人がノイルの顔見知りだったからだ。ノイルは自分でも血の気が引いていくのを感じた。ヘルは無情に人を叩き飛ばしていく。1人、また1人無法者達が倒れていき、瞬く間に遂にはノイルの顔見知りだけが残された。
「やめろっ」
「ん?・・・おお、ノイルじゃないか」
「逃げろっ」
しかしノイルと顔見知りの男、ジェルは微笑んでノイルに手を挙げていた。まるでヘルの事を見ていない。
「ノイル、大丈夫です。あの人は、ノイルの知り合いですか?」
「え?あ、あぁ、いやあいつ、例の内偵班だ」
「じゃあ警官なんですね」
「どうなってやがる」
ノイルは目を疑っていた。3人の無法者は紛れもなく襲われて地に伏しているのに、ヘルはジェルの事など見向きもせずに駆け寄っていくルアに尻尾を振っている。
「ノイルどうした、右肩」
「あーいや、転んだ」
「そんな訳ないだろ?何だ、まさかアジトの奴らと、何かやらかしたのか?」
「いやぁ、そのぉ、でもお前らには迷惑かけてねぇよ。とりあえず女の子は助けた。売人は、この例のケルベロス・ヘルハウンドにやられて死んだけど」
「・・・そうか。騒ぎはお前らの仕業だったのか」
「てかどうなってんだよ。嬢ちゃん、何でジェルは襲われなかった」
「ケルベロス・ヘルハウンドは、人の心を読む事も出来るんです」
その一瞬、ルアとヘルは目を合わせた。ルアはまるで呼び掛けられたように急にヘルを見上げたのだ。
「4人の内、ジェルさんだけから恐怖している時のフェロモンを感じたから助けたと言ってます」
「あぁ、俺も最初はビビったが、すぐに頭の中に『助けてあげる』っていう言葉とノイル、お前があそこに居るイメージ映像が流れ込んできたからな」
「まじでか。ここまでくると神がかってるな。まさか素性がバレたとか?」
「そうなんだよ。これから正になぶり殺されるってとこだった。いやぁ、ホントに助かった、ありがとなワンコ」
「ワオン」
「んで、お前ら、何しに来たんだ?」
「元セリン・ブルドのメンバーだったバリュートって奴、居るよな?」
ジェルはなるほどと言わんばかりに、そして半ば呆れ気味に頷いた。非番の警官が潰れたマフィアの一員だった男に襲われたという話は、マフィア対策に動いている警官の間には知れ渡っている。もうノイルは一般人だが、警官として同情出来るからこそ、ジェルは困ってしまったのだ。
「だが今騒ぎを起こすとなあ」
「頼むよ、俺が来た事あいつに知られたらすぐにでも逃げられちまう。そうなったら次いつ動きを掴めるか分からねぇ。俺が個人的にあいつの下に行ったことにすれば問題ねぇだろ?」
「はぁ・・・分かった。その代わり、それが済んだら、もうこんな事やめろよ?」
「へへ、分かってるよ」
「で、嬢ちゃんは何しに来た」
「先ずは奪われた服と持ち物を取り返します。それからノイルの事手伝います。そう約束しました」
「そうなのか。嬢ちゃん、戦えるのか?」
「はい、そこら辺の女の子より、全然戦えますっ」
「そうか。なら、地下1階だな。そこは麻薬や武器の在庫保管室、まぁ、在庫保管室っつう名の牢とか、それからカジノで得た収益の金庫室、スタッフルームがあったりっつうフロアだ。売り飛ばされてなければそこにある可能性が1番高い」
「はい、では行きましょう」
「っておいおい、ワンコも一緒か?流石に無理じゃないか?」
「何メートル先のどの方面から、何人がどう近付いてくるかとか、全部分かるんですよ?」
「ワウーン(そうだそうだー)」
「分かった分かった。じゃあ後ろからついて来て何かあれば教えてくれ」
広く風通しの良い下水道。両端はしっかりとした足場になっていて、水が流れるのは中央だけとなっている。幸い人気が無く、その薄暗さがより一層際立っているそんな下水道を歩くのは、ピストルを持った2人の男性、そして少女を乗せた1匹のイヌであった。
サーサーと、まるで川のせせらぎのような音が流れだす。すると人々は息を飲み、自分達の周りの騒ぎなどまるで受け付けなくなる。人々は各々、数字やマーク、あるいはマスの交差点へと自分のチップを置いていく。それからベルが2回鳴った。人々は、次第に速度を落としていくボールに釘付けだ。そこじゃない、そこじゃない、そこだ!と、そんな声は出ない。その瞬間、人々のそんな静寂という喧騒はピークに達した。ボールがポケットへと落ちた時、その中の1人の男は握り拳をテーブルに叩き付けた。
「クソッ」
そう言葉を吐き捨てると、バリュートは自分のコップを取り、酒を飲み干した。しかしそんなバリュートの一瞬だけ空気をピリつかせるような悪態など誰も気には留めない。ここはそういう所だ。バリュートは席を立つと、バーへ向かった。足取りは少しおぼつかない。眼差しもたまに焦点が合わなくなる。1つのテーブルでは無法者の男達が女を連れ込み、葉巻をふかし合い、酒を交わしていて、そこにバリュートがやってきた。一瞬にして会話と笑い声が打ち消される衝撃が鳴った。バリュートはテーブルに叩き付けた空のコップから手を放すと、勝手に酒の入ったコップを手に取り、それを一口飲み込んだ。
「おいおい、ちょっと待てバリュート、お前に奢る酒はねぇよ」
「うるせぇっ!」
そう威嚇すると、バリュートは近くに居た女の胸ぐらを掴んだ。その力はコントロールなどされておろず、容易く服が破けて胸元の下着があらわになるほどだった。
「きゃっ」
「だったら金よこせよっ!」
「分かったからやめろバリュート、おいっ」
バリュートと顔見知りの男はふと疑問を抱いた。そしてバリュートを自分の方へ向かせると、その眼差しを凝視した。
「酒はやる。だがちょっとクスリが切れかかってんじゃねぇか?酒の前にクスリやってこい、な?」
「・・・そう、だな」
バリュートは酒を持ちながら、ため息混じりにバーカウンターの脇にあるカーテンの向こうへと消えていった。
「悪いな、後で新しい服買ってやるよ」
「なぁ、あいつ、ほんと変わったよな」
別の男がそう口を開くと、バリュートと顔見知りの男はため息混じりに相槌を打つ。その男2人はバリュートの事をよく知っていて、彼の“クスリ”の事を知っている。しかし服を破かれた女はそんな事は知らず、すかさず一般的な意見を口にした。
「クスリなんてやれば変わるのは当たり前じゃないのよ」
「いや、あいつがやってんのは、大麻とかハーブ、覚醒剤とかそういうもんじゃない。ザ・デッドアイっていうマフィアが取り仕切ってる新しいクスリでな」
「クスリはクスリよ」
「あっはっは、そりゃそうだ。けどあいつが変わったのはクスリをやるちょっと前からだ、前はあんなんじゃなかった。どこにでもいるマフィアの下っぱって感じでさ」
「あいつが、病院で警官を襲った時くらいからだよな?」
「あぁ、ザ・デッドアイと関わり始めた頃からだな」
「ヤバい事でもやってんじゃないか?」
「まぁそうだろうな」
下水道を抜けようという頃のノイルとジェルの頭の中に、ふっとイメージが流れ込んできた。地下牢を歩く1人の男。ノイルとジェルはすかさず地下牢への扉の脇へと身を潜めた。ノイルが扉の小窓から地下牢を眺めていく。コツコツと、地下牢に響く足音が近付いてきて、そしてやがて扉が開かれた。
「動くな」
途端に2人の男に銃口を向けられた男は固まった。銃口を向けられ、しかもケルベロス・ヘルハウンドに見つめられていたからだ。時間が止まったかのような静寂が訪れた。しかしふとルアが気にかかったのは、銃口を向けられているのに、無表情なその態度だった。
「なんだあれ」
無表情の男の呟きに、ノイル、ジェル、ルアは男の目線を追った。カシャンと、銃と何かが当たる音。同時にノイルは腹を蹴られて倒され、ジェルは顎を殴られ倒れ込んだ。ルアがヘルの背中からそこを見下ろした時には、すでに男は姿を消していた。
「くっそ、やられた」
ノイルはとっさにドアノブへと手を伸ばす。しかしドアノブは回る事なく、ガチャガチャという音はまるで扉がノイルを拒絶しているようだった。
「うわくそ、しかも中から鍵かけやがった。仕方ねぇ」
ノイルは扉に銃弾を撃ち込み、強引に扉を開けていった。
「(何でこんな事に引っ掛かるんだろうね)」
「もー、ヘルぅ、教えてあげれば良いのに」
「あ?ワンコが何か言ったのか?」
「ジェル、んな事いいだろ。さっさと行くぞ、内偵だってバレちまうぞ?」
「あぁ、だよな」
ヘルの背中から、ルアは自分が入れられていた牢をふと見下ろした。
「(ここに入ってたの?)」
「そうなの」
「(もしかして、ここで着替えさせられて、武器取られた?)」
「うん。まさか匂い、追える?」
「(出来るかも)」
「おーい嬢ちゃん、何してる」
「ノイル、ヘルがここから私の服の匂い追えるかもって」
「え?ああ、じゃあ俺らはバリュートを捜すから、早いとこ用済ませてくれ」
「はい」
地下牢にあるのは下水道への扉、取引会場への扉だけではない。つまり地下牢は一本道ではなく、牢と牢の間の扉から廊下へ出られるのだ。ルアはその扉を開け、ヘルと共に廊下へと顔を出した。少女とイヌはまるで双子のように、右を向き、左を向き、また右を向く。
「(こっち)」
一方ノイルとジェルは、今は人身売買が行われていない小さな会場へと出ていき、そこから“デパート”へと忍び込んだ。しかしその直後、ノイルは遠くから2人だけを真っ直ぐ見る大柄の男と目を合わせた。内心で舌打ちを打つ。すると大柄の男は敵意に満ちた形相で近付いてきた。
「ジェル、見つかった」
「え?うわ、お前だけでも逃げるか?」
「そんな事言ってる場合じゃない、こうなりゃヤケだ」