「兵士の誇り」前編
ティネーラは頭が真っ白になった。繋がるはずの信号が繋がらない。確証は持てないが、考えうる可能性には検討がつく。ゴーストビルのホールのコントロールパネルの前に立ち尽くし、ティネーラは頭を巡らせる。――まさか、王間のホールに何かあったのだろうか、と。 そんな時に、エレベーターの扉が開いた。ふとティネーラは目を向ける。
「どうかした?」
「アテナ姫、戻れないみたいです。もしかしたら、王間のホールが意図的に傷つけられたのかも知れません」
「そんなに急いで戻らなきゃいけなかったの?」
「こっちに来る直前、大広間に初めて見るタイプのギガスが現れました。そこに居合わせた俺とグラビスと、アポロン王子が襲われました。アポロン王子と話をしていたザ・デッドアイの幹部の1人が去る時、もう俺達に用は無いと言ってました。アテナ姫にギガスを寄越したのもそいつで、アポロン王子はあのギガスの弱点をアテナ姫に伝えて欲しいと俺に向かわせ、それきりです」
「じゃあ今も、アポロンはギガスと?」
「はい。しかも俺を庇ってグラビスが痛手を」
「あらっ、じゃあ――」
〈ヴオオオン〉
突然の重低音、そして激烈な「不快感」。まるで内臓という内臓が細かく震わされているような。ティネーラとアテナは一様に頭を押さえ、腰を曲げる。2階でも同じく、ルア、アルテミス、ヘルも不快感に襲われていた。
第6話「兵士の誇り」
ルアとヘルはあの時の事を思い出していた。ルーナが警察に連れていかれてしまった時だ。襲ってきたあの虫が放った重低音。つまり今、近くにまた虫が来たという事だ。
「ヘル、どこ?」
「(上、屋上かな。あ、入ってきた。こっち来るよ)」
重低音が止み、不快感が治まるとルアはプリマベーラのグリップを握り締める。また爆薬付きの矢で殺すだけだと。
「今のは、一体何ですか」
「あの虫ですよ。元はアルテミスさんの世界に居るものなんですよね?」
「魔虫ですか。確かに魔虫は私の世界に居るもの。しかし今のは、初めてです。魔虫に、こんな事が出来るはずはありません」
「え、そうなんですか!?」
「(もしかして、ボク達の世界の遺伝子操作技術を使って、ザ・デッドアイが新種の魔虫を作ったのかな)」
「じゃあ、私達が見てきた魔虫がそもそも、新種って事かな」
「(多分ね。2階に来たよ、あっちから来る)」
それから数秒後、廊下の角を曲がってきてそれは現れた。ルアとヘル、そしてアルテミスさえも、“初めて見るタイプ”だと一瞬固まった。真っ先に目に付いたのは“白い毛皮”。次に前脚が変化したと思われる“ヒトのような腕”。赤い眼は相変わらずだ。しかし最早“それ”はただの“巨大な虫”ではなく、“虫のような動物”とも言えるものだった。
それでもすぐさまルアは、トリガーを引いた。ハンマーが戻り、矢が放たれる。ライフリングの施された銃身を抜けて矢は風を切り、矢自体にも付けられたヴェイン、つまり矢羽がその回転力を助力する。銃弾のように、矢は一直線に“それ”を襲った。直後に爆炎が“それ”を覆う。しかしその後に起こった事に、ルアは目を見張った。“それ”に襲い掛かったはずの爆炎が“一瞬にして”消え去ったのだ。更に“それ”にはほとんどダメージが無い。
「グガラララッ」
そんな音を携え、喉と横開きの口が震えた。その挙動には覚えがある。そうルアとヘルは同時にとある事を想像し、同時にとある呪文を放った。
「光壁!」
ルアとヘルは同時に叫ぶ。しかし目の前には何も見えない。何せ光の壁なのだからと、以前にアルテミスが微笑みながら言っていた。そして目の前が歪む。向こう側がグニャグニャになるほどの空気の歪み。けれども明らかにそこに壁がある、そんな時――。
〈ヴオオオン〉
ルアは頭を抱える。集中が途切れ、見えない壁に光の屈折という亀裂が入る。
「(ルアっ!)」
その一瞬、ルアの体は吹き飛んだ。衝撃が体に響く。しかしルアには分かっていた。動けない自分の前に、ヘルが飛び込んだ事を。ヘルと一緒に吹き飛んだルアは背中を壁に打ち付けたがそんな事など気にも留めない。
「ヘルっ!」
「(い・・・てて)」
動けないほどの痛みに、最早言葉を送る余裕のないヘル。しかしその代わりイメージだけがルアの頭に流れ込んできた。自分も超音波を放ち、少なからず衝撃波を小さくした、そんなイメージだ。ルアは内心で少しだけ安堵し、振り返って再びプリマベーラを構える。トリガーを引いたまま、ハンマーを引く。直後に放たれる爆薬付きの矢。しかし今度は明らかに“それ”に届く前に矢は爆発した。目を細め、それでもルアは矢を放った。爆風を突き抜けていく矢。直後に矢は爆発し、呻き声が聞こえた。ベチャッと赤い液体が壁や床に散る。背中から生えている虫の脚が1本もげていた。痛みからか、“それ”は威嚇する獣のように声を上げる。
「グガラララッ」
「光弾!」
アルテミスが声を上げた。先程ヘルがやったものと同じ魔法。しかしアルテミスの手から放たれた光の球体は、ヘルのとはまるで速度が違っていた。ヘルが放ったのはせいぜいプロ野球選手の全力投球ほど。しかし“それ”を強く吹き飛ばしたその速度はまるで目で追えない。倒れているヘル、ヘルに寄り添うルアを庇うように、アルテミスが前に出る。壁にヒビが入るほど吹き飛んだ“それ”は再び声を上げ、そして羽を振るわせた。
〈ヴオオオン〉
アルテミスは成す術もなく頭を押さえ、身動きを封じられる。そこに、横開きの口が震えた。そして空気の歪みが駆け抜ける。ルアはただ眺める事しか出来なかった。悪魔のような風音と衝撃波に襲われるアルテミスを。床が捲れ、舞い、アルテミスが吹き飛び、激突された壁に亀裂が走る。それでも外見的に無傷なのは、その金色の鎧のお陰なのだろう。しかしアルテミスは起き上がりながら、険しい表情で“それ”を見つめる。精霊使いが魔法を封じられる、これ程の絶望は初めてだと。
「アリーっ!」
「お姉様・・・気を付けて下さい」
「うわ、何あの魔虫」
「アテナ姫、恐らくはザ・デッドアイが作ってる新種の魔虫かと。俺も見るのは初めてですが」
「ふーん、とっとと片付けちゃおう」
その一瞬、アテナは“それ”に指を差し、“それ”はアテナを真っ直ぐ見つめ、羽を立てる。
「雷火!」
〈ヴオオオン〉
その場の全員が頭を押さえる。最強の騎士と唄われた、アテナでさえも。集中は途切れたが、アテナは辛うじて放たれた雷火を見つめる。電撃音と共に走る火花は歪み、曲がり、まるで強風に煽られた矢のように力無く消え去った。そこに、横開きの口が震えた。
ノイルとストライクは、外付けの非常階段を下りて表玄関に回り込み、ようやくルアの下へと駆け付けた。一直線の廊下を走りながら、2人の男達には見えていた。倒れたヘル、ヘルに寄り添うルア。それから壁際で不安げに立ち尽くすアルテミス、知らない男。そしてその全員を庇うように大の字で立ち尽くす知らない女を。その黒い鎧に身を包んだ女が何を見ているのかは分からない。それでもノイル達はその情景に、自然とグリップを握る手に力が入る。
「嬢ちゃん」
「ノイル来ないで下さい」
「おえ?」
「魔虫です。初めて見るタイプの」
「お、マジか。映像で見たが、羽音と衝撃波で襲ってくるだけなんだよな、よっしストライク、やってやるか」
「そうですねぇ」
ルアは呆気に取られた。何故逆に火が付いたのかと。ストライクさえもむしろ持ち前の爽やかさを取り戻していく。確か、ノイルとストライクは巨大な虫との交戦経験が無かったはずだ。ルアは血の気が引く思いでノイル達を制止する。
「大丈夫だって、嬢ちゃんの親父さんがな、武器くれたからさ、へへ」
「え、お父さんが?いつですか」
「まぁ、嬢ちゃんが目を覚ます前だな」
廊下の角から顔を出し、ノイルは戦況を見る。何故黙ってこの女と魔虫が見つめ合っているかは分からないが、魔虫の方はおおよそ見た通りの魔虫だ。それよりも気になったのは、魔虫ではない生物の亡骸だ。
「ん?あんたら誰?」
「自己紹介は魔虫をやってからゆっくりな。てか、何でお互い動かないんだよ」
「衝撃波も魔虫も、怖がってあたしには襲わないからね」
「・・・へ?」
「ノイルさん、とりあえず行きましょう」
「そうだな。嬢ちゃん、トドメは頼んだぞ?」
「・・・え」
ノイルとストライクがアテナより前に出た瞬間、明らかに“それ”の挙動が変わった。それはまるでようやく“敵を認識した”かのよう。するとすぐさま“それ”は肩を落とし、羽を立てた。
〈ヴオオオン〉
仁王立ちのまま、アテナは顔をしかめる、何度食らっても馴れない不快感。しかし彼女の目に映ったのは、腰を曲げながらもしっかりとした足取りで歩き、武器を構える2人の男達だった。誰だかは知らない。けれどその後ろ姿は、希望そのものだった。
超軽量の防弾ベストに施された機能、その名も制震機能。震動を伝達し、背中の下部辺りにある2つの放熱板でもってエネルギーを瞬時に外に逃がす。つまり、従来では“ただ銃弾を防ぐだけ”で、衝撃は無力化出来なかったものを、これであれば例えマシンガンで撃たれていながらにしても平然と歩けるという事だ。しかしあくまでベストなので、それ以外の人体への影響は免れない。ましてや未知の生物である魔虫の放つ重低音など、完全に防ぐ事は出来ない。しかしあると無いとではその「不快感」は格段に違い、体中に蠢く震動は、歩けなくなるほどではなくなる。
羽音が止んだその瞬間、2人はスタンピストルを連射した。銃声が響き、ブチッと“それ”の体に何かが刺さる音が立つ。ビクビクと“それ”が痙攣していく。
「グガ、ララ・・・ラ」
横開きの口が、痙攣して震えていた。それからプスッと口から空気が抜ける。
「嬢ちゃん!」
そこへ駆け付け、ルアは爆薬付きの矢を放った。
「・・・さてと、あたしはアテナ。アルテミスの姉で、アポロンとは双子なの」
「そうか。俺はノイルで、こっちがストライク。何で居るかってのは、あんたの妹の方が上手く説明出来ると思うぜ?」
「ん?」
「お姉様、ヘルには私の守護獣として契約して貰いました。ルアはヘルの家族で、ストライクはルアの付き人で、ノイルは私の付き人です」
「つ、付き人・・・まあいいか。で、そちらさんは?」
「俺は、ティネーラ。アテナ姫の・・・部下だ」
そんな説明をしたティネーラに、アテナはニヤリと微笑みかける。そんなアテナに、ティネーラは気恥ずかしそうに目を逸らす。
「なあ、魔虫じゃない方の死体は何だよ」
「ギガス。あたし達の国、プライトリアと戦争してる国、アマバラからの刺客ってとこかな。でもそのギガスがホールを通ってこっちに来たって事は、ザ・デッドアイと繋がる黒幕は、アマバラって事だろうね」
「アテナ姫、すぐに別の拠点へ行きましょう。そこからあちらへ戻り、アポロン王子を助けに行きます」
「うん、そうだね」
「あんた、ザ・デッドアイの拠点、知ってんのか?」
「まあ。今さっきまで、ザ・デッドアイ側だったからな」
「それって、ザ・デッドアイがどうしてそっちにコンタクトを取ったか、何で魔獣なんて作ってるのか知ってんのかっ?」
「全貌は知らない。あくまで俺はアポロン王子についていっただけだ」
「頼む!知ってる事があるなら教えてくれないか?」
「何故、そんなに」
「俺の妹は、ザ・デッドアイに殺されたようなもんだからだ。だから俺は、ザ・デッドアイを潰す為に動いてる」
「そうか・・・。俺が知ってるのは、ザ・デッドアイは力を求めてるって事だ。その為に魔虫の遺伝子を求め、人間を魔獣へと進化させ、魔虫自体も進化させて軍隊を作る。何の為かは知らないが、ただひたすらに力を求めてる、そんなとこだ」
その頃アポロンは、ギガスと対峙していた。初めて見るタイプのギガス。固体ごとにコアの場所が違い、未だに弱点は分からない。いつも静けさに満ちている大広間。そこには炎が燃え上がる音や打ち付けられるような衝撃音、そしてギガスの呻き声が上がっていた。
「グラビス大丈夫か」
「えぇ、お陰で傷は塞がりました」
壁にもたれ掛かり、虫の息だったグラビスに纏っていた、緑色の柔らかい光球。それが消え去った今、グラビスの顔色は回復していた。
「火柱・覇王剣」
火柱の炎が濃縮された輝く大剣。そんなものを携えたアポロンが走り出す。ギガスは手に黒炎を纏わせ、アポロンを迎える。足を焼いても、腕を焼いても、ギガスは死なず、再生する。それならいっそ、全身を焼いてしまえばいい。そうアポロンは大剣を豪快に振り回す。黒炎が吹き散り、ギガスの腕が宙を舞う。間髪入れず、アポロンはギガスの胸元へと大剣を突き上げる。その直後、炎の大剣は柄から押し上げられるように原形を崩していった。濃縮された炎が爆発したのだ。それが覇王剣の必殺技。瞬時にギガスは爆炎に呑まれた。そしてやがて、真っ黒な物体がゆっくりと倒れ込んだ。微かに灰が舞い、静寂が訪れる。アポロンは安堵し、王間へ上がった。王間にあるホール、それは無残にもギガスに破壊されてしまった。修復には数日はかかるだろう。
「アポロン王子!」
大広間からの呼び掛けに、アポロンは階段を駆け降りた。そこでアポロンは目を疑った。全身真っ黒だったギガスの体が、所々色付き始めていたからだ。――あり得ない。アポロンは内心でそう呟く。今にも動き出しそうなギガスに歩み寄り、眺める。まるで1つ1つの細胞に生気が宿るように、きめ細かくギガスの体が色付いていく。そんな時、アポロンはふと目を留めた。真っ黒に焦げているとは言え、まるで鼓動のように蠢く小さな光に。明らかに心臓ではない。そこは頭部だ。そして光の正体は頭部に生える、1本の宝石のような角だった。まさかこれは、コアなのか。いやきっとそうだ。確かにこの角は凄まじく硬い。しかしこれさえ破壊出来れば、このギガスは死ぬ。
「火柱・覇王剣」
アポロンの手の中で、炎が燃え上がり、大剣となった、そんな時――。
〈ヴオオオォォン!〉
「ぐおあっ」
何だ!何だこれは!・・・。
アポロンは頭を押さえ、腰を曲げる。その直後、アポロンの目に映ったのは、大広間に入ってきた1匹の見たことのない魔虫だった。覇王剣が消え失せた事などとうに忘れるほどの「不快感」。全身に蠢く震動。
「グガラララッ」
それからアポロンが見たのは、魔虫の体が歪んで見えるほどの衝撃波だった。爆音のような風音、成す術もない衝撃。アポロンが起き上がる時、すぐ横に見えたのは首のへし折れた動かないグラビスだった。アポロンは言葉を失っていた。そしてふと魔虫の方へと目を向ける。そこには、起き上がったギガスの姿があった。




