悪役令嬢に転生しましたが、それより憧れのあの人を目指します。
紅薔薇の君が倒せない
オリビア=フーエンシュタインはルーシスフェルドの地で、最も麗しい変人だ。
ルーシスフェルド皇国皇太子シュベルツ=エルセルムこと、俺は、そう確信している。
思えばあの女は、初めて出会った瞬間から、どうしようもなく、奇天烈だった。
「――お初にお目にかかります。私はオリビア=フーエンシュタインと申します。以後お見知りおきくださいませ」
11歳の誕生日。婚約者候補だと紹介された少女が完璧な臣下の礼を取りながら口にした向上に、俺は唖然とした。
膝を立てながら、忠誠の証に手の甲に口づけを落とすその仕草は実に自然で、模範的な型を取っていたが、それはルーシスフェルドにおいてあくまで「男性」がすべき礼であった。
本来なら裾を摘まむべきドレスの代わりに、貴族の少年が身に纏うような黒のズボンを履いたオリビアは、腰以上の長さが女性では一般とされる髪を肩まで切りそろえた豊かなブロンドを揺らしながら、微笑んだ。
噂に違わず見目麗しいが、その姿はどう見ても、美少年にしか見えない。
「シュベルツ殿下にお会いできて光栄です。…ですが、私は殿下の婚約者候補ではなく、友になりたいのです。一緒に剣の稽古を嗜んだり、時には臣下として、時にはライバルとして切磋琢磨できるようになりたいのです」
その日口では「婚約者なんぞいらない」と拒絶しながらも、内心社交界で絶世の美少女と噂されるオリビアとの邂逅を楽しみにしていた俺の期待は打ち砕かれた。
さようなら…俺の初恋。
「――っくそ!!また、あのゴリラ女に勝てなかった!!」
「…オリビア嬢に決闘を申し込んで負けるのは、これで21敗めかい?懲りないね~君も」
俺は呆れた視線を送る、友人であるアーノルドをにらみつける。
アーノルドは茶化すような仕草で、「怖い怖い」と肩を竦めてみせた。
腹が立ったので蹴り飛ばそうとしたら、軽やかに避けられた。…アーノルドの癖に生意気だ。腹が立つことこの上ない。
「勘弁してくれよ。僕は文官志望でひ弱なんだ。このところ訓練が趣味になっている君に蹴り飛ばされたら、肋骨が折れてしまうよ」
「…ふんっ、男らしくない野郎だ」
「それを言ったら、そんな君を簡単に伸すオリビア嬢が一番男らしいことになってしまうよ?」
「…………」
腹が立ったので、アーノルドの足を思い切り踏んでやった。
ご自慢の「繊細な」美貌を歪めて情けなく絶叫する様に、少し気分が晴れる。ざまぁみろ。
「……そんなに機嫌が悪くするとなるなら、もうオリビア嬢に決闘を申込むのはやめればいいのに~!!一体いつまで続ける気だい!?」
「俺が勝つまでだよ!!」
「一体何十年オリビア嬢に付きまとえば…んぐああ!!」
「すまん、手が滑った」
アーノルドがあまりにうるさいので、「うっかり手が滑って」鞘に収まった剣をその頭にぶつけてしまった。
どいつもこいつも皇太子である俺に対する敬いが足りなくて困る。
まぁ、『校門をくぐれば身分の垣根なく』がこの学園の校風であるし、それ故に気の置けない友人を作ることが出来ているのだが。
そして俺に、その校風を教えたのは、他でもない、あのゴリラ女だった。
この学園に入学して、噂だけで勝手にイメージを膨らませて抱いてしまった恋心を、粉々に打ち砕いた女と数年ぶりに再会した。
初めての邂逅時、俺の受けたショックは凄まじく、婚約者候補にすることは勿論、友になることも拒絶した。
あまりにも子供っぽい対応かもしれないが、だって、考えても欲しい。
物心ついた時から、政略結婚を目論む周囲の思惑から、オリビアの容貌がどんなに美しいか、どんなに愛らしい少女か吹き込まれて育ったのだ。特に二枚舌で知られるオリビアの父親の饒舌は凄まじく、話だけで恋心を抱かせるのは十分だった。
実際、容貌だけで評価するなら、想像以上だった。神はかくも美しい人間を作りたもうたのか、と思ってしまう程の美貌だ。
だがしかし、その実態は男装趣味の変人だ。ショックでそれ以上関わりたくないと泣き喚いた幼い俺は、きっと悪くない。
周囲もそんな俺の心情を察して意図的に俺がオリビアと顔を合わせないように取り計らってくれ、俺はその後4年間、一度もオリビアと顔を合わせることが無いまま学園に入学した。
4年ぶりに邂逅したオリビアは、一層美しく成長していた。
美しく成長しながら、合いも変わらず男装を続けていて、絶世の美少年の風情で女に囲まれていた。
俺は女に紳士然とした優しい態度をとる態度をとるオリビアになぜか酷く腹が立って、気が付けばオリビアに突っかかっていた。
相変わらず、そんなバカげた仮装を続けているのか、男女
お前が婚約者候補になっていたらと思ったら、ゾッとする
本当は皆お前のことを笑っているんだぞ。恥ずかしくないのか、女のくせにそんな恰好をして
他にもかなりひどい言葉も言ったように思うが、興奮していて余り覚えていない。俺は何故かあの時、酷くあの女を傷つけたくて仕方なかったのだ。
しかし、そんな俺の言葉を、あの女は笑顔で軽く流した。まるで俺のことなど気にも留めていないようなオリビアの態度が、ますます俺を苛立たせた。
しかし、次に発した言葉が、オリビアを切れさせた。
『はっ…こんな男女を持て囃すなんて、周りの女も頭がおかしい奴らばかりだな!!』
次の瞬間、俺はオリビアに投げ飛ばされていた。
訓練で、投げ飛ばされたことはある。オリビア以上に乱暴に地面にたたきつけられたことも。
だが、それは男の、それも国の屈指の兵士だった。
だけど、オリビアは自分と同じ年の、それも女だ。
俺は、女に投げ飛ばされたのだ。
『…っお前!!何をっ!!』
『…先に私を侮辱したのは、貴方様でしょう。シュベルツ殿下。…否、シュベルツ。別に私を侮辱する分は構わないが、私を好きだといてくれる彼女たちを侮辱することは許さない』
『お前っ!!!俺は皇太子だぞ!!こんなことをして許されると思っているのかっ!?』
『おや、君は知らないのか。ここの学園は門を潜ったその瞬間から、どんな身分の生徒も平等の立場とみなされる。生徒間の諍いとして私が学園から罰されることはあっても、君が皇太子だからといって罪が重くなることはない』
『…っ』
『しかしこんな場面で自分の立場を笠に着るとは、随分と子供じみているな。こんな人間が皇太子では、この国の未来が思いやられる…』
『貴様っ!!俺を愚弄するのかっ!!』
完全に頭に血が上った俺は、手に嵌めていた手袋を投げ捨てた。
『お前が男のように扱われることを望むというのならば、遠慮はいらないだろう!?俺は、正式な作法に乗っ取って、お前に決闘を申し込む!!皇太子としてではなく、名誉を傷つけられた、一人の男として!!受けるというのならば、その手袋を手に取れっ!!』
女相手に何を、とも思わなくは無かったが、それでも俺は正式な作法に乗っ取ってオリビアに決闘を申し込んだ。
もしオリビアが男だったら、俺は少しも躊躇いが無く同じ行動を取っただろうし、その選択自体は間違っていないと確信している。
ならばオリビアが女だとしても、彼女が男のように扱われるのを望む以上、今の自分の行動はきっと正しい。
そしてオリビアは一瞬驚いたように目を開いた後、不敵な笑みを浮かべて、手袋を受け取った。
『――あぁ、受けてたとう。シュベルツ』
かくして、通算21回にもなる決闘の、最初の一回目が始まったのだ。
結果は、言うまでもないだろう。言わせるな。
「…しかし、オリビア嬢は本当に見目麗しくて、お強いね。彼女が男に生れていたらと嘆く女性の数は一体どれほどいることやら」
アーノルドの言葉は、他の人間からも幾度も聞かされた言葉だ。
俺は大きくため息を吐いた。
「…どいつもこいつも、本当に見る目がない」
「おや、シュベルツ、いくら君のファンがことごとく取られているからといって男の嫉妬は醜いよ」
「嫉妬じゃないっ!!」
本当、どいつもこいつも分かってやいやしない。
あんな男装女の、どこがいいんだ。
夕刻。俺は、神子であるサヤカ=ストーに会いに行く。
彼女は、異世界から召喚され、この世界の人物と子を成すことによって世界を安定させる存在。
いくら世界の為とはいえ、全ての過去をこちら側の都合で捨てさせてしまった責任は王族として取らなければならない。彼女は…こちら側にとっては幸いなことに…向こうの世界では天涯孤独だったということだが、それでも友人等はいただろうし、世界そのものへの愛着だってあっただろう。
自分が彼女の未来の夫として立候補する気はさらさらないが、彼女の生活に不便が無いように取りはかるのは同じ学園に通う俺の役目であり、それが彼女を召喚した王族の端くれとしての責任だ。
しかし、いつもは明るいサヤカの様子が、今日はどこか上の空でおかしかった。
俺が来ても、熱に侵されたかのように宙を見ている。
「サ、サヤカ?」
「…シュベルツ殿下。私は理想の王子様に出会ってしまったようです。薔薇が似合う、あの方にも良く似た、理想の方に…」
サヤカの言葉を聞くなり、俺の口元は引きつった。
『紅薔薇の君』
それは、オリビアにつけられた学園での通称だ。
そして俺は、否、俺をはじめとしたサヤカの婚約者候補たちは皆、父親や周囲から「サヤカをオリビアに会わせるな」と厳命を受けている。
サヤカがこの世界で誰に恋するのも自由だ。だけど子供を作ってもらわねば、世界は安定しない。
そしてオリビアは女だ。サヤカがオリビアに恋することはすなわち、世界の崩壊へとつながる。世界の危機である。
「…そいつは、もしかして金髪巻き毛で、青い目ではなかったか?」
「そうです!!殿下はあの御方と親しいのですか!?」
「…やめておけ。あれは、女だ」
間違いなく、オリビアである。
俺は真実を告げながら、サヤカの反応を待った。
オリビアが女である真実を知った女の反応は2種類だ。
一つは、女ならば仕方ないと諦めるもの。もう一つは…
「だ、男装の麗人だと!?ますます麗しきあの御方ではないか…っ!?く…萌える…リアルであの女性ばかりのミュージカルの世界を、耽美な世界を体感できるなんて…っ!」
…もう一つはオリビアが女と知ってなお、恋心を募らせるものだ。
割合で行ったら、4:6ってところだろうか。
そして、残念ながらサヤカは後者だったらしい。
俺は父上になんて言い訳しようかと、頭を抱えた。
「…おい、オリビア。お前、サヤカに会っただろう」
「あぁ、件の神子殿か?道に迷っていたから、案内してさしあげたんだ。随分と愛らしい子じゃないか」
放課後押しかけた俺に、平然と言い返したオリビアは、茶化すようにそう言って口笛を…吹こうとして失敗しやがった。
おい、できもしないのにそんな真似をするな。そして恥ずかしがるなら、堂々と恥ずかしがれ。一見平然とした態度でいるように見えて、目が泳いでんだよ。突っ込んでいいかわからないじゃねぇか。
「…またたぶらかしたんだろう」
「たぶらかしてなんかいないぞ。人聞きが悪い」
おい、俺がそのまま話を続けたことに、あからさまに安堵の表情を浮かべるな。気持ちが顔に出過ぎだ、アホ。
…オリビアは女の前では基本完璧に麗人面を貫く癖に、何故か俺の前では時たまこういうボロを出す。
そういう場面に遭遇する度に、俺は妙にどぎまぎしてしまい、何故かいつも茶化すことも出来ずにスルーしてしまう。
「ただ挨拶代りに頬にキスしただけだ」
「充分誑かしているだろうが!!アホ!!」
思わず、俺はオリビアの後頭部を引っぱたく。
お前がサヤカを誑かしたせいだ、国が崩壊したらどうしてくれる。本当、救いようがない女たらしだ…女の癖に。
「………」
「どうしたんだ、シュベルツ?急に人の顔を見つめたりなんかして」
滑らかできめ細かい白い肌。
切れ長のサファイア色の瞳。
筋が通った高く、形が良い鼻。
薄紅色の唇。
波打って輝く金色の髪。
なぜ、皆は男装姿のこいつをあんなに誉めそやすんだろうと、オリビアを間近で見るたびに疑問に思う。
こいつに男装は似合わない。
きっと、ドレス姿の方が似合う。
ドレスを纏い、ただおろしただけの髪を、他の女のように結い上げて、薄く化粧を施しただけで、オリビアは誰よりも美しい貴婦人になるだろうに。
背が高いから威圧的に見えるかもしれないが、それでもきっとその姿はさぞかし美しいだろう。
「…オリビア。次の決闘では、何か賭けないか?」
「賭け?」
「一日限定で、敗者が勝者の言うことを聞くというのはどうだ?面白そうではないか?」
もし。
もし、俺が決闘でオリビアを負かすことが出来たなら、一日女装(こいつが女である事実からするとおかしい表現だが…)させてみたい。
そうすれば、きっと、分かる気がするのだ。
オリビアを見るたび、腹が立って仕方ないのに、何故か目が離せない、自分の行動の意味が理解できる気がするのだ。
普段は模範的な皇太子として褒め称えられる俺が、何故かオリビアに関することだけ酷く子供っぽい行動を取ってしまう意味が。
「――ああ、いいぞ、シュベルツ。それも面白そうだ」
そう言って、オリビアは、初めて決闘の申し込みを受け入れた時のように、不敵な笑みを浮かべた。
…22戦目の勝敗は聞かないでほしい。
だが、これだけは言っておこう。
俺はもう二度と女装なぞしないし、それを誰かに命令させるような隙を作らない。
何があっても、絶対にだ!!
・シュベルツは無自覚、恋愛偏差値小学生並
・正規ヒロインサヤカは、ヅ〇ファン