セクション10:王女ミミ
基地に着陸した後駐機場へ戻ると、ゼノビアがハンドシグナルで出迎えた。
その指示通りに機体は定位置に付き、停止する。
ストームはキャノピーを開け、ハンドシグナルを送ってからエンジンを切る。
エンジンの回転数が落ちていく事が、ディスプレイの表示でわかる。そして、空気取り入れ口が自動で元の位置に戻った。
これでようやく、フライトは終了だ。
ヘルメットを脱ぎ、ベルトを外すと、コックピットにはしごがかけられた。
「ほら、ツルギ。降りるよ」
乗る時と同じようにストームがツルギの体を持ち上げ、コックピットから出す。
そしてゼノビアの助けを借りつつはしごを降り、ツルギはやっと車いすに座る事ができた。
「あー、戻ってきたー!」
続けて降りたストームは、清々しそうに大きく両腕を上げて伸びをしている。
「こっちは疲労困憊で、怪我もしてるのに――どうしてそんなに元気なんだ……?」
しかし、ツルギはそんな彼女が不思議に思えて仕方がない。
ツルギはすぐにでも横になりたいほど疲労困憊状態。加えて口元からは軽く出血しているため、ハンカチで傷口を何度も拭いている。
激しいフライトにより高いGを受け続けた影響だ。普通のパイロットでも、機体から降りると足に力が入らず立てなくなるほど疲労する事は珍しくない。
にも関わらず、ストームにはその影響が全く見られないのだ。
「その程度の血くらい、舐めれば治るよ」
「あ、あのなあ……」
少しは気遣ってくれ、と反論する気さえ起きない。
「いつまでも疲れた様子を見せちゃダメ、我が息子よ。ほら、姫様のお出ましよ」
だがゼノビアの言葉を聞いて、ツルギははっと顔を上げた。
見ると、正面からミラージュに乗っていた少女が歩いてくる。
腰に届かんほど長い金髪が、風になびいている。歩き方も優雅でゆったりとしており、彼女の周りだけ空気が変わっているような錯覚を受ける。左手にはフライト時に被っていた紫色のヘルメット、そして右手にはなぜか和風柄の扇子を開いて持っていた。
ツルギは慌てて止血に使っていたハンカチを下ろし、姿勢を正した。
「お久しぶりですね、ツルギ」
少女はツルギの前で足を止めると、気品のある穏やかな笑みを見せた。
「あ――えっと、おはよう、ございます」
少女の言う通り久しぶりに会うので、とっさに言葉が浮かばない。
「真面目に挨拶しなくてもいいですよ。私はツルギの学友なのですから、自然な態度でいてください」
「あ、ああ……ごめん、ミミ」
「いいえ、別に謝るほどの事でもないじゃないですか」
「そ、そうか。ごめん」
「ほら、また。そういう所はやっぱり日本人なのですね」
ミミと呼ばれた少女は、そう言ってくすり、と扇子で口元を隠しながら笑った。
「ねえ、この人誰? 知り合い?」
「な、何言ってるんだ! この人は畏れ多くもスルーズ王国の王女、フローラ・メイ・スルーズ様なんだぞ!」
「え!? 王女!?」
ストームが驚いて目を丸くする。
そんな彼女を見たミミは、一瞬不快なハエでも見たかのように眉をひそめていたが、ツルギが目を向けると先程と変わらぬ表情を保っていた。
「ツルギ、私は1年間も会えなくて寂しかったのですよ。あなたがくださったこの扇子を見て、再会できる日をどれだけ待った事か……」
右手に持った扇子の模様を眺め、ゆっくりと閉じながらミミは言う。
「そ、そうだったんだ……」
「ん? ツルギ、唇から血が――」
ツルギが苦笑いしていると、ミミが唇の傷に気付き、いきなり顔を近づけた。
ミミの整った顔と碧眼が間近に迫り、ツルギの胸が高鳴る。
「い、いや、Gのせいだけど、大したものじゃないから、平気だよ……」
ツルギはすぐに左手に持っているハンカチで拭こうとしたが、その手は不意に止められた。
かたん、とヘルメットが落ちる音。
見ると、左腕がいつの間にかミミの手に掴まれていた。
「そうですか……このような傷ができるまであの時飛んでいたのですね……やはり私が委員長に推薦しただけあります」
「え――?」
ミミが自分を委員長に推薦した、という事実に驚いた直後。
「私、惚れ直しちゃいました」
そう言って、ミミは唇から流れる血をそっと舐めとった。
なめらかで冷たい舌の感触に、ツルギの全身が硬直してしまう。
そして、ミミは動かなくなったツルギの左腕を離し、ツルギの頬に手を当てる。操縦用の手袋越しでも、彼女の暖かな体温を感じる。
磨かれたエメラルドのように透き通った碧眼が、すぐ近くで優しく見つめている。それだけなのに、ツルギは何も考えられなくなってしまう。
「愛しています、ツルギ。あなたがいれば、王として国を統治できそう……!」
「ちょ、ミミ――」
ツルギの言葉が遮られる。
ミミが目を閉じてツルギの唇にそっと口付けたのだ。
柔らかな唇の感触で、ツルギの心拍数が頂点に達した。
頭がうまく回らず、どうすればいいのかわからないツルギは、開いた両手をじたばたさせるだけであった。
そんな時、ミミの唇がいきなり離れた。
「きゃっ!」
突き飛ばされ、アスファルトの上で尻餅をつくミミ。
我に返ったツルギは、彼女の身に何が起こったのか理解できなかった。
「な、何をするのですかいきなり!」
「ツルギに変な事しないで! 嫌がってたじゃない!」
庇うように前に出てきたのは、ストームだ。
どうやら助け船を出してくれたらしい。
「い、嫌がってたなんて、そんな事はありません! ツルギは私の恋人です! 他人の関係に余計な口出しはしないでくれますか!」
さすがに怒りを露にして主張するミミ。
「……本当なの、ツルギ?」
「いや、その――向こうが、勝手にそう言ってるだけ……」
ストームの問いにどう答えようか迷ったが、ツルギは事実を口にした。
「じゃあ違うって事だね!」
「ツ、ツルギ!? なぜ私を裏切るのですか……!?」
もちろんミミには失望されてしまったが、ツルギは答えなかった。
「そう、彼女の前で逆らえない理由があるのですね……! あなた、名前は?」
なぜかそんな思い込みをして、ミミはストームに問う。
「あたしはストーム! 人呼んで『学園の青い嵐』! ツルギのパートナーだよ!」
「パ、パートナー!?」
ミミは愕然と目を見開いた。今になってストームがツルギのパートナーとして機体を操縦していた事に気付いたようだ。
「わかりました。でしたらこちらも――」
顔をうつむけるミミ。握る扇子がわなわなと震えている。
ツルギは嫌な予感がして、車いすを少し下げる。
そして。
「宣戦布告するまでっ!」
普段の穏やかさから一転、怒り心頭に発して燃え上がらせた瞳がストームをにらみ、ミミは扇子をストームに向けて思いきり振り下ろした。
「うわっと!」
しかし、それをストームは身軽にかわしてしまう。
「何をっ!」
怒りに任せて再び扇子を振り下ろすミミ。
ストームは再びかわしつつ、片足でミミの足を払った。
バランスを崩されたミミは、そのまま倒れてしまう。
「どうだっ! こう見えて、体は身軽な方なの!」
「あ、あなた……王女である私を転ばせるなんて――!」
得意げなストームに、怒りを抑えられずに立ち上がるミミ。
「平民のくせして生意気なっ!」
扇子を構えてストームに横から振る。
それを見ていたツルギは、今王族としてかなりひどい事言わなかったか、と心の中で突っ込みを入れた。
ストームは反射的に扇子をかわそうとしたが、扇子は眼前で急に止まった。