とある悲しみ
おかしいな。あなたの顔が思い出せない。
思い出せるのは写真の中の笑顔だけ。
どんなに辛いことがあっても人間は生きなきゃいけないんだなぁと最近、気づいた。
どんなに傷ついても、苦しくても、命が続く限り、生きなきゃいけないんだなぁ。
私がどんなに死にたいと思っても心臓は意思に反して動き続けるし、
お腹は勝手に減るし、泣きつかれたら寝ちゃうし。
もう死のう!そう考えた夜が何度あったことか。
そう思っても、次の日の朝日を私は見る。
電車の中で、おばあさんが席を譲られている。
幸せそうに手をつないでるカップルがいる。
熱心に本を読んでいるサラリーマンいる。
世界には生きている人がたくさんいる。
幸福な人もたくさんいる。
私は毎日電車に揺られて会社にいくけど、目に映る人の誰もがきっと私より幸福だ。
つり革につかまって外を見ると洗濯物を干すお母さんがいる。
自転車で競争をしている中学生がいる。
犬の散歩をしているおじいさんがいる。
私は思わずタメ息を吐いた。
座っていたおじさんが私の顔を迷惑そうに見上げた。
最近、嫌な夢を見なくなった。
きっとあの人がいない世界に慣れてしまったからだ。
起きたとき涙で目やにが張り付いて、目が開けられなくなるなんてこともなくなった。
きっとあの人が私の中で薄れてしまったからだ。
もう最悪だ。自分が嫌になる。
絶対に忘れたくないと思ったのに。
絶対に自分だけは覚えていようと思ったのに。
あの人がいなくなって私の時間は完全に止まったと思ったのに。
時間が、私の生活の間に流れる時間が、私とあの人を隔ててしまった。
あの人の声が耳に残っている。
いいや、想像だ。あの人の声はもうどこにもないのだから。
あの人の顔は目に焼きついた。
もう写真の中の顔しか思い出せない。二人で撮った写真は本当に少ないのに。
あの人の匂い。仕草。全部もうどこにもない。
人は死んだらメディアの中しか、残らない。
「あなた、大丈夫?」
隣に立っていたおばさんが言った。
気づかないうちに私の頬は濡れていた。
「ああ、大丈夫です。大丈夫…」
私は慌てて頬をスーツの袖で拭った。
大丈夫。まだ大丈夫。
一番怖いのは。
あの人の事を忘れて涙が出なくなることだ。
私は生きている。たぶんこれから先もずっと。
生きたくなくても、心臓は勝手に動く。
それって、誰かが私に生きろって言ってるんじゃないかな。
例えばそれがあの人だったらいいなって思って。
私はまた一滴こぼした。
読んでくださってありがとうございます。
たくさん写真を撮るのは良いことです。
忘れちゃうから。