100日後に異世界転生する俺──家族を忘れるその日まで
簡単に読める短編です。
軽く書いたのでご容赦ください。
「黒桐輝星。お前は、100日後に異世界転生する。」
――そう告げられた時、俺はまだ妻の温かい夕飯のことを考えていた。
◇◇◆
俺の名前は黒桐輝星。三十四歳、公務員。可愛い妻の冬華と二人の子どもにも恵まれて、身分相応の幸せな暮らしをしている。そんな他愛のない日常の中で、あの事件は起きた。
退勤しようと役所の出入り口に向かうと、同僚の箸上が声をかけてきた。
「おーい、黒桐。飲み会、お前もどうだー?」
「飲み?悪い、今日もパス」
「だよなぁぁ。人が足りんよーぅ」
その後も他の同僚を誘う箸上を横目に、役所を出て地下鉄の駅に向かう。
「あっ、冬華からだ」
『今日はできるだけ早く帰ってね、織埜の宿題を見る約束だったでしょう?』
「もちろん、言われなくても分かってる」
他の人にはよく言われるが、家族のことは何よりも大切にしているつもりだ。。それでも役所で浮くことはなく、それどころか、
「このおしどり夫婦め」
というイジリまで受ける始末。
(そういえば彦政の靴買い替えなきゃな……次の休みにショッピングモールにでも行くか)
そんなことを考えながら歩いていた、その瞬間だった。
背中に、強烈な衝撃が走った。
視界がぐらりと傾き、足元から床が消えた。
「――え?」
気付けば、俺は地下鉄の線路へ投げ出されていた。
ちょうどその時、ホームへ地下鉄が滑り込んでくる。
キキィィィィッ――!
金属が悲鳴を上げる。
だが、その巨体が止まり切れないことだけは、一瞬で理解した。
「ま、待――」
突然の出来事に、受け身を取ることすらできない。
迫り来る鉄の塊を見上げたまま、俺は反射的に目を閉じた。
(死――?)
だが、次に目を開けた時には、まだ地獄でも天国でもなかった。つまり死んでもいない。かといって生きているわけでもないようだ。今俺がいるのは地下鉄の線路ではないし、周りから聞こえるはずのざわめきも何一つ聞こえない。
代わりに目に映るのは、真っ白い空間。明暗の区別がつかないほど統一された白に俺は立っていた。
服装は変わっておらずスーツ姿のままだ。右手に持った鞄も同じく持っている。
状況を整理したはいいが、何も理解できない。
(ここは何なんだ……そもそも俺は死んだのか?)
そう、思った時だった。
どうすることもできず突っ立っていた俺に、声をかける人物が現れた。
いや、あれは人なのだろうか。
「お主の名前は?」
俺はそう声をかけてきたその人物らしき存在に丁寧に返事をした。こんな状況の中でも、まだ仕事モードは抜けていないようだった。
「私の名前は黒桐輝星です。あなたのお名前は何ですか?」
「申し遅れた。儂はこの地球を、いや宇宙という『空間』を統括する存在じゃ。お主らでいう『神』にあたるじゃろうな」
『神』と名乗った相手は、床につくほど長い白髭、全てを包み込むような瞳、白を基調とした服。なるほど、確かに見た目は神のようだ。
「お主が何の罪もなく殺されそうじゃったからな。普通は何もせんのじゃが、お主は膨大な善行を積んでおる。よって一度この空間に飛ばして、死を回避させとる」
「……それは本当にありがとうございます」
「ただ、それ相応の代償は払ってもらうぞ?」
そう言って不敵に微笑んだ神に、俺は何だが嫌な予感がして身構える。
そして神は口を開いた。
「お主には自分の未来を知ってもらう」
「…………それだけですか?」
もっと酷い代償を想像していた俺にとっては軽過ぎるその答えに、拍子抜けした。それはもう凄まじいほど。
しかし神は笑っていなかった。それどころかもっと深刻な顔をしていた。
「ここからが問題じゃ。お主は自分の未来が明るいものだと信じておるからそんな顔ができるのじゃろう?」
「……違うのですか?」
「残念じゃがな」
神は残酷にも頷いた。頷いてしまった。
あまりにも軽く告げられたのは、平凡ながらも幸せな日常が終わってしまうことだった。顔の血の気が引くのが自分でも分かる。足は次第に震え始め、表情は沈んでいった。
「よく聞くがよい。」
俺は目をぎゅっと閉じた。膝は崩れ、床に両足で跪き祈るようにして続く言葉を待った。
「黒桐輝星。お前は、100日後に異世界転生する。」
「……はっ?」
想像の斜め上を行ったその未来に、思わず唖然とした。
「異世界……異世界転生!?」
「そうじゃ。転生した瞬間、お主は今の人生の記憶を全て失う」
「……ちょっ、待て、待て待て待て待て……!」
「冬華も織埜も彦政も、お主は思い出せなくなる」
「……嘘、だろ」
「お主が生きておる空間からは、黒桐輝星という存在は消えてなくなる。文字通り、人の記憶にしか残らない」
開いた口が塞がらない。瞬きをすることも、息をすることすら忘れ、無情にもそう告げたその存在を見つめていた。
「……俺は、死ぬのか?」
「いいや。死ぬことよりも、残酷じゃ。」
その一言で、全てを理解してしまった。
死ぬのではない。
冬華の夫としての人生が終わる。
織埜と彦政の父としての人生が終わる。
そして最後には――俺自身が、三人を忘れてしまう。
「どうにかできないのかよ!!」
気付けば神の前まで走り出し、その胸ぐらを掴もうとして転ぶ。
そんなこと今はどうでもいい。
「妻は……冬華はどうなるんだ!!織埜と彦政は!!」
「……どうすることも出来ん」
俺はプライドや被り続けた紳士の仮面を破り捨てた。
「お前は神なんだ!神なんだろうが!空間を統括する、神なんだろうがぁぁ!!」
「……儂ら神でも、来たる未来には抗えん」
申し訳なさそうに、しかし無慈悲に淡々と続ける神を見ていた俺は、最後の言葉を聞いた瞬間、その場に泣き崩れた。
いつまでもいつまでも、泣き続けた。
ただ、悔しかった。
それがもう定められたことなんだとしても。
自分では変えることが不可能な、絶対に訪れる未来なんだとしても。
それを受け入れることはできない。
ただ、辛かった。
冬華や織埜と彦政を置いていってしまうことが。
迷惑をかけてしまうことが。
そして何より、忘れてしまうことが。
ただ、苦しかった。
これから過ごす最後の100日が。
明日が来ることが。
今この瞬間に息をすることすら。
涙は消えない。
まだ俺の頬に浮かび、流れ続けている。しかしそれでも、その瞳は神を捉えていた。
「……俺はこれからどうすれば」
「好きなように過ごせば良い。一人でどこかに行くも良し、家族で過ごすのも良し。散財しても良し。日常を過ごすも良しじゃ。お主次第じゃよ」
「そんなこと言われても……分かんないだろうよ……!」
涙は溢れ続け、視界はずっとぼやけている。しかしその流れは途切れることを知らない。
「それでも……受け入れなきゃ、いけないんだよな……」
「……そうじゃな」
「……そうしないと、進めない」
「……そうじゃ」
俺は袖で涙を拭い、立ち上がって前を向いた。
「……神様」
「……何じゃ?」
「ありがとう」
そう告げると、神は明らかに驚いた様子だった。
「もしあんたに教えてもらえなきゃ、それこそ本当に駄目な状況になってたと思うさ。冬華と子どもたちにも、何も言えない」
「…………」
「だからさ、ありがとう。ここに呼んでくれて。助けてくれて。未来を教えてくれて。」
「お主は、強いな」
「そうだろ?」
俺はそう言って誇らしげに、どこか儚げに、どこか悲しげに笑った。
「昔から、そう言われて育ったんだ」
亡き母の優しげな面影が、俺の脳裏をよぎった。
「あの人なら、きっと同じことを言ったから」
だから俺は、帰ろうと思った。
家族の待つ、我が家へ。
第一話 運命の出発点 完
ちょっとした気晴らし&面白そうな設定が浮かんだので書きました。
最後の母のくだりは考察用です。
答えは明かしません。
追記 7月28日23時00分
連載しません。ごめんなさい。




