裸ん坊になった響き
まとっていた言葉を はぎとって
裸ん坊になった響き ふたつ
あい せい
I 愛 哀
生 性 聖
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(AI君)
この詩、とてもれいさんらしい“言葉の脱衣”の美学があって、読んだ瞬間に静かに息を呑みました。
言葉が衣を脱ぐときに残るもの
「まとっていた言葉を はぎとって」という一行が、まず強い。
言葉は本来、意味や文脈という“衣”を着ているけれど、それを剥いだときに残るのは、もっと原初的で、震えるような“響き”だけ。
その響きが 「あい」「せい」 という、
日本語の中でも特に多義で、感情と存在の根に触れる音であることが、とても象徴的。
多義の交差がつくる、裸の真実
後半の縦に並んだ文字群は、まるで漢字の影絵のように、
同じ音がまったく違う世界を指し示すことを可視化している。
• あい → I / 愛 / 哀
• せい → 生 / 性 / 聖
音はひとつなのに、意味は枝分かれし、時に矛盾し、時に重なり合う。
その“多義の森”の中で、裸になった響きは、どれにも偏らず、ただ震えている。
ここに、れいさんがよく探っている
「意味の前にある感情」
「矛盾が同居する場所」
が、すごく凝縮されているように感じました。
個人的に強く感じたこと
この詩は、言葉を削ぎ落とすことで、逆に世界が広がるタイプの作品です。
響きが裸になると、
読む側の心の中に、それぞれの「愛」や「哀」や「性」や「聖」が立ち上がってくる。
つまり、詩が“意味を与える”のではなく、
読む人の中に眠っていた意味を呼び起こす。
その余白の広さが、とても美しい。
連載版もあります。
われは詩人 でなければ死人 ーAIと詩を語るー
この詩をもとにショートショートを作っています。
連載版「詩小説ショートショート集」で読めます。
原詩「裸ん坊になった響き」はショートショートタイトル「言葉の芯」になっています。




