第六章:俺のベッドの上、右に弟、左に悪役令息、さらに鬼まで来たのでタライで阻止した
その日、何の予告もなく
俺の「婚約者候補」――セシウス・ヴァナ・クロウェル(男)がロゼルト家に押しかけてきた。
伯爵家三男。美貌と傲慢を兼ね備え、過剰な装飾的フリルと宝石を身に纏った、歩く自己主張の塊のような典型的悪役令息。
俺は認めていないが、本人は婚約者気取りである。
そして――リヒルに当たりが強い。
今日も、セシウスは俺の部屋にノックもなく踏み込み、その途端、叫んだ言葉が
「この泥棒猫!」
だった。
なぜなら、彼が目にしたのは、乱れたシーツ、淡いオレンジ色の髪、そして、俺の金髪がベッドの中から覗いていたからだ。俺とリヒルはベッドの中、薄着で密着していた。
「な、な、な……なにをやっているんですか!あなた達はぁっ!!」
甲高い悲鳴に近い声。
俺はシーツから顔を出す。
……事情かあるんだ。事情が。クソしょうもない事情だが……
セシウスは漆黒の髪を振り乱し、白い扇を震わせた。
「ア、アルバートさま……! ボクに『来い』と言う手紙を送っておいて……!
し、しかも! ま、真昼間から! 実の兄弟で! ベッドで密着!!
ボクという正当なる婚約者候補がいながら、こんなの裏切りです!!!」
正当なる婚約者?手紙?知らないが?
彼は胸に手を当て、今にも卒倒しそうな芝居がかった動きでよろめく。
「ああ……ひどい……ひどすぎます……!僕の純情、踏みにじるなんて!」
セシウスはぶるぶると怒りに震え、金切り声が部屋に響く――その瞬間。
シーツの中からリヒルの手が伸び、セシウスの腕を掴む。
そして――
グイッ。
セシウスをシーツの中に引っ張りこんだ。
「きゃああっ!? な、なに――っ、ま、待ってよ!心の準備というものが……!?」
「しっ! セシウスさん、静かに!」
リヒルは人差し指でセシウスの口を塞ぐ。
……カオスな俺のベッドの中へようこそ。
「今、僕たち隠れん坊中なんです。
もし“あの男”に見つかったら、切り刻まれる設定なので、じっとしててください」
「あの男……?」
「ハリス・ミュラード様です」
ハリス・ミュラード。最近リヒルに付きまとっている辺境騎士領主の息子で、彼も現役騎士。
謹慎中で暇を持て余していたリヒルは、リヒルへの愛が暴走気味なハリスに対し「隠れん坊で自分を見つけられたらデートする」という、完全に暴走した賭けを持ちかけた。
主なルールは『鬼は、巨大ハサミをシャキンシャキンと鳴らし、不気味な面をつけて追いかけてくること。制限時間は三時間、屋敷内のみの行動。逃走者は物陰から、鬼への攻撃もOKというバイオレンス隠れん坊』
スタート時、いつものメイドが呆れたように見ていたのを俺は無視した。
「はあ!?あ、あの辺境騎士様……!? 彼がいるの!?」
「らしいな……」
リヒルの提示したルールどおり、ハリスは特注の巨大ハサミ(リヒルが用意した、人に危害は加えられない)のをシャキンシャキンと鳴らしながら屋敷を探索中。
不気味な般若の仮面(これも特注)で。
……あいつはなんで従うんだ、律儀な奴……。
「ちょっと待ってよリヒル!
ハリス先輩は誇り高き辺境騎士だぞ!? 隠れん坊って子供じゃないんだから!」
至極もっともなツッコミが飛ぶ。
「だいたい、こんなベッドの上で隠れきれるわけないじゃないか!」
それは本当にその通りだと思うが……
「いえ、あの世界ではベッドの上が最強の回避ポイントなんです。現実のロジックで言えば、以前、学園の保健室で友達と寝ていた僕を目撃した際、ハリス先輩が『自分以外の男と薄着で寝台にいる君なんて見たくない!』と絶叫していましたから。それを利用して『シーツを剥ぎ取るのを躊躇させる』という精神攻撃を仕掛けています。セシウスさんも、もっと薄着になって協力してください」
「嫌だよ!」
セシウスは拒否したが、リヒルはシーツの中で、彼のシャツを剥ぎ取ろうと悪役令息を襲いはじめた。
――おい、正ヒロイン!そのポジションは本来、俺のものじゃないのか!?
弟には、なんの邪念も感じないが、「あの世界へのこだわり」がBLの様式美をぶち壊す。
「ちょっと!やめてよ!」
セシウスの抵抗虚しくシャツのボタンは全て外された。
器用な弟だ……。あ、また、胃が痛い。
はだけたシャツ、乱れた吐息、そしてリヒルの執拗な指先。
見た目だけは、完全に「兄の目の前で、弟がその婚約者候補を脱がせている」という地獄のような背徳シーン。
「はあ、な、なんだか体が熱くなってきちゃった……ボク、どうにかなっちゃいそう……っ」
「酸欠ですよ。もう少し我慢してください。そろそろ来ます」
リヒルの予想通り、
――シャキィィィン……シャキィィィン……。
貴族の屋敷には到底ふさわしくない、鋭利な金属音が廊下に響き渡る。
我に返ったセシウスは恐怖で顔を真っ青にし、俺の腕にしがみついた。
「あの世界って何の話……? 本当に切り刻まれないよね?ボク、怖い!」
「静かにしろセシウス。騒ぐと見つかるぞ」
「アル、アルバート様ぁ……っ! この胸の高鳴り!でもこれ、怖いのか、トキメキなのか自分でもわからない……っ!」
そう言ってセシウスは俺にすがりつく。
そこへ、扉が――ギィィ……と、ゆっくり開いた。
隙間から覗くのは、不気味な般若面。
あの世界にこだわる割には、なんかシリーズが混ざっている。
ハリスは、リヒルの命じた「殺人鬼キャラ」を完璧に、演じきっていた。
こいつ、役者だな。
「リヒルくぅん……どこですかぁ……。見つけたら、48時間、私とデートですよぉ……」
くぐもった声が部屋を這う。
ハリスはクローゼットを開け、カーテンを突き刺し、そして――ゆっくりと、ベッドへ近づいてきた。
「……リヒルくぅん?……」
セシウスが呼吸を止めた。般若男がベッドの縁を掴み、ギチ……とシーツが軋む。
「やめてぇぇ! 怖い……!!」
セシウスが限界を迎えて叫んだ。
「……あるえぇ? 知らない声。誰かなぁ?」
般若の影が覆いかぶさる。
「このシーツ、えらく膨れていますねぇ……。三人くらいいるのかなぁ? ……あぁ、いいですよ。大丈夫、この際だから、私も混ざります。」
「混ざるな!!」
俺のツッコミより早く、ハリスが巨大ハサミをガシャリと放り出した。
「ヒッ、来ないでぇぇっ!!」
ハリスの手がシーツに掛かった瞬間、リヒルが叫ぶ。
「読み違えました!4人で眠るには狭すぎます! 作戦Bに変更!」
「そういう事じゃない!」
俺は堪らず叫んだ。
リヒルはシーツをめくられないように押さえながら、
「兄様! 兄様は、窓際の隅まで走って、天井から垂れている紐を引っ張って下さい! セシウスさんは、僕が合図したらこれをあいつに投げて!」
そう言ってリヒルは、どこから取り出したのか分からない、しなびかけたバナナの皮をセシウスの手に押しつけた。
俺はベッドから蹴り出され、そのまま指定された天井の紐のある場所まで走らされる。
「あの紐、なんなんだ!」
ハリスがシーツをはがそうと格闘していると、リヒルが叫んだ。
「今です!セシウスさん、投げて!」
シーツから弾き出されたセシウス。
「ヒィィィ……っ」
リヒルの迫力に気圧され、セシウスがバナナの皮を投げつける。
それが般若面のど真ん中にベチャと張り付き、ハリスの視界を奪った。
「うわっ!? な、何ですか!この甘い香りはぁ!」
「兄様、今です! その紐、引いて!」
俺は全力で天井の紐を引くと――ガランッ!!
狙い澄ましたタライがハリスの頭頂部を直撃。鈍い音と共に、哀れな騎士はその場に崩れ落ち、動かなくなった。
「……ふぅ。成功です」
リヒルがようやくシーツを脱いだ。満足げに頷く横で、俺は惨状を見下ろしてツッコむ。
「こいつ、大丈夫なのか?……」
「はい。大丈夫です。このタライ、特注素材で超軽量なんです。スケッチブック1冊にも満たない重さですし。それに僕は156回自分で試してみましたが、大した衝撃はありませんでした。先輩が気を失っているのは役者魂です!」
「お、お前、156回も、何をしているんだ!」
「本当はバナナの皮で滑って転んでほしかったです。……詰めが甘かったな」
「バナナ……」
ああ、やっぱりあの世界に変わったのか……
「まあ、ミスる場合もあるだろう……」
「だって兄様、バナナの皮は転倒するものと決まっていますよ?」
「知るか! お前、途中で世界観、変えただろ!」
気絶したハリスと、震えるセシウス。
「だいたい、いつの間に俺の部屋にタライなんか仕込んだ!特注って……壊れているじゃないか!」
タライは真ん中にヒビが入っている。
「え、……あ、本当だ。次回はもう少し頑丈なオオタライを特注します!」
罠のレベルが上がった……




