【第29話】尊重
剣の鍛錬を終え、汗を拭っていた時のことだ。ヴェンが不意に近づいてきた。
「テリアル、少し休憩して、儂と一緒に村を回ってみんかね?」
「ああ? ……じじいか。悪いが俺はそれどころじゃねぇ」
魔神を倒すための時間は一秒でも惜しい。村を散歩する余裕などない。
「魔神を倒したい気持ちは分かるんじゃが、たまには息抜きもよかろう?」
「チッ……しょうがねぇな、通常では知り得ない情報を教えてもらってる礼として、付き合ってやる」
俺はしぶしぶヴェンに付いていくことにした。
少し歩くと、広場の端では、市場のような活気が生まれていた。
茶髪の男が、研ぎ澄まされた鎌を緑髪の女性に手渡している。
女性は刃の輝きを確かめると、籠いっぱいの果実を男に差し出した。
言葉はなくとも、互いに満足げな笑みを交わしている。
その奥では、金髪の老人が青髪の若者の肩を叩いていた。
「いいか、この薬草はこのように煮るのじゃ。香りが変わった瞬間が飲み頃じゃ」
「なるほど……タイミングが命なんですね」
若者は真剣な眼差しでメモを取り、礼として仕留めたばかりの獲物の肉を差し出した。
ヴェンが俺に振り向き話しかけて来た。
「お主に好きなことや得意な事はあるか?」
「何だよ突然。俺は戦うことや狩りが得意だが……好きなこと? そんな、悠長な感情はとうに捨てた」
「何を言っておる? 戦うことや狩りが好きでなければ続けることは出来んよ」
俺はヴェンに質問を投げかけた。
「じじい、好きなことや得意なことがない人はどうすんだよ?」
「この世に好きなことや得意なことがない人などいないんじゃ」
「いや、いるだろ」
「ならば質問するぞ、ずっと寝て酒飲んで、娯楽に走る人を見てどうおもう?」
なんだよその意味不明な質問は?
「チッ! ただの自堕落な奴が、他人に何を提供できるってんだよ」
「想像力が足りんのう。工夫するのじゃ、よいか?」
ヴェンは人差し指を立て、楽しげに語り出した。
「酒が好きならば、『どの酒が美味いか』『どう飲めばより味わえるか』という知識を提供できる」
「……あ?」
「寝るのが好きならば、『どうすれば泥のように眠れるか』『最高の就寝環境とは何か』を知っているはずじゃ」
「それは、まぁ……」
「娯楽に走るのならば、『退屈な時間を至高の楽しみに変える術』を知っている」
「それらは全て、誰かの『人生を豊かにする知恵』なんじゃよ」
「要するに3つのことを提供することが出来るんじゃよ、素晴らしいと思わんか?」
俺は言葉に詰まった。屁理屈のようだが、妙に説得力がある。
「……けっ、口が達者なジジイだ」
憎まれ口を叩くのが精一杯だった。
ヴェンはそんな俺を穏やかな目で見つめ、ゆっくりと告げた。
「優れておるとか劣っておるとか、そんなことは関係ない。この世に『価値のない人間など、存在しない』のじゃよ」
その言葉は、俺の胸の奥に奇妙な重みを残した。
ヴェンは広場の人々を眺め、言葉を継いだ。
「皆違って、皆よいのじゃ。否定するのではなく、ただ『互いを認め合えばよい』……それだけの話じゃよ」
「そうは言うがよ、皆と仲良くなんて出来る訳がねぇよ!」
ヴェンは深く刻まれた皺をさらに深め、駄々っ子を見るような目で俺を見つめ返す。
「そんなのは当たり前じゃ、とある話題でお互いがどうしても衝突してしまった場合どうする?」
「けっ! そんなの喧嘩になるだろ。話し合いで解決できないこともある」
「そうじゃ、お互いすり合わせで解決できれば良いが、どうしても分かり合えない場合は……『お主はそう思うのじゃな』──
と、まずは、そう認めるだけでよい」
「その上で衝突する話題は避け、互いに笑い合える別の話をすれば済むことじゃろ?」
「……個人の付き合いならそれでいいかもしれねぇ」
「だが、集団で生きてりゃ、そうもいかねぇだろ。皆に合わせて我慢しなきゃなんねぇ時もある。それが社会ってもんだろ?」
「そうじゃな。……では、例えば『時間内に目的地まで行かねばならぬ』という集団の状況を想像してみよ」
「集団の中には、足の速い者と遅い者がおる。リーダー格の足の速い者は言う。『急げば間に合う、全員俺に合わせて走れ』とな」
「……まあ、緊急時ならそうなるな」
「だが、その結果どうなる? 遅い者は無理をして走り、息を切らして疲弊する。そこへ魔物が現れたら?」
「あ……」
俺は戦場の光景を思い浮かべた。
息の上がった戦士など、魔物の格好の餌食だ。
「そう、疲れて戦えず、逃げることもできずに食われる。そして先頭を行く者は言うのじゃ。『多少の犠牲は仕方ない、全体を救うために止まるな』と」
「……クソだな」
「到着する頃には、弱き者の二割が犠牲になっておるじゃろう。では、逆ならどうじゃ?」
「『一刻も早く着きたい者』と『自分のペースで行く者』……あるいは『足は速いが、あえて景色を楽しみながら歩きたい者』、それぞれが分かれたとする」
「バラバラに行けってのか?」
「先行組は速やかに目的地へ着く。一方、後発組はゆっくりだが、誰も無理はしておらん。そこへ魔物が現れても?」
「……息が上がってなきゃ、戦える。撃退して進めるな」
「左様。結果として、後発組も遅れて到着し、誰一人欠けることなく目的を果たせる」
「『皆のため』『全体のため』……その美しい言葉の下で、無理強いをすれば、誰かが必ず己の幸せや命を切り落とすことになるのじゃよ」
「……チッ、嫌な言い方しやがる」
だが、否定はできなかった。
俺もまた、天帝国という巨大な組織のしがらみに、どうしようもない息苦しさを感じていたからだ。
「じゃあどうすりゃいいんだよ。衝突しても一緒にいなきゃいけねぇ場合は」
「そこで最初の話に戻るのじゃ。『お主はそう思うのじゃな』と認め、干渉しないこと。個人同士ならそれで良い。」
「……だが、集団が『全員同じ考えを持て』と『これが常識だ』と圧力をかけてくるなら」
「……圧力をかけてくるなら?」
「物理的に離れればよい。世界は広いんじゃ」
ヴェンは遠くを見つめるように目を細めた。
「争うくらいなら、新しい土地へ行き、気の合う者たちと新しい場所を作ればよい」
「誰も、一つの場所に縛られる必要などないのじゃから」
そう言うと、ヴェンは村人たちの働き方を指し示した。
そこには、俺の常識を覆す光景が広がっていた。
楽しげに会話しながら作業する者、仕事をやめ木陰で寝る者、農具を置いて別の商品の販売を始める者……誰もが、無理をせず、自分のリズムで動いている。
天帝国ではありえないことだった。仕事中の私語は厳禁。監視の視線に怯えながら、許される休憩はトイレと、わずか十五分の食事のみ。
歯車のように動くことしか許されなかったあの場所とは、まるで別世界だ。
ふと、商売の手伝いをしている一人の少女に目が留まった。
「このお野菜美味しいよ~! すっごく甘くておすすめだよ~!」
「おいジジイ……あんな子供まで働かせてるのかよ?」
「ほっほっほ! ありゃ、儂の玄孫のエンじゃよ」
「……玄孫? あんた、いくつなんだよ」
「彼女を見てみよ。『働かされている』顔をしておるか?」
言われてよく見れば、少女は心底楽しそうに客と笑い合っている。
「ただ、野菜が美味しかったから誰かに教えたい。その純粋な『遊び』や『楽しさの追求』が、結果として仕事になっておるのじゃ」
「遊んでるだけじゃねぇか」
「そう、遊んでいるだけじゃ。だが、それがのちに商売のスキルとなる」
「誰かの子供は皆の子供、村全体が父であり母じゃからな。子育てが苦手な親は、無理にしなくても良い」
「はあ? 親が育てなくていいのかよ」
「無理に育てて互いに不幸になるより、村全体で見守れば、子供は自然と自立していくものじゃよ」
あまりにも進みすぎた考え方に、俺は呆気にとられる。だが、ふと気になったことがあった。
「玄孫がいるってことは……ジジイの家族はどうなってるんだ? ここには見当たらねぇが」
ヴェンは遠くの空を見上げ、静かに答えた。
「……儂の子供たちも、孫たちも、殆どが魔神討伐に行ってしまったよ」
「は?」
その重すぎる事実に、俺は息を飲む。
「よく考えるようには言ったのだがのう。彼らは自らの意志で、死地へと旅立った」
ヴェンの表情に、一瞬、深い喪失の影が差す。だが、すぐに穏やかな笑みへと戻った。
「それが彼らの選択じゃから、止めはしないのじゃ……。たとえ家族であっても、その意志を尊重し、認め合う」
「それがこの村じゃ」
家族を、みすみす死地へ送ったというのか。
俺が何か言おうとしたのを察したのか、ヴェンが問いかけてきた。
「もし、儂がテリアルに『この村に留まってくれ、魔神討伐に行かなくてもよい』と言ったら、お主はどう答える?」
「ふざけんなジジイ! ……と、答えるだろうな。俺は魔神を倒すと決めてんだ」
「そうじゃろう?」
ヴェンは深く頷いた。
「皆、自分の意志を持っておる。例え誰かが『それはおかしい』『危険だ』と思ったとしても、その人にとってはかけがえのない、『譲れない想い』だったりするのじゃ」
「誰も、誰かをとやかく言う権利はない。お主も、『自分の想いを大切に』するのじゃぞ」
「……ああ、そうさせてもらうぜ」
俺は強く拳を握りしめた。この村の人々が『楽しさや安らぎ』を選んだように、俺は『戦い』を選べばいい。
誰に強制されたわけでもない。俺自身の心が、そう叫んでいるのだから。
その日を境に、俺の生活は一変したわけではない。ただ、その『密度』が変わった。
村人たちが笑い合い、祭りを楽しみ、エンが少しずつ背を伸ばしていく傍らで、俺はひたすらに剣を振り、己の肉体をいじめ抜いた。
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【第29話 終わり】
次回:【第30話】終着点
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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