【第23話】常識という嘘
【注意】
この話には、パニック発作の描写が含まれます。
俺の喉から、押し殺したような声が漏れた。
そこには、ただの残骸と化した、四角く細長い建物が、いくつも横たわっていた。
まるで、この世界そのものの未来を象徴しているかのような、無残な姿だ。
ヴェンが、その死骸のような建物に目を向けた。
「あれは通称、超高層マンションと呼ばれていたのじゃ。かつては人が住んでいたのじゃよ」
「もっと奥に行ってみようかのう」
ヴェンの言葉に従い、俺たちは彼の後を追った。
すると、広大な川と湖が視界に飛び込んできた。
……だが、そこで俺は全身に違和感を覚えた。
確かに、ここは明側だ。あのいかれたヴェンが言っていた通り、明側にある。
だが、そこまで暑くない。何かが、根本的におかしい。
空を見れば明側なのは一目瞭然だが、聞いてみる。
「じじい、ここ明側だよな……暑くないんだが……」
「そうじゃったな。この星も他の星も丸いが、まん丸という訳ではないのじゃ」
「この場所は、高度900mの山の中なのじゃ。そのおかげで、そこまで暑くはならん」
「みんな、常識という歪められた情報を教え込まれ、ここに辿り着くことはないじゃろう」
「魔神城へは暗側、そして、サルドゥールなどわざわざ行く必要もなかろう」
「真実なんて、わかる訳がないのじゃ」
「誰かが『これが真実だ』と言っても、大勢の認知された常識とお偉いさん方の声にかき消され、『虚言として埋もれる』のじゃよ」
「この儂の人柄も知らぬのに、『指名手配犯というだけで犯罪者扱い』する」
「どうじゃ? テリアルも思い当たる節があると思うが、結局、『真実なんて当事者と実際に見に行く人にしかわからん』ものなんじゃ」
ヴェンの言葉は、俺の憎悪と不信に塗り固められた心の奥底に、鋭く突き刺さった。
こいつの言葉に、不思議と嘘を感じることができなかった。なぜか、ひどく腑に落ちてしまったのだ。
確かにそうだ。
俺はあの時、自分の身分を隠し、いじめを受けないよう必死だった。
俺は聖騎士団候補であるという、それだけの理由で、何も知らない同級生たちから陰湿な嘲笑と罵声を浴びせられた。
俺がどれほど本気で魔神討伐を望んでいたとしても、誰も耳を傾けようとはしなかった。
それどころか、「言うだけなら誰でもできる」と嘲られた。
大勢が「こいつは俺たちを見下している」と言い放てば、俺の真意など無視され、それが『彼らにとっての真実』となる。
俺の意思は踏みにじられ、ただ「汚い」「気持ち悪い」と罵られ続けた。
この世界は醜い。虫唾が走る。
この場所サルドゥールも、同じことだ。
人々は歪められた情報を教え込まれ、俺もまた、その嘘に騙されていた。
この『世界は、嘘と欺瞞で塗り固められている』。
それを改めて、これ以上ないほど深く理解させられた。
俺は、怒り、絶望、そしてこの世界への計り知れない憎悪に、ただ黙り込むしかなかった。
ショックというよりも、全てが自分の経験と繋がり、この腐った世界を滅ぼすことへの確信が、より一層強固になったのだ。
「ここに湖があるじゃろ。よく見てみるのじゃ」
ヴェンの言葉に促され、俺はその湖に目をやった。
目に飛び込んできたのは、無数の魚が生き生きと泳ぐ光景だった。
またか。教えられていたはずだ。
だが、目の前の光景は、そこが快適で、食料も豊かであることを明らかに示していた。リンティカ天帝国よりも、はるかに。
「超古代都市サルドゥールは、豊かな土地だったということじゃ」
ヴェンの言葉が、俺の抱いた確信を裏付ける。
「……何だよ、世の中、嘘ばかりじゃねぇか……」
バスティオが、呆然とした声で言った。
「これが真実なのはわかったけど、教えられていたことの何が真実で、何が嘘なのか分からなくなって来たぜ……」
バスティオでさえ、呆然とした表情でそう呟いた。
いつもの陽気さが消え失せ、彼の顔には深い困惑が刻まれている。
あの楽観的なバスティオでさえ、この現実に心底ショックを受けているのが見て取れた。
それほどまでに、この世界の『嘘』は深く、根強い。
「そうじゃな。自分自身の目で確かめること、自分自身の『感覚で納得』できることの方が、真実だったりするんじゃ」
「難しいが、頭で考えること、理屈で考えたりしていたら、真実から遠ざかるものなのじゃ」
「『真実は、全て自分自身の中にある』」
ヴェンの言葉が、俺の心を深くえぐった。
憎悪と不信にまみれたこの俺が、ずっと心の奥底で感じていた真理を、この老人はあっさりと口にしたのだ。
信用できるのは、助けてくれるのは、自分自身だけ。味方は、自分自身だけだ。
そう、俺が必死に掴み取った結論と、このじじいの言葉は、不気味なほどに合致していた。
そうだ。信じられるのは、この俺自身だけだ。
そう……真実は、全て自分自身の中にある。
このじじいの言っていることは、皮肉なほどに正しい。
「そうかもしれねぇな……」
バスティオが、力なく言った。
◇ ◇ ◇
「儂はこのことを伝えたくてここに来たのじゃ。次はクルルム方面にある、とある場所まで行くぞ」
「とある場所ってなんだ」
俺は、冷たい視線を向けたまま、そう問い詰めた。
「もう少し詳しく教えてくれ」
俺は、まだこいつを完全に信用したわけではない。
「儂が作った村じゃよ。村の名は、レノヴェール村じゃ」
「なんだって!」
バスティオが、驚きに声を上げた。
「天帝国以外に、人が住んでいる場所があるのか!?」
「ふん、そうか」
俺は、鼻で笑った。
「もう何があっても、驚きやしないさ」
この腐りきった世界は、俺の想像を遥かに超える欺瞞で塗り固められている。
今さら、どんな真実が明かされようと、俺の心は微動だにしない。
そして、俺たちはまた空機に乗り、ヴェンが作ったという村へと向かった。
村までは、2日半ほどかかるらしい。
この空機の中という、閉鎖された空間で、あと2日半も過ごすのか。
バスティオと俺は、サルドゥールで突きつけられた衝撃の真実を知らされ、何時間か静かに座っていた。
俺はその間、ヴェンとノノイの行動を、一挙手一投足、監視し続けていた。彼らの間の視線や不自然な沈黙がないか。あらゆる裏切りの兆候を見逃すまいと。
「ほら、二人とも辛気臭い顔になってるよ! ハーブティーを飲んで、落ち着きましょ?」
ノノイは、この状況で呑気にハーブティーを淹れ、無邪気な笑顔で俺たちに差し出してきた。
その無邪気さが、ひどく神経に障る。
「お、おう……ありがとう……」
バスティオは、いつもの間抜け面でハーブティーを受け取る。
「いらねぇよ……」
反射的に、拒絶の言葉が口を衝いて出た。
……とはいえ、喉はひどく乾いていた。不本意ながらも、身体の欲求には逆らえなかった。
「……やっぱ飲む……」
ノノイは、俺のその言葉に、満面の笑みを浮かべた。
その表情に、強い苛立ちを覚えた。
そして、彼女は気安く、自分語りを始めた。
「私のお父さんは、元勇者でね。お母さんは、私を生んだ時に亡くなったの」
「お父さんは、勇者で死ぬ可能性があるからって、私に色々教えてくれた」
「でね、ある日お父さんが『もし、俺が死んだら、ノノイは天帝国に戻ったら強制的に勇者学校に連れて行かれるから、戻ってはならない。だから外での生き方を教えてやる』と」
「それでね、私はそのまま外で生き延びていたら、ヴェンじいに出会って、今の君達みたいに色々と教えられたのよ」
勇者学校。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏には、あの地獄のような日々がフラッシュバックした。
ノノイはまるで、自分を俺と同じ境遇だとでも言いたげだが、そんな甘いものではない。
この女は、あの地獄を経験していない。
「なるほど、そういう生き方もあるのか」
バスティオの呑気な声が、俺の苛立ちを煽る。
こいつは、未だに何も分かっていない。この世界の、人間の恐ろしさを。
「うん、今から行く村は私と似たような人達や、元勇者達がヴェンじいと会って村にとどまる選択をした人たちなの」
(元勇者達!?)
つまり、俺を虐げたような、あのクソみたいな連中が、そこには掃いて捨てるほどいるということか?
俺の胸の奥底から、言いようのない嫌悪感が込み上げてきた。
また、あの地獄の再来か?まだ、それが続くのか?
その言葉を聞いて、全身の血が逆流するような嫌悪感に襲われた。
俺を嘲り、突き放し、踏みにじってきた連中と、同じ人間の集まり。考えるだけで、吐き気がした。
俺は、怒りを抑えきれずに吐き捨てた。
「アアアァァァッ!! はぁっ、俺はっ、ぜってぇ行かねぇからなっ! はぁっ、ふざけんじゃねぇぞ!?」
「ヒュッ、……カハッ、……くそ、はぁっ、はぁっ、……ッ!」
喉が張り付き、呼吸困難に陥る。心臓が暴れ、視界が歪むパニックの中、バスティオの焦る声と「テリアル!息を吐いて!」というノノイの指示が響く。
俺は必死にノノイの声に従い、息を吐くことを意識した。
少しずつ、少しずつ、呼吸が整ってくる。血の気が引き、麻痺していた指先にも、徐々に感覚が戻ってきた。
「……はぁ……、はぁ……」
「テリアル、大丈夫なの!」
ノノイが慌てて言った。
「大丈夫だから! 村にとどまっている人達は、皆ヴェンじいの価値観と似てるから。意地悪な人は、いないわ」
意地悪な人はいない?薄っぺらい言葉だ。
この腐りきった世界で、そんな戯言が通用するとでも思っているのか?
人間は、誰もがいつでも牙を剥く。俺は、その冷酷な真実を骨の髄まで叩き込まれている。
「そっ、んなのっ、知るかっ……はぁ……、はぁ……」
「俺がっ、その村を見定めてやるっ!」
俺の目で確かめる。それが、この嘘と欺瞞に満ちた世界で、唯一信じられることだ。
もし、その村が俺を虐げた連中と同じなら、容赦なく出て行く。そして、最後には俺がその村を滅ぼしてやる。
「大丈夫、きっと気に入るから」
ノノイは、なおも能天気な笑顔でそう言った。
その底の知れない楽観主義が、逆に不気味にさえ感じる。
「とりあえず、行ってみようぜ! な?」
バスティオは、俺を見て言った。
だが、まあいい。気に入らなければ、即座に魔神討伐に向かってやる。
その村が、また俺の心を汚すような場所であれば、俺の復讐の業火は、より一層燃え盛るだろう。
俺の心には、拭い去れない不信感が渦巻いていた。
そして、空機の中という閉鎖的な空間で、耐え難い2日間が過ぎた。
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【第23話 終わり】
次回:【第24話】真逆の世界
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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回もお楽しみください。




