エピローグ
ボクは未来ちゃんの手を握り鏡に向き合う。
「ボクは■■■■■■■■■」
ボクの言葉をノイズが掻き消していく。
「ミナト、多分それは違う」
ボクの言葉に未来ちゃんが首を横に振る。
「そうだよ。君は未来ちゃんじゃないから!」
「じゃあ、彼女はどこにいるの?」
未来ちゃんはボクにニコリと笑う。
「迷いの森の水車小屋の隣にある家にあの日からずっと囚われている」
『迷宮の門を開け』
この世のものとは思えぬほどの重く低い声が響き渡る。
小川のせせらぎが聞こえる。水車の音がする。ここは迷いの森。正確に言うと鏡に映し出された迷いの森。本当は通常のルートでは絶対に来れない場所のはず。迷宮の門を攻略しないと。
でも、ボクは迷宮の門を攻略せずにここにたどり着いている。
そう、彼女がボクを求めたからだ。
つまり、あの家の中に彼女はいる。間違いない。
ボクは玄関の前に立つ。程なくするとドアがギイと開いて、女の人が出てきた。
「また、あなたですか。玄関の前にいられると落ち着かないんですよ」
「彼女に会いにきたんですよ」
ボクの言葉にその女の人はニコリと微笑む。
「大丈夫でしょうか。大変ご立腹ですよ」
ボクは静かに頷くだけだった。
ボクがその女の人を外においたまま家の中に入いると、女の子が腕組みをして待っていた。
「遅い。遅い。おっそおいぃ! お婆ちゃんになっちゃったじゃない! 本当、どうすんのよ。みなくん、責任とってよ!」
何、中学生の見た目で言ってんだ。
みなくん⋯⋯。
そうだよ。
そうだったな。
君がボクを呼ぶ時は⋯⋯。
それに君はあんなにしおらしい女の子じゃなかったよ。
すっかり忘れてたよ。
「アレ、大嫌いだって言ったの忘れた?」
「ふふふふふ、あたしにはみなくんの考えていることなんか全部お見通しなんだよ!」
腕組みしている女の子はボクに言う。
「それで、この状況どうすんの?」
ボクの言葉に腕組みをしている女の子はニヤリと笑う。
「それは、みなくんが考えること。あたしはみなくんについて行くだけ」
そうだよ。
これ、これ!
未来ちゃんはこうでなきゃ。
未来ちゃんは絶対『ミナト、助けて』なんて言わねえ。
命賭けてもいい。
「ここを出るには家のドアを開ければいい。そうすれば迷いの森に出ることができる」
ボクはまだ腕組みしている未来ちゃんに笑いかける。
「それで、その後は?」
未来ちゃんは少しご立腹気味だ。
「とりあえず出よう」
ボクはそう言って未来ちゃんの手を取って外に出る。さっきの女の人はいなかった。本人が出てきたんだから、そりゃそうだよね。
ボクたちの目の前には泉があった。
この光景は普通は一回しか見ないんだけどね。
「それで、この後はどうすんの?」
未来ちゃんはまだご立腹のようだ。
「未来ちゃん、この泉の向こう側の人と話したことある?」
「泉の向こう側? みなくん、あたしがバカだからバカにしてんの?」
「ボクは話をしたことがあるんだよ」
「で、どうすんの?」
「こうすんだよ!」
苛立ちを隠せない未来ちゃんを抱き上げて、ボクはそのまま泉にダイブした。
ここは?
大丈夫、ここは中学生のボクの寝床。
大丈夫じゃない。
未来ちゃんを抱きかかえたまま、ボクは寝床にいる。
「で、責任取れるのよね。みなくん」
「ほら、今日は未来ちゃんがニューヨークに行く日だよ」
「行くわけないでしょ!」
やっぱり覚えてるんだ⋯⋯。
「みなくん、あんた浮気する気だろ!」
そうでした。
そうでした。
未来ちゃんはそういう女の子でした。
「でも、ご両親が⋯⋯」
「ちょっと待ってて」
そう言って未来ちゃんはボクの部屋を出ていった。
しばらくすると、未来ちゃんがニタアと笑いながらボクの部屋に戻ってきた。
嫌な予感しかしねえ。
「えっとね。航路が悪天候で欠航なんだって。とりあえずあたしはあんたの家に世話になることになったよ!」
真っ赤な顔で不穏なことを言う未来ちゃん。
「ここが現実なのか夢なのかはボクにはわからない。だけど⋯⋯。たとえここが地獄だったとしても、ここを未来ちゃんとボクの楽園にしてみせる!」
「言ったな、みなくんのクセに!」
ボクと未来ちゃんは二人とも耳まで真っ赤にして笑った。
あの日から十年の歳月が過ぎた。未来ちゃんのご両親はニューヨークから東京勤務になって隣の家に戻ってきている。
うちはと言うとやんちゃな娘が家の中を飛び回っている。
いったい誰に似たんだか。
親の顔が見てみたい。
ボクの隣には未来ちゃんがいる。
迷いの森の女の人はやっぱり『未来』の未来ちゃんだったんだ。
しおらしくて美人のボクの自慢の奥さん!
でも⋯⋯、本当は昔の未来ちゃんのほうが好きなんだけど、本人には言えない。
「ミナト、私は幸せ。迷宮から助けてくれてありがとう」
うううん、調子が狂う。
「へへへ、大丈夫だよ。パパはママが大好きだから!」
コラ!
そういうことは黙ってないと。
「そうだね。私たちの『未来』はお願いね。みなくん」
耳まで真っ赤な未来ちゃんがボクの隣にいた。
『未練』?
そんなもん、あるわけがない。
もう、あの婆さんとも会うことはないだろう。
【おしまい】