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Digestivo 太陽の 鮫―スクアーロ―  作者: 29-Q
序章 ―Prologo―
8/16

―序章― Digestivo

殺してやる。


チクショウ。


チクショウ。



「っぷはぁッ」



ヴォヴ・コロントが水面に顔を出したときには、すでにプレジャーボートは見るも無惨な薪と成り果て、立ち上る火の粉が夜空を僅かに朱色に染めていた。


「おい二人ともッ」


「セレナァッ」


「ポルコォッ」


「なあおい二人ともッ」


右腕、肘より先が喰い千切られ、海水を掻けば掻くほど激痛に顔が歪み、意識が飛びそうになるが、


「二人、とも」


「返事をッ」


「返事、を…ッ」


「…二人ともッ」


ヴォヴは必死に、セレナに教わった立ち泳ぎを崩す事無く、声を張り上げ続けたが、


「オレを…置いてか、ない、で」


最後の力と共に絞り出した懇願に、意識が飛びかけたときだった。


エンジン音だ。


遠いような、近いような場所から、クルーザーのエンジン音が聞こえてきて、


「ヴォヴッ!ヴォヴ無事だったかッ!!」


「ノッチ…さぁん…」


今度は近くでクルーザーの停まる音が聞こえてきて、すぐにざばんと飛沫を感じ、抱き抱えられた。

「待ってろヴォヴ。今、船に乗せてやるからなッ。おい右腕が…、かわいそうによォッ」

「ノッチさん…二人が…二人、が」

「何も言うなヴォヴ。気をしっかり持てよッ、さあ、ほらッ」

クルーザーの後部座席にざばんと上げられ、

「ッゲホ、ゴホッ」

ヴォヴは飲み込んだ海水を勢いよく吐き出す。

そうして同じくノッチも這い上がると、クルーザー備え付けの応急セットを使って手早く止血をし、

「さあ帰ろう。ヴォヴ」

うなだれるヴォヴを元気付けた。

「取引、は…?」

「そんな場合じゃあねえだろッ」

「…ゲホ、ッゲホ」

ヴォヴは、運転席に腰掛け、エンジンを掛けなおすノッチの背中を見つめた。

「ブツは…海の底に、落としちまい、ました」

「ああいい。気にするな。よしエンジンかかったぞ。すぐにアジトだ安心しろヴォヴ」

間も無くスクリューが回り始め、クルーザーは燃え上がる惨劇の跡地から、みるみる遠ざかってていく。

「二人が」

「…ヴォヴ」

「まだ生きて」

「気を確かに持て」

「セレナと、ポルコが、喰われ、た?」

「ヴォヴ。今は、帰ることだけを考えろ」

「ありえ、ねえ。…あり得ねえあり得ねえッ」

「ヴォヴ、もう喋るな。傷の手当てを急がねえと」

「なんでぇ、あんな…化け物が、地中海、なんか、にぃッ」

「もう大丈夫だヴォヴ。安心しろ。このクルーザーなら絶対逃げ切れる」

見上げた夜空には煌々と月が輝き、その目映さに思わず眉をひそめる。

そして、月がうっすらとした雲に、僅かに隠れた時、


「二時間…くらい、でしたっけ」


ふいに、ヴォヴがノッチに問いかける。

「何か言ったか!?」

エンジンの駆動音が邪魔をして、ノッチには声が届いていないらしい。ヴォヴは這い寄り、どさり、と助手席に腰掛けた。

「どうしたヴォヴ。傷が開く。あまり、動くなよ」

「見回りは…二時間、くらい、でしたよね」

「くそっ、血が足りねえんだな?」

「妄言じゃ、無いです」

そう言ってヴォヴは痛みに耐えるように、夜空を仰ぎ見た。

「見回りは…どの辺りまで?」

「…落ち着け、ヴォヴ」

「二時間…回ったにしちゃあ」


「メーター。全然、減ってないですよ。ノッチさん」


ヴォヴが顎で指し示した、燃料メーターは、

ほぼ、満タンだ。


「…」


フルスロットルの小型クルーザー。

仄明るい銀色の轍を残して、闇夜を颯爽と駆け抜けていく。


「なあヴォヴ」


「ノッチさん」


「聞けよ」


「あんた」



「…ヴォヴよ」



「見てたな?」



キュウウゥゥゥゥン――…ンン…



ふいに、クルーザーが、停まった。

ノッチが停めたのだ。

月が、完全に雲に隠れた。


「ノッチ、さん」



「答えて、下さい」



「なぜ、メーターが、減ってな」


「…っくくくく」


「何を…笑って」


「っなあヴォヴ」


「あんたッ、オレ達を、サメに…ッ?」


「妄言はいい加減にしろ」


「サメに喰わせるのが…エサに、するのがッ」


「ヴォーヴ、おいヴォヴ。落ち着けよ」


「あの…ブツを、沈めるのが…目的…か?」


「ヤクを沈めて何に」


「ヤク…?あんた、オレ達に」


「ヴォヴ」


「『ブツの取り引き』、って言ったよな…?」


「見たのか、中を」


「ああ見たさッ、あれは、絶対にヤクなんかじゃ」



「…バカが」



ッタァアン――…


銃声が波間にこだまする。

焼けるような腹の痛みに、ヴォヴは思わず頽れる。


「俺はな?ヴォヴ。昔、役者を夢見たことがあったんだ」


「…ノッ、チ」


「うまいもんだろ?…ボスにだって『ヤクの取引』と信じ込ませたさ。っはは!」


「何、し、てんだ」


「なあヴォヴ。お前はボスから何を学んだんだ。え?」


「何、が…も、くて、き…だ」



「頭を使え。…いつも、そう教わんなかったか?」



「…こっぽ、ふ、ぐぅうう、ノッチー、ノ」


「何でもかんでも、な?目についたものを喋るんじゃあないよ。…ほら、沈黙だって立派な話術だぜ?」


ノッチは拳銃の銃口を、ヴォヴの腹に開けた穴に突っ込んで、はみ出てきた小腸をぐちぐちと弄る。

「ノッチィイノォオッ」

「なんだよ。教育係はベッドでの踊り方しか、教えてくれなかったか?ん?」

「ノッチィィイノォォオオオオッ」

「セレナはとんだクソ売女だな、おい」

ヴォヴは遺された左腕で、ノッチの胸ぐらに掴み掛かる。

「おいおい、おいおいおいおい」

しかし力が込められるわけもなく、あっさり掴まれ、捻り上げられた。

そして再び雲の向こうから顔を出した月が、その左手を、ルビーの婚約指輪を、残酷なほど赤々と照らし出した。

「あわれな…実にあわれな指輪だなあ…そうだろヴォヴ」

「…っふ、ぐうぅ、っう」

「なんだよ。片割れのもとに、送ってほしいのか?」

「ふぅ…ふぅ…ふぅ…ふぅッ」

「な?クソブタとクソ売女が手招きしてるぜ?」


「…す」


「あ?」


「ころ、す」


「ああそう。やってみろよ。ほら」



「お前を絶対にッ」



ッタァアン、タァン、タァアン――ンン―――…


ぼしゃ…ん…


三発の銃声の後、ヴォヴの音が波間に消えた。


「全く。サメに喰われた方が気持ちよく死ねたろ?」

ノッチはクルーザーにこぼれていた小腸の破片を靴底で蹴り落とし、

「…さて」

クルーザーのエンジンを点けて、

「角度を、間違えなければ」

回るスクリューに、歩み寄り、

「…利き腕はマズいな」



「…フゥ」


「…もうすぐ。もうすぐだよ。…『O sole mio(僕の太陽)』」



こうしてノッチーノ・チノーリは、


馴染みのナポリ民謡カンツォーネ・ナポレターナを口ずさみながら、


左腕の『噛み傷』を、作ったのだった。





真夜中のイオニア海のどこか。


ヴォヴの意識は、まだこの世に、強い感情によって、繋ぎ止められていた。


声無き言葉が、

繰り返し、

繰り返し、

あぶくと共に水面へ昇っていく。


ヴォヴ・コロントは、誰よりも強い決意を、


復讐を、


遺された左腕、その薬指の赤い輝きに、誓うのだった。



チクショウ。


チクショウ。



殺してやる。ノッチーノ・チノーリ。




「っぷはぁッ」




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