ロソリオ・ロザロッサの恋心
ロソリオ・ロザロッサ達、UCSCのダイビングサークル一行が、カントゥチーニ島の南部、港の桟橋を踏んだのは、正午を僅かに過ぎた頃の事だ。
「イヤッフーゥッ、いっちばんのりーっと!!」
我先にと子供のようにはしゃぎながらクルーザーから桟橋に飛び乗ったのは、最年長六浪の男、コリー・リクリッツィアだった。
「ちょっとコリー、はしゃぎすぎよ。全く、もうっ」
「ッハッハー、ザフィ。ちと荷物が多すぎやしないか?」
「笑ってる、暇あったら、手伝いなさいッ、よっとッ」
コリーと口喧嘩しながらも大荷物をタラップに引っ掻け小渋滞を起こしているのは、イザフェナ・ストレガーノだ。
「夜のサービス確約なら、考えるぜえ」
「っは。またあんたと、寝るくらいなら、クソ映画で、徹夜のがマシッ、てえのっとと!」
ようやくキャリーケースの引っ掛かりが外れるが、
「うわぁあッ」
勢い余って尻餅をつく。
コリーは尻餅でへたり込むザフィを背景に、アホみたいな顔で自撮りを済ませると、ぎゃはは、と笑って港の方にかけていってしまった。
「ああもぉ、最悪」
コリーの背中を睨んで頬を膨らませていると、下船していく人の流れの中、
「大丈夫?ザフィ」
三着のロソリオ・ロザロッサが手を差し伸べる。
「あら、ありがとっ。ロロぉ」
そうはにかみながら、ザフィはしっとりと汗ばんだロロの腕に胸を押し当てるよう立ち上がる。
「っケガは、ない?」
「ふふ、お尻が痛ぁい…診て、くれる?」
「んッ、ごほんッ…お、尻ね。おっけ」
「おいおい、デカいのは胸だけで勘弁してやれザフィよお」
そう笑いながら純情少年を魔女から引き剥がすように、
「うわあっ」
四着のナット・フランジェリコは親友ロロと肩を組んで、がはは、と大笑いしながらコリーが手を振る方へ歩いていった。
「あんたもデカイのは胸板だけでしょうが」
ふんと鼻を鳴らしつつ、ザフィは再び大荷物を引きずって、ナッツ達の背中を追う。
それから少し遅れて、ようやく五位同着で、
「いやあ、最高ねえ、地中海っ。ミミは毎年来てるんでしょお?いーなー」
ナッツの恋人シトラ・リモンチェッロと、
「ふふっ。別荘も気に入ってくれるといいけど」
今回の主催者ミルト・ミルフィーナが足並みを揃えて桟橋を軋ませ、
「おいで、ローリー!」
「ッワン!」
最後の一頭、フレンチブルドッグのローリエッツ・アロッロくんが、飼い主ミミの呼び声に答え、元気にクルーザーから飛び降りるのだった。
「しっかし混んでるわねえ」
サークル一行は町の案内所として再利用されている、古い倉庫の、入り口脇のひさしの下で涼んでいた。ザフィは手で扇ぎながら、タンクトップの胸元を少しはだけさせる。
「今日はどうしたのかな。いつもはこんな人出ないんだけど」
そう言うミミはしきりにスマホでメッセージのやり取りを進めていて、
「ううん。送迎頼んだ叔父さん、渋滞にハマっちゃったみたいで。港に着くの、もう少しかかりそうだって」
不服そうにため息を溢す。足元ではローリーがお腹をぴったり石畳の冷気に押し付けるようにして、へえへえと息を切らしている。
「これじゃあバスもタクシーも、全部使えんかあ」
ナッツがため息混じりにぼやいて、
「でもナッツ。体大きすぎるからどのみち入んないよねえ」
「っへへ。そんときゃシトラも道連れよ」
「いいよお。お買い物付き合ってよね」
いいぜっ、とシトラを抱きしめいちゃいちゃし始め、そんな惚気っぷりに嫌気がさしたコリーは、
「なあロロ」
「ん何っ」
どこかをボケッと見ていたらしいロロの肩を組んで、
「しょんべんでも行こうぜ」
「ああ。うん。いいよ」
連れションに誘い出した。
「おまえさあ」
道すがらコリーは上の空なロロに、芝居臭く語りかける。
「はは。何、コリー」
「そろそろ告ってみろよ」
「誰にだよ自称恋愛マスター」
「愛の伝道師。だ。間違えるなクソチェリー」
「はいはい。それで?誰に告白しろと?」
また芝居臭く腕を組んで、目を細めて睨みをきかす。
「ザフィに下ろされてみる、ってのは?」
「いやいや。僕の相手なんか面白くないでしょ。コリー、もっとザフィの女心に寄り添いなよ。元彼だろ?」
「…ああ。百八十うんたら人前くらいのな」
「だったら。僕みたいなのはザフィの眼中にいないことくらい、わかるだろ」
「ほおう。じゃあ親友の女を寝取ってみるか?」
「おいおい。シトラとナッツは幼馴染み。その絆を引き裂けるような魅力が、僕にあるとでも?」
「ネガティブだなあッ、お前ホント」
ぎいぃ、という古びた軋みと共に、公衆トイレのドアをくぐり、各々の小便器の前に立ち、チャックを下ろした。
「シトラはいい女だぜえ?ナッツがゲロほど酔ってキャンパスで見かけた女、手当たり次第ナンパ引っかけた時あったろ?」
「はは、聞いた聞いた。よく許したよねえシトラ。…いや、ホントは許してなかったり?」
「おい怖ぇこと言うなよお」
まばらに小便器を奏でながら二人は笑う。
「まあナッツが悪いよ。どう考えても」
「ああ間違いねえな」
少し腰を震わせ、チャックを各々上げていく。
「で、だ」
「で?」
ロロは逃げるように洗面台に向かう。
「いつ、告るのよ」
「…誰にさ」
「ザフィでもなくて」
「うん」
「シトラでもねえんだろ?」
「ふふ、うん」
ロロは恥ずかしさから、蛇口を徐々に緩めていって、じょぉおああああああああ、と、洗面台で水を勢いよく遊ばせる。
が、
きゅっ――…
っと、にやけるコリーに、蛇口を一気に締められた。
「だあれだっけなあ。ロロ君がずぅうっと、見つめてたかわいいコ」
「…かわいいよね、ローリー」
「あ、そっちのケ?」
「ふふ。ああ。かわいいよ」
手洗いを済ませて、ロロは足早に公衆トイレの外の熱気に向けて歩き出す。
なんだケモノかあ、と意地悪に笑うコリーも、歩幅を合わせ続く。
「かわいいんだ。すごく」
ロソリオ・ロザロッサは、ミルト・ミルフィーナに、地中海の太陽のような彼女に、恋い焦がれていた。
二人が案内所前に戻ると、何やら人だかりができていて、どうやらその中心にナッツがいるのが見えた。
「何あれ。ナッツがやらかした?」
ロロはハンカチで手を拭きながら、得意気なシトラに話しかける。
「うぅん。テレビの取材だってさ」
「へえ。で、何やらかしたの?」
「ふふ。この間のOWSよお」
「ああ。大会記録出した時の」
「そぉう。ホントは違う取材で港に来てたみたいなんだけど。…ほら、ナッツって目立つじゃん?」
「なるほどね。お忍びには向かないもんね。ナッツ」
ナッツはカメラとマイクを向けられながら、豪快に笑い、小粋なジョークで場を賑わせもしている。
チラッとミミの方を見ると、少し離れた日陰で彼女もクスクスと、ザフィと楽しそうだった。
「ジェラシーかチェリー」
そう言ってコリーはどこかの屋台で買ってきたらしいチェリー味のジェラートを眼前に押し付けてきて、
「…サンキュー、コリー。僕そこまでみみっちくもふぁう」
反論半ば、一舐め、させられる。
「シトラもどう?」
「わあ、美味しそ!もらっていい?」
満面の笑みで、シトラはコリーの持つジェラートを一舐めして、
「美味しいねえロロお!」
「うん。うまい」
三人でナッツを冷やかしからかいながら、しばらくジェラートの冷たさを楽しんだ。
「それではナット選手。今回の『サメ狩り』、意気込みを聞かせていただいても??」
「っはっは。ホオジロだかへージローだか知りませんが、オレがぶったおして、百万ユーロ、もらっちまいますよお!!」
人だかりから歓声とブーイングがほぼ同数上がり、今日一番の大盛り上がりを見せた。
「…あいつ何言ってんの」
「さあ?次の大会の話かなあ」
変なの、とシトラと見合って笑う。
それから、ふとミミの方を見ると、
「…っ」
目が合い、ニコッと笑いかけられる。
ロロも少し笑みを溢して、恥ずかしさに視線をそらしてメガネを整える。
「今ので今日十二回目よミミ」
「ちょっとっ。数えてるのザフィ」
意地悪に笑う親友ザフィを叱るように、ミミは頬を赤らめ小突く。
「次で記念すべき十三回目。何が起こるか楽しみねっ」
「もおっ、ほっといてよお」
「実際、どうなのミミは。告られ待ち?」
「えー。考えたこともないな」
「あっそ。そろそろ男作んなさい。若い内だけなんだから楽しめんのは」
「ふふ。意地悪言わないでザフィ。知ってるでしょ」
「だからこそよ。…いいと思うけどねえ、ロロ君」
「あなたもそろそろ落ち着いてみたら?」
「いいや?せめてあと百は抱くわ」
「あらそう。頑張ってね」
「頑張るのはあんたよ」
「ふふ。あなたに素敵な出合いが見つかる頃に、わたしももう一度、恋を見つけてみよっかな」
「ずっるー」
あはは、と笑っていると、ザフィは何かに気付いてミミの頬に顔を寄せる。
「来たわよ十三回目」
「はい、はい」
これでいいんだ。
彼は心の中で呟き続ける。
ロソリオ・ロザロッサの恋心は、ただミルト・ミルフィーナを見つめるだけで満たされている。
これで、いいんだよ。
胸の高まりが苦しくて、照りつける夏の日差しに目眩を覚えた。
―用語解説―
○UCSC
イタリア某所にキャンパスを複数持つヨーロッパ最大の私立大学。ロロは医学を専攻。実在する同名の大学とは一切関係ありません。
○OWS
オープンウォータースイミングの略。海や湖、水路といった屋外で水泳をする競技で、ナッツは男子10kmなどの選手。