後編
黄色く焼けたイオニア海。
黄金の太陽が海を駆ける船の白波を縁取り、金色の轍三筋が一点を目指し、いよいよ交わろうとしている。
ふいに先頭を行く漁船がひどく軋みを上げて、僅かな弧を描くよう、海のただ中に向け船首を回した。
「ノッチの旦那ッ、狩りを始めようってんですよあの船!」
続く大型クルーザー。
舵輪を握る男がノッチーノを呼ぶ。
「やらせるかよ、沈めおけ!」
「ぶつけますか」
「それでいい。質量差で押し潰すんだ」
ノッチは怒り顕に展望ガラスに歩み寄って、
「もうすぐだ」
一人呟く。
「もうすぐだよ、…シャファク」
「君の故郷に、日はまた昇る」
第十話:太陽の鮫
「あのでかいのはアンタの連れかい」
ジェンツィアナは舵輪をしきりに回しながら、眉をしかめて後方を睨む。
ビアンカは肩を抱いて、震えるばかり。
「チキショウ。ぴったり付かれちまってやがる」
舌打ちを一つ、
おもむろにダイビング用のエアが詰まったボンベ片手に、ショットガンをもう片手にとると、
「失せな」
ボンベを海面に向けて投げ、
ッカァアアアン
ショットガンを放ち、爆ぜたボンベが大きな水柱を立てる。
攻撃を察知した大型クルーザーは慌てて舵を切ったらしい。
旋回が大回りになったせいで、僅かながら、漁船との距離が開く。
「っだっはっはっは!根性なしがよお」
ジェンツィアナは満足げに高笑いをすると、
「邪魔なんてさせないさ」
船速最大。
船はサメのひしめく海域真っただ中目掛け、波を掻き分け突き進んでいく。
「見ろ、クソマフィアの船がトロくなった!」
クルーザー後方を走るモーターボート。
舵を取るコレッタは額を拭いながら、懸命に声を張り上げた。
「このまま後ろのデッキに寄せる!」
「お願いしますッ」
ダニーは手すりをぎゅっと握り締めながら、僅かにカーブに傾くクルーザーを睨む。
高波を切り裂いて、飛沫が上がる。
二隻の轍が、交わっていく。
後部デッキまで、距離五メートル。
四、
三、
二、
一メートルを切ったか否かのタイミングで、
「あッ」
と、ロロが悲鳴にも似た叫びを上げたかと思うと、真っ白な砲弾の如くローリーがボート舳先からチャッと飛び出した。
「ッキショウ、先を越されたぜ」
続いてルッチ、ダニーが飛び移り、
ジェットスキー四隻が鈍い反射を放つ格納庫の中を覗き込んで、
「オールクリア、船底格納庫、敵影無し」
ダニーが言うと同時、
「さあ来いボウズ共ッ」
ルッチが差し出した手にロロ、コリーの順で飛び付き、乗船を果たす。
そしてようやく伸びができると言いたげに体をほぐし終えて、ヴォヴも軽やかに後部デッキへと飛び乗った。
「それじゃあわしらはわしらで、海域一帯のサメを追いに行く!ダニー君ルッチ君、クルーザー内の弾頭の確保は頼んだぞい!」
「お任せを!博士達もお気をつけてッ!」
博士が敬礼をして、コレッタが頷く。
「飛ばすぜじいさん!」
「おうともさ!」
唸るスクリュー、速度は落ちて、
二隻の距離は徐々に開いていって、クルーザーが弛ます金色の轍を抜け、すぐに船速最大、二人のボートは彼方の波間に消えていった。
「で?こっからどう動くよ」
得物の調子を整え終えたルッチが四人の顔を見比べながら問い掛けると、
「他のザコどもと馴れ合ってる暇はねえ。オレは真っ先にノッチーノのところに行かせてもらうぜ」
そう言ってヴォヴは颯爽と
「あ、っおい」
ルッチが止める間も無く一人船底格納庫の陰へと消えていく。
「ッち、悪いダニー。あの死に急ぎに付いていっても?」
ダニーも入念な得物の調整を終えて顔を上げ、
「構いませんよ。人質救出は俺がフォローしますから、陽動及び敵戦力の排除は任せました」
「おう、子守りは頼んだぜ?…まああいつもガキみたいなもんか」
二人はふっと笑って頷き合い、許しを得たルッチはヴォヴの後を追うよう、陰に消えていく。
「さて、…あのワンちゃんをこれ以上待たせるのも酷だよね」
ダニーの見上げた先、一番最初に乗り込んだローリーはすでに階段を上がって、上から見下ろしながらぴょんぴょん跳ね、皆の追従を待っていた。
「多分、飼い主の居場所を嗅ぎ付けたのかも」
ロロは言い終え深呼吸で肩を上下させ、
「今後を見据えて、一つご指導頂いておけ?」
コリーの肩のはたきに軽くしてもらう。
そうして、
「じゃあ行こうか二人共。俺の傍を離れないで」
ダニーの目配せに頷いて、三人は弾けるように階段を駆け上がって行くのだった。
ジャララ…
身動ぐ度に鎖は甲板を擦り、不快な金属音を奏でる。
すぐ傍には狂気に染まる復讐の鬼。
真後ろには敵意を示す大型船。
おまけに自分は鎖で拘束。
遠く、港の方からしきりに警察のサイレンが微かに聞こえてくるが、どうやら沖まで追ってくる気配は無い。
ジェンツィアナが自分を海に放り捨てるのが先か。
後ろの大型船に押し潰され、二人仲良く海の藻屑になるのが先か。
状況は確かに絶望的だ。
僅かにも希望なんて見出だせないほど、絶望的だ。
それでもビアンカには、諦めている暇なんて無いのだ。
…マリオ。
それにママ、パパ。
私には帰るべき場所が、
帰りを待っている人達が居るの。
だからこんな程度の災難で絶望に沈んでいる暇なんて、無いの。
そうして一息、深く一息をついて、
ビアンカは覚悟を決めた。
この海域に留まる、魂達。
その全ての声を、陸に還してみせる。と。
『鮫殺し』を終わらせてみせる。と。
海鳥が、声高く鳴いた。
「ねえジェンツィアナ」
ふいに名を呼ばれて、彼女は嬉しそうに振り向く。
「どうした、気でも変わったのかい?」
「ええそうね。こんな退屈な船、とっとと降りたくなってきてね」
「なんだい、気が触れたのかい」
目を閉じ呼吸を整え、
背筋を伸ばして、
うなじをひたと手すりに沿わせる。
あたる鎖がひんやりとして、錆の香りが立ち込めた。
目を開けると、ジェンツィアナはうんざりしたままにショットガンを右手にとって、再びビアンカのもとに歩み寄っていた。
そして眼前でその足を止め、チャッと銃口でビアンカの頬を撫で上げる。
淡い栗色がはらと靡く。
「いい艶だ。アタイの若い頃を思い出す」
「そう。…三十三年前の船の上でも、こうやって食いぶちを繋いだのかしら」
「…っくっくっく。ストラヴェッキとアタイはまるでお伽の王様と王妃様さ。逆らうやつは、みんな殺して海に捨てちまった」
「それで最期はサメに喰い千切られて。ストラヴェッキはいい気味ね」
ッガチン、と、銃身で頬を強くぶたれる。
口腔内を切ったか。
つうと、口角から血混じりの唾液が溢れてきた。
「お嬢ちゃんよお」
ジェンツィアナは俯き血を溢すビアンカの顎をくいと掴んで、その目を覗き込んでから続ける。
「人のオトコをそう悪く言うもんじゃあないよ」
すかさずビアンカは口角を吊り上げ、
「あら。あなたも怒るのね」
眉をしかめたジェンツィアナを、せせら笑う。
「…っふふ、あは、あはは!」
「…アンタ、状況わかってんのかい?」
「ええ。どうあがいても、私はおしまいでしょうね、あっはは!」
乾いた笑みのビアンカに、
じっとりと睨み付けるジェンツィアナ。
ざばんと、高波が手すりを越えて、二人を濡らした。
「本当に気が狂ったようだねえ」
「あなたの怒り顔。冥土の土産に丁度いいわ、ふふっ、うふふ」
ため息混じりに立ち上がると、ショットガンの弾を込め直して、
「いいわ。活き餌にしようと思ってたけど、これだけ笑われちゃあ煩くってかなわないね。…どれ、すぐ楽にしてやるさ」
ガチャリと、ビアンカの額に向けて銃を構え、
「ま、安心しな。アンタの血肉も骨も内蔵も、全部丸々、大事に使ってやるからよぉ」
ッタァアン…ンン
どこか遠いような近いような場所から、銃声が聞こえてきた。
「銃撃戦…始まったんでしょうか」
静まり返った船内廊下。
ダニーの後ろをぴったり歩くロロが、ポツリ小声で呟いた。
「どうだろう。聞こえてきたのは単発だったけど」
ふいに聞こえてくる廊下奥からの足音。
ダニーは咄嗟に足下で嗅ぐローリーを抱き上げて、背後二人を壁の陰に押さえ込むよう後退する。
「敵襲か!?」
「いや。あの漁船からの発砲だってさ」
「ヤロウ、喧嘩売ろうってのか」
「だから甲板の警戒、増員だとよ」
「ぶっ殺してやる」
走り抜けていった四人ほどの男女の会話が、朧気に耳を掠めていく。
甲板増員、か。
敵の全体数も、船内警備や人質にどれ程の監視が付いているかもわからない現状、楽観はできないが…。
それでもこちらとしては嬉しい情報、ダニーはひとまず好意的にとらえて、後方二人に『進め』のハンドサインを出し、ゆっくりと進んでいく。
そして十数歩進んだところで、単発、そして続く連射音から、頭上、甲板での銃撃戦の開始を察知する。
ルッチ。
どうか無事でいてくださいよ。
にわかに慌ただしくなっていく船内、
腕の中のローリーが
「わふっ」
と、突然低く吠え、
「おっと」
ダニーがそっと床に下ろしてやるとほぼ同時、
ちゃちゃちゃちゃっ、と、行き先はすでに決まっていると言いたげに走り出す。
息を飲む三人。
顔を見合わせ、ローリーを早足で追う。
そして真正面の一室にローリーが駆け込んでいったかと思うと、
「げぇっ!!」
野太く茶色い悲鳴が聞こえてきた。
入り口の脇に三人は張り付く。
聞こえてくるのは、
「なんだよベイリクス、犬は嫌いか?」
「くうん、くうん…」
「アレルギーなんだよ、殺しちまえ」
「やめて…お願いします、やめてください」
男二人の話し声、そして、
「…ミミ」
人質の少女。二人の友達の子の、すすり泣き。
ダニーは呼吸を整える。
「おーよちよち。別に殺す気はなかったんだが…ふふん。いいねえ君」
「…っ」
「おじさん、懇願されるとクるタイプでさあ」
「わんッ、わんッ」
「ああうるせえ。蕁麻疹出る前に殺していいか?」
「待て待て、殺すのは後さ。先にお楽しみに使わせてくれ」
強まる泣き声。
吠えるローリー。
ロロがダニーを越えて早まろうとして、
ダニーとコリーは咄嗟にそれを押さえ込んだ。
首筋を汗が、一筋。
どうする。
銃弾は六発。
敵は恐らく二人。
サイレンサーの無い拳銃。
狭い船室、撃てば最悪増援。跳弾さえ起こりうる。
人質達や、ロロ君コリー君に危害が及ばない、最善の手は…。
「いやッ、いやぁ!!」
「やめてッ、ミミに指一本触れてみなよただじゃおかないんだからッ」
室内、二人の少女の切迫、
ダニーははっと顔を上げる。
考えてる場合か。
そしておもむろに目の前に飾られていた大きな陶磁の壺を蹴り倒して、
ッガッシャアアン…――
瞬間、
廊下船室内、共に静寂が流れ、
頭上の銃撃戦以外の時が止まり、
コリーの生唾を飲む音が、鮮明に響く。
っず、
っず、
っず。
船室内から、
カーペットを踏み殺す音が、
鈍く、
聞こえてくる。
近付いてくる。
っず、
っず、
っず…。
そして、
船室の戸口から、
にゅっ、
とアサルトの銃口が飛び出た瞬間、
ダニーがむんずとそれを鷲掴みにして
「動くなッ」
男一人抱き寄せこめかみに拳銃を押し付けて見せる。
凍り付くラウンジ。
敵は全身武装の二人。
人質は女学生二人、老夫婦一組に若い男女一人ずつ。計六人だ。
真上見つめるローリー以外、全ての視線がダニーに集中する。
「おいおいおいおい。オレ達に銃口向けるとか、君、国家反逆罪だよ」
そう言って、ローリーを抱くカラビニエリの制服を着込む男は、がちゃりと、隣で怯える少女二人に銃口を向ける。
「非武装の市民に銃口を向けながら、よく言えますね」
「その成り、拳銃。財務の支給品か。…正義のヒーロー気取り、ご立派なもんだ」
睨み合う二人。
走る緊張。
じっとりと蒸し暑い船室。
二人の首筋、滴る汗が照明のクリームを照り返した。
その照り返しに、
「ぺろ」
何か、
微かな水音が、
突然、静寂に響く。
「ぺろ、ぴちゃぴちゃ」
「…おい」
「ぺちゃぺちゃ、ぺろ、ぺちょ」
「おいなんだこのクソ犬ぶちこ」
ッタァアン
ローリーだ。
ローリーがカラビニエリの男の襟元のクリームにむしゃぶりついた隙に、ダニーが一発。
そして僅か弾ける血飛沫に、
人質を威し付けていた拳銃が吹き飛ぶ。
しかし隙を付いたのはダニーだけでは無かった。
自身を抑えていた銃口が退くや否や、
ダニーが抱き込んでいたもう一人のカラビニエリは、胸元の鞘からナイフを抜き放ち、
「っぐ!?」
ダニーの太股を突き刺したのだ。
痛みに頽れ、弛んだ拘束から逃げ出し、
「でかしたベイリクスッ」
手の甲から血を吹き出す男も鞘からナイフを抜いて、
二対一。
形勢逆転。
もうダメか。
いいや。
負けてなるものか。
負けてなるもんかよ。
「――っだぁああああああああ!!」
響くダニーの咆哮。
カラビニエリ二人竦み上がり、刹那、
一陣の風がダニーの脇を吹き抜けていく。
風ではなくロロだ。
武器の無い男、渾身の体当たりだ。
竦む男達が風を人影と理解した瞬間には、既に一方ベイリクスは床に叩きつけられ
「バカがッ、死にに来たかよッ」
もう一方がロロ目掛けてナイフを振り下ろすが、
「舐めんじゃないわよぉッ」
横槍、ザフィの金的がごく正確な角度で、
「ッぎゃ」
鋭く、ロロ目掛けた刃を遮った。
そして悶絶する男の胸板から脱したローリーを、
「おぉっとぉ、危ねッ」
すかさず飛び出してきたコリーがダイビングキャッチし、
「てめえッ」
ロロが押さえ込む憲兵が暴れもがくが、
「動くなよほら」
コリーにローリーを押し付けられ、
「ふすん、ぺろぺろ」
「のあああああああああッ」
「ぺちゃ、んべっちゃ」
「ぎゃぁああッ、っあぁぁあ」
「んぶっちゃ」
「んんぁぁぁあああッ」
ついに赤い斑点に沈むよう、失神するのだった。
一瞬の出来事、
その一連の騒乱に呆気にとられていた船室の人質達。
だが、威し付けていた見張り二人が倒れ伏せていることに気が付くや否や、全員顔を見合わせ、部屋中をひっくり返すような勢いで漁って、ロープの代わりをそれぞれ見繕い、驚異の連携力をもってして憲兵達の拘束を終えるのだった。
「ケガはない!?二人ともッ」
這い寄るようにロロが駆け付けて、ミミ、それからザフィと二人を見比べる。
「…アタシは、大丈夫」
「ロロ君右腕…」
青ざめたミミに言われてはじめて、ナイフで上腕を突き刺され、血濡れている事に気が付いた。
「ああ…、はは。これくらい、平気さ」
言いつつ顔をしかめながら、慣れた手付きでハンカチを巻き付け止血していく。
がしかし、どうしても最後、なかなかうまく結べないロロを見かねて、ミミは仕上げの結びを手伝って、見上げ交わす視線に二人、頬を綻ばすのだった。
小躍りするよう駆け回るローリー、泣いて抱きつくコリーに、嫌々引き剥がすザフィ。
老夫婦もただ手を取り合って、青年は胸を撫で下ろし、窓辺の女性は一人水面に祈っている。
そんな安堵の空気が満ちたラウンジだが、
「さて。再会に喜ぶのはいいんだけ、…ッど」
抜いたナイフをカランと捨てて、ダニーは天井、その上の甲板での騒ぎを睨みながら、
「すぐにここを離れましょう。船底格納庫にあった船で、皆さんを逃がします」
安心に立ち呆ける皆を、急かす。
「俺が先行しますから。離れず付いてきてください」
「ぐわぁあッ」
一人の憲兵が肩を撃ち抜かれて、手すりの向こう側の黄金に落ちて行く。
「ナイスショットだ、ヴォヴ」
「今のはアンタだろ」
甲板、連絡通路近く。
ヴォヴとルッチは鉄扉の陰に身を隠して、裏切り者のカラビニエリと、ヴィン・サント、ノッチ派達から成る混成軍との銃撃戦を繰り広げていた。
「弾はあるか」
「もうあと三発しか無え」
「ほれ。口径は一緒だ、こいつを使えい」
「おいおい。サツがマフィアに銃弾手渡すか」
「悪いがおかたい正義ってのが嫌いでね」
「アウトロー気取りかよ、だっせ」
「うるせえ、代われよほら」
牽制を放っていたルッチが身を引いて、すかさずヴォヴがぶっぱなす。
「ぐわぁあ」
再び命中。
一人声が遠退いて行く。すると、
「おいヴォヴてめえ!!」
反対側の物陰から、ヴォヴを呼ぶ声が上がる。
「っその声、ジーンか」
「ああそうだッ。同期のよしみだせめて目的くらいは聞いてやる」
「はあ?」
「何で、ノッチの旦那の邪魔をするッ!!」
「てめえ…」
カランカラン、と、空の薬莢が床板を転がる音だけが、潮風に溶けた。
「てめえ、…ボスを殺したときも、何ッにも思わなかったのか」
「ボス…?ああ、あんなカントゥチーニの未来しか頭に無い男、どうなったって構いやしないさ」
「何だとッ」
「でもノッチーノの旦那は違えッ!あの人は世界の『餓え』と戦おうとしているッ」
「知ったことかッ、明日の家族との幸せを願うボスの、何がいけねえってんだ!!」
「俺の祖国は」
「俺の祖国は、『餓え』に沈んだ」
「…ッ」
「そこにチャイニーズマフィアや、ギャング気取りの大バカが目を付けて、…俺の祖国は、麻薬で死んでいったよ」
「…」
「血の繋がった家族はみんな…まだ幼かった妹まで。麻薬で死んだ」
「…」
「家族を愛していたお前になら、…この苦しみ、わかるよな…?」
ヴォヴはぐっと目を瞑って、手にした拳銃のグリップを額に押し当てるよう、考え込んでしまう。
「なあ、ヴォヴ。考え直してくれよ」
「…」
「世界にこれ以上、『餓え』から悲しみを産ませちゃ、いけねえんだ」
「…ウ」
「俺の祖国みたいな…妹みたいな子を、増やしちゃいけねえんだ」
「…クショウ」
「ヴォヴ。もう、やめてくれよ」
だん、と、
ヴォヴの拳が、通路の壁を打った。
何も言えずに、ただ、力無くずり落ちて、
ルッチはやれやれと、ため息をこぼす。
そして、
「どうやら」
「あんたらのタイショウはとんだお人好しで」
「ドチクショウな悪魔に、引っ掛けられちまったらしいな」
声を張り上げ、ジーンとかいうマフィアの訴えに対抗した。
「…誰だてめえ。何言ってやがる」
「純朴な君に教えてやるが、そもそもこの話をそっちのタイショウに持ち寄ったイタリア政府は、そんな崇高な目的、掲げて無いみたいだぜ?」
奥のカラビニエリ達に動揺が走る。
「デタラメ言うな…デタラメ、言うなよ」
ジーンの震え声に、
「どう言うことだよ」
ヴォヴが声を潜めて、ルッチにすり寄る。
すると腕を組んで、
「まあ、聞いた話からの推理にはなるがよお」
鼻を鳴らして、続ける。
「ようするに、金だろ金」
「再分配を謳う武器の密輸も、製造も含めて。結局のところ軍需産業周りの活性化に過ぎん。そして対価として得られるスエズ運河利用の安全性も含めて、イタリア政府のごく一部なんてのは、金の事しか考えてねえってわけさ」
ざざん、ざざん。
潮騒が響く。
「たとえ悪事がバレたとしても、全て、カントゥチーニ島のマフィアが勝手気ままにやった事として片付ける。…恐らくそう言った計画の解体手順も、うまいこと折り込み済み」
「そうだろ?国家憲兵の皆様方よお。見張りの仕事は順調か?」
ざざあん、ざざあん。
潮騒が、響く。
そして、
「どう言う事だクソチクショ」
ジーンの叫びを遮るように、
カラン、コロロ…――
「おっとこいつは」
カラビニエリ達の返答の到着、
響く銃声、
転がってきた手榴弾に、
ルッチは迷い無く、戸惑うヴォヴを庇うよう覆い被さって、通路奥に飛び込んだ。
耳鳴りが止まない。
頬をねっとりと濡らす生暖かさに嫌気がさしてきて、ビアンカは目を覚ました、
「…てんめえ…ッ」
それとほぼ同時、地鳴りのような呻きが、耳鳴りの引き際、聞こえてくる。
はっとして、体をねじる。
…動ける。
うまくいったらしい。
ジェンツィアナを挑発してショットガンを構えさせ、
その発射の瞬間に一か八かの回避行動を取り、
頭後ろに隠した錆びた鎖を撃たせたのだ。
「…っいて、て」
それでも無傷で、とはいかなかったようで、爆ぜた鎖の破片いくつかが、左の肩先から肩甲骨の辺りに突き刺さっていた。
白とベージュのお気に入りのボーダーシャツに、紅のまだらが点々。
「洗濯、大変なのよ…ねえ、マリオ?」
脳裏を過るは前掛けのボロネーゼソースに、鼻血の染み。
その手強さが、今は恋しい。
が、しかし、
ッガチャン――
柔らかな思い出の景色は、暴力的な金属音によって掻き乱される。
「目が…目がよォ、どうしてくれんだこのクソ女がよォ」
ジェンツィアナは不幸にも、爆ぜた鎖の破片が右目に直撃したらしい。
ボタボタと重い滴音を甲板に残しながら、ふらつく足をショットガン支えになんとか立たせ、血に滲む視界を頼りにこちらへにじり寄ってきている。
こうしちゃいられない。
『鮫殺し』を終わらせるなら、今が好機。
いえ、今しかない。
ビアンカは体に巻き付く鎖を払いのけながら迷い無く駆け出し、操舵室の扉に思い切りタックルをする。
鈍い軋みと同時に扉は開くが
ッタァアン
「ッうぐ」
同時にジェンツィアナの放った散弾がビアンカのふくらはぎをえぐった。
「っだっはっはっは!当たった!当たった!」
狂気に満ちた大笑い、ビアンカは痛みに震えながらも這いつくばって、腕の力だけでなんとか進んでいく。
背後、開け放たれバカになった操舵室の扉が風に煽られ、バタンバタンと音を立てる。
しかしそのリズムも長くはない。
ジェンツィアナの次の散弾が扉を弾いたことで、びゅうと潮風が吹き込んでくる。
ビアンカはようやく船の操作盤に辿り着き、血濡れた右腕をべしゃとその上に投げ出す。
「っくっふっふ。なあにしようってんだい、お嬢ちゃん」
どしゃと、ずぶ濡れた音が、戸口の方から聞こえてきた。
しばらく、二人の乱れた呼吸が、部屋に響く。
ガタガタというエンジンの振動に、二人して飽きてきた頃、
「ねえジェンツィアナ」
朗らかなビアンカの呼び掛けに、ジェンツィアナはうんざりと首をもたげる。
「参考までに、船の操縦を教えてもらえないかしら」
「…きちがいが、知ってどうすんだい」
「私、記者よ。聞くのが仕事なの答えなさいよ」
ジェンツィアナはため息混じりにボリボリ頭を掻きむしり、ショットガンをチャッと構える。
「冥土の土産さ。いいだろ教えてやろう」
「ふふ。よかった、あなたが話のわかる人で。これは何かしら」
まず指差すは朱色のレバー。
「アクセル」
「じゃあこれは」
ついで輪っかのようなもの。
「舵輪だよ見りゃあわかるだろ」
「ふうん。じゃあこれは?」
それから黒いレバーを指差して、
「前進、後退」
「…なるほど。車みたいなブレーキは無いのかしら?」
首をかしげていじけてみる。
「っへ。前進後退のレバーで静動を調整すんだよ」
「あらそうなの。じゃあ」
ふいに、
後退のレバーを下ろして、
「気は済んだかいお嬢ちゃん」
「ええ。最高ね」
舵輪を思い切り右に切って、
「…おい」
「何?」
しまいにアクセルをニュートラルに戻して、
「あんたまさか」
ッドンッ…―――
気付いた頃には、もう遅かった。
ビアンカに釘付けだったジェンツィアナ、
その漁船のどてっ腹に、大型クルーザーは速度を落とすこと無く船首から突っ込むように体当たりをかましたのだ。
軋む老朽船。
最新式の重質量が繰り出す衝撃に耐えられる訳もない。
真二つに裂け、明るい黄金が飛沫をあげてどうと流れ込んでくる。
「ああッ、よせよせ、来るな来るなッ、ああ、あああああッ」
ジェンツィアナは衝撃に投げ出されたのだろう。
目映い水面を掻いて乱して、
彼女は最期の時を、サメ達と踊って過ごしたようだ。
そんな金色の逆光を大きな船影がぬっと遮り、差した暗がりが鮫殺しの終わりを告げる暗転となるのだった。
ビアンカの心は、その静かな暗転に安堵していた。
ずぶぶ、ずぶぶと、気泡と共に沈んでいく漁船の片割れに横たわって、安堵していた。
そんなまどろみにも似た達成感の中で、ふと、いつの間にか手にしていたらしい銀色に気が付く。
「この声を、…陸に還せば…終わりね」
長らく続いていた録音だったが、かちりという一押しで、ようやく記録を終えた。
全ての声を、録り終えたのだ。
足はすでに動かない。
視線の端を三角がいくつか横切った。
しかし幸いにも、すぐ側にはブイの縫い付けられた網の山がある。
ここにレコーダーをくくりつければ、きっと。
「…」
それでも一時、僅かに口もとを縛って、
それから、もう一度録音開始ボタンをそっと押す。
「ママ、パパ」
「…言うこと聞けない、無理ばっかする。そんな手のかかる娘でごめんなさい。思いかえせば」
遠退く船影のあとに、にわかに金色がパッと差し込む。
海鳥の群れが、声高く陸地に向けてつぎつぎ還っていく。
ビアンカは流れ込む海の冷たさに、ポロポロと、涙していた。
「まあそんな感じ。…マリオはなかなかグルメだから、覚悟してね」
ちゃぷちゃぷと、流れ込む海水が横腹を打つ。
もう、潮時だろうか。
「あとは…」
さいごに言い残したい言葉は、
「あとは」
「愛してる」
「愛してるよ。ママ、パパ。マリオ。…ありがとう、みんな」
録音を終えて、ビアンカはそっと、網の山に銀色を差し込むが、半分ほどで手を止めた。
そしてため息混じりに再度録音開始し、
「あーと、…ベン。ボーナスは、現金で。いつもの口座にお願い。…このデータ、機材は全部会社の備品だから、常識の範囲内で好きにして。…それじゃ」
ため息を挟んで、
「あ、そうそう。…ルーシーがあなたの事気にしてたわ。ディナーにでも誘ってみなさい。…じゃ、頑張って」
本当の最期の声を網の山に遺し終えて、
ふう、と横たわる。
「サメなんて、何が良いのよ。…バカ」
そうして船の片割れはビアンカと共に、静かに、ゆったりと、金色に溶けていく。
まもなく全ての海鳥が、陸地へと還っていった。
声高く鳴いて、還っていった。
「運転は?」
船底格納庫。
ロロ達八人は、四人ずつに別れてジェットスキーに乗り込んでいた。
「俺ができます」
青年が一人胸を張って、ハンドルを握る。老夫婦達が儚げな女性に手を引かれて、青年のジェットスキーの後部座席に乗り込んでいく。
「こっちは僕が」
そう言って、すでにミミとローリー、コリー、ザフィが後部座席に座る方に、ロロが乗り込む。
「よし。大丈夫そうですね」
ダニーは胸を撫で下ろして、
「それじゃあ、気を付けて」
頷き、順々に波打つ海原に出ていくジェットスキー二隻を見送って、
「また陸で会いましょう!刑事さあん!」
「取り調べ長いですから!覚悟して!」
金の波間で青ざめるコリーを今度こそ見送って、
「…よし」
気合いを入れて、甲板に続く階段を見上げるが、
「…」
妙だ。
いつの間にか、銃声は止んでいる。
銃撃戦は、終わったのか。
そう思い、
重い足取りをようやく進めた瞬間だった。
ッドッォォォオオオン…――ンン…―――
船底格納庫の空気をビリビリと、爆音が震わせた。
続く火災報知器のサイレンに、けたたましい銃声も混じって聞こえてくる。
…爆発。爆発だよな。
核弾頭を乗せた船。
それでなくとも…――
ダニーの背筋を冷たい汗が止めどなく流れ、瞬間、居ても立ってもいられず弾けるよう駆け出した。
「ッゴホ、ゴホ!」
煙で満ちる上層の通路内。ダニーはむせながらも黒煙を掻き分けて、なんとか進んでいく。
そして、
「―っ、ルッチ!」
閉ざされた扉の近く、その壁に背を預け項垂れるルッチの姿を見付け、一目散に駆け寄った。
「…おぉ、ダニーじゃねえか」
「いったい何が…!撃ち合いをした敵はどこに!?」
傍に屈み込んで問い掛けるが、
「よく聞けダニー…ッゴッフ!!」
それどころではない、
ルッチが吐いた血が、ダニーの膝元を赤く染める。
「っ!!…ひどい怪我じゃないですか!」
「いい。気にすんな」
ダニーは顔をくしゃくしゃにして、
とにかく火の手煙から逃れようと、ルッチの開け損じたらしい近くの鉄扉を開け、
「さあ、抱えますからッ」
だらり力無いルッチを、外の連絡通路に脇を抱えて引き摺り出す。
「ゴホ、ッゴッホ」
すでに空は茜に染まり、海原一面が朱色に煌めいている。
新鮮な夕焼け色の潮風が、肺を満たしていく。
「カラビニエリ共は、ヴィン・サントを、見捨てた」
ダニーはぐっとルッチの傍に顔を寄せて、煙に焼けたしわがれ声に耳をそばだてる。
「ノッチーノとかいう男を討って、弾頭を回収し、政府がテロを、未然に防いだ、…と、演じる算段、らしい」
ダニーはやるせなさに目を瞑り、床板を拳でゴンと打った。
「ヴォヴはすでに奴らを追ったよ。…あのクソガキ、残りの弾丸やるっつったのによお、自分のタマで何とかしてやるって聞かねえのよ」
「…俺も追えって言うんですか。あなたは」
「国家の危機だぜ。それ以外ねえだろ?…ええと、真面目ボーイ君、よお」
「…ッ」
しかしダニーは何も言い返さずに、
「っちょ、おい」
即刻、
ただルッチをおぶって、立ち上がる。
「何、してんだよ、ッゴホ、ゴホ」
「たとえ、汚れていようが」
「…っ」
「国家憲兵の正義の鉄槌が、国を救ってくれるんでしょう?…それなら俺は、人命を」
「たった一人の『相棒』を救ったって、構わないでしょう」
夕空の茜に、ルッチはあのなあ、と何か言いかけるが、
けふ、という咳一つ残して、黙り込んでしまう。
船首側甲板から、突然乱れ狂う乱射音が響く。
「…弾頭は現在、恐らくノーマーク。万が一、憲兵がしくじったときを考えて、俺達で押さえておきましょう」
「…この不真面目は、警部に報告だな」
「どうぞ?…後悔なんてしませんから、俺」
再び静まり返る潮騒、その夕焼けの茜に、ダニーのずしりと重たい足音が、心なしか軽やかに、響くのだった。
「ノッチーノ!」
死屍累々、夕焼けに染まる船首側甲板。
憲兵の骸を跨いで超えて、ヴォヴはそのただ中に座り込む一人の男目掛けて進んでいく。
「…静かになったと思えば」
ノッチは深いため息のあと、
「最後はおまえか、ヴォヴ」
ッタァアン、と、
無造作な一発で、咄嗟に飛び避けたヴォヴの足下を弾く。
ジャグジーの縁、その陰に身を隠しながら、ヴォヴは得物を調える。
「見ろよ」
ノッチは両腕を胸めい一杯広げて、
「みんな死んじまった」
憲兵の骸を踏みつけ、悲しげに笑い捨てた。
「俺を慕ってくれた仲間も。みんな死んじまった」
ヴォヴはぐっと目を瞑り、震える呼吸を整え、
「ボスも、死んだよ」
そう言って、託された拳銃を構え、ノッチの眼前に躍り出た。
「…そうか、死んだか」
ノッチは遠く、水面の煌めきをじっと見つめる。
ざざん、ざざあん。
繰り手を失ったクルーザーは、ただひたすらに、行き場もなく波を切る。
「オレはあんたを、許せねえ」
ノッチは視線はそのままに、っふ、と冷たく笑う。
「それでも」
「それでもボスは」
「そんなオレに、あんたを『止めてくれ』、…って言ったんだ」
ざざん、ざざあん。
頭上の空は、すでに夜の濃紺を帯び始めた。
「オレはその温情を、無下にできねえ。…だから」
「選べよノッチ」
「このまま諦めて、オレの前から消えるか」
「…オレに惨めに殺され」
ッタァアン…―――ン
「っかは」
ヴォヴは胸から赤を溢して、
託された銃を、落として。
青い煙を立ち上らせるノッチの銃口を前に、膝から崩れ落ちた。
「やっぱり、お前はバカだよヴォヴ」
項垂れるヴォヴにノッチは歩み寄って、その隣に腰を下ろす。
そして、ヴォヴが落とした、馴染み深い一品を拾い上げた。
「懐かしいなあ。この銃」
そう言って、リボルバー式の弾倉を開けて、弾一つ入っていない有り様に失笑し、
「優しさのつもりか、バカオヤジが」
手すりの向こう、茜の中に放り捨てる。
「復讐に身を任せるのは、愚かだ。美しくない」
「『仇討ち』ってのは、よく考えて、頭を使って。美しくフィナーレを決めねえと、鎮魂歌にはならんのさ」
「…っと、こいつはお前の大好きだった、ボスのお言葉だ」
ヴォヴの震える肩をポンと叩いて、ノッチは拳銃を捨てた手すりの方へ歩いていって、
「でもお前は今この瞬間まで、頭一つ使わなかった。なあ?」
背を預けるようにして向き直り、銃を構える。
「だからこれから響くのは、頭を使った俺の鎮魂歌だけさヴォヴ」
「じきに世界は核武装が常識になり、武力の差が生む貧困、飢餓は淘汰されていく」
「荘厳で長大な第二次冷戦時代の…静かな鎮魂の時代の幕開けだよ」
「誰もが厳粛に生きて、厳粛に死ねる」
「そんな穏やかな、恐れの時代の幕開けだ」
ざざん、ざざあん。
静かな波の音だけが響くかに思われたが、
「…っぷ」
「くく…く」
「ったっははは!」
血を吐きながらも、ヴォヴが腹を抱えて笑い出したのだ。
「何が面白いんだ?え?」
「くく、っぷ、ふふ。ああ、すまない。…オレ、バカだからよ、あんたが何言ってんのか、さっぱりなんだ」
「ああ。…っはは、そうだよな。悪い」
「いや。いいんだよ」
そう言って、よろよろと立ち上がって、伸びをして、
「…そう、かあ」
「やっぱ、バカじゃあ、ダメみたいだ」
「すんません、ボス」
夕焼けに一言溢して、
ぐっと、目を瞑り、
覚悟を決めて猪突猛進。
「…ッ、バカがッ」
ッタァアン、タァアン
たまらず弾いたノッチの弾丸も全て命中するも、
ヴォヴは恐れを知らず走り抜け、
ついに倒れ込むようにして
「っぐう」
ノッチの腹にタックルをぶちかます。
そして、
ッタァアン
「離れろッ」
ッタァアン
「離れろよクソッ」
ッカチ、ッカチ…――
ノッチの拳銃の弾切れににっと笑うと、
「ノッチーノォッ!!」
「てめえはボスの優しさを捨てたッ」
「選択はこれで間違ってねえなァ!?」
その血塗れの怒り、凄みにノッチは恐怖さえ覚える。
「だったら、てめえに何ができんだ!?あ!?」
ッグチャ
グリップで殴り抜かれたヴォヴの頬肉がえぐれ飛んだ。
「殺すッ」
「そうかよッ」
ッドス
再びの殴打に血反吐をぶちまけ、
「お前を、殺すッ」
「やってみ」
ッタァアン、タァン、タァアン――ンン―――…
銃声が、茜の海原に三発。そして
「っこふ…ぐ!?」
「お前を」
ッタァアン
「絶対に」
ッタァアン
「殺すッ」
ッタァアン…ンン――
ヴォヴの拳銃は、ようやく全て、空となった。
だらだらと血を吐きながら、
「なぜ…だ」
ノッチーノはよろけて、
されど手すりを固く掴んでまだ執着するが、
「俺の…俺の、決意は、おまえ、なんかに」
「下らねえ」
「な…に」
「レクイエム?うるせえな、…下らねえよ」
ッドン
呆気にとられるノッチの胸板に、
ヴォヴ渾身の頭突き、一つ。
それから、体勢を崩したノッチーノと、
勢いを殺す余力もないヴォヴは、手すりを超えて
――ッザッボォォ……ン
夕焼けの波間に落ちていった。
本当にすみません。ボス。
美しく、有れませんでした。
醜い復讐が、
あなたの思いを、無下にしちまいました。
それでも。
それでもオレは、やり遂げた。
やり遂げたんだよセレナ。ポルコ。
復讐は、
終わったよ。
ああ。
…サメが群れて来やがった。
あの世で、チェンテルベにまた、世話になるかな。
ヴォヴと、ノッチーノ。
こうして醜い復讐に執着した二人の男は、暗く、深い海底にもつれるようにして沈み着いて、
少しずつ、
少しずつ。
サメにつつかれて、ただ、茜色のなかに、穏やかに、溶けていくのだった。
夜の帳が降りた薄暗がりの港。のはずが、溢れんばかりの救急隊に警察に、赤や青のサイレンに、まるで昼間と見間違えるようなハイビームと野次馬でごった返していた。
そんな中、
「おっと」
ダニーのスマホに電波が通じた瞬間、一つの着信履歴が灯り、
「なんだ。女かァ?」
包帯での応急処置を終えたルッチが、笑み、のような頬の痙攣を担架の上で浮かべる。
「違いますよ」
「なあんだ」
「…サンデー警部からだ」
「…」
口を結んで、二人は少し黙り込むが、
「行ってこい」
ルッチの意外な即答にダニーはぎょっとした。
「ッでも」
「おれ、行きたくないもん」
「…心配しようとしたのに」
「心配も要らん。この程度の傷だぜ?」
と言って、今度は幾分かましな笑みを浮かべるが、
「動かしますよー」
「いてててててて」
搬送の順番が回ってきたらしく、救急隊が担架をからから動かす度に絶叫するざまを晒した。
ダニーはやれやれと呆れながら、その担架の搬送に並走していくが、
「行けよダニー」
「じゃあ俺を安心させてくださいよ」
「んな思春期のカップルみてえなこと言うな。行け」
「嫌ですってば」
「行ってやってくれ」
突然上体を跳ね起こしたルッチは、ダニーの胸ぐらをぐいと掴む。
「しかし」
「おれには家族がいるし」
「…」
「相棒もいる」
「…っ」
「でもな」
「サンデー警部の傍に、今」
「誰が居てやれるってんだよ」
「…」
黙り込むダニーのしょぼくれた瞳を覗き込んで、ルッチは肩を落とす。
「署長が亡くなって。島の財務警察がめちゃめちゃになって。…そんなときの一報だぜ?」
ルッチの担架の固定が終わったらしい。
「閉めますよー、離れてくださーい」
項垂れるダニーは救急隊に肩を抱かれて、救急車の後部扉から引き剥がされ、
「いいなダニー」
「…はい」
バタンと、扉が閉められた。
赤いサイレンがぱっと灯り響いて、間も無く、ルッチを乗せた救急車が雑踏の奥へと走り出した。
視線を流すと、ちょうど、ダニーとルッチが確保した核弾頭、その保管ケースが憲兵の装甲車へと押し込まれているところだった。
収まるべき所に収まったんだ。
何も、間違ってないだろう。
それでもダニーはやるせなさに口元を歪めて、スマホのメッセージアプリを立ち上げる。
『ヴォルゲッテで待ってる』
着信履歴の後に、ただ一言。
ダニーはふうと一息、そして身を引き締め、雑踏を掻き分けて、サンデーの待つ老舗のバールへと、一歩一歩進んでいくのだった。
カランカラン…――
店内BGMも、客も、店員さえもいない薄明かりに、ダニーははじめ怖じ気付く。
しかし、すぐにカウンターに一人、見慣れた背中を見出だして、呼吸を整えながらその隣に立った。
「俺以外に捕まらなかったみたいだな」
「…」
「さすがは真面目ボーイだ」
そう言ってことりと、目の前にショットグラスを一つ置いてくる。ふわり立ち上る柔らかいアニスの香りが、そっと鼻を掠めていく。
「全て、終わりました」
「…そうか」
「でも、…多分俺は、失敗しました」
「そうかい」
「不真面目だ、って。…笑ってくれないんですね」
「そんな気分にはなれん」
署長の死、
部下の不審な振る舞い。
そして分断寸前の財務警察。
サンデーの笑えない理由が次々思い浮かんで、ダニーの肩が沈みきったところで、
「――父親が、死んだんだよ」
ふいに、サンデーが、
酒を一口あおったサンデーが、ぼんやりと呟いた。
一口も飲んでいないはずなのに、その夢見心地な響きに、ダニーは自分まで酔ったんじゃないかと錯覚してしまう。
「お父さん、ですか」
「ああ」
「…」
「お父さん……ですか?」
「…そうだ」
「俺の父親」
「アニーチェの、父親」
「カンディアス・マルヴァジーアが、死んだんだ」
バチャ…――コロロ、コン――
ショットグラスを弾き落としてまで、ダニーは床に尻餅をついていた。
「…その、名前」
「着任一月足らずでも知ってるか」
「その名前は」
「そう。ヴィン・サントのボスだ」
「そんな」
「だから、今朝。地方警察のネズミどもがキーキー騒いだ時、にわかに信じられなかったんだ」
「なんてったって、知ってる限り。中央区警察署のネズミは」
「署長と俺の二人だから、さ」
言葉一つ、浮かびやしない。
サンデーの告白を前に、
ダニーの頭の中は、ゆっくりと、霧が立ち込めていくよう、白く濁っていく気がした。
「立てよダニー。少し飲もうぜ」
日の沈みきったカントゥチーニ。
薄暗いカフェ・ヴォルゲッテのカウンターに、ゆっくりと並び立つ男が二人。
目の前に並び直されるは、二つのグラス。
今、酒瓶から、最後のサンブーカが注がれた。
∀本日の一杯
○サンブーカ
アニチェの一種で、イタリア生まれの甘い伝統的な混成酒。アニスやスターアニス、エルダーといったスパイス数種類が香り付けとして使われ、自然由来のアネトール成分が1リットル中1グラム以上2グラム以下、度数は38度以上、そして甘味成分は転化糖換算で1リットル中350グラム以上含むもの、と、EUの法で規定されている、法に守られたお酒である。
男を濁したのはフィレンツェの雨か、それとも―――。
水割りもしくはロックのサンブーカ。ウーゾ効果の知られていない時代に、緩やかに濁るその有り様、先人達はどんな思いを抱いていたのだろう。
恐怖か、畏怖か。あるいは鎮魂か。
『幽霊と共に』と名付けられた、サンブーカ・コン・ファンタズマでどうぞ。




