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Digestivo 太陽の 鮫―スクアーロ―  作者: 29-Q


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20/21

前編


'O sole mio


晴れ渡る空。太陽はさんさんと、蒼海を照らしている。



 昼下がりの港の桟橋。係留された一隻の漁船の上で、ビアンカは木箱に腰掛け、ピップに睨みをきかせていた。対するピップは眉一つ動かすことなく、堂々とした佇まいで壁に背を預けて立っている。


ちゃぽんと爆ぜる波音。

ゆったりと揺れる船体。

二人の首筋を、汗が一筋、流れ落ちた。


「それで?オデの名前がどうかしたのか、女」

痺れを切らすような僅かに上ずる喋り出し、ビアンカは強気に鼻で一つ笑って見せると、

「名前っていうのは表面上の()()()に過ぎない」

ピップの目をまっすぐ睨んで、続ける。

「だから、偽名か本名かなんて、正直どうでも良いのよピップ。重要なのは、あなたが『誰なのか』、よ」

「オデはオデさ。お前みたいな女に何がわかるってんだ」

もう一度分かりやすく呆れて見せて、

ポケットからレコーダーを取り出し、ガチャリ、と、再生ボタンを押した。



――誰か――

――誰か助けて――


――アタイは必死に叫んだよ――

――三日間の炎天下で渇れ果てたかと思っていた喉で、必死に叫んだんだ――


――何度も何度も、叫んださ――


――するとどうだい――

――たまたま通りかかったんだろうかねえ――

――水平線の向こうに一隻の漁船の影が見えたのさ――

――汽笛を吹かして、そっちに行くぞ、と、合図をしてきた――



ガチャリ。

レコーダーは一時停止。

波の音がじゃぼんと、ひときわ大きく船の横腹を打った。


「私があなたに対して決定的な違和感を覚えたのは、ここよ、『ストラヴェッキ』」

男の眉がピクリと動く。

「当時、まだ関係を持っていなかったはずの一人の少女を、あなたは『助け出した』。…三十三年もあれば何か心境の変化があったのかもしれないけれど、子供達を『活き餌』と呼んだ今のあなたとの決定的な違いが、彼女の、ジェンツィアナの証言から見てとれるわ」

「おいおい。サメを殺すことが、オデの主目的だ。人を助けようが見捨てようが、大差ねえだろう」



「いいえ?あなたの主目的は、『サメを殺すこと』なんかじゃあ無いはずよ、『ストラヴェッキ』」



「何を言いやがる」


男は笑い混じりに言い捨てるが、首筋は白く照り返す。

そこに冷静な、ガチャリ、という機械音が再び響く。



――そして仕留めたサメの腹をかっ捌いて、いつも残念そうにポツリと一言呟くのを、毎回毎回、近くで聞いてきた――



――今日も、無かったなあ。…ってよお――



ガチャリ。

停止ボタンの音を聞かせる頃には、男は完全に沈黙し、俯いていた。

「さて…『ストラヴェッキ』」


「あなたはサメに奪われた『何か』を探して、世界の海を回っていたはず」


そう言って期限切れのパスポートを取り出し、

「二年前までの渡航履歴の記録からも、それは明らかね。新しいパスポートでも、この旅は続いているのかしら」

パラパラと数ページを流し見て、パタンと閉じる。


「これは、復讐の旅。…そうでしょ?『鮫殺し』の男、ストラヴェッキ・バリカータ」

「…いいえ」



「『鮫殺し』の()()()、ピップ・マッローネ。と言うべきね」



じゃぼんと波に打たれて、船が大きく揺れた。




 同時刻。ロロとコリーは落ち着きを取り戻そうと少しだけ近くの海岸を散歩して、待合所に帰る途中だった。

「気は晴れたかロロ」

「悪いね、付き合わせちゃって」

「おいおい、よせよ」

「辛そうなダチに寄り添うのは当たり前。…だろ?」

「っほっほう。俺の事わかってきたなチェリーボーイ」

「おかげさまで、ね」

そう笑い合いながら、待合所の戸口を潜るが、


「…あれ」


しんとした静寂。

荷物はそのままに、誰一人として、ローリーさえ居ない事に気が付く。

「っかしいな。全員で連れションか?」

コリーは冗談半分に無理に笑って見せるが、手先のブレは正直だ、緊張の面持ちで、二人の荷物を調べていく。

「座面はちょい温かいぜ。二、三分前は、まだ居たんじゃねえか」

コリーがベンチから顔を上げると、ロロは大窓の向こうを見つめ考え込んでいたが、

「っ、見回りの警察」

言い終えてすぐ、

「あの人達なら何か見てるんじゃ」

外の憲兵の方へと駆けていき、コリーも遅れてそれに従う。

「あの、すみません」

「なんすか」

手すりに腰掛け暇そうにしてた憲兵に声をかけると、だるそうに睨まれる。

「待合所の人達、って、どこに行ったか知りませんか?」

「待合所ぉ?ああ。さっきベイリクスが誘導してたっけなあ」

「誘導…?」

「マフィア共が居るってんで危ないっしょ?だから憲兵主導で、避難させろ、って上から指示があったんすよ」

「そう、だったんですか」

やけに港一帯の人出が減ったとは思っていたが…。

「君達もとっとと避難しなよ。今、誘導してくれる担当者呼んであげるから。そこ居て」

憲兵が無線で仲間に呼び掛けて、避難誘導にあたれる職員を探し始める。

ふと視線を向けた先の倉庫区画。


あそこに、本物のマフィアがいるんだ。


憲兵の言葉に、その事実に、ロロの背中を嫌な汗が伝った。




 同時刻。中央区の町なかを走る国家憲兵の装甲車。道行く人々は、時折、なんだなんだとそれを見る。

「いやはや、無事に借りられてよかったわい」

そんな外の視線なんて知る由もなく、車内、助手席のアクアヴィーテはご満悦に、膝の上の機械を愛おしそうに撫でていた。

「先生、それは一体なんなんでさ」

後部シートからルッチが眉を潜めながら顔を覗かすと、

「シンチレーション式のサーベイメータですね」

ルッチ、ダニーの向かいに座るヘイリーが、手元の端末から顔を上げて、メガネをくいと整えて言う。

「ああ。あれね。シンチレィションね、うん」

「知ってるんですかルッチ。俺にはさっぱりです」

ふいに、運転席のコレッタが

「簡単に言うと、弱い放射線の空間線量を測る機械っす」

会話に割り込んでくるが、

「クソっ、ウインカーつけたり消したりすんなドアホォウッ」

前方の車に向けてのクラクションと悪態に忙しそうだ。

「…先ほど情報を擦り合わせた際、『取引に関与した遺体から放射線の反応があった』、と仰いましたよね」

と、キレるコレッタを横目にヘイリー。

島役場を出てからここに至るまでに、二組は大まかな情報の擦り合わせを済ませていた。

「しかし本来、保管状態の核弾頭から放射線が漏れるなんて、現代じゃあり得ないんですよ」

「そうなんですか?」

「だって持ち運ぶだけで自分達が被曝なんてしたら、戦略兵器とは言えないじゃないですか」

「ああ…確かに」

「ですから、コレッタさんとアクアヴィーテ博士は、お二人が観測した微弱な放射線に一つの仮説を立て、島在住の旧友の方から測定のための機器を借り受けたのです」

「うム」

アクアヴィーテのきりりとした眼が、バックミラー越しにこちらを向く。

「…アリアンヌ女史の資料から読み解いたイタリア政府一派の暗部と、おぬしらの情報を合わせて。きゃつらの目的が、途上国や内戦状態の国々への『核兵器の再分配』であることが確定した」


「で、あれば。武器をサメに喰わせて、生息域を音波でコントロールした後、…取引相手、武器を受けとる側は、腹の内の武器欲しさにサメを広い海から探すことになる訳じゃ」


「…っ、まさか」

ダニーは閃きに身を乗り出して、


「そう。おぬしらが観測した微弱な放射線は、『マーキング』。だからソイツを逆手にとって弱い放射線の空間線量を追えば、カントゥチーニ島近海のサメの腹に眠る全ての武器を回収できるんじゃよ」


希望は、まだある。


「何せ、奴らの手にはまだ、兵器を傷付けない『無痛のサメ避け』が無い」


「だから好機は、今じゃよ」


アクアヴィーテの言葉に、二人は決意を固める。

「っし。渋滞抜けた。飛ばすぜ」

見えてきた水平線。

港に向かう装甲車は軽自動車の列をようやく追い越して、その速度を徐々に上げていく。



晴れ渡る空。太陽はさんさんと、蒼海を照らしている。





「なあ。ノッチーノよお」


 カンディアスの一声で、もとより構えるヴォヴに加え、十人が一斉に銃口をノッチ達へと向ける。ノッチの配下、四人の忠臣達も自分の信じる男の盾となるよう展開し、負けじと銃を構えた。

「こいつは、一体、何だ」

彼の歩み寄った先、サメの腹から摘出された二つの榴弾。

カンディアスはつま先でそれを小突いて、ごろん、と回し見る。

「聞けば、あの取引に出てった夜に、こいつをサメに喰わせたそうじゃないか」

見当もつかないと言いたげにふんと鼻を鳴らして、カンディアスは歩き出す。


「お前は一体、何をしようとしてんだ?あ?」


コツコツと、靴底がコンクリートを打つ。


静寂を切り裂き、

ゆっくりと、

ゆっくりと響く。


「説明したとて…あんたは、『餓え』の苦しみを知らんでしょう」


ひたと、

革の響きが止まった。

「ああ。知らんな」



「先々代から搾取する側だ。…そりゃあ、…ッ知らんでしょうよ」



ガチャリ、と、

恐れ知らずにもノッチが拳銃を構え、その鬼気迫る形相を前に、倉庫中のしたっぱが思わず尻込みしてしまう。

が、しかし、ヴォヴただ一人だけがカンディアスを守るように、ノッチの銃口の前に躍り出ると、

「そうかよ。あんたは顔も知らねえ誰かを『餓え』から救うために、セレナとポルコ、チェンテルベまでも殺したって訳か」


その問いに、ノッチはただ笑うのみ。


カンディアスもノッチの反応に呆れたようにため息を溢すと、

「平気で家族を手にかけるような男に、救える命なんざ無えよ」

ヴォヴと肩を並べるように立って、ガチャリ、と銃口をノッチに向ける。


十二の銃口。

対するは五。

滴るサメの血が、俄にテンポを落とす。


ぽた


「…Ma n'atu(もう一つの)sole(太陽は)

cchiù(さん) bello(さんと)oje ne'(さんさんと)…」



ぽた


どこからともなく、

掠れ響く、哀しげな響き。



「'O sole mio(僕の太陽)




ぽた


sta(さん) 'nfronte a(さんと満ちる)te()…」


皆は互いに視線を合わせながら、

響く歌声に、緊張はピークへと達する。





ぽた…。



「…くくく」


「'O sole(太陽よ)、'o sole mio(僕の太陽よ)…」




「あんたも、俺の太陽を奪ったろう」




ノッチの愁いた震え、

哀愁のナポリ民謡カンツォーネ・ナポレターナがカンディアスの内に刺さる、

その最後の一瞬だった。



ノッチが真上に放り投げた何かに、

全員の視線が天井付近へと集まり、

楕円形の影がこつと天窓を僅かに打った瞬間。


ヴォヴはその何かが手榴弾であると理解し、

「伏せろォッ」

全員に届くよう叫ぶも言葉尻は爆音に飲まれ、

衝撃に震えるあらゆる窓が破れ、


ガラスの雨が、倉庫全体に乱反射した。


天窓の真下にいた何人もの顔が、腕が、足が何百という破片に切り裂かれ、突如として倉庫は絶叫と血の海となる。

そしてあらかじめ柱の陰に逃げ込んでいたノッチ派の四つの銃口がまず火を吹いた。

先手を取られたと、慌てた者からばたばたと凶弾に倒れていく。


粉微塵、ガラスの雪原。

飛び交う弾丸に飛び散る血飛沫。


耳鳴りの中ヴォヴはなんとか起き上がって、隣でうずくまるカンディアスを起こし庇いながら、近くの柱の陰に逃げ込む。

「すまねえヴォヴ」

「ッボス。お怪我は?」


ひやりとした。


ゴホゴホと咳き込むカンディアスに予感を覚え、

ヴォヴは弾けるコンクリート片の最中、

うずくまる彼の体に手を這わせて、


胸元の温さに凍る。


「そんな」

「…肺を、やられちまった」

「ボスっ、ボスもう喋んねえで下さい。ここに居てください」

「待てヴォヴ。待て待つんだ」

すぐにでも止血や応急手当のできる人手が必要な状況。

ヴォヴは凶弾に倒れゆく仲間を見渡しながら、焦りを募らせていく。

「すまない、ヴォヴ。…ッゴフ、オレにゃあ、できんかった」

「すぐに手当てができるヤツを呼んできますから、ッここに居てください」

「オレぁ、ノッチを愛せも、殺せもしねえ、ぐずだった」

「何を言って」

「奴の魂だけを…殺しちまったんだ」

焦り、今にも駆け出そうとするヴォヴの胸元に、カンディアスは手にしていた拳銃を押し付けるようにして渡す。

「…これは?」


彼の愛用の、歴戦の拳銃。

ふっと軽い、空の弾倉。


はじめから、ボスはこの場で撃つ気など…


「ヴォヴ。…奴を、止めてくれ。楽にして、やってくれ」

「あんまりですよ、ボス」

「方法は…任せる…ッゴッホ、…ゴボッ、ッブェッホ」

「あんまりですよボスッ」

「ノッチの道を、正してやって…くれ」

「オレは奴をッ」

カンディアスの襟元は、吐き出す血で赤黒くぬらぬらと照る。

「…ッ」



「弾頭を回収しろッ、サツがたかって来る前に、船に運べよッ」



ノッチの叫びにはっとして辺りを見回すと、

すでに仲間は全滅し、逆光の戸口から駆けていく五人の人影が際立つよう、鮮明に見えた。

陽炎の揺らめきに、警察のサイレンが響く。


「…みんな…逝っちまうのか」


遠退く人影。

銃声が僅かに聞こえてくる。


「寂しい思いを…させちまうなあ、ヴォヴ」

「…、ヴィン・サントは、もう」

「…すまねえ、ヴォヴ」

「…ッ」


巡視艇の船団が波を切る音だろうか。

小銃の乱射音と、拳銃の単音。

外が騒々しくなってきた。


ふいに、カンディアスが咳き込む。


「ヴォヴよぉ」


血濡れた温さが、右頬を撫でた。

ヴィン・サント(我が家)は、どうだったよ」


喧嘩は絶えなくとも憎めない仲間たちが、好きだった。

セレナとポルコとのランチの時間が、好きだった。

ボスの、大きくて温かい手が、好きだった。


十八年前の路地裏、天涯孤独の捨て子だった自分を拾ってくれた、ボスのこの手が、



「…最高の、家族でした」



知るはずもなかった感覚を、オレに教えてくれたんだ。



「…そう、か」



ぼとり。


その手が最期に奏でたのは、

コンクリートを打つ、冷たい音だった。


受け止めることの出来なかった幻肢痛だけが、ヴォヴの胸の内を支配する。


そして瞬間、

そのあるはずの無い痛みが、苦しみが、

ヴォヴがこれから成すべき事を、明瞭にして見せたのだ。


…チクショウ。


チクショウ、チクショウッ。



「…止めてやる」


「俺が止めてやるよ」



「ノッチーノ・チノーリ」






響く爆音、

続く銃声に、港は騒然となる。憲兵達がしきりに無線を取り合い、ホルスターから銃を抜いて、調子を整え始める。


「一体…何が」


男への追求も半ば、

ビアンカは思わず木箱から立ち上がり、

桟橋の向こう、背後に振り返って、

辺りを見渡し数秒足らず、



しまった。



記者の性か。

無意識に大事(スクープ)の方へと視線を向けてしまったことを激しく後悔し直後、


ガチャ、

と、

ドアの開く音がしたかと思えば、



ッガッシャァン…



焼けるような後頭部の感覚に、

飛び散るマホガニーの輝きが、鮮明に見えた。


立つ術を忘れたかのように頽れ、うつ伏せに沈み、

じんじんと、首筋を柔らかな粘度の温もりが伝い、

じわりと、目の前の水溜まりに溶けて、赤が広がっていく。


何か、怒号が聞こえてくる。

船が起動し、薄紅の水面が波紋に乱れていく。


ああ、


痛い。


ぼやける視界。

鼻をつく安いアルコール。

ビアンカは酔い酔いまどろみに、船出の揺れに身を任せ、そのままゆっくりと、意識を失っていくのだった。



「まずいことになった。君らはひとまず待合所に隠れて」

鳴り止まない銃声が、倉庫区画から響いてくる。

「まずいことって…ッ一体何が!?」

「いいからすぐに逃げてッ。内鍵も閉めるんだいいなッ」

戸惑うロロとコリーは、憲兵の男に待合所に押し込まれ、戸を強く閉められてしまう。


「どうなってるんだよ…」


立ち尽くすロロ。

慌ててみんなの荷物をひっくり返すコリー。

「…クソッ、だめだ二人ともスマホ置いてってやがる」


連絡手段はない。

どこに避難したのかわからない。


マフィアの銃声が響く港で、完全に分断されてしまったらしい。


打つ手無し、か。


そう、しゃがみ込んだ時だった。


「…、これ、って」


ミミ達が腰掛けていたベンチの真下、足元の陰に、一冊のノートを見つける。

「見所ノート、か」

初日に嬉しそうに読ませてくれた、ミミの笑顔が脳裏を過る。


「…」


そして、眩しい思い出の一幕で、

「…っ」

ミミがこのノートを大事にポーチに入れ肌身離さず持ち歩いていた事も思い出して、

ロロは一心にそのノートをめくっていくと、



『クルーザー』



最後のページに、乱れた筆跡の殴り書きが一つ。

「…なんだ、これ」

その一言に、

首を傾げた、瞬間だった。


「ッワン!」


「うわあッ」


突然、ローリーに頭突きをかまされたのだ。

閉めきられた待合所。

最初から身を潜めていたのか、それとも…

「こいつどっから」

コリーがロロの隣に屈んで、ローリーの観察を始めると、

「あっ」

一目散。

勢いの乗った爪の音がベンチの下を縫うように奏で、

そして彼が向かう先に二人の視線が集まったと同時、

壁と床の境界、通気用の小窓が全開であることに気付く。


「…行こうッ、コリー!」

言うや否や駆け出し狭い小窓から這い出ていくロロに、

「ッ正気か!?オイッ」

驚きながらも、今度は遅れを取らないコリー。


かっと照りつける地中海の太陽。

目眩がするような昼下がりの港。

注意深く見回すと、桟橋のベージュのただ中に白一点。

「居た、ローリーだッ」

真っ先に見つけて駆け出すコリーにロロも続く。


桟橋から一隻のおんぼろ漁船が離れ、

倉庫区画の埠頭から、ぬっと、大きなクルーザーも現れる。


「ワンワンッ、ワンッ、ワフッ!!」


コバルトブルーのきらめきに向けて、ローリーは一心不乱に吠える。

「クルーザー、って…ミミ、まさかクルーザーって」


ローリーがしきりに吠える、クルーザー。

サメを討ち取り帰還した、クルーザー。


「マフィアのクルーザーに、避難したっての…!?」


あべこべすぎる状況に、思考が全く追い付かない。



「おいおいなんの騒ぎだよクソが」

コレッタが車のドアをバタンと閉じながら、悪態を吐く。


倉庫区画からのまばらな発砲音。

駆け回る憲兵達が、次々に巡視艇のサイレンをかき鳴らしながら海に出ていく。

港ではすでに、なにか大事件が始まっていたらしい。


政府も憲兵も信じられない今、ダニーとルッチは自分の得物の調子を確認しながら、アイコンタクトに頷き合う。

「少し二人で、倉庫の方の騒ぎを見に行ってきます。お三方は」


「私は囮として、この車を走らせておきます」

と、ヘイリー。

「あーしらも倉庫に行くっす。SNSで騒がれてる『狩られたサメ』の様子を見に行きてぇ」

頷くアクアヴィーテに、スマホを掲げるコレッタの意志も固そうだ。


「…」

危険だ、と止めても、三人とも聞かないだろう。

「…わかりました。二人は俺達が護衛をします。決して、後ろを離れないでくださいね」

「あいわかった」

「っす」

「ヘイリーさんも、無理だけはしないように」

「はい。お任せください」

ペコリとお辞儀をして、エンジンを一吹き。

ヘイリーの繰る装甲車はぐんぐんと速度を上げて、通りの車列の向こうに消えて行く。


「じゃ、おれ達も行きますかね」


ルッチの声かけに三人は頷きあって、今はもう銃声の止んだ倉庫へと、駆け出した。



「クリア」

憲兵も、ヴィン・サントも居ない、もぬけの殻の倉庫区画。

ダニーとルッチがクリアリングをしつつ先導して、一番乱れた様子の空き倉庫に、ガラス片を奏でながら踏み込んだ。

瞬間、


「ッう」


眼前に広がる、

マフィアのしたっぱ、死屍累々の惨状。


とりわけ、そのただ中に横たわる、もとの形を判別できないほどぐちゃぐちゃにされたサメの頭部に、ダニーは思わずえずいてしまう。

「ッなんて事しやがんだ、クソマフィアが」

怒りに震えるコレッタが駆け出して、サメの骸、その不自然に開かれた腹部の傍に腰を下ろす。

アクアヴィーテは一瞬立ち止まって見渡し、全ての骸に向けて胸元に一つ十字を切ってから駆け出し、コレッタの隣に腰を下ろす。

ダニーとルッチはサメを調べる二人を守るよう、銃を構えて周囲を警戒し始め、

そこへ、


「なんだ。あんた達か」


ふいに響いた声。

二人はは慌てて、声のした方に銃を構える。

すると声の主は、敵意は無い、と言いたげに、左手をヒラヒラさせながら、柱の陰から姿を現した。


「…ヴォヴ」


ダニーとルッチも警戒を解いて、銃を下ろす。

「これは全部、君が?」

「んな訳ねえだろ。…そこの爺さん姉さんは?誰?」

「ああ。サメの学者先生とその助手だ。二人とも、こいつはヴォヴ。あー…現、無職だ」

「どーもセンセイ方」

「…っす」

ルッチの指す顎にコレッタが会釈をして、開かれた腹に顔を半分突っ込んでいたアクアヴィーテもサムズアップを高く掲げる。


「おれ達は、ヴィン・サントと政府の一派が海に放っちまったヤバいブツを追うために、ここに来た。…で?ヴォヴ君は散歩かい?」


「生憎、そんな暇は無えんだよ。…オレはオレで、やるべき事があんだ」


「ほぉう、そうかい。てっきり復讐は終わったのかと」


「はあ?」


「いい『目』してるぜ。今のお前」


ヴォヴは意味がわからないと言いたげに肩をすくめ、直後、

「ビンゴじゃ。こやつの腹の内、そしてここら一帯の空間線量に反応ありじゃよ」

アクアヴィーテは鼻先に血糊を付けながら、興奮気味に捲し立てた。

「っていうことは、さっきまでここにブツが?」

ルッチの問いに

「そうさ。あの()()()は、さっきまでここにあったぜ」

ヴォヴが答える。

「状況から察するに、噂されてたマフィアの派閥争いがあった、と取っていいのかな、ヴォヴ君」

「まあ、そんなとこだ。取り出したブツはまた持ち去られて、今頃オレ達組織のクルーザーで海の上だろうさ」

「敵さん船かよ…どうやって追う?」

ルッチが鼻を掻きながら全員を見回す。

「あー、船なら多分まだある。クソ速いのがよ」

コレッタが身を乗り出してきて、

「昨日政府が用意したボートっすけど、このクソ騒ぎ、まだ港に停まってるはず」

「良いじゃあないですか。鍵もここに?」

彼女の提案にダニーが目を輝かせる。が、

「持ってねえっすけど。得意なんで。あーし」

「あーあ」

「おっとっとっと」

警察二人はコレッタが真似て見せる()()()()を見なかった事にして、

「じゃあ、…船は、それでいきますか」

「異義無しだ」

話を進めていく。

「なら。あーしが船動かして、埠頭(こっち)に持ってくるっす」

「お願いします」

駆け出すコレッタの背中を見送り、

「それじゃあ、俺達で引き続き具体的な作戦を考えましょう」

ダニーが切り替えて、会議の進行をしようとした、

「まず」

瞬間だった。



「そこで何をしているッ」



聞き馴染みのある怒声。

銃を構える影の立つ戸口から、風が一つ、吹き込む。


「…サンデー、警部」


ダニーは手を上げ、ルッチも続き、

「よせヴォヴ」

血気盛んに銃口を交えるヴォヴを諌め、

「誰じゃあの男は」

「上司でさ」

「おお」

アクアヴィーテも何となく手を上げて、四人は無抵抗を訴える。

「警部お話が」



「ラツィオ署長が、亡くなられた」



「…ッ、そん、な」

からからと、風にあおられた何かが外で鳴った。

「ついさっき。俺の目の前で、息を引き取った」

「…」


ダニーとルッチは物言えず、ただ俯く。

あの時あの場に残っていたら。

二人は悔しさに、握る拳を震わせる。


ヴォヴもラツィオに助けられたことを思い、また、同じく敬愛する恩人を喪った悲しみに共鳴するように、黙って俯く。


「お前達二人を今すぐとっ捕まえて」

「今すぐ署に連行して」

「洗いざらい吐き出させてやりたい」



「けどな」



「だけど、な」




「…署長の遺言は」




「二人を信じろ」




「…だった」



ダニーとルッチは、言葉無く、

同時に顔を上げる。


サンデーは肩を震わせながら、

ゆっくりと、

銃の構えを解く。

そして、


「…サンデー警部お話を」


「今、この瞬間は何も聞いてやらん」


「…!」


「俺は何も見てないし。聞いてもいないんだから」


そう言って、拳銃をホルスターにしまって、

財務のパトカーのサイレンが次第に混じり出す外の風を見渡すよう、立ち塞がっていた戸口の道を開ける。



「だから」


「行けよ。…(おか)の事は任せておけ」



ダニーとルッチは頷き合って、

「行こう」

埠頭から聞こえてくる、急かすようなクラクションに向けて、サンデーの肩を越えて走り出す。


「帰ったら、必ずお話を」

「俺以外に、捕まんなよ」


風上に向けて、走り出す。




頬を舐めていく潮風に、ビアンカは目を覚ます。


ガチャンッ


覚醒したて本能のまま、

慌てて立ち上がろうとするも、


ガチャ、ガチャ…


身動きは取れないらしい。

鎖で巻き付けられて、船の手すりに拘束されている。

「おや。お目覚めかい」

陽気な笑声が、操舵室から聞こえてきた。


「…ジェン、ツィアナ」


「んだっはっはっは!アタイのピップが、世話になったようだねえ」


「…」


船は自動操縦に切り替えたらしい。

ジェンツィアナが大股で、ドアの陰から歩み寄ってきて、

「っこいしょ、っと」

ビアンカの隣に腰を下ろし、あぐらをかいて、手にしたマホガニーを瓶ごとあおった。


「三十三年前の、太平洋」


ビアンカはうわ言のように、笑うジェンツィアナの横顔に語りかける。



「助けなんて、来なかった。…でしょう?」



さんさんと照りつける太陽。

人の形もバニラアイスのようにドロドロになるんじゃないかという暑さ。



「ストラヴェッキは、あなたの恋人で」


「左肩と」


「婚約指輪を」


「あなたはサメに、喰い千切られた」



大波を突っ切った漁船は、ガタンと大きく揺れる。



「聞いた話によると、クルーザーには、海賊対策の武器が常設されているらしいわね」


「…低気圧で壊滅したハワイから、救助隊なんて」


「ましてや漁船なんて、出港できる訳ない」


「…だから」



「…武器を、取ったのは」




「ショットガンを取ったのは、あなた」






「あなたが、『鮫殺し』ね。…ジェンツィアナ」





飛沫が手すりを越えてきて、ビアンカはもうずぶ濡れだ。

ジェンツィアナは乾いた笑みを溢しながら額を拭うと、

「…なんだい。バカなピップがドジ踏んだだけかと思えば。アタイもとんだ失言していたらしいねえ」

笑い混じりに、は~あ、とため息を青空に逃がす。



「ピップ、さっき殺しちまったよぉ、クソっ」


「っだっはっはっは!!」



続く大笑いに、

ビアンカはただ、視線を甲板に落とす事しかできない。


「女一人で港を歩けばどうなるか。あんたもわかるだろう?え?」

殴られた後頭部が、じんじんと痛む。

「しかし、男を()()()のは何年ぶりだろうねえ。…いや、待てよ」

ジェンツィアナは俯くビアンカの肩に、酒瓶をじゃんと押し当てる。

「こう見えてもアタイ。あんたを気に入ってんだ」



「女二人で海の旅。ってのも、痛快じゃあないか」

「どうだい、アタイの相棒にならないかい?」



頭上で鳴く海鳥の群れが、島に帰っていく。

帰る場所を忘れるな、と、海鳥は鳴くのか。


「…や」


「なんだって?聞こえないよ」


「嫌よ」


潮風が頬を舐めていく。



ふう、



と、

ため息を甲板にぶつけ、

「なんだ残念だね」

ジェンツィアナは立ち上がり、向かいの手すりに歩いていって、両手をついて、蒼海を見渡した。

「じゃあ、今日の餌にしちまうかぁ」


ビアンカははっとして辺りを見回す。

「昨日の晩調べてみたんだがねえ。どういうわけか、この海域一帯に、()()()、閉じ込められてるみたいなんだよ」

そして、

記憶の中の島影と合致する一面の蒼さに、


「…ここで、この海域で、何をするって言うの」


「何…って」



「決まってるじゃないかい。『鮫殺し』の始まりだよ」



その一言に、絶望した。




「ノッチの旦那ッ」

その漁船を追うはノッチ達のクルーザー。

舵輪を握る男がノッチを呼ぶ。

「どうした」

「あのボロ漁船、やっぱ変ですよ。サメを囲い込ませた海域で何かするつもりらしいです」

「何かってのは?」

「そこまでは」

「全部じゃなくともあの海域のサメには()()()()あんだよ。『狩り』なんてされたら堪ったもんじゃねえ、全力で止めろ」

「ッへい」



ふいに慌ただしくなる船内。

国家憲兵の避難誘導に従ったはずなのに、なぜかマフィアの人質になった面々は、見張りの銃持ち二人のいるラウンジに押し込められていた。


祈るように両手を組んだ老夫婦。

膝を抱いてうずくまる若い男。

ソファで泣き喚く浮浪者の女。


そして、怯えるミミとザフィも、ソファの隅に縮こまって座っていた。

「もう…ダメなのかな」

黒光りする銃身に、ミミは震え声で呟く。


心の支えだったローリー。

クルーザーに乗り込む直前、逃げ出す彼を追っていれば…。


もっとちゃんと、ロロ君達と話していれば…。


あんな手帳しか残していけなかった自分が、情けない。



ミミが不安で、涙に沈みかけたとき、


ぎゅ、


と、ザフィが、強く優しく、手を握ってくれる。

「ロロならこんな時、何て言うと思う?」

そんなザフィの震える笑みに、

「…そっか」

ミミは確かに勇気付けられる。


たとえ根拠はなくとも、いつだって、胸は希望で満ちるものだと、ミミは知った。



「ほら急げ急げッ」

真っ先にコレッタの繰るボートに飛び乗ったヴォヴが後続三人を急かし、

「やあ楽チンじゃわい」

「っだぁああッ」

アクアヴィーテをおんぶするダニーが続いて飛び乗り、

「待て…ッ、待ってってッ」

息を切らすルッチが、

「…んしょ…」

息を整えながらおしとやかにボートに降り立つ。


「全員乗ったかぁッ!?」

「ああ乗った!飛ばせパンク女ァ!」


埠頭の岸壁からボートを離し、水平線の向こうに消えかかるヴィン・サントのクルーザーに向け船首を回していると、



「…ぉぉおおい」



桟橋に通じる通路の方から、微かに、呼び声が響いてくる。

見ると、二人組の若者と、白い何かが、全力でこっちに呼び掛けながら走って来ているらしい。

「追手か!?」

「いや、憲兵には見えませんね」

「コレッタや、あの子達は」

「ああ、見えてるぜじいさん」


回頭を止めたボート。

速度は上がること無く、一定のスピードで海面をゆったりと滑る。

「おい何してんだパンク女」

「黙れニート」

「ニー…?」


「恩人なんだ。ファンサの一つくらいさせろよ」


そう言って、

「どうしたクソメガネェッ!!」

「恩人…?」

埠頭の上でボートと並走を始める二人にコレッタは声をかける。

「っすみません、桟橋から出てくの、見えたもんで」

「挨拶だけか!?」

「…いやその」

「また乗せろって!?」

「…ハイ。あのクルーザーに、行かなきゃ、で」

メガネ男子のか細い返事に、ボートは僅かにわく。

「危険です。非武装の市民を乗せるわけには」

「わしも市民じゃぞ?」

「犬乗せるのか?バカンスじゃねえんだぞ」

「おいガキ共」

ふいに目つきの悪い男に声をかけられて、二人はびくつく。


「銃は撃てんのか」

「撃て、ません」

「撃てないっす」


「じゃあナイフは」

「使えません」

「無理っす」


「じゃあなんならでき」


「黙りなニート」


ヴォヴは座席の角に、足で無理やり押し込まれる。

「クルーザーに行くって?」

「…ハイ」

「何しに」

「…」



「友達を」


「大切な友達を。助けに」



はぁあああ、とコレッタはうんざりしたようにこめかみを掻きむしると、

「乗れよ」


「…え」


「乗れ。今度こそ、ダチを連れ帰ってみせろ」



「…っ」


「ハイッ!!」



ぎちぎちのボート。

なんとかヴォヴを座席の角に二押し押し込んで、二人と一匹が収まっていく。

「この船、沈まねえよなあ?」

「確実に定員オーバーですね」


回頭完了。

船首が向くは、ヴィン・サントの大型クルーザー。


「準備オッケーだ。飛ばすぜ、いいか!?」

「好きにしなさい。コレッタ」


スクリューの回転数は全開。

徐々に上がるスピード。

風が頬を切り始め、


「さあて」




「最高のギグにしようぜ」




さまざまな思惑が折り重なる、

蒼海の波間を切り裂いて、


船は走る。

船は走る。




※本文の一部に、ナポリ民謡、『'O sole mio』より、詩の一部を引用。



∀本日の一杯

○ロゾリオ

蒸留酒に砂糖と、各種エッセンスを配合したお酒。この名前は、最初に配合されたものがバラの香りとモウセンゴケの味を溶かし込んだ一品で、モウセンゴケのイタリア古語『ロゾリ』に由来する。さらに『ロゾリ』を遡れば、ラテン語の「露」を指す『ロス』と、「太陽の」を意味する『ソリス』からなる言葉であり、ロゾリオという名前には『太陽のしずく』という意味が込められている。

情熱的で香り高い深紅のバラに思い馳せつつ、ストレートでどうぞ。



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