解体
正午を回ると、頭上の太陽はいよいよ海をも燃やし尽くさんとするかの様に、さんさんと照る。港の桟橋の方は相変わらず盛況らしいが、それは一昨日までのような『活気』や『賑わい』ではないのは明らかであった。
そんな喧騒の港から少し離れた路肩で、ロロ達四人は車から荷物を下ろしている。
その間にも、通り抜けていった何人かの国家憲兵に冷たい視線を向けられる。
今、港は厳戒態勢。
至るところが、冷たい視線で満ちていた。
「ありがと。叔父さん」
「何、送迎はいつもの事だ。気を付けて帰れよ」
「うん」
「しかし船の予約は取れたのか?もう少しゆっくりしてってもいいんだぞ?」
「全便欠航だったから、本土から自家用クルーザーを呼んだわ。…二人の事もあるし、すぐに帰りたいの」
「そうか。…それがいいよな」
「…うん」
送迎をしてくれた叔父と車窓越しにハグを済ませて、ミミは足元に座り込むローリーを抱き上げ、振り返ると、
「…行こっか」
後ろで立ち尽くす三人に、優しく声をかける。
ロロ、コリーが、うん、ああ、とまばらに返事をして、それからコリーが俯くザフィの肩を抱く。そうして四人と一頭は、その背中をミミの叔父に見送られながら、船の待合所へとゆっくり歩いていくのだった。
普段であれば出入港の予定時刻が書き込まれているであろうホワイトボードに、『全便欠航』の文字。にもかかわらず待合所には、ロロ達以外にも二、三組、先客が居た。
祈るように両手を組んだ老夫婦。
大きなバックパックを抱いて船を漕ぐ若い男。
そしてベンチを寝床とする浮浪者の女。
この人たちは何を待ってるんだろうとロロは不思議に思ってじっと観察していると、荷物を置いたコリーが、一人、出入り口からそっと立ち去っていくのが見えた。
トイレなら、誘ってくれてもよかったのに。
今は、みんなで一緒に居たい気分だったから、そんな些細な離別でさえもロロは敏感に寂しさを覚えてしまう。
「船、停められればいいけど」
待合所の大窓から見える景色に、ミミがぽつり呟く。
桟橋は十数人の警官が常に監視の目を光らせ、船着き場は巡視艇で埋め尽くされ、慌ただしい熱気に満ちている。
「大丈夫だよ」
こんな状況では根も葉も無い言葉とわかっていても、ミミはロロの言葉に微笑んで、
「うん。大丈夫だよね」
俯くザフィの隣に腰掛ける。
二人とも、憔悴しきっているのが目に見えてわかる。
涙は見せまいと気丈に振る舞ってはいても、昨晩から腫らしたらしい頬の消せない赤い痕は、何よりも正直だった。
ロロは堪らなくなって、視線を大窓の外に逃がす。
その時だ。
突然、港一帯にサイレンが響き渡ったのだ。
なんだなんだと、待合所の全員が跳ね起きて、肩をこわばらせながら周囲を伺う。
ロロも同じように立ち上がり、窓の外の憲兵の動きに注視した。
よく人混みを見ると、憲兵以外にも、漁師や観光客もまばらに混じっているらしい。
そしてその中で揉まれるコリーの姿を見つけ、
「二人はここにいて。少し様子を見てくる」
鳴り止まないサイレンの中、何か言いかけたミミを、戸惑うザフィを置いて、ロロは彼のもとへ駆け出した。
「大丈夫?コリー」
桟橋のギリギリまで詰め寄った人混みの最中、コリーの腕を取りながらロロが呼び掛ける。
「お、おおう。ロロか」
「すごいサイレンだけど、何事?」
「いや、わからん。俺もお袋と電話してたら急にだったから」
ヤジを飛ばしていよいよ盛り上がっていく島民達。
桟橋と岸壁の境界でそれを制止する憲兵達。
お互いの緊張ははち切れんばかり。
が、
ふいに、
一人の老いた漁師がわあと驚嘆の声を上げて、
「サメじゃあッ」
腰を抜かすその一声に、一瞬、
凍りつく静寂が抜けて。
警笛が一つ。
水平線の影が静寂を溶いた瞬間。
どっ、と、爆ぜるような歓声が上がったのだ。
「なんだあの船!」
「後ろに引いてるのはなんだ!?」
「サメだ、サメが死んだ!!」
「サメが死んだぞッ!!」
港のサイレンをかき鳴らした元凶は、ラグーンを横切る一隻の大型クルーザーと、
そしてその船がクレーンで牽引する、
「動いたッ」
「おいまだ生きてるぞッ」
今はもう、吹き出す血潮に赤く染まる白い死神、ホオジロザメだったらしい。
ぎりぎり、ぎりぎり、と、
クレーンのワイヤーが引き締まる音が、遠く桟橋まで響いてきた。
「懸賞金はあいつらの物か?」
「そうらしい」
「羨ましいなあ」
「たかがサメ一匹で百万かよ。楽な商売だな」
「どんな面か、拝みに行こうぜ」
「ああ、そうだそうだ」
サメが、討たれた。
その事実を目の当たりにして、ロロは立ちすくんでいた。
ぞろぞろと、人混みはクルーザーの向かった倉庫区画の埠頭へと流れていくが、ロロとコリーはただ二人きり、取り残される。
サイレンもいつの間にか止んでいて、一瞬にしてどよめきの消えた桟橋。
「あっけないもんだな」
コリーのぼやきが、ぽつり鮮明に響いた。
同時刻。中央区の街中。昨日よりも明らかに増えた巡回中のパトカー、その理由は明確だ。
「…行きました。次の青信号で走りましょう」
「ふぅ、また走るのかよクソッ」
物陰で息を潜める二人の人影。
逃走するダニーとルッチを、追い詰めているのだ。
切り替わる横断歩道の信号。
ダニーのサインでルッチも焦りのまま駆け出して、ようやく辿り着いた目的地、島役場に駆け込んでいく。
昼下がりの役場の受付は、嫌に閑散としていた。
隅のラウンジのソファに深々と腰掛ける大柄な男ただ一人、足を組んで眼前いっぱいに広げた新聞紙を読んでいるのみだ。
「すみません、中央区警察署の者ですが」
ダニーが提示した手帳を一瞥した担当者は頷くと、
「本日は、どういったご用件で?」
にこりと笑って対応を始めるが、
「こちらにいらっしゃる、アクアヴィーテ博士とお会いしたくて。捜査の関係でお話を伺いたいのです」
一瞬、目をぱちぱちさせて、
「…申し訳ありません。現在博士との面会はお断りするよう言われておりまして」
深々とお辞儀を済ませて見せた。
「面会拒否、ということですか?何でまた」
「博士ご自身の要望でありまして。わたくし共も『研究の再開』以上の詳しい理由は、伺っておりません」
「そう、ですか」
ふいに、ルッチが横腹をついついと小突いてくるものだから、ダニーは後方を振り返る。
すると、隅で新聞を読みふけっていた男がそれを脇に置いて、視線はこちらに向けたまま立ち上がったところだった。
「行こうぜ、ダニー」
相棒の提案、無言で頷き、足早に玄関口から出て、すぐ脇の生け垣の陰に身を隠した。
「あの男、見たかよ」
「ええ。国家憲兵の制服でしたね」
『研究の再開』、だって?
博士達の作った『音波』でサメは追い払われたと、昨晩テレビのニュースにもなっていたじゃないか。
だからこそ国家憲兵の海底捜査が、今も行われているものだと思っていたのだけど…。
一体、何の研究を始めたって言うんだ…?
「ったく、きな臭さの限度ってもんは無えのかよ」
ルッチのぼやきに、ダニーは静かに頷く。
役場の正面玄関から二人の憲兵が出てきて、無線機片手に、視線を慌ただしく辺りに巡らせている。
「どうするダニー。博士は臭え憲兵の護衛付きだぜ。…このまま相談無しで港に行くか?」
「いえ。事は『小型核弾頭』の絡んだ一大事。サメを避ける術も、サメを寄せる術も、どちらも必要な知識です。財務を頼れない今、あの二人の助力は必須なんです」
憲兵がまた二人、役場から出てくる。
「そして今、一つの可能性が過ったんですが」
「彼ら本土の憲兵も、今回の『核兵器の取引』に噛んでいるんじゃないでしょうか」
四人の憲兵は小走りに、散り散りとなる。
「突然の海域封鎖に、以降の音沙汰無し。それに関係者である博士達のこの囲い込みと来たもんだ。おれも黒で間違い無えと睨んでるぜ」
「ヴィン・サントとは言え、せいぜいこの島一のマフィアです。たかがその程度の存在が、一国を揺るがすほどの兵器を取引に使うなんて、それこそ国家レベルの助力が無い限り不可能でしょう」
「…学者先生達も黒、っつう可能性は?」
「…」
であれば、最悪を想定しなければいけない。
ダニーは腕を組んで考え込んでしまうが、
「まあ、署長もサンデー警部も連絡が取れねえ。復讐にイカれてるヴォヴ君は論外だし、身内の財務も憲兵も、何なら政府さえも当てにできん。…手詰まりな現状、頼れるのは、あのちょいとボケた先生とパンクな助手だけなのは間違いねえ」
「…つまり?」
「白か黒かはこの際考えねえ」
ルッチは得意気に腕を組んで鼻を鳴らすと、
「当たって砕けろ。学者先生達の部屋に突撃あるのみ、さ」
そう言って肩首まわりのストレッチをしながら生け垣の陰から出ていこうとする。
が、
「まあ待ってくださいよルッチ」
ダニーが慌てて、いざ半周ばかり回ったルッチの肩を押さえ諌める。
「正面突撃も悪くありませんが、ここは一つ、二手に別れる、ってのはどうでしょう」
「おいおいてっきり止められるかと思ったぜ。で?二手、ってのは?」
「ルッチは下から。俺は上から。『陽動』と『侵入』ですよ」
そう言うダニーが指差す空、
「上、って」
ここら一帯の、景観重視に整えられた、
「ああ。なあるほど」
旧市街のような、ほぼ均一な高さの屋上に納得する。
「ルッチ。あなたは無理の無い範囲で、ロビーの辺りで騒ぎを起こしてください。そしてその陽動に警備が釣られている間、屋上伝いに侵入した俺が、三階多目的室に居る二人と接触を試みます」
「侵入できる目算は?」
「初めてここを訪れたとき、目にしたほぼ全ての引き戸にがたが来ているのを確認しました。防犯に関しちゃ完璧ですよ、この建物は」
「お前、ドロボーの方が向いてんじゃねえか…?」
「敵は国家憲兵。今や俺達二人、お尋ね者のドロボーみたいなもんでしょう」
「っは。そう言われちゃあ、確かに。違え無えな」
少し笑って、それからお互いの目を見て頷くと、
「大騒ぎ、頼みました」
「人拐いは、任せたぜ」
行動開始。
弾け出す勢いと共に、それぞれの戦いが始まった。
同時刻。港からそう離れていない、お宿の集まる歓楽街の外れ、すえた臭いの充満するその路地裏を、ビアンカは一人歩いていた。
「ストラ、ヴェ…ああ。あの変わったじいさんなら飲み友達さ。飲み過ぎでぶっ倒れちまった時に担いでった事もあるから、家も知ってるぜ」
聞き込みの果てにようやく掴んだ、中年漁師の証言。
キャッチや飲んだくれを払い除けながらも、男の手書きメモと照らし合わせストラヴェッキの家を目指す。
そして、六度目の飲んだくれを払い除け、騙されたんじゃないかと思いかけた時、指定された住所、古びた集合住宅の一画に辿り着く。
二階、二○二号室。
もう一度男の手書きメモを読み返して、
心の中で何度も唱えながら、
ふう、と、
一息をつき、アパートの玄関に踏み込んだ。
二階に上がると、廊下の隅で、一人の娼婦が捨てられるように寝そべっているのみ。
彼女の寝息以外、人の気配は一つもない。
っぎ、
っぎ、
っぎ、
と、軋む床板を鳴らしながら、
ビアンカは『二○二号室』のドアの前に、
ぎぃ、
と、立ち止まった。
「…」
耳をそっと押し当て、
部屋の中の様子を伺う。
が、
返ってくるのは自分の心音のみ。
生活音というものは、何一つ感じられなかった。
しかしここまで来て、ドアに耳を押し当て帰った、なんて冗談にもならない。
意を決して、ドアノブを捻ってみると、
ぎぃぃいい…
…開いている。
不用心にも、部屋の鍵は開いていた。
っそ、と片足ずつ部屋に入り込んで、
ばたん…
後ろ手で閉める。
そして、
顔を上げた先の、
ベッドとサイドテーブル以外、家具一つ無い木造の簡素な一室に、ただ、呆気にとられてしまった。
やっぱり、からかわれて、騙されたのかしら。
そんな邪念を払いながら、カビ臭いシャワールーム脇目に床板を軋ませて、ワンルーム窓辺のサイドテーブルに歩み寄る。
テーブルの上にはガラスの灰皿と、安物のタバコの吸殻、そこに混じる僅かにオレンジのルージュが染みたシガレット数本。
巻き紙の劣化具合から、ふた月から半年ほど前の物だろうか。
それ以外にめぼしいものは無く、下のラックに視線が行く。
引き出しは三段。
上から順に物色していくと、
カミソリやゴムといったエチケット用品、
次に壊れた拳銃と弾薬が顔を覗かせ、
少しばかりの人間味と生活感から、ここにちゃんと人が住んでいる、
と安心した時だ。
開いた最後の段には、十数枚の紙束と、一冊の期限切れのパスポートが入っていた。
そして、
まず目についた紙に、一枚の住民票の写しに、開けるべきでなかった、という後悔で震える。
そこに、
『ストラヴェッキ・バリカータ』は、居なかったのだ。
書類は偽造されている?
違う。
間違った家に侵入した?
違う。
あの中年漁師に騙された?
違う。
手に取った正規の住民票には、確かに違う名前が記されていて、
震える手で拾い上げたパスポート、
「…ッ」
思わず落とし開かれたパスポートにも、
知った顔の、知らぬ名前が、確かに記されていたのだ。
あの狂人の名は、
鮫殺しの男の名は、
「…ピップ・マッローネ…?」
「それじゃあ…」
「それ、じゃあ…」
「ストラヴェッキ・バリカータは、…一体誰なの…?」
鼓動は高まり、呼吸が乱れる。
音を殺さなければならないのに、心音は吐息は、おさまらない。
恐怖のままに、震えるままに、床にしゃがみ込む。
が、その時だ。
窓から差し込む日の光が手にした銀色を照り返したことでハッとする。
そうだ。
まだ、全てが闇の中、という訳じゃない。
ストラヴェッキという男は、確かに居た。
あの狂気は、確かに存在したのだから。
落としたパスポートを拾い上げてカバンにしまい、
サイドテーブルの引き出しをもとに戻して、
銀色のレコーダー、その記録を急ぎ遡っていく。
そして、一昨日の昼過ぎの録音、
ジェンツィアナの語る、『鮫殺しの男』。
ここに答えはあると確信して、ビアンカは日だまりの中で、再生ボタンを押すのだった。
―――…ストラヴェッキ・バリカータ―――
―――アタイがあの男と出会ったのは、三十三年前の太平洋で、だった―――
独特な畏れの宿るジェンツィアナの声色は、あの日よりももっと鮮明に聞こえる。
…無理もないか。
この話聞いた時、私、ひどい酔いと戦ってたんだっけ。
淡々と、
淡々と。
記憶していた以上に、無感情に、抑揚無く話は進んでいくが、
―――それから…―――
―――…それから?―――
―――っああ。すまないねえ。ストラヴェッキの話だったね。アタイも歳をとったもんだ、つい脱線しちまったよ―――
ビアンカは、このやり取りに、思わず停止ボタンを押す。
そしてすかさず巻き戻して、直前の会話の開始部分で、再び再生開始した。
―――アタイはまだティーンの学生で。
恋人と、仲間達と一緒に太平洋の島々を回るツアーに参加していてね。…っくく。ちょうど上のガキ共と、同じ感じさね―――
―――一夏の思い出に、と、みんなではしゃいでてさあ、あれはちょうど、ハワイの近くを通り過ぎようとし―――
再び、停止ボタンを押す。そして、すかさず巻き戻して、再び語り始めを聞く。
―――時、アタイはまだティーンの学生で。
恋人と、仲間達と一緒に太平洋の島々を回―――
何か。
何かが、引っ掛かる。
違和感の正体を掴めず、
頭を抱えたまま床にへたり込んだ時だ。
ガチャガチャッ
…何の音?
ドアノブ…ッ!?
瞬時に察知したビアンカは、目の前、ベッドの下の隙間へと考え無しに飛び込んだ。
レコーダーの電源を切ってポケットに突っ込み、ぐっ、と目を瞑った時には、
がちゃり、
とドアが開いて、
ずぎぃ、
ずぎい、
と、おもっくるしい軋みと共に、家主の男が帰ってきたらしい。
そして、げへへ、と下卑た笑いを滲ませて、何か大きなモノをベッドへと、ずぎぎぃ、と投げ置くと、
「んん…ったぁい」
女の声…恐らく廊下で寝ていた娼婦の嬌声が聞こえてきた。
吐息。
絡む唾液の粘り。微笑み。
軋むベッド。
上がる吐息。
まずい。
ビアンカは最悪を想定し、肩をぎゅっとこわばらせるが、
「待ってろ」
男はほこりを巻き上げながら服を床に脱ぎ置いて、
――ッキュ…ジョァァアアアアアアア…
シャワーを浴び始めたらしい。
最悪の中の最悪は免れたと安堵しつつ、耳をそばだてる。
「すぅ…すぅ…」
女の寝息。
シャワーの水音。
…逃げるなら、
今しかない!
そう考え至るよりも早く、
綿ぼこりを弾き一目散、
目の前の開けっ放しの窓から身を乗り出し、
二階、四か五メートル。
いける!
おもむろに飛び降り、
「痛」
ったぁい!
派手についた尻餅。
続く叫びをなんとか心に止めながら、
「~~…ッ」
カバンにしまったパスポートを確認しつつ、アパート玄関入り口近くの陰にひょこひょこと身を潜める。
鮫殺しの男の正体を求め、始めた取材。
結果、
彼の家に、『ストラヴェッキの存在』は、無かった。
「…ストラヴェッキ。いいえ、ピップ・マッローネ。あなたは一体、何者なの」
レコーダーに有線イヤホン。
ビアンカは、再生ボタンと共に語り出すジェンツィアナの声に、深く、深く集中する。
ストラヴェッキの、ジェンツィアナの。
彼らの望む『鮫殺し』の真実を、必ず、突き止めてみせる。
それが鮫殺しの海に消えていった者達への、私ができる、唯一の手向けなんだから。
ビアンカはその決意を胸に、ジェンツィアナの記録を何度も聞き直しながら、男を待つのだった。
同時刻。人払いを終える倉庫区画。最後の一団が、出来レースかよ、と各々ぼやきながら、つまらなそうに桟橋の方へ歩いていく。
それもそのはず。
サメを討ち取り、まだ息のあるホオジロを空き倉庫に水揚げしたのは、ヴィン・サントだった。
懸賞金に夢見た漁師達や、島を訪れたハンター一行。
島に集ったその大部分は、数日監視のしかれた港に拘束されただけだったのだから、面白くないとしらけるのも無理はない。
人払いがすぐに終わったのも、マフィアへの畏れ以上に、そういった呆れや怒りもあったのだろう。
ひとまず、事が起きること無く、人払いは終わった。倉庫入り口に立つ構成員が、入港から搬入までの手引きを助けた警官二人に賄賂を握らせると、足早に去るその背中を見送り、倉庫の扉を固く閉ざす。
「ボス。警察二人も帰しました」
「ようし」
カンディアスはただ一言そう言うと、
ッタァアアン…
おもむろに手にしたショットガンを、倉庫の真ん中に横たわるホオジロの顔面へとぶっぱなした。
眼窩がひしゃげ、どろりと水晶体がはみ出る。
ッタァアン…
エラをひくつかせて、床にだばと血を吹く。
ッタァアン…
尾ヒレがびたびたと床を打つ。
ッタァアン…
アゴがかぷかぷと空を食む。
ッタァアアン…ンン
五発。
弾倉の中の弾を、全て撃ち出す。
びくびくと痙攣を繰り返す度に、エラだった場所からから血が溢れていく。
十人の部下は、黙って、ボスが弾を込め直す様子を見届ける。
ッタァアン…
鼻の頭がひしゃげる。
ッタァアン…
下アゴが外れる。
ッタァアン…
喉が爆ぜる。
ッタァアン…
頬肉が飛ぶ。
ッタァアアン…ンン
五発。
弾倉の中の弾を、全て撃ち出す。
エラも。
ヒレも。
アゴも。
何もかも。
サメは滴る飛沫以外の動きを、終えていた。
それでも再び弾を込め出すカンディアスに、
「ッボス」
堪らず真横にいた一人が、震えながら、彼の手を止める。
「もう、死んでますぜ」
「…」
しかし制止も届かず、部下の手を払い除けぐいと歩み寄ると、
「まだ、セレナの分が、終わっちゃいねえよ」
ッタァアアン…
上顎の刃を、
ッタァアアン…
舌を、
ッタァアアン…
硬口蓋を、
ッタァアアン…
脳を吹き飛ばし、
ッタァアアン…ンン
原形の無い肉片を、最後に弾くのだった。
同時刻。島役場一階。受付ロビーに、疾風の如く駆け込む人影一つ。
「なあすまないお姉さんッ」
鬼気迫る男の表情。
受付のデスクから何事かと立ち上がり、カウンター向こうにうずくまる男に駆け寄る。
「ど、どうされましたか?」
「っすまないんだが、ホントにすまないんだがッ」
「ええ。ええ」
「トイレ、貸してくれェッ」
眉間に寄るシワ。滲む玉汗。
ルッチの迫真の演技に、慌てる受付。
「…おい。あの男さっき」
「ああ。居たな」
外から何事かと様子を伺っていた憲兵の二人も、拘束用のテーザーと手錠を構えて、にじり寄る。
しめた。屋上は無人らしい。
四つ隣の雑貨店から渡ってきたダニーは、島役場屋上の錆びた鉄のドアに勢いのまま張り付いて、
鍵の有無と開閉、…鍵はかかっている。
全体の劣化具合、…まんべんなく錆びていて…。
蝶番、かなり古い。…これならば。
瞬時の観察で弾き出した答えから、
ホルスターから取り出した拳銃、
「…っやぁあッ」
そのグリップで思い切り殴り付け、
ッガッキィン…
四、五発の殴打と発声でようやく破壊に成功する。
そして、だらしなくぶら下がる蝶番、そこに力がめいいっぱい掛かるよう、
「ッリャァアッ」
思い切りドアど真ん中を蹴り抜いた。
「お客様…っ、お手洗いはあちらに。もうすぐですよっ」
「すまないんだが、ホントにもう、…キテて」
「ええお客様っ、それは困りますっ」
小鹿のように膝を震わせて、受付の女性に手を引かれ、
「あ、ああッ、あああああッ」
哀れ。
トイレまであと五メートルというところで絶叫。
「お客様…!?」
固まる受付。
「止まれ」
固まる憲兵。
職員達に走る緊張の最中、
「すまないねえお姉さんッ」
一瞬だった。
瞬足、やはり疾風の如く駆け出す。
追手の憲兵を置いてルッチは駆け出す。
切迫する肛門に職員は戦いたが仇となった。
ノーガードの廊下の奥へと、ルッチは一気に駆け出したのだ。
「クソが騙されたッ」
「侵入者が奥に行った!クソ野郎は十数秒でエレベーターだ応援求むッ」
階下からざわつきが聞こえてくる。
ダニーは壁の陰に背を預けながら階段を下り、三階に辿り着く。
多目的室…確か9番だったか。
ちらり覗く廊下。
目的の部屋の入り口前で、三人の憲兵が忙しなく動いて、内二人がエレベーターの方に駆けていった。
ルッチがやってくれたらしい。
警備は目視で一人。
…部屋の中にも多くて五人は入れそうか…。
ダニーは腕を組んで考え込みそうになるが、
「…」
それは一瞬だ。
腕を組んで、すぐ。
ふんと鼻を一つ鳴らして、
「この際、考えない。…それも手ですよね、ルッチ」
組んだ腕をほどいてすぐ。
両頬をはたく。
「…ッよし」
気合充分。
負ける気なんてさらさら無い。
あって堪るか。
ダニーはおもむろに廊下に躍り出て、
「ぅぅううおおおおおあああああああッ!!」
響く大音声。
多目的室前、憲兵はなんだと怯む。
すかさず構えられたアサルト、
しかし気迫にぶれる銃口、
ダニーは怯まず冷静に分析をした。
応援を呼ばず銃を構えた。
階下ルッチで手一杯か。
背後室内、増援ナシ。
なるほど銃口だけが君の手か。
「うおぉぉぉおおああああああッ」
「うわぁぁあああああああああッ」
狭い廊下。響く二人の絶叫。
金属製のフレームやパイプは剥き出し。
跳弾のリスクについに揺れた銃口。
すくむカラビニエリ、
胸元、コンバットナイフの柄に手が延びたが最後。
「ッぉっらぁあ!」
その隙、走り抜ける勢いのまま、
顔面ど真ん中、ダニーのストレートが一発決まった。
ナイフは弾け飛び真横の壁に突き刺さり、
憲兵の男は吹っ飛びあっけなく六メートルほど先に倒れ伏せ、二、三回痙攣ののち、動かなくなった。
ジンと痛む拳。
しかしダニーは構わず転ぶようにしてブレーキをかけ、多目的室の引き戸を、
ガラララッ、
と開ける。
何事かと怯えるアクアヴィーテ博士。
同じく怯える見知らぬお下げの女の子。
タブレットを抱き込む助手のコレッタ。
そして一人残っていた憲兵、
ダニーと目が合った瞬間だ。
「動くなッ」
あろう事か、
アサルトの銃口を、そばにいたコレッタに突きつけたのだ。
「…~っあなたそれでも憲兵なんですかッ」
悔しさに泣き言一つ吐き捨てダニーはおとなしく両手を上げ、
「っへへ!これも仕事さッ」
なす術無し、か。
じりじりと、壁際に後退する。
「ぬわぁああああッ」
一階廊下。
床に倒れ伏すルッチ。
「あっだぁああばばばばッ」
抵抗むなしく、三発目のテーザーに声帯を震わせていた。
『こちら多目的室ッ、別動隊の男が侵入してきた、応援求むッ』
無線から漏れる声に、駆け出す三、四人ほどの足音に、ルッチはグッと目を瞑る。
すまねえダニー…ッ、しくじっちまった。
「一体なんなんだコイツらは」
「隊長。所持品にこんなものが」
「…、財務警察だとォ?」
IDを取られたらしい。
どうやらもう、ここまで、か。
多目的室。
「あんた確かダニー氏だったか!?」
突然だった。
コレッタが言葉尻を震わせながらも、問い掛けてくる。
「黙れ女ァッ」
「覚えて頂き光栄ですッ」
「今すぐ会話をやめねえかッ」
ッタァン、
とアサルト一発。
デスク上の書類の山を弾き飛ばした。
「クソが」
「なんだと女ァ」
「ダニー氏ッ」
「黙れってのが聞けねえのか、あ!?」
「あーしらの研究、覚えてっか!?」
研究…?
サメの研究…
いや思い出せ。
二人がこの島に呼ばれた理由…ッ、
サメを追い払ったのは…!
「ッ黙れってえのよ女ァ」
唸る銃口に叫ぶ憲兵。
「じいさんッ」
抱き抱えるタブレット、指紋センサーをいじるコレッタ。
「おうともさッ」
死角、モニターに釘付けのアクアヴィーテ。
「…ッ」
彼が弾くエンターキーの、
音が聞こえたか、
否かの刹那。
両掌でがっちり覆われた耳。
その向こうでけたたましく響く異音。
部屋中に爆音で響くその異常な音に、
「んぬぅうあああぁぁぁああああああッ」
憲兵は堪らず銃を投げ出し倒れ伏せていた。
話はあとだ、いくぞ。
駆け寄るコレッタの口の動きでなんとか内容を察して、頷くダニーは三人の後に続く。
そうして多目的室の爆音が和らいだ二階階段踊り場で、
「一体何をしたんです?」
ダニーは先行く三人に問い掛けると、
「音波攻撃っす」
耳栓を捨てたコレッタが言った。
「訳あって、サメが嫌う音と偽り『ヒトが嫌う音』を作ってたんすよ」
「訳…って、まさか強迫されてた、とか」
「ま、そんなとこっす。おっと」
足元で伸びている三人の憲兵を跨いで避けて、階段を下りつつコレッタは続ける。
「部屋にあったスピーカーと、ヘイリー氏がジャックしてくれたやつらのクソインカム。もとよりそこに直接音波を流してやるつもりで隙を伺っていたところに、あんたら警察がやって来た、って訳っすね」
コレッタと話している間に、一階廊下にまで辿り着いた。
「ダニー無事か!?」
「ルッチ!話は後でッ」
戸惑うルッチと合流を果たし、
そのまま五人で駆け抜けたロビーは、床には失神し倒れ伏せた国家憲兵に、あたふたする役場職員達と、混沌を極めた様相だ。
「ま、お互い積もる話がありそうで」
ルッチのぼやきに頭を掻きつつ、
「こっちですっ」
いつの間にか車のキーをくすねていたらしいヘイリーが、憲兵の装甲車の鍵を開け、手招きしている。
今、考え込むよりも、
「当たって砕けろ、ですか。気に入りました」
「っへん。当たって砕け、に更新しといてくれ」
ダニーは笑って、相棒と駆けた。
同時刻。三十分と待たずして、男の部屋の窓から上裸の女がシガレット片手に身を乗り出した。彼女が煙を一吹きするのとほぼ同時に、アパートの玄関をさっぱりした風に男が歩み出てくる。
ビアンカの行動は一つ。
ある一つの『確信』を胸に、男の尾行を開始する。
とはいっても、『鮫殺しの男』である以上、行き先は一つしかない。尾行というよりも、すでにゴールの読める距離を取った同行と言って差し支えない。
「…」
一定の歩幅で。
まっすぐと。
思っていた通りの道を、
娼婦のキャッチに目もくれず、
遺伝子に染み付いた習性かのように、
男はまっすぐ、港の桟橋に係留する自分の船に辿り着いた。
そして、甲板にぎいと乗り込むと、ロープの張りや道具の調子を整え始める。
「今、漁になんて出れないんじゃ無いかしら」
ビアンカはそう声をかけながら、彼の船の甲板、積まれた木箱の一つに腰掛ける。
男は驚きもせず、目もくれず、手元の作業を進めながら、
「自分の船だ、いつ乗ろうが自由だろが」
「確かに。ごもっともね」
船はただ、波にゆったりと揺れるのみ。
桟橋全域は国家憲兵に見張られているらしい。
少しでも出港の気配があれば止められるのだろう。
何人かの憲兵が船の横を通りすぎては、ビアンカと漁師の男、おかしな組み合わせに見えるのか二人を見比べていく。
「でも」
「『ピップ・マッローネ』。…それがあなたの本名」
かたん。
さすがに動揺が隠せなかったらしい。
手にしていたロープの結び目が落ち、甲板を打った。
「この船が本当に『あなたの物』なら、所有者の登録名義は…ピップ?まさか、ストラヴェッキ?」
ぎい、
と、ピップはビアンカと向き合うように、操舵室の壁に背を預けて、睨んでくる。
「それとも、別の名前かしら」
「なんの話だ、女」
睨み合う二人。
憲兵の監視がある以上、ビアンカは強気だ。
太陽がじりじりと、二人の視線を焦がしていく。
静かな戦いが、人知れず幕を開けた。
滴音と、銃声。
ヴィン・サント構成員が固唾を飲む静寂に、それらが重くリフレインする。
そして、カンディアスが手にしたショットガンを床に捨て置くと同時、
ガチャン、…ガラララ…ッギ
と、倉庫のドアが開かれ、五人ほどの足音が慌ただしくなだれ込んできた。
「ボスッ。こいつは一体、何の騒ぎで?」
額を汗にまみれさせたノッチーノだ。
天井を仰ぎ目を瞑るカンディアスの横へと早足で歩み寄り、覗き込んだ。
「鎮魂歌さ。ノッチーノ」
そう言って目を見開くだけなのに、ノッチは怖じ気付いてしまい、一歩尻込みした。
「レクイエム、って…こいつはまさか件の」
「ああそうだ」
「昨日の逃げたっつうニュースは、誤報だったんで?」
「…いいや?」
「オレが狙った獲物を逃がした事があったかよ…なあ、ノッチーノ?」
どきりと、
心臓を撃ち抜かれたかと錯覚した。
「まあ。オレの子供達を喰った以上、どの道こいつに逃げ場なんて無えのさ」
物言えず、奥歯をぎりときつく噛み締めるノッチを他所に、カンディアスは、
「おい」
と、マスクを着けた部下の一団に一声かけ、
「腹を開け」
その言葉で、ノッチの目は一瞬にして丸く見開かれた。
マスクの一団が腰の鞘からマチューテを引き抜き、サメに群がり始める最中、
「腹を、開くんですか?」
ノッチは堪らずカンディアスに詰め寄る。
「ああ。開くさ」
一人の放った切っ先が、さく、と、下腹部に突き立つ。
「一体どうして」
ずぶぶ、と、肛門の辺りから赤茶けた液体が爆ぜる。
「返してもらうんだ」
三人の部下が、一つのマチューテの柄を握りしめ、せえ、んのっ、と、声を掛け合わせて、ぎいこ、ぎいこと、桃色の腹を、頭に向けて切り裂いていく。
「子供達を、返してもらうんだよ」
曇り無い彼の笑み、横顔に、
ノッチの全身から、一瞬にして血の気が引いた。
ふと、
冷静になって辺りを見回して、
さらに息が詰まる思いとなる。
ボスの配下にしたはずの、自分の派閥の者達が、
一人として居ないではないか。
銃や、マチューテを回して遊ぶ者達は、
誰もが遅れてやってきた、四人のノッチ派とその頭に、視線を向けている。
首筋を伝う汗が、じわりと、シャツの襟元に滲む。
「そういやあ、取り巻きがいつもより少ないんじゃないか。ノッチよ。…ベラ、マルカス、サミーはどこ行ったんだ」
「…少し、旧市街の方で騒ぎがありましてね。そっちを見に行ってもらっています」
「そうか。騒ぎ、か。…今、頼れる医者も居ねえんだ。あまり無理はさせてやるなよ」
「…はい」
ガチンッ
と、サメの腹の真ん中あたりで、大きな金属音が響く。
ノッチは収まらない震えに、唾を飲み込んだ。
マチューテを握る三人が、なんだなんだ、と、お互い見合って首を傾げる。
「ああそうだ。最近忙しそうで会えていなかったからなあ。共有を忘れるところだったんだが」
「何でしょうか」
「明日、チェンテルベの葬儀を執り行うことにした」
「そうですか。場所はもう用意できたんで?」
サメの腹に、三人の腕が、ごぶぶ、と、入っていく。
「抜かり無くな。…しかしホントにバカなヤブだった。司法解剖とやらの結果も、オーバードーズだとよ」
「…そう、でしたか」
「葬式が続くぜノッチよ。オレも喪服の腹回りを合わせに、仕立て屋に行かんとな」
「…はあ」
何か中で手応えが有ったらしい、三人はハッとするように固まる。
「お前も早めに行っておけよ?なんせ上着のカフスが取れちまってんだからよお」
「…カフス?」
いつものスーツ。
右の袖口のカフスが、いつの間にか無くなっていたらしい。
一体いつ。
取れたんだろうか。
しかし、今のノッチにはそんな事はどうでもよかった。
ついに、
三人の手によって、サメの腹の内が、露となったのだから。
黒い、
スイカほどの榴弾が、二つ。
ごとん、ごとん、
と、
ゆっくりと、丁寧に、床へと並べられた。
「なあノッチ。アレは何だ」
「…なぜ、俺に聞くんです」
「ふは、何だと思う?…意見を求めるくらい、いいじゃあねえかよ」
「…」
続く沈黙に、ふぅぅ、と、
ため息が、重く響いて、
「そんならよう」
「ヴォヴ」
「お前さんは、何だと思う?」
彼の呼び掛けに、
柱の陰から現れたその男の銃口に、
ノッチーノは、カンディアスにしてやられた、と、直感した。
「よう。ノッチーノ、さん」
「…ヴォヴ、コロント。…てっきり、死んだものかと」
首筋を伝う汗が、じわりと、シャツの襟元に滲む。
∀本日の一杯
○ノチーノ
クルミを使った果実酒。イタリアはモデナ。洗礼者ヨハネの聖人の日6月24日から聖ペテロの日6月29日の間に収穫される未熟な青いくるみを、各種ハーブやスパイスと共にリキュールに漬け込んで作られる。レシピによっては砂糖も加えられ、かなり親しみやすく飲みやすいお味のものもあり、『ノチーノはどんな病気よりもモデナ人を殺した』という格言も有るとか無いとか。
クルミの花言葉は、「謀略」「知恵」「野心」。
酒は飲んでも飲まれるな。ゲン担ぎにでも、ここぞという時にストレートでどうぞ。




