―序章― Aperitivo
真夜中のイオニア海のどこか。
銀色の月明かりが黒くうねる潮の峰を縁取り、されるがままの一隻のプレジャーボートを照らし出す。
その仄明るいカンテラの点る甲板の上では、二人の男がポーカーに興じていた。
「っはは。ストレートフラッシュだ」
「おいおい二連続かよ、ポルコ。イカサマしてねえか?」
不敵に笑うポルコは、どこかから取り出した二枚目のハートのエースを見せびらかしながら、
「今のがバレねえなら、おれも凄腕のイカサマ師になれそうだ」
向かいに座る男をからかい、
「認めたなチクショウ」
してやられた彼は手札を叩きつけて、ショットグラスのマホガニーを一気にあおった。
男はショットグラスをコンとテーブルに置いて、次の罰を注ぎ終え、
「…しかし、静かな夜だ」
手すりの向こう、眼下に広がる黒い塊を見渡す。
「なんだ、酔うと詩人になるんだっけ、お前?」
「いやいや。知ってんだろポルコ?オレは夜の海が苦手なんだ」
「だから怖いって?」
「ま、そういうこと」
ポルコはくくく、と笑い、シケモクを咥えてジッポを灯す。そして輪っかを一つ吹き煙遊びをしながら、
「こんな夜は、シャークが来るな」
と、芝居ががった声色で、男を怖がらせようとする。が、
「そういうアメリカかぶれなとこ、映画の見すぎのせいかねえ」
夜の闇から視線を戻した男はため息混じりにポルコを見て、続ける。
「知ってるか?海でサメに喰われて死ぬより、頭にテレビが直撃して死ぬ確率の方が高いんだぜ」
「マジかよ。じゃああいつらビキニの女喰わねえの?」
「そういう時代じゃ、ねえんだよ。まったく我が国イタリアの沿岸警備隊様々だぜ」
がっかりしたポルコは再び煙遊びに興じ、男も再びやれやれといった具合で、闇の向こう、イタリア本土のある方角に視線を流す。
月明かりの照る静かな波間が、ちゃぽんと銀色の飛沫を何度か上げた。
「そういやヴォヴ、ビキニで思い出したんだが」
ふいにその静寂を破るように、ポルコが思い出した勢いのままぐいっとテーブルに身を乗り出して、
「セレナとは最近どうなのよ」
ヴォヴに詰め寄る。
「ああ。一昨日、海水浴に行ったよ」
「それは聞いたって。それで?」
「夕方まで泳いでディナーを」
「おお、それからそれから」
「お前が教えてくれた店で」
「店で?」
「プロポーズした」
「うぉっほ!いいぞ、返事は!?」
その言葉にがっかりしたヴォヴは目に見えて肩を落として、ため息をついて頭を抱える。
「…あー、すまん。だから、今日まで、教えてくれなかったんだよ、な」
プロポーズの背中を押した手前、ポルコは申し訳なくなって、ヴォヴの隣に移動し肩に手を添えるが、
「っふ、ポーカー中気付かなかったのなら、指輪選びを間違えたみたいだ」
ヴォヴはそう笑いながら顔を上げて、左手薬指の指輪をポルコに見せびらかす。
「おいおいおいおい、おれとした事が。色気付いたイカサマ師に気が付けなかったぜえ」
ポルコもたまらず笑い、親友の吉報を自分の事のように喜びながら、すかさず彼を抱き寄せた。
と、そこへ、
「何盛り上がってんの男二人で」
下の船室から女が一人、寝ぼけ眼を擦りながら階段を登ってきた。
「おうセレナ。ちょうどお前達の話をしてたんだ」
「なあに、ヴォヴ。もうゲロっちゃったの?」
セレナはポルコの反対側、ヴォヴを挟むように腰かけてキスをする。
「ダチのこいつにだけだ。ボスにもまだ」
再びのキスが、長く、ヴォヴの続く言葉を黙らせる。
「ボスも絶対、喜んでくれるよ。付き合う時もそうだったろ?」
ポルコはマホガニーのボトルを一口飲むと、ヴォヴの肩をポンとはたいて勇気付ける。
「ボスは大丈夫…でも問題は」
「ノッチ?」
セレナの言葉に、ヴォヴは静かに頷く。
「それで?下の船室にもそのノッチは居なかったけど?」
「ああ。ノッチの旦那なら見回りにいったよ。そろそろ戻るんじゃねえか?」
あらそう、と言って、セレナはじっとヴォヴを試すかのように見つめる。
「おい、待ってくれ」
「ん?何も言ってないけど」
「その目。この後ノッチにすぐ言えってんだろ?」
「あら。あなたもしかしてエスパー?」
「勘弁してくれ。心の準備がまだ」
「セレナ覚悟しろよ?手繋ぎに一年、プロポーズまで七年かけた男だ。ノッチの旦那への報告は十年スパンを考えとけ」
「あっはは。全然オッケー。あたし待つのは好きよ」
「勘弁してくれよぉ…」
ヴォヴが頭を抱えて、幸せなため息を溢した。
その時だった。
ッゴン―――…
何か大きなものがボートにぶつかったらしい。
その衝撃で大きく揺れる。
「噂をすれば、ノッチの旦那のお帰りかあ?」
「違うポルコ。ノッチさんの小型クルーザーのエンジン音も無かった」
三人は身を寄せあい、息を飲む。
ゴン…ゴンゴンッ…
再びの衝撃。
その振動は船底を小突くような感覚であると察知し、
「ヴォヴ、ブツを守れ。セレナ、船室のショットガンを持ってこい」
漁村で生まれ育ったポルコは、この振動に一人答えを導き出したらしい。
親友二人は彼の言葉に疑うこともせず、静かに、迅速に行動へと移る。
ヴォヴは長辺一メートル以上の、大きな直方体のトランクケースを抱え込んで、腰のホルスターから拳銃を抜きリボルバー弾倉の中を確認する。
「取引相手じゃあ、無いよな」
「夜の海、ダイビングスーツでこんばんは、ってか?だったらいいんだが」
ポルコも自分の得物の調子を確認し、ふうと、一息と共に月を仰ぎ見て、覚悟を決める。
ッゴン!
一際大きな衝撃に、
「ワァオ!こいつはデケえ!」
二人は思わず手すりに倒れかかるようにして掴まる。
「クソッ、小物じゃないな。イタチか?」
「いや」
ゴンゴンッゴン!
「もっとデカくて」
ズゴッ…
「血に飢えた」
ボッコォッ!
「白い、死神」
船底の破られた音と
「イヤァアッ!」
「セレナァア!」
セレナの悲鳴と共に船が傾く。
「ココにゃあ、テレビは、ねえよなあ」
真夜中のイオニア海のどこか。
銀色の月明かりが黒くうねる潮の峰を縁取り、されるがままの一隻のプレジャーボートを照らし出す。