誘拐
この町でいちばんの金持ちは、娘をよく一人で遊ばせている。
──不用心だ。
昼下がり。人気のない空き地に、その娘は今日もぽつんといた。ブランコの縄を握って、暇そうに揺れている。
俺は静かにバンを止め、音を立てずに背後から近づいた。
*
町外れの倉庫。壁は剥がれ、人気もない。隠れ場所としては最適だった。
娘はドラム缶の上にちょこんと座っている。泣きも喚きもしないのは、いいところの娘だからだろうか。
俺は携帯を取り出し、番号を押す。
「……もしもし。お宅の娘さんを預かっている。警察に知らせれば、命はないと思え」
一拍おいて、電話口から男の声が返る。
「誰だね君は。いたずらなら切るぞ」
焦ってないな、と思った。だがすぐに、それは変わる。
「この声が聞こえないか?」
俺は受話器を娘に向ける。少女は素直に声をあげた。
「パパ!」
「沙耶!? 沙耶なのか!?」
食いついた。よし。
「会いたければ現金で五千万用意しろ。お前の資産は調べてある。出せない額じゃないはずだ」
しばらくの沈黙のあと、父親が答えた。
「……わかった。金は用意する。だが、必ず連れてきてくれ」
──完璧だ。
拍子抜けするほど順調だ。ちょっとした余裕も出てきた。
「電話を切る前に、もう一度、娘の声を聞かせてやろうか?」
男は低く言う。
「……頼む」
娘に受話器を向ける。
「パパ。怖かったけど、あたし──」
「今どこにいるんだ?」
「えっと──」
まずい。とっさに手で娘の口をふさぐ。
「おい、余計なことを言わせるな。次やったら、本当にどうなるかわかってるんだろうな?」
「……金持ちのくせに、娘を一人で遊ばせてたテメェが悪いんだよ」
電話の向こうから、小さく声が返ってくる。
「……そうだな」
その声色が、妙に物悲しかった。
「……あの日も、娘を一人にしていなければ……沙耶も、今ごろ生きていたのに」
口をふさいだ手の中で、少女の口元がぐにゃりと、笑うように引きつった。