第2話「予測不能の経済戦争」
王都商業区の騒々しい人混みを、私は執事アーロンの作った透明マントで覆われた馬車の中から眺めていた。水晶玉のようなグラスに映る自らの姿――金髪を螺旋状に結い上げ、漆黒のレースドレスに身を包んだ悪役令嬢の外見に、内心苦笑を禁じ得ない。
(この格好で小麦相場を動かすなんて、漫画みたいな状況だわ)
「お嬢様、先程の商人たちの会話ですが」アーロンが低い声で報告を続ける。「北東領の小麦不足を狙った買い占め工作があるようです。犯人は...」
窓外で目にした赤い外套の男が、私の思考を停止させた。あの髪色、背格好、そして左頬の傷――まさしくゲームではリリアンルートで登場する「謎の商人レオン」ではないか。しかも本来なら三年後に出会うべきキャラクターだ。
(またタイムラインが狂っている...いや、待て。この動きは...)
脳裏に小麦価格の推移表が浮かぶ。過去三ヶ月の相場変動、天候予測、そして領民の消費傾向。現代の経済知識とゲーム情報が化学反応を起こす。
「アーロン、三つの指示よ」私は扇子を開き、その裏に暗号文字でメモをした。「第一に、クローデル商会を通じて南方の備蓄米を放出。第二に、城下町のパン屋全てに補助金を。第三に――」
馬車が小路に曲がった瞬間、レオンと目が合った。琥珀色の瞳が鋭く光り、彼は人差し指を立てて口元に当てる。明らかに私の存在を看破した仕草だ。
(まさか...あのジェスチャーは現代の...!?)
冷や汗が首筋を伝う。この世界で「シーッ」の仕草を知っているはずがない。除非――
「お嬢様、どうなさいました?」アーロンが警戒して剣に手をかける。
「...なんでもないわ」私は扇子で顔を隠す。(転生者は私だけじゃない? いや、それ以前に、ゲームの設定自体が...)
目的地の倉庫街に着くと、早速若手商人たちが殺到した。彼らの熱気むんむんとする中、私は意図的に高笑いを混じえた声で宣言する。
「愚か者どもが! このアリシア・クローデルに刃向うとは百万年早いわ! この小麦相場、三日で正常化してみせる!」
(これで投機筋が警戒する。同時に庶民の不安を鎮める演技...悪役令嬢の威圧感、なかなか便利だわ)
夜、執務室の蝋燭の下で領地の書類を確認していると、リリアンからの手紙が届いていた。封蝋を割ると、現代日本語で書かれた一行が目に飛び込んだ。
『プレイヤーさん、協力しましょう』
紙が指から滑り落ちる。蝋燭の炎が不気味に揺らめく中、窓の外を黒い影が横切った。遠くで闇の飛竜の咆哮が聞こえたような気がした。
(これは...ただの悪役回避じゃ済まない何かが起きている)




