第八話 休息のひと時
店内に入ってすぐ、鼻に抜ける焼かれた肉の香ばしい匂いがして腹を擦る。
異世界にきて時間の感覚を忘れていたが、この世界に時計というアイテムはないようだ。
これも魔法で把握できるらしく、大衆食堂のような店内の窓側テーブル席に座ると、ヒメが魔法で時間を確認してくれる。
ヒメの前に顔ほどの時計が浮かび上がると、時間が表示されていた。
朝の10時くらいで、店内に人が少ないのも頷ける。
「本当に魔法は便利だなぁ」
「でしょー? そうだ。このあと、武器屋の前に占いの館から行こっか。ナイトくんにも魔法の適正があったら使えるよ!」
異世界といったら俺も魔法と答えるほど魅力的だ。しかも、目の前にポンポンと魔法を使う賢者サマもいる。
心の中だけでも魔法少女と思ってあげた方が優しいだろうか……。
横から歩く足音が聞こえてくると、ぽっちゃりした姿にピンクのエプロン姿が似合う、オレンジ髪を1つにまとめた笑顔が素敵な女性が声をかけてくる。
「いらっしゃい! 注文は決まったかい?」
「あー……ヒメのオススメでいいよ」
「うん。それじゃあ、今日のオススメを2つお願いしま~す。それとブラッドオレンジジュースもセットで」
テーブル横にある小さな木の板に掘られたメニューすら見ていなかった俺は、ヒメに視線を向けた。
オススメと言っていたから、てっきり好きな料理でもあるのかと思っていると、店内のオススメを注文する姿に眉を寄せる。
「今日のオススメ2つ入るよ~!」
店内に女性の声が響き渡ると、厨房の方から野太い声が聞こえた。そそくさと店の奥に引っ込む女性を尻目に、異世界に誘拐された精神疲労から背もたれに寄りかかる。
「はぁ……やっと落ち着けた。ブラッドオレンジジュースなんて、あるんだな?」
「お疲れさま! うん、あの酸味に甘さが好きなんだよねぇ……私のオススメ」
「オススメは料理じゃなかったんだな」
勝手に料理だと勘違いしていたのは恥ずかしい。
でも、店のオススメにハズレはそうないから楽しみだ。
先に運ばれてきた、グラスに注がれたブラッドオレンジジュースを眺めると現実世界でのカシスオレンジを思い出す。
異世界にもお酒はあるだろうけど、今はそんな余裕はない。
グラスに口をつける。口の中で酸味と甘みが絡み合い、主張するように「ぐぅぅ」とお腹が鳴る。
「あっ……」
「ふふっ……。良いことだと思うよ〜? 緊張で、水すら喉を通らない〜なんてこともあるからね!」
笑うヒメのいうことは最もだと思った。きっと、一人でさまよっていたら……そう思うと身震いする。
「そういえば、俺にもスキルがあるって言っていたけど……」
「あっ! そうそう。ステータスを視たときに書いてあったんだ〜」
ヒメが教えてくれたのは、3つのスキルだった。
1つ目は、剣術スキルLv5
2つ目は、飛躍スキルLv3
最後は、テイムマスター
テイムマスターってなんだよ……。
しかも、レベルについても高いのか普通なのか低いのかが分からない。
「えーっと……テイムマスターって……そのままの意味だよな?」
「う、うん! 良くは知らないけど凄いよ、ナイトくん!」
「マスターってことは、なんでもテイムできるってことなのか……?」
テイムといえば、ゲームなんかでいう魔物を仲間にすることができる万能なスキルだ。
そういうスキルをメインにした職業はテイマーと呼ばれているが、確か強い魔物を使役できる代わりに本人は弱かったはず……。
だけど俺は剣術と、飛躍という剣士のようなスキルもある。
多分、テイムマスターは明らかに魅力の値が関係しているに違いない。
俺たちの目的は、元の世界に帰ること。このスキルは役に立つだろうか……。
例えば、人を乗せられるような大型の魔物でもいたら楽かもしれない。
「あっ! スキルについて書いてある魔導書があるんだった……確か、あったよ!」
ヒメはアイテムボックスから一冊の魔導書を取りだした。
思った以上に分厚い本に一瞬目を奪われるが、ヒメの装備品と見なされているのか濃い紫色をしている。
「そういえば、今更だけど……この世界の文字が、日本語に見えるのは気のせいか?」
「あー……そうだった。私が魔法で母国語に変換しているの。それで、私とパーティーを組んでるからナイトくんにも見えるんだよ」
「……魔法が万能すぎる」
よくある異世界人特有の万能機能かと思ったが、魔法だった。
魔法少女は無理だったが、ヒメが賢者の称号を得ていて助かる。
「えーっと、テイムマスターは〜やっぱり、どんな魔物でもテイム可能だって! でもレベルが低いと、さすがに駄目みたい」
「まぁ、王道だよな……さすがに、自分より弱いマスターは嫌だわ」
とはいえ、今の俺は確実に弱いんだけどな……。
あいうえお順になっているようで、ペラペラとめくられる本は、目的のページで止められ横向きにして見せられる。
一瞬だけだが、書かれていた言語の分からない文字が日本語に置き換えられるのを見て興奮した。
「――なかなか興味深いな……」
「私も、初めて使ったときは驚いたし、面白いって思ったよ〜」
十五年ぶりの再会にも関わらず、ヒメとの会話は止まらない。
食事を待っている間、他の席にいる客に視線を向ける。
思うと、町に来てから出会った人間は同じ見た目の人種だった。
異世界の物語を思い浮かべると他種族がいてもおかしくはない。
そんなことを、ポジティブな俺は少しだけ期待していた……。